第102話 暖かい気持ちの正体は?


 彼と一緒にホタルを見ている。


 ホタルの光り……ルシフェリンとルシフェラーゼが酸素に反応して発光する。

 あの淡い緑色の光は科学で解明されている。

 熱を持たない光。


 でも、今私の心の中には僅かに光とそして熱を持つ物がある。

 この光りは、この熱は彼がいたから私の胸に宿った。

 今、私の隣にいる……憧れだった彼が私の前に現れた時から。



 私は子供の頃から、何もかも満たされている生活を送っていた。

 裕福な家庭で育ちなんでも買い与えられていた。

 習い事も色々やった。

 ピアノ、バイオリン、スケート、バレエ、etc……全て一流の人から一流のレッスンを幼少の頃から受けていた。


 なんでも出来る。当たり前だ。あれだけお金をかけてるんだから。

 

 私はそう言われた。


 コンテストで優勝しても、発表会で優秀作を取っても、審査員に金を払っている。レッスンの先生が有名だから恩恵を受けている。


 そう……陰口を叩かれた。

 

 裕福な家庭で生まれたから、なんの悩みも無くていいね。そう言われ続けた。


 何をやっても、どんなに頑張っても認められる事はない。

 出来て当たり前だってそう言われ続けた。


 自分の努力なんて誰からも認めて貰えない、そんな風に言われる生活に辟易し、私は心を閉ざしかけていた。

 やる気と、生きる価値さえも見失っていた。


 でもそんな時、私は見つけた。陸上競技というスポーツを。

 

 ただ純粋に走るだけ、跳ぶだけ、投げるだけの単純な競技。

 

 全て自分の力だけ、お金もコネもなんの恩恵もそこに入る事は出来ない。

 他人の力さえも入らない、純粋に力と力の勝負、実力だけの世界。


 己の力はタイムと距離という数字で全て現される。


 なんて純粋なスポーツなんだろう……私はそう思った。


 そして取りつかれる様に私は陸上競技にのめり込む、その中でも一番の花形。100m走に入れ込んだ。


 誰にでも出来るただ走るだけの単純な競技。そう思っていた。だから一人でも出来る、今度こそ自分だけの力でって……そう思い一人トレーニングを続けた。

 

 でも実際やってみると奥が深く思うようにいかなかった。


 陸上は基本的に個人競技、成績が悪くとも誰の迷惑にもならない。だから私は誰の助けも、誰の指示も受けずに、ただひたすらと自己研鑽を重ねて行った。


 そして中学2年の春、私は彼に出会った。

 うちの学校に日本記録を持つ少年が入る。そう当時の顧問に言われた。

 私はその時壁にぶつかっていた。思うようにタイムが伸びなかったから……一人では限界があるって気付かされていた。


 だからその時、彼よりも彼と一緒に赴任するコーチの方に興味があった。

 キチンとしたコーチさえいれば私はまだまだ伸びるってそう思った。

 彼には興味が無い。ううん、私は誰も興味は無い、そう思っていた。

 

 でもそんな思いは彼を見た瞬間吹き飛んだ。

 圧倒的だった、あっという間だった。


 彼の美しい走りに私は一瞬で魅了された。


 私は生まれて初めて人に憧れた。彼の走りに夢中になった。

 それから毎日彼を見つめ続けた。

 そして彼と一緒に全国に行くってそう決めもし全国に一緒に出れたら、私のこの胸の内にある思いを伝えようってそう思い一生懸命練習をした。


 その目標は果たせた……でも思いを伝える事は出来なかった。


 僅か半年で……私の憧れは、私の大切な人は、目の前から泡の様に消えてしまった。

 あの美しい走りを二度と見る事ができなくなった。


 

 でも……彼は死んだわけで無い、彼はその後もずっと近くにいた。ただその時折見かける彼と思わしき人物は以前の光り輝く人では、私の憧れた人では無かった。

 

 杖をつき、老人の様に寂しそうに歩く彼の姿を見るのがとても辛かった。

 だからずっと避けてきた、忘れようとした。


 でも、忘れられなかった。私の心の中に灯っていた火は消えなかった。


 なんで? もう彼は……あの光り輝いていた彼はもうどこにもいないのに、なぜこの火は、暖かさは、光りは……何故消えないの?

 この気持ちは一体なんなの? そう思った。


 私は最初この気持ちは彼に対して同情している、憐れんでいると思っていた。

 それ以外には無い、でもいつまで経っても消えないこの気持ちの理由を知りたくて、私は思わず彼の事を調べた。

 

 この学校に来る前の彼の事を……。


 そして私は見つけた。とある陸上雑誌のインタビューで彼は言っていた。


『僕は小さな頃は全然遅かったんです。毎日練習して、一生懸命努力した結果が出て良かったです』


 天才って思ってた。彼とは生まれ持った物が違うって……そう思ってた。

 でも、あの走りが、あの輝きが、彼の努力で生まれた物だと知った。

 

 そして思った。もし彼が再びこの場に戻ってきたら、今度はコーチとしてその力が発揮できれば、彼は再び輝けるのではないか? 


 そしてまた再び彼の輝ける日が来たならば、私のこの気持ちが、この心の底にある暖かい気持ちの意味を知る事が出来る。


 私はそう……思って彼をこの場に、陸上部に再び呼び戻した。

 彼の為では無い……自分の為に……。


「さて、私はそろそろ行くね、今日は大丈夫だと思うけど、一応見回りしないとね」


「ははは、もし今日起きて話してる奴がいたら教えてください、かなりの体力の持ち主だから」


「あら、じゃあ私はそれに該当するって事かしら」


「あははは、ですねえ、じゃあ会長のメニューは2割増しにしておきます」


「ふふふ、貴方がやれと言うのなら……倒れるまでやるわよ」


「倒れて貰ったら困ります」


「ふふ、じゃあ………お休みなさい、貴方も早く戻りなさいね、一応規則違反だから」


「……はい」

 私はそう言って踵を返すと宿舎に戻る。

 

 空を見上げると半分欠けた月が浮かんでいた。


 そんな物を見ても、いつもなら何も感じないのに……今日は何故かとても綺麗だって、そう……感じていた。

 

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