第85話 天才ゆえの限界
灯ちゃんは自己新記録で、全国のキップを手に入れた。
泣き止み落ち着いた彼女は僕に向かって嬉しそうにそう言った。
「改めまして袴田 灯です、お姉さま」
僕の隣に座り直し、灯ちゃんは妹に向かって笑顔でそう言う。
「……同じ年なんですけど? なぜにお姉さま呼ばわり?」
困惑した表情の妹は至極当たり前の返答をする。
「あ、知らないんですか? 私が先輩と結婚すると、私とお姉さまは義理の姉妹になるんですよ?」
「……はい?」
「ですから、私と先輩が」
「ちょ、ちょっと灯ちゃん?!」
また灯ちゃんの妄想が始まった。
「先輩! やっぱり私と結婚しましょう」
「やっぱりってなんだよ、いや、しないから! あ、天からも言ってくれよ」
「えーーすればいいじゃん」
「「え?!」」
鼻をほじくりながら、なんて事は勿論しないけど、そんな適当な態度で妹は僕たち二人を見る。
てか、さっき通報してたよね?
僕達の向かいに座る妹は、背もたれにもたれかかりながら疲れた感じでコーヒーを啜る。どうでもいいけど、そのコーヒー僕のじゃね?
「円と、あいつと別れてその娘と付き合えばいいんだよ」
「うえ?! な、何を言って」
「円以外となら別にお兄ちゃんがロリコンでも私は構わないよ、まあ、一番は、なっちゃんとなんだけどねえ、もうそんな悠長な事は言ってられない」
その態度、その目、その言葉を聞いて、僕はここまでか……って、ここまで嫌っているかって改めて思った。
いくら事故の原因、起因だとしても……実際に被害に遭ったのは僕、いくら妹で身内だからと言っても……あまりの態度、言動に僕は戸惑った。
どうして妹はそこまで円が嫌いなのだろうか……。
「せ、先輩! つつつつ、付き合ってる人いるんですか!」
「いや、いない、いないから」
「そうだね、付き合っていないんだよね~~、ただお兄ちゃんの足を壊した責任を取るって言って、学校にまで押しかけ、さらには毎日の様に勉強を教えるなんて言ってお兄ちゃんを自宅に呼んで惑わし付き纏ってるだけだもんね」
「えええ!」
「いや、違う、違うから!」
「な、何そいつ! 許せない?!」
「そうそう、許せないよねえ」
「あ、天! 煽るなって」
「だって本当の事だもん、ふん!」
妹はふて腐れた顔で僕から目線を外す。
ああ、もう、また、円にあらぬ誤解が。
「許せませんね! なんだそいつは!」
「いや違うから、それより全国出場なんでしょ、いやあ凄いね、おめでとう頑張ってね」
これ以上アンチ円を増やすわけにはいかないと、僕は強引に話題を変えた。
「──は?……先輩何他人事の様に言っちゃってるんですか?」
「え?」
「これからは二人三脚でやっていくんですからね?」
にこやかに笑いながら規定事項の様に言う。
「は?」
「先輩を私の専属コーチに任命します!」
灯ちゃんは僕の隣から立ち上がると、自信満々な顔で僕を指さす。
人を指差しちゃいけません!
「はあ?」
何? しかもなんでそんなに上から? 僕先輩だよね? てか、やらないよ? 約束は果たしたし。
「先輩、いえ、師匠!」
「師匠って……」
「私と全国1位を目指しましょう! 先輩のアドバイスでここまでタイムが伸びたんです! だからこのまま行けば」
灯ちゃんは期待に満ち溢れた表情でガッツポーズをする。
でも、僕は期待を裏切るべく、冷静に彼女に言った。
「あーーごめんね、期待持たせたかもしれないけど、多分もう伸びないよ」
「……え?」
「わけもわからずに1秒近く縮めたからそう思うのは仕方がない、でも、もう伸びないよ」
「な、なんでですか?!」
「僕は魔法使いじゃないからね、限界以上の物は出せない」
「そんな事わかるわけ」
「わかるよ、今の灯ちゃんではもうタイムは伸びない、短距離はそんなに甘くない」
そう言って僕は灯ちゃんに一通り説明をした。
短距離はクレアチンリン酸を分解して、アデノシン三リン酸を生成し……。
まあ、簡単に言うと、骨格筋内で蓄えられた酸素を使い走る。
なので、その骨格筋の量がイコールで走る事に必要な酸素量となる。
勿論筋肉量を増やせばそれだけ蓄えられる酸素量も増えるが、筋肉はそのまま重りとなってしまう。
必要な場所に必要な筋量、しかし身体の小さな灯ちゃんには多分それらは負担となる。
陸上は科学なのだ。
例えば40キロの物体を100m移動する為に必要な運動エネルギー(カロリー)は決まっている。
それをいかに早く運ぶかというスポーツなのだ。
多分灯ちゃんはわけもわからずタイムが上がったって思っている。
でも、それは全部僕の計算内の話なのだ。
タイムを縮めるには、移動する速さ、筋力以外にも、スタート反応やフィニッシュなんかの技術も関係してくる。
今回は恐らく追い風という運もプラスになったのだろう。
そして、恐らく彼女はわけもわからず走ったその走りを決勝で自分の物にしたのだろう。
僕は彼女を本来の走り方に戻しただけに過ぎない。
彼女は天才なのだ。逆に言えば僕の行っていた様な泥臭い練習は彼女には必要が無い……寧ろ悪影響になりかねない。
だからこれからは……。
「やだ!」
「え?」
「そんなのわかんないじゃん!」
灯ちゃんにわかる様に丁寧に説明するもそう言って反発してくる。
理屈じゃないと思っているのだろうが、スポーツなんて全て理屈の上に成り立っている。
勿論今後一生伸びないわけではない。もっと走りを洗練し、身長も伸びればまだまだ彼女の走りはタイムは伸びるだろう。
走れる限り可能性は無限なのだから……。
「いや、でもこれ以上の事は……僕には責任持てないから……でも、大丈夫全国に行ける選手になったんだからちゃんとした指導者に」
「やだやだやだ! 私は先輩がいい!」
「やだと言われても」
「……先輩この間会った時、私を見て、私に触って、そしてこうなる事がわかってたって事だよね? だったらもっと私を見て、もっと触っていいから、まだ引き出しがあるかも知れないでしょ!」
灯ちゃんはそう言うとその場でトレーニングウェアを脱ぎ始めた。
「ちょ、ちょっと」
唐突に脱ぎ始める灯ちゃん、僕は妹に助けを求めるべく視線を送った。しかし妹はこっちを全く見ずにスマホを見ている。えええ!? しかもそのまま立ち上がると、我関せずでリビングから出ていってしまう。
ちょっと待って、この状況で二人きりにするとか!
「全部脱げば、少しは先輩の考えも変わるかも、ちゃんと見てください!」
「いや、何でそうなるの?! 見てわかれば苦労しないって」
見たってわかんないってば!? そう言うも灯りちゃんは既にランニングパンツとTシャツ姿になっている。
勿論僕は逃げられない……灯ちゃんは本気の目で僕を見つつ迫ってくる。
「ほら先輩、見てもっともっと、ほら触って」
もうセリフが完全にヤバい人だった……そして灯ちゃんはTシャツの裾を掴むと一気に脱ぐ! と、同時に僕は見ない様に思わず目を瞑った。
『スパーーン』
目を瞑ると同時に乾いた音がリビングに響く。
「いったあああああああ!」
その音に驚きつつそっと目を開けると、スポブラ姿の灯ちゃんの後ろに、金色に輝く美しい髪の会長の姿が目に映った。
手には家のスリッパを持つ会長、うーーん、なんでも似合うなあこの人はなんて思い、こんな状況でも僕は思わず笑ってしまった。
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