第97話 今出来る事

 

 暫く円の髪を撫で、円との添い寝を堪能していた。

 あの白浜円と一緒にいるなんて、しかも同じベッドで寝ているなんて、今でも夢の中にいる様な気分だ。


 元アイドルの円、でも僕と出会った時すでに円はアイドルを辞めていた。

 だから僕はアイドル時代の円の事は良く知らない。

 何故かその頃の動画は全て消されている。 もとよりテレビに出ていたのは数回だけとか。

 

 なにか噂によるとハチャメチャなアイドルグループだったとか……。


 僕の知っている円は3人いると言っていいだろう。

 一人目はテレビに映っていた頃の円。

 最後に見たのはもう1年以上前だ。 あの頃の円はよく笑っていた。

 でもその笑顔はどこか儚げで、そしてどこか悲し気だった。


 二人目の円は学校での円、学校での円ははっきり言ってボッチだ。

 でも、僕みたいな悲しいボッチではなく、孤高の人というイメージだ。

 常に前を向き、常に真剣に勉強をしている。

 芸能界を辞めた表向きの理由が勉学に集中するという事だからか? 周囲には近づくなオーラを常に漂わし、一切の交流を自ら拒んでいる。


 そして、3人目の円は、学校以外で僕と一緒にいる円だ。

 僕と一緒にいる時の円は前述した人と同一人物かと思える程に違っている。

 そう、この円は、僕と一緒にいる時の円は、はっきりいって普通の女の子なのだ。

 元芸能人なんて毛の先ほども思わせない態度。

 よく笑い、よく怒り、よく食べ、時に優しく、時に厳しく、どこかポンコツで、ちょっとだけエッチで……。

 でも時折見せる美しい所作、あ、円って実はお嬢様なんだなと思わされる。


 そんな円との生活は最早僕の日常になっている。

 いつも勉強をして、そして時々一緒に食事をし、たまにゲームとかで遊ぶ。


 そんな毎日が僕にとってかけがえのない物となりつつある。


 円の些細なミスで僕の人生が変わった。

 それは紛れもない事実、だけど円に全ての責任を押し付けているわけではない。

 僕は自分が悪いと思っている。そして今の円、僕の為に一緒にいる円に対して罪悪感を感じている。だってそうだろ? 僕の人生は変わってしまったけど、それによって円の人生を変えるのはおかしいって……ずっとそれが引っかかっていた。


 だけど、さっき円が言った。僕といる事が楽しいって……そう言ってくれた。


 それで少しだけ救われた気がした。

 

 暫くすると円は僕の胸の中で「スースー」と寝息をたて始める。


 全く人の気も知らないで、僕がどれだけドキドキしているか、聞こえないのか?

 僕は髪を触るのを止め、少し離れて円の顔を覗き見る。


 すやすやと眠る円、長い睫毛が僅かにピクピクと動いている。

 なんて可愛い生き物なんだろうか……誰よりも可愛い円、そりゃそうだ並み居る芸能人の中でCMランキングでトップに輝いた程なのだから。


 いくら母親が凄くても、いくら事務所の力が強くても、簡単に出来る事じゃない。 

 そんな順風満帆な芸能界を人生を全て投げ捨て僕の元へやって来た円。

 僕はどうすれば彼女と対等な関係になれるのだろうか?


 寝苦しいのか? 痛むのか? 円は何度か寝返りをうつ度に「ううん」と声を出す。

 

 黒い寝間着越し、僅かに見える白い下着。


 僕は……電気を消して円の身体にタオルケットをかけた。


 薄暗い部屋の中、僕は再び天井を見上げる。


 どうすれば良いのか、これからどうすれば良いのかと、天井を見上げながら自問自答する。


 円と対等になるには……そうなる切っ掛けが欲しい……将来への希望が道しるべが目標が欲しい。


 今すぐには無理ってのはわかっている。

 だけど将来は未来までは諦めないってそう思った。北海道で円とそう話をした。


 円は待っててくれる。それだけは信じられる、


 とはいえ、ただ円に勉強を教わるだけでは……。


 今の自分に出来る事……それは一つしかない。


 そしてそれを求めてくれている人がいる。


 だから僕は決めた。出来る事をしようと。

 円と対等になる為に、今出来る事をしようって……僕は今、そう決めた。




◈◈◈



 シンと静まり返る大広間。食事に使うテーブルを並べ、短パン半袖姿のうら若き乙女が一同に揃い黙って僕を見つめている。


 会長は僕の横で苦笑いをしている。

 おかま先生は、窓際で腕を組み、不安そうに僕を見ている。


 あくびをしている者、配られたプリントを怪訝な顔で見ている者、憎らしい顔で僕を見ている者。

 そのアウェー感満載の中、一人だけ、キラキラとした目で僕を見ている者がいるのが唯一の救いだった。


 中、高等部女子陸上部合同合宿に僕は同行していた。


 その数総勢47名、投擲とうてきチーム、ハンマー投げや砲丸投げ、円盤投げ、槍投げの選手は競技場の関係で男子の方に参加している。

 男子の方の先生は、一応陸上の砲丸投げの経験者、そして高等部男子は投擲メンバーが多いという理由で、中、高等部にいる数名の投擲女子は男子陸上部に同行していった。


 それでもこの数だ。

 これから一週間僕は彼女達と生活を共にする。

 

 今、僕の出来る事はこれしかないのだ。

 でも……なにこの全く嬉しくもないハーレム状態は……。


 


 

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