第96話 経験しよ

「うわわわわわわ……」


 僕の部屋のベッドの上で仰向けに寝転ぶ。

 あまり見た記憶の無い天井、家のライトとは違うオレンジ色の柔らかな間接照明の灯りが部屋全体を照らしている。



 食事をして少しテレビを見た後に円は「じゃあ後で行くね」とだけ言って、一度自室に戻って行った。

 恐らく寝る為の準備をしに行ったのだろう

 僕も洗面所で歯を磨き、そして部屋に戻るとベッドの脇でウロウロと歩く。

 どうしよう、どうしよう……ベッドに入って待っていれば良いの? それとも座って待つの?


 別に円と一緒に寝るのは初めてではない。既に北海道で一緒に寝ている。

 でも、あの時の僕は自暴自棄になっていた。精神状態は最悪な状態だった。

 だから今とは状況が全く異なる。そしてあの時はキングサイズのダブルベッド。

 しかし今日は、シングルよりも少し大きいだけのセミダブルベッド。

 否が応でも身体が密着してしまう。


 べ、別に、何をするわけじゃない……そんな事したら妹と同じ事をする事になってしまう。


 僕はとりあえず一度深呼吸し、ベッドに寝転んだ。


 暫く寝て知らない天井を見上げていると、少しずつ落ち着いて来る。

 しかしそれと同時に頭の中の僕が、僕自身に喋りかけて来た。


 『言わなければ良いんだよ、したい事をすれば良いんだよ、円は僕に負い目があるんだ、何をしたって拒否なんてしない』

 するともう一人の自分がそんな言葉を打ち消そうと話しかけて来る。


『いやいや、それで、もしバレたら僕は妹と近親なんとかをする事に……いや、それ以前の問題だ。拒否しないってだけで、嫌な事を円にするなんて、そんなの脅しているのと同じだ。そんなの人間としてあり得ない』


『バカだな、円はお前の事が好きなんだ、だからこうやって迫って来てるんだろ』


『いやいや円は同情しているだけだ、お前の事を可哀想って思っているだけだ』


「あああああああ、もう!」


 善と悪、ジキルとハイド、陰と陽、裏と表。

 そんな二つの自分が僕にそう言う。


 そうだ……勘違いするな……円は責任を取る為、僕と一緒にいるに過ぎない。

 僕は漫画の様に頭の中にいる悪魔の自分を頭の中から弾き出した。


 ふう……賢者モードになった僕は穏やかな気持ちで円を待つとノックの音と共に円が部屋に…………ひいいいいい!


「お待たせ」

 円はそう言うと、黒のネグリジェ? って言うの? 薄いベールの様な素材の寝間着を着て、枕を手に部屋に入ってくる。

 廊下の灯りは消えている。多分灯りがついていたら、あれだけ薄い生地なのだ、恐らく下着が丸見えになっていただろう……。


「ああああ、あのあの、なんでそんな格好」


「だって、翔君って暑いの好きでしょ? エアコンをつけないで寝てるって言ってたから」

 現役時代身体を冷やす事を嫌ってエアコンは基本的につけないで寝ていた。

 暑いのは大好きで、よほどの事が無い限りエアコンをつけて寝る事はない。

 熱帯夜でも窓を開けたり、扇風機を付けて過ごしていた。

 勿論熱中症には十分注意をして。


「いや、今は別につけてる日もあるから」


「まあ、もう着てきちゃったし、お邪魔しまーす……いテテテ……」

 やはりまだ身体が痛む様で、円は苦笑いしながらベッドに乗り僕の隣に寝転んだ。


「だ、大丈夫?」


「うん、だいぶ良い……」

 そう言いながら僕と同じように天井を見上げている円。

 ピタリと貼り付く腕と腕、絹のようなスベスベとした肌触り、そしてやはり暑いのか円の肌はほんのり湿っている。


 同時に僕の鼓動が跳ね上がる。腕越しに伝わってしまうんじゃないかというくらい、ドキドキドキドキと早鐘の様に、陸上長距離での、ラスト1周の鐘のようにカンカンと打ち鳴らしている。


「フフフ」

 

「な、何?」


「ん? ちょっと笑っちゃった」


「なんで?」


「ん~~? 生きてるからかな?」


「え!?」


「前に一緒に寝た時はこんな楽しい気分じゃなかったから」


「楽しい?」

 僕はゆっくりと首を回し円を見ると、円はうれしそうな顔で天井を見ていた。


「うん、凄く楽しい」

 そして僕の目線に気が付いたのか、円もゆっくりと首を回し僕の方を向く。

 薄暗いライトに照らされ、円の顔がほんのりと赤く染まっているのがわかった。


「そ、そだね……ぼ、僕も……楽しいかも」

 事故以来、楽しいなんて思った事が無かった。ずっとずっと苦しい日々をを過ごしていた。

 学校でも、家でもずっと苦しかった。

 

「かも、か~~」

 あちゃ~~みたいな顔をする円、だって、今まで陸上以外で楽しいなんて思った事なんて殆どなかったから……。


「それじゃさ、今から楽しい事……する?」

 円は僕を見ながら、ニヤリといたずらっ子の様に笑った。


「え? えええええ!」

 そして戸惑う僕に構う事なく、円はモゾモゾと少し僕に近寄ると、腕を絡める様にして僕の手をギュっと握った。


「もう……高校生なんだから……ね?」


「いや、え?! どういう……だ、ダメ、ダメでしょ?!」


「どうして?」


「だだだ、だって付き合っているわけじゃないし」


「付き合わなくても、してる人は一杯いるよ?」

 

「ダ、ダメ、マドカ、カラダ、イタメテル。」

 思わずカタコトで円にそう言った。

 

「ぷ、あははははは」


「え?」


「あはは、じょ冗談よ」


「……」


「あ、怒った?」


「うるさい!」


「ごめんって、もう」

 円はそう言うと僕の手を強く握りしめ、再び天井を見上げる。

 

「私もさ、翔君と同じなんだ……アイドルの夢が破れて、だけど全てを捨てる事も出来ずに、そのままずるずると芸能界で働いていた。でも、普通の生活、高校生が誰しもするような生活を、ずっとしたいって思ってたの……勿論責任を取る為にここに来たってのは嘘じゃない……でもそれが全部じゃない」


「円……」


「翔君はさ、私が無理をして自分を抑えここに、貴方の元にいるって思ってるでしょ? でもね、そんな考えでずっと一緒にいるなんて言うわけ無い、私はそんな無責任な事は言わない。

私はね、私の意志でここにいるの、貴方といる事が楽しいから、これからどんどん楽しい事を一杯して、貴方と一緒に歩めるって歩みたいって思ってる。……だから翔君! 色んな事をしようよ、勉強も遊びも……私と一緒に……して欲しい、今まで出来なかった事を、私と一緒に……して……欲しいな」


 円は少し不安そうに天井を見ている。

 

「うん……」

 僕は笑顔でそう言うと円は再び僕の方を向き、僕に寄り添う様に腕をギュっと抱き締めて来る。

 

 円の甘い香りが漂ってくる。

 僕も円の方を向き、目の前にある円の柔らかい黒髪をゆっくりと撫でた。


 全てを信じるには、まだまだ時間がかかる。僕と円の間には、まだまだ大きな壁が立ちはだかっている。

 円の僕に対する思いが思い入れが、同情なのか、それとも違う何かなのか……それは僕が円と対等な関係になるまでわからないだろう。



 そして円の髪をゆっくりと撫でながら僕は思った。


 あれ? これを妹とするの? って……。


 まあでも、これくらいなら良いか、最近は妹と中々話も出来てない。

 これくらいのスキンシップなら、全然シスコンじゃないよね?


 なんかどこからか、『違う違うそうじゃない』って声が聞こえてくる気がするけど……。


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