第93話 寝ぼけ、まどか


 会長とはレストランの前で分かれる事になった。

 今日は急遽夜から用事が出来たとの事でここで時間切れ。

 まあ、僕も少し不安な事が起きてるので丁度良かった。


 何か残念そうな、何か言いたそうな顔の会長、でも何も言わず時間通り迎えに来た車に乗り込む。


「あ、送って行こうか?」

 

「あ、ううん、ちょっと行く所があるから」

 

「そう……えっと──ううん、じゃあ、またね」

 会長を乗せ車はゆっくりと走り去る。最後に会長は何を言おうとしたのだろうか? 僕は車が見えなくなるまで見送ると少し浮かれた気持ちを入れ換え円の家に向かった。


 そう……今日は何故だか円と一切連絡が取れないでいた。


 メッセージも未読のまま……。


「いや心配はしてないぞ……」

 とりあえず会長に言われた事を円に報告し相談しなければいけない。陸上部に関わる関わらない以前の問題だから。


 僕はこの学校に留まらなければならないから……。


 期末はなんとかクリアしたものの、僕はまだまだ崖っぷちにいる。まだ留年、そして退学のピンチから抜けたわけではない。

 このままだと来年妹と同級生になり、妹の前で退学なんて事になり兼ねない。

 そうなったらと思うだけで、背筋が凍りつく。


 その為、円は現状僕がこの学校に居続ける上での生命線となっているのだ。


 しかし、つくづく僕は身内や好意に対して甘い……そう思わざるを得ない。

 

 走っていた時、こんな甘い考えは自分の中では無かったのに……。


 まるで未知の場所に取り残された赤子の様に僕はずっと不安でいる。

 この間妹に取り残され、今度は円に取り残されるんじゃ無いかと不安に思っている自分が本当に情けない。

 


 地元の駅から円のマンションに向かう途中、何度かスマホを見る。

 メッセージは相変わらず未読のまま。


 辺りはゆっくりと薄暗くなり僕の不安を増幅させていく。

 会長と出かけると言った時、円は何故か急かすように、なんの憂いもなく賛成した。


 少しは焼きもち的な物を期待したけど、そんな素振りさえも見せて貰えなかった。

 

 勘違いするなって言われたような、円はあくまでも責任を取る為に僕の側にいるだけと言われている気がした。


 もし今、円が居なくなったら……。


 まただ、また弱気な自分が顔を出す。

 

 いつになったら僕は、いつになったらこんな自分を変えられるのだろうか?


 とぼとぼと歩き、円のマンションにたどり着くと僕は念のため呼び鈴を鳴らした。だが相変わらず反応は無い。

 何かあったのかも……円のマンションの鍵は常に携帯している。

 ワイヤレスなので、自動ドアの前に立てば勝手に開いてしまう。


 今日約束はしていない。


 でも、入ってはいけないとは言われていない。


 寧ろここは僕の家だって……円はそう言ってくれている。

 

 だから僕は足を踏み入れた……もし……もし仮に、誰かいたら、円以外の……誰かと一緒だったら。


 彼女は元芸能人、噂によるとあの世界は色々と爛れているとかいないとか。

 なんか結婚しても不倫だなんだと報道され、いや、そもそも芸能人って別れる確率高くね?

 

 円の母親も、数々の男性遍歴が報道されたりしている。円の父親も誰だかわからないって言われているし……。


 円自身の報道は今まで無かった……でも、そんなのわからない。


 あれだけ可愛いんだから……そりゃ誰かと付き合っていた事だってあるかも知れない。


 エレベーターの中で階数表示を見ながらそんな事を考えていると、会長と出掛けていた事を棚に上げ、僕は少しだけ怒りが込み上げてくる。


 もしも、もしも円が誰かと一緒にいたら。


 エレベーターを降りるといつもの部屋の扉の前立つ。

 どうしよう、いや、どうしようも無いだろ? もしそうだとしても、僕と円の関係は変わらない……責任という枷で繋がっているだけの関係。

 

 そんな思いで僕はマンションの扉を開けた。


 広い玄関、誰かの靴は無い……でも円はいつも自分の靴は棚の中に入れる。

 収納棚は脱臭乾燥機能が付いているから……だから、ついでにそいつのも。


 妄想がどんどん膨れ上がる、不安な思いがどんどん頭を埋め尽くす。


 僕は円の家にそっと上がるとリビングに向かう。

 いつも僕と二人で寛いでいるリビング、そんな所に他の誰かと一緒にいたらと思ったら、ああ、なんか涙が込み上げてくる。


 僕は一瞬躊躇うも、覚悟を決め一気にリビングの扉を開けた。


 しかし……リビングには誰もいなかった。


「いない?」

 いや、でもなんとなく人気は感じる……さっきまでここに誰かいた気配を感じる。

 円のマンションには僕が知っている部屋が3部屋ある。ほぼ使われていない部屋、そしてその内の1部屋は僕の部屋となっている。


 僕の部屋も含めて、その全ての部屋を確認するも円はいなかった。

 トイレもお風呂にも……


 後は……未だ僕が足を踏み入れた事の無い円の寝室。

 ちなみに円の寝室にはトイレとお風呂も別にあると聞く。


 マンションの一番奥、一つだけ違う扉、主の部屋。


 ドキドキが止まらない……どうしよう……もしも誰かと一緒だったら……。


 知らない方がいい、いや知っておかなければいけない……開けろ、開けてはいけない。

 まるでパンドラの箱を開けるようなそんな思いで、僕は禁断の扉をそっと開けた。

 

 部屋は真っ暗だった……そして廊下から射し込む光の先に見えたのは、半身だけベッドに倒れ込んでいる円の姿だった。


「ま、円!」

 走れないけど、心の中では急ぎ駆け寄り僕は慌ててうつ伏せになって倒れている円を抱き起こす。

 こんな僕でも抱き起こせるくらい円は軽かった。

 細い細いと思っていたけど、ここまで細いのか……いや、今、そんな事はどうでもいい。


「だ、大丈夫? どうしたの?!」

 僕は円の様子を伺いながらそう聞くと……。


「あ、あれえぇ、翔君だあ」

 なんかポワンとした感じで僕を見る円さん……。


「はい翔君です……って、どうしたんですか?!」

 ベッドの脇で円の上半身を抱きながら、僕は思わず敬語で何事かと訪ねるも、円は相変わらずポワンとした表情で僕を見つめる。


「あれえ? なんか翔君大きくなったねえ、テレビから出てきて大きくなった?」


「大きく? テレビ?」

 テレビから出てきたのは円の方だろ?


「うわあ、私頑張ったからかなあ? 私頑張ったから神様がご褒美くれたのかなあ……良かった……頑張ってぇ、良かった、今日も……う、うう、うえええええええん」

 円はほわんとした表情のままそう言うと、今度は唐突に泣き始めるって、ええええ? 一体何があったんだ? てか、寝ぼけているのか?

 僕は子供の様に寝ぼけながら泣いている円をしっかりしろと揺らした。


「ゆ、ゆらさ……ないでぇ……いたい、痛いからぁ」

 円は突然泣き止むと、か細い声でそう言った。


「どうしたの? どっか痛いの?」

 今度はどこかが痛いと言い出す。本当にどうしたのだろうか? こんな弱々しい円を僕は初めて見る。


「あ、あのね、お腹……痛いのぉ……あと、全身痛いのぉ……」


「お腹? 全身? なんで?」

 女の子がお腹痛いって……でも全身?


「ちょっとねえ………………って! かかか、翔君! な、なんでここに!?」

 寝ぼけているような表情だった円は、電池を入れ換えたオモチャの如く突然起き上がる。


「いや、全然連絡がって、えええ?」

 僕が理由を説明しようとしたその時、円は突然僕の両目を自らの手で塞ぐ。


「見てないよね!?」


「な、何をですか?」


「とととと、とりあえずリビング行こう、今すぐに! 早く!」

 目隠ししたまま僕をずりずりと引っ張る、いや、あの、杖が、く、首が……。


「いいから早く出て……いてててて」

 部屋の何かを見られたくないらしい円は、痛みを堪え僕の目を隠しつつ首ごと部屋の外にグイグイと引っ張って行く。


「わかった、わかったから、とりあえず首が、首があああああ」

 一体何があったんだろか? 円の事を心配するも、寝ぼけた円のあまりの可愛さに、僕は思わずにやけてしまった。

 


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