第105話 一難去って……


 キョロキョロと辺りを見回し素早く大浴場を後にする。

 僕は間違えて無かったけど、同じ場所から出てくる所を誰かに見られたらかなりヤバイ事態になる。

 別に先生と示しを合わせて入っていたわけじゃ無いけど、そう疑われたら、僕だけでなく先生まで処分されてしまう。


 シンと静まり帰る廊下、出来るだけ足早に部屋に向かう。

 とりあえずあれだけ言っておいたのだ、誰も起きてはいないだろう。


 それにしても、思い出すだけで顔から火が出そうになる。

 こんな場所で、あんなシチュエーションじゃなかったら凄く興奮する出来事なんだろうが、まるで円と初めて一緒に風呂に入ったあの北海道のホテルのような、そして妹と無理やり風呂に入ったこないだのような、なんとも言えない感覚に陥る。

 そう、それどころでは無いっていうか、まるで母親と……いや、年の離れた姉と間違えてお風呂に入ってしまったような、そんな感覚に近い気がする。


「でも先生は本当に気付かなかったのかな?」

 ひょっとしたら途中で気づいていた? 入って来た時よりも酔いは覚めていた気がする。

 もしくは大浴場から出る時に自分が男風呂に入っていたって気付いたかも知れない。

 なんにせよ僕の顔は見られていない……もし何か言われても、知らぬ存ぜぬを通すしかない。

 

 僕は自分の部屋の前で首を振り気を取り直す。


「無かった事にしよう」

 部屋に入ってそう呟き電気を付けると……部屋の真ん中に敷かれている布団の上のタオルケットがこんもりと膨らんでいる。


 いや、掛け布団ならいざ知らず、こんなベタに人の形で薄いタオルケットが膨らんでいるとか隠れる気無いだろ? もしここが戦場だったら僕は迷わず撃ち殺している。


 僕は持っていた杖でその人の形に膨らんでいるブランケットの足元をそっと捲る。


 夏でも出来るだけ足を冷やさないように寝る時も靴下を履くように言っておいた。

 でもそこに寝ている輩は素足だった。

 ちょっとイラっとした僕はその足とふくらはぎを見て名前を呼んだ。


「灯ちゃん、靴下は?」

 履けって言ったろ? なぜお前が履かない?


「な、なんでわかるの!」

 やばり灯ちゃんだった。

 灯ちゃんは驚きの表情で、被っていたタオルケットから顔を出しそのまま起き上がる。


「足を見れば直ぐにわかる」


「凄い、でも変態!」


「誰が変態だ! いやそんな事よりここで何をしている?」

 Tシャツに短パン姿の灯ちゃんが僕の布団の上にいる。

 多分一般人が見れば扇情的とも言える格好なんだろうけど、生憎僕は見飽きている。

 露になる太もも、しかし僕はその足を見ても肌艶や張りを確認してしまう。

 そう、言うなれば、馬の調子をパドックで見定めようとする競馬ファンと同じような感覚だ。


「だってええ、折角毎日一緒なのに二人っきりになる時間が無いじゃないですか!」


「そりゃ無いでしょ?」


「えーーーーさっきお姉ちゃんとは二人っきりだった癖にぃぃぃ!」


「別に二人っきりになろうと思ってたわけじゃ無いってなんで知ってる!」


「やっぱり! 先輩が外に出て行って、お姉ちゃんも居なかったから」


「かまかけたのか?!」

 しまった引っ掛かった……ヤバイな僕って結構単純か?


「ああああ! ま、まさか……先輩お姉ちゃんと付き合ってるの?! ま、まさか二人っきりで! 外でエッチな事を!」


「無いわ! 何もないない、あるわけ無い」

 外で何をするって言うんだ!


「本当に?」


「ああ!」


「じゃ、じゃあじゃあ、先輩は……好きな人いないんですか?」


「え?」


「う~~わでた、ラノベ主人公」

 灯ちゃんの可愛い顔が醜く歪む。


「誰がラノベ主人公だ」


「聞こえてるくせに、って事はいるんだ? 誰? 誰なんですか!」


「いない、いないよ! ほらいいから早く寝ろ」

 灯ちゃんを布団から立たせ、背中を押して部屋の外へと促す。


「ああん、先輩、まだ用が」


「ハイハイ明日、明日」

 僕はそう言ってピシャリと扉を閉じた。


「せめて鍵つきの部屋にしてほしい」

 僕はそのまま布団に倒れ込む。

 灯ちゃんの甘い子供のような香りがほんのりと布団から漂ってくる。

 それにしても……なんでこうなんだ。


 なぜ皆余計な事ばかり考えているんだ? これは合宿なんだ、なぜ合宿に来てるのに、皆、修学旅行気分なんだ!


「走れる癖に……」

 嫌々練習している。めんどくさそうにメニューをこなす。

 僕に文句ばかり言う……。


 イライラが募る、腹が立つ。

 来なければ良かった、こんな無駄な時間を過ごすくらいなら……円と一緒に勉強していた方がましだって……そう思った。


「円……」

 僕はポケットからスマホを取り出すと、少し躊躇った後、意を決して円の番号を押した。


『なあに?』

 ワンコールもしないタイミングで円が出た。

 なに? スマホの画面でも見てた? 自分からかけたのに、直ぐに円が出てしまい思わず言葉が詰まった。


 でも3日ぶりの円の優しい声に気分が高鳴る。 さっきまでのイライラがスッと喉の奥に落ちていく。






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