第107話 天賦の才
天才とは何か? 仮に生まれ持った能力だとすると、身長の高さなんてのが天才の一つなのだと思う。
他の競技と同様、陸上でさえ身長が高い方が有利と言われ、100m世界新記録の持ち主は190cmを越える。
以前は身長が高いと静止状態からの動きが遅れ不利と言われていたが、それを見事覆し世界新記録を更新、そして彼の出現で人類が出せるであろう限界記録が訂正されるという事にまでなった。
練習方法や、技術の進歩だけでなく、人の身体も日々進歩しているという事なのだ。
天才、いわゆる天賦の才、それはスタート地点の差だと僕は思っている。
練習をすれば誰でも速く走れる。遠くに跳べる。高く跳べる。
でも、持って生まれた素質は誰にでも必ず存在する。
スタート地点の違いは即ち時間の違いとなる。
幼少期の頃からの環境も含め、生まれ持った能力の差は人によって違う。
その身体能力の差を縮めるには、それを持つ相手よりも練習をしなければならない。
「ハイハイ、跳びますよ」
今日も周囲を気にする事なくだらだらと練習をしているハイジャンの選手、小笠原 穂波に僕はもっと跳べと声をかける。
この合宿……いや合宿前から練習を見ていて思った。
皆、必死さが足りない……さっきも言ったが、才能の差は時間の差だと、高校生活は3年間しかない、いや、もっと言えば人生で最も運動能力が発揮出来る期間はその競技にもよるが、恐らく10年も無いのだ。
人は必ず衰える……場合によっては僕のように外的要因で運動が出来なくなる事だって……ある。
だから、もっと必死になって欲しい……残り少ない時間を有効に使って欲しい……でも、僕のそんな思いは全く伝わらない。
そしてその一番の要因は彼女の存在だった。
ハイジャンプの小笠原 穂波、モデルの様な体型……細く高い身長、長い手足、高い腰の位置は誰もが羨む天賦の才の持ち主。
ハイジャンプは体型の差が如実に出る競技、身長の高さ、もっと言えば腰の位地がスタート地点、それが才能の違いと言って過言ではないだろう。
つまり競争相手と身長差が20cm違うと、その相手よりも20cm高く跳ばないと勝てない。
150cmの身長の持ち主と180cmの身長の持ち主では30cmという絶望的な高さの違いが生まれてしまう。
全国クラスの選手に見劣りしないそのスタイル、そこからスタート出来る羨ましさが彼女にはわかっていない。
そんな僕の思いを気にもせず、彼女は殆んど練習をしない。いやしないわけではない。
だらだらとウォーミングアップをし、めんどくさそうにストレッチをし、周囲と喋りながら器具の準備をして、2ー3回跳ぶと止めてしまう。
「でもこーち、何度も跳んでも意味なくない?」
僕は彼女にもっと跳んで技術を高めろと言うも彼女は必ずそう言って否定する。
確かにハイジャンは闇雲に練習しても逆効果になる事が多い。無駄な筋肉の増加は悪影響でしかない。
「技術が伴ってないから言ってるんだけど」
「でもさあ、私が一番跳んでんじゃん」
「それじゃ足りないって言ってる」
なにを言ってもヘラヘラと笑うばかりの小笠原、そんな彼女を見て周囲の跳躍チームのメンバーもヘラヘラと笑い出す。
それでも諦める事なく真剣な顔でさらに食い入るように練習方法を伝えると、彼女はまるでキスでもするかの様に僕に顔を近付け言った。
「つべこべ言うなら手本でも見せてくれませんかね? こーーち」
吐息が耳にかかる。彼女から甘ったるい制汗剤の匂いと汗の匂いがする。
言い返してみろよとばかりにニヤニヤと笑う彼女、でもその目は苛立ちを隠せていない。
短距離ならともかく、いや、走るという事に関してならなんともで言い返せるが、ジャンプに関して、特に走り高跳びに関しては僕に実績は全く無い。
信頼が全く無いのだ……。
そう言われ、何も言えない僕に彼女は苦笑する……。
悔しい……何も言い返せない自分が悔しい……そう思い諦めかけたその時。
「私が跳んであげるよ、かーくんの代わりに」
そう言われ振り返るとそこには会長と一緒に立つ僕の幼馴染の夏樹が立っていた。
「な、夏樹!」
「やっほ~~」
明るい笑顔で僕を見て手を振る夏樹、でも夏樹の目は笑っていなかった。
怒りに満ちた目……本気の目……。
「えっと……そこの彼女、私と勝負しない?」
「は? 誰? あんた」
「バスケ部の川本夏樹で~~す」
「バスケ部? なんで女バスがここにいるのよ? 関係ないでしょ」
「関係なくはないかなあ? さっき手本をみせろって言ったでしょ? 私の専属コーチに向かって」
「私のコーチ?」
「そうよ~~、かーくんには、いろいろと教えてもらってるの~~」
「いろいろ?」
その夏樹のセリフを聞いて、夏樹の横にいた会長の眉間に皺がよる……いや、会長今そんな場合じゃ無いから。
「はん! 私に勝てるとでも思ってるの?」
夏樹が負けるわけは無い、僕は一瞬そう思った。でもその考えをすぐに否定した。
夏樹は恐らく何年も跳んでいない……ハイジャンプは感覚が重視される競技、踏切のタイミング、助走のスピード、さらに背面跳びは、跳んでいる時バーの位置が見えない。
身体を反らすタイミング、足を抜くタイミング、それは簡単には出来る事ではない。
ましてや相手は全国クラスの才能の持ち主。
夏樹といえどもその感覚を取り戻すのにはかなりの時間を要する。
「まあ、本職が負けたら恥ずかしいよねえ」
「それは図々しく私に勝負を挑んで来たあんたもね、いいわ、もし勝ったらもう何も言わないでしょうしね」
小笠原は僕を見てそう言い放った。
僕は黙って彼女を見つめる、自信満々な表情で。
そしてそれが、僕のその表情が小笠原の闘争心に火をつけたのか、さっきまでニヤニヤと小馬鹿にしていた顔が真剣な表情に変わった。
その小笠原の初めて見る表情に僕は笑いが込み上げてくる。
まあ、陸上なんてやってる奴は、皆同じだよね。
小笠原だって本当は勝ちたいんだ、だってわざわざ皆が遊んでいる夏休みに、こんな暑い山奥まで合宿に来るのだから。
負けず嫌いの塊、そして上級生も下級生も関係無い、運も無い……はっきりと実力が出てしまう世界なのだ。
はっきりと、ね……。
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