第103話 てんてい、それはてんてい……


 会長から貰ったよくわからないジュースをなんとか飲み干し、空き缶片手に宿舎に戻る。


 疲れていると言っても別に僕自身が走っているわけでは無い。

 宿舎から競技場まではかなりの距離がある。明日から小雨で気温が下がるとの事なので、長距離チームは競技場まで走って貰う予定だ。

 勿論僕や短距離、跳躍チームの移動はバス、僕の足の関係でなるべく歩かない様にと、いろいろ配慮して貰っているので体力的な疲れは無い。

 

 この程度の暑さも僕には心地よい。


 しかし、やはり精神的な疲れは半端なくあった。


 そもそも副顧問を含めて合宿に参加している者が僕を除いて全員女子、しかも……いきなり1年生でコーチだなんて言われて皆素直に言うことを聞くわけがない。


 中には女子特有の武器を使い僕を困らせる事をしてくる者もいる。


 まあそういう時に顧問が女性なのはありがたい。


 ミーティングでも腹痛時や生理時での大会での対処方法等、僕の知ってる知識をそのまま説明すると、セクハラだと指摘されかねない。


 なので僕の持っている本からそれらをチョイスしてプリントにし、おかま……松岡先生に読んで貰ったりと、なにかと気を使う事が多々ある。

 ただ、陸上の知識の全くない松岡先生のプレッシャーは相当だろう。


 

 宿舎のお風呂にしてもそうだ。


 宿舎は一応温泉宿、貸し切りなので他にお客はいない。

 勿論混浴や入れ替え制度等は無いので、いつ入っても問題は無い。つまりラッキースケベも無い。


 しかし男女別とはいえ、僕が真っ先に入ると、『走ってもいねえのに一番風呂かよコーチ様はいいわね』等と言われてしまう。 実際同時に入っても言われた。


 なので、皆が寝静まってから入る様にしてている。


 つまりまあ、この散歩も皆が寝静まった後、風呂に入らなければいけないので時間つぶしと気分転換に来ただけだった。


 のんびり歩き宿舎に戻ると、さっきまでの喧騒はどこへやら、館内は静まり返っていた。

 初日は深夜までバタバタと歩き回り、時折抑え切れない奇声が館内に鳴り響いていたが、さすがに今日は誰もが寝たいと思っているだろう。

 特に明日は午前中から小雨が降るらしく、暑さが和らぐが雨は体力が消耗するとミーティングでも脅しをかけておいた。


 僕は静まり返える廊下を音を立てない様に慎重に歩き自分の部屋に戻った。

 皆の部屋は基本4人部屋、僕と先生だけは一人部屋になっている。


 僕は部屋に戻って着替えを手に取ると、そのまま浴場に向かった。


 特に温泉には興味が無い。ゆっくり浸かるなんて今の僕には無駄な行為。


 でも、今日はさすがに疲れたので、温泉の効能なんかは信じていないが、風呂に浸かる事でリラックスをして明日に備えようと、なにやら言い訳がましい事を考えながら脱衣場に入った。

 

 古い温泉宿なので、部屋の鍵なんかを預ける所は無い。

 無機質な下駄箱に昔ながらの緑色のスリッパを放り込む。

 

 そして杖をつきながら脱衣室に入る。

 行った事は無いが、テレビでよく見る銭湯の脱衣室と同じ作りだ。

 

 これもまた名前は知らないが、升目状の服入れに全てを突っ込むと僕は杖をその場に置き壁伝いに歩き浴場に入った。


「円のマンションの風呂が一番楽だよなあ」

 円のマンションのお風呂は、僕の為に完全バリアフリー化に改装している。

 しかも至る所に手摺も付いていて入るのに全くストレスを感じない。


 まあ、円は『失敗したあ、介助を理由に一緒に入れたのに~~よし! 外そう!』

 そう言って工具箱を取り出したけど……僕は勿論慌てて止めたけど……。

 本当、あの人の冗談は本気かどうか分かりにくい……。


 身体を軽く洗い大きな浴槽に身体を沈める。

 仄かに香る硫黄の匂い。

 まあ、あまり信用してないけど、効くと思えば効くのだろうとプラシーボ効果に期待し、首まで浸かりゆったりとした気分になる。


 僕はそのまま目を閉じて明日の事を考えた。


 とりあえずあと一人、なんとかしたい……あの小笠原をなんとか全国に……。

 さっき夏樹にメールは送った。

 しかし夏樹は今やバスケ部のエース、おいそれと練習は休めないだろう……。


 小笠原穂波……才能はピカ一なのだけど。

 彼女は簡単に言うと、練習嫌いだが、負けず嫌いというめんどくさい性格の持ち主。

 

 自分より強い選手が現れるとやる気をなくしてしまう。

 なんとしてでも勝ってやろうという意識は無い。

 頑張って負けるのが嫌だ、自分は本当の力を出していないと、なにかと理由をつけ棄権したり、飛べない高さまでパスをしたりてしまう。


 なので予選は通過するも、決勝では記録無しに終わる事が多々ある。


「どうにかしないとなあ……」

 ハイジャンプはバネ、跳躍力に関してだけ言うと練習量としては、多くは必要としない。

 でも技術という面で言うと、他の種目に比べて圧倒的に多くの時間が必要になる。


 彼女はその技術が足りない、助走の位置も踏切の位置も毎回違う。

 よくあれでそこそこ跳べるって感心するくらいだ。


「せめて部内にライバルがいればなあ」

 僕はバシャバシャと顔を洗い、そろそろ出ようかと腰を上げたその時、唐突に脱衣場の扉がガラリと開いた。

 誰だ? 従業員でも入ってきたのか? そう思い入り口を見上げると……。


「あへええ? だあれえだああ? しょうとふ時間すぎにいい~~おふろにはいっれるのわああ、いけないんだああ、あははは、でもねえ~~てんていもお、のんらったからあ、ないしょにしてあげるふう」


 タオル一枚で身体の前を隠した……おかま先生が赤ら顔で浴室に入って来た……って、えええええええ!?

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