第81話 苦しむ事以外の楽しみ
「ふーーーーん」
「いやだからね、僕は触りたくて触ったわけじゃなくて」
「ふーーーーーーーーーーん」
「賭けって言ってもなにかをやらせる気なんて全くなくて」
「ふーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん」
なんか文字数稼ぎの様な返事をする円さん……。
「…………」
呆れ顔でそう返事をする為に、何も言えなくなる僕。いやだって仕方ないんだよーー、こと陸上となると僕は真剣ならざるを得ない。
「まあ、いいわ結果は出てるし、結局翔君が陸上からは逃れられないって事なんだろうねえ」
ため息混じりに諦め顔でそう言う円。まあ、なんにせよ怒りが静まって良かったと、僕はホッとしながらコーヒーを飲み注文した豪華なパスタを食べる。
円はサンドイッチを頬張りながら窓の外を眺めていた。
某高級ホテル、高層階レストランでのアフタヌーンティー、ランチは終わりディナーには早い中途半端なティータイム中での食事。
周囲は仕事の打ち合わせや、買い物帰りの有閑マダムが集っている。
僕にとっては場違いな場所だが、やはり円はこういう場所がよく似合っている。
「じゃあそろそろ夏休みの事を話そっか」
「そ、そうだね」
食事も一段落し、円は真剣な表情で僕の顔を見る。
期末はなんとかクリアしたものの、僕の学力はまだまだな状態。
夏休み、遊んでいる暇なんて無い、ここが勝負所なんだ。
円のその表情を見て、真剣な表情を見て僕は気合いを入れ……。
「──沖縄とかどうかな?」
「……へ?」
「石垣もいいよね?」
「え?」
「いっそハワイとかも良いかも」
「は?」
「どうする? どうする?」
えっと、僕の聞き間違いなのか? 勉強するには不適当な場所が円の口から放たれる。
「どうって……え?」
「やっぱり北の次は南でしょ?」
「あ、うんまあ」
東や西ではないのはわかる。
「夏休みが始まったら、いきなり行っちゃう? 行っちゃう?」
「ご、ごめん、は、話が見えない」
「えーーー? お礼の後払いの話だよ!」
「ええええ?」
ほっぺにキスが前払い、後払いはって思ってたけど……それなの?
「あーー、どこにしようかなあ」
円は嬉しそうに楽しそうに、紅茶を飲みながらスマホを操作している。
「いや、えっと、夏休みは勉強をするんじゃ?」
「えーーするよ~~勿論するけど、翔君のリハビリもしないと」
「リハビリ?」
「うん、人生のリハビリ?」
「人生のリハビリ?」
「そうだよ、翔君ってさあ、ずっと陸上一筋で何もして来なかったんだから」
「僕ってそんな状態?」
「うん、なんか翔君って苦しむのが当たり前って生活をして来た人でしょ? まあ、それも含めて楽しいって感覚だったんだろうけど、普通の人はそうじゃないんだよ?」
「そう……じゃない?」
「あったり前じゃない、この世にはね、楽しい事がいっぱいいっぱいあるんだよ? 私は翔君にそういう事も教えてあげたい、勉強だけじゃない、それが人生の責任を取るって事だって思うの?!」
そう言って円は笑った。
夏の日射しの様な、向日葵の様な笑顔の円。
僕の大好きな夏の様な、円の満面の笑み。
走っていた時、夏の空を見上げるのが好きだった。
夏の日射しが好きだった。
うだる様な暑さが好きだった。
日射しで焼ける草の匂いが好きだった。
ソフトクリームの様な美味しそうな入道雲が好きだった。
突然降る雷雨、練習で火照ったら身体を冷やす恵みの雨。
練習中に飲むキンキンに冷えた水は何よりも美味しかった。
そう僕は夏が好きだった……いや、今でも夏が大好きだ。
そして……大好きな夏の様な円の笑顔。
南の島で、大好きな夏を感じながら、そんな笑顔の円を見れたら……さぞかし楽しいのだろう。
「そうだね……行きたいな」
「本当に?」
「うん……円と一緒に行けたらいいな」
「行こうよ!」
円は嬉しそうに僕を見る。
「……で、でも……妹が」
そう……でもそれは無理だって、何泊もの旅行を、しかも円との旅行なんて、妹が許しはしないだろう……絶対に……。
「ふふふ、それは任せて」
しかし円はニヤリと不敵に微笑んだ。
「え?」
「よし! とりあえずもっと行きたくなる気にさせてあげる!」
円は席から立ち上がると、僕の手を取る。
「ど、どこに行くの?」
「ふふふ、今日の買い物、水着を買いに行くよ!」
「ええええ? み、水着?」
驚く僕に円は耳打ちする。
「私の水着ファッションショーを見れるのは、翔君だけだよ」
円は小悪魔の様な悪戯っ子の様な顔でそう言うと、僕の手を引く。
そんな円を見て改めて思った。
うん、僕はやっぱり夏が好きだ。
そして今年の夏は特に好きになりそうだって、そんな予感がしていた。
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