第101話 蛍の川


 合宿二日目の夜、午前中とは一転午後は厳しい練習で殆んどの者がクタクタになっていた。

 昨晩あれだけ言ったのに深夜までヒソヒソと話をしていた者達は恐らく死ぬ思いで練習していたであろう。


 しかし、そんな事は関係無いとばかりに僕は今日も全体ミーティングで各々の問題点を指摘する。

 中には昨日同様に反論してくる者もいたが、それは全てねじ伏せる。伝統? 精神論? 根性論? そんなもんくそ食らえだ。より高くより遠くより速くそんな純粋なスポーツにそんなものなんていらない。


 陸上は研ぎ澄まされた刀の様に己を鍛えるのみ。


 なんて格好いい事を言ってるけど、実際僕はかなり精神的に来ていた。

 嫌われるのに慣れているとはいえ、一日中憎らしい目線を浴び、重箱の隅をつつく様に間違いを探されるのはとても疲れる。


 僕は夜のミーティングを終えると一人で外に出た。


 月明かりだけの暗い夜道、なんだか北海道の時の事を思い浮かべてしまう。


 宿舎から少し歩くと、あの時と同じような小さな川がある。


 勿論今回はそんなつもりは毛頭無い。

 

 橋の上から月明りに照らされキラキラ輝く川面を見つつ一服……なんて勿論しないけど、サラサラと流れる川の音、「モーモー」と鳴く蛙の声を聞き、草と土の香りを嗅ぎ、心を落ち着かせていると……。


「飲む?」


「ふお!」

 心地よい風を感じ目を瞑った直後、唐突に声をかけられた。

 突然暗闇の中声をかけられ、しかも冷たい何かを首筋に当てられ僕は思わず奇声を上げてしまう。

 

 振り返るとそこには真っ白いトレーニングウェア姿の会長が立っていた。

 

 僅かな月明かりに照らされ会長の髪が光り輝いていた。

 そして、そよ風に乗って黄金の髪が秋の稲穂のようにたなびく。

 その姿はまるで豊穣神デメテールの様だった。


「なによ人を幽霊みたいに」


「いいいや、そりゃびっくりしますよ会長」

 暗くて良かった……火照る顔、多分僕は驚きとそして会長の美しさで顔が真っ赤になっている筈。


「フフフお疲れみたいね」

 持っていた2本の内一本を僕に渡すと会長は『カシュ』っという音を鳴らスポーツドリンクらしき青基調のデザインの缶を一口飲んだ。

 僕もカチカチと何度か音を鳴らし、缶の蓋を開けるとゴクリと一口飲む…………


「うええええぇ……な、なんですかこれ?」


「あはははは、なんか不味そうなのを選んでみた」


「なんでそんな事」

 コーヒーオレンジ? なんだよこれ? こんなの売ってるの?


「だって私の申し出を断って一人で苦労してるからね」


「──いいんですよ、これで」


「頑固なんだから、本当バカね」


 僕は会長と合宿前に色々と話し合った。

 陸上部の問題点、悪しき慣習、悪い意味での上下関係、ちゃんとした指導者がいない等々。

 会長から貰った資料、そして合宿迄練習の様子を見学をし、それらが現在低迷している理由だと断言した。


 これらを全て改革をする。それには全員に嫌われてでも誰かが指摘する必要がある。

 生半可な知識では返り討ちに合う。顧問には頼めない、だから僕がやるしか無かった。

 

 勿論1年生の僕がそんな事を言った日には、上級生からの反発は必死だ。今まで苦労してようやく楽になれる筈なのに、今までの事を全否定されるのだから。


 初めは会長がやると言った。高等部陸上部の長として嫌われるのを覚悟して自分がやると言った。でも僕はそれを突っぱねる。

 会長はプレイヤーとしてやらなければいけない事がある。そしてこの先皆を率いる者として嫌われてはいけないと僕はそう言った。


「まあ、夏合宿だけですからね、とりあえずは」


「それなんだけど……貴方には合宿後も陸上部に残って欲しい」


「無理ですよ」


「灯が全国で活躍すれば貴方に対する信頼も上がる、私も頑張れば……」


「それでも、短距離だけでは……ね」

 

「他にいないの? 誰か直ぐに結果を出せる者がいれば、また風向きが変わるかも」


「……まあ、いることはいますよ」


「だ、誰?」


「……小笠原 穂波おがさわら ほなみ


「……あれかあ」


「あれですね」


「才能はピカ一だけど」


「そう……才能しか無いんですよねえ」

 走り高跳びの選手、高等部1年ながら部内で誰よりも高く飛ぶ。

 しかし彼女には問題があった。自分の才能に自信を持ちすぎて、とにかく練習をしない。

 

「彼女は中等部の頃から殆んど練習をしなかった……でもそこそこ飛ぶのよねえ」


「あれが本気になったら……どうなるか計り知れない所はありますね」


「なんとかならないの?」


「うーーん、まあ、一つだけあるんですけど」


「何?」


「自分以上の才能を見せつけられたら、陸上やってる奴なんて負けず嫌いしかいないですしね」

 

「あの娘以上に才能ある人なんて、それこそ全国クラスの選手を連れて来るしか」


「まあ、いるんですけどね……うちの学校に……」

 

「そ、そうなの?!」


「とりあえず……明日聞いて見ます、でも忙しいからなあ……」

 確か今日まで遠征中だった筈、明日朝一で電話をしてみよう……。

 出来れば使いたく無かった……この切り札は……。

 僕が他に何か無いか、ウンウンと唸りながら考えていると、会長は僕の肩をポンポンと叩いた。


「あ、見て……あれってホタル?」


「あーーそうですね、へえ居るんだ……」


「平家蛍……かな」

 淡い緑色の小さな光りが目の前をフラフラと横切って行く。

 

 そしてそのホタルの光りを寂しそうに見つめる会長の姿を見て、僕は何故だか思わず抱き締めたくなる衝動に駆られてしまった。

 危ない危ない、こんな暗闇でそんな事をしたらボコボコに殴られるだけでは済まないだろう。

 

 そしてもしそんな事が円に知られたら、色々と支援して貰ったにも関わらずそんな事に現を抜かした僕は、間違いなく円にコロコロされるだろう……。


 僕は危うい所を踏み止まり、再びホタルに目線を移す。

 

 まだ合宿は始まったばかり……僕は会長と二人でホタルを見ながらこのゆっくりと流れる時間を、一瞬の静寂を堪能し心を落ち着かせた。

 

 また明日から始まる……辛いけど、でも、楽しい僕の生き甲斐が始まる。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る