第84話 通報しました。


「ミルクでも出せばいい?」

 妹は冷たい表情で僕と灯ちゃんを交互に見ている。


 とりあえず灯ちゃんを玄関で泣かせておくのもどうかと思い、泣いている彼女の手を引き家に上がらせ、そのまま妹と一緒にリビングに連れていく。

 灯ちゃんをソファーに座わらせるも、そのまま俯いて何も言わず、めそめそと泣き続けている。


 それを怪訝な顔で見つめながら、妹は子供に対応するかの様に僕にそう言った。


「いや、あのね、この子一応中学生だから」


「えええ! こ、これで中1!?」

 妹は一転驚きの表情で灯ちゃんを見る。

 今日は試合の為になのか、いつもは下ろしている肩までの髪を、ピンクの髪ゴムを使い両サイドで結んでいた。

 要するにツインテール姿の彼女、その髪型が彼女をより一層子供っぽく見せている。

 

「いや、灯ちゃん、天と同い年だから」


「……えええええええ!」

 いや、驚き過ぎだろ?!


「まあ、いいや、とりあえずコーヒーでも出してくれるかな?」


「はあーーい」

 天は少し不満そうな顔でリビングから出ていき、キッチンに向かった。


「ひっく、ひっく、しぇ、しぇんぱいごべん、ごべん、なざい」

 依然泣き止まぬ灯ちゃんは下を向き僕を見る事なくそう言って謝る。


 まあ信じていなかったのはお互い様だしと、僕はそう思っていた。

 この間彼女の足や身体に直接触れたのは確認の為だった。

 本当に僕に言われた事をしてきたのか? って思ったからだ。


 仮に彼女が僕に言われた事を実行しなければ、それはそれで仕方がない。

 その時はそこで終わりなだけ。


 そして仮に彼女が今日と、次の大会でも負ければ、もう僕にそんな依頼をしてくる者はいなくなるだろうって……そう思った。

 面倒ごとが遠ざかるだけと。


 僕はズルい奴なのだ……こと陸上に関しては、現役の頃から手段を選ばなかった。

 勿論スポーツマン精神に反する事はしていない。でもそれ以外の事なら出来うる最高の事を常にやり続けていた。

 天才達に、夏樹に対抗するにはそうする他無かったから。


 だからあらゆる努力をしてきた、日頃の歩き方一つ疎かにする事なく……。

 僕は天才では無いから……夏樹や灯ちゃんの様な天才では無かったから……。


 少しずつ落ち着いて来たのか、灯ちゃんの泣く勢いが収まって来る。

 

「落ち着いた?」

 僕がそう言うと灯ちゃんは目を擦りながらコクンと頷いた。


「とりあえず、ごめんね、不安にさせて」

 僕がそう言うと灯ちゃんは顔を上げ真っ赤な目で僕を見つめる。

 小さい身体、白いトレーニングウェア、ツインテールの髪型、赤い目、その姿はまるでウサギその物だった。

 

 その灯ちゃんの姿を見て、今日の準決勝の映像が、灯ちゃんの走りが頭に浮かんで来る。

 小さな身体を目一杯使った低い姿勢からのスタート、そのまま低い姿勢で周囲から飛び出す。ストライドは短いが高ピッチで走る姿は野山を疾走する野うさぎの様だった。

 僕の走りとは全くの正反対、男子の中では大きいとはいえない僕だけど、それでも女子とは、灯ちゃんとは比べ物にならないくらい大きく、足も長い。


 出来うる限り大きなストライドで走り、滞空時間も長く、そして後半に力を出し切る走り方、それが僕の走り方だった。

 跳ぶ様に、飛ぶ様に走る、だからよく綺麗な走りって言われたんだろう。


 でも、その走りは灯ちゃんには合っていない。

 だから忘れて貰った、そう仕向けた。

 そしてそれは見事にマッチした。


 100%確信があったわけでは無い、たまたまなのだ。

 だから、感謝されると僕は少しいたたまれない気持ちになる。


「結果はどうだったの?」

 灯ちゃんが落ち着いて来た所で、僕は改めてそう聞いた。


「う、うううう、しぇ、しぇんぱい、しゃんぱいいいいい!」

 僕がそう聞くと灯ちゃんは再び目に涙を浮かべながら立ち上がり、そして、そのウサギの様な瞬発力を発揮し目の前にテーブルを軽々越え、僕に向かって飛び付いてきた。


「うおお! ぐ、えええ!」

 軽いとはいえ、勢い良く飛び付かれ僕はソファーの背もたれに身体を押し付けられる。

 灯ちゃんはそんな僕に構わず、胸の辺りに顔を埋め僕に抱き付く。


 灯ちゃんからは甘い汗の香りがした。

 陸上部時代に時々思っていた。なんで男子の汗は臭いのに、女子の汗の匂いって甘い匂いがするんだろうって……。


「先輩ありがとう……ございます……」

 僕の胸で灯ちゃんは泣きながら、でも嬉しそうにそう言った。

 嬉しそうな灯ちゃんの声を聞き僕も嬉しくなる。


 今の自分が誰かの役に立ったって思えたから……何もかも無くなったって、そう思っていたけど、そうじゃ無かったって思えたから。


 感謝したいのは僕の方だよって、そう思いながら僕の胸で泣く灯ちゃんの頭をそっと撫でた。

 

 

『カシャッ』

 その時カメラのシャッター音がする。音の方に視線を移すと、お盆にコーヒーを2つ乗せ器用に片手で持っていた妹が、空いているもう一方の手でスマホを構えこっちに向け写メを撮っていた。

 そしてそのまま何かしらの番号を押すと、自らの耳に当て誰かと喋り始める。


「あ、すみませんえっと、ロリコン男が袴田 灯って言う少女を自宅で抱いてるんですけど、はい証拠もあるので直ぐに来て貰える様に言って貰えますか?」


「ああああ、天~~!」

 つ、通報は止めて、高1と中3ならセーフだよね? 大丈夫だよね?

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