第56話 日本一のお兄ちゃん


 自慢の兄、日本一の兄、憧れの兄……だった……。


 友達に羨ましがられた、私は鼻高々に自慢しまくった。


「見て見て! あれがお兄ちゃん! 私の、日本一のお兄ちゃん!」

 皆に、友達にそう自慢した。


 でも、あの日以来……あの事故の日以来……お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんは、日本一のお兄ちゃんは、居なくなった。


 そして……その原因を作ったのは……あいつだ。


 お人好しのお兄ちゃんは、あいつの犬を助けた。

 そして……その結果、大怪我をしてしまった。


 落ち込むお兄ちゃんを見て私も落ち込んだ……。

 走るのが大好きだったお兄ちゃん、なっちゃんと、私と、いつも走っていた。


 私もお兄ちゃんと走るのが大好きだった……お兄ちゃんが……大好きだった。


 でも、あの日から……あの事故の日から……お兄ちゃんは……私の大好きなお兄ちゃんは、いなくなってしまった。


 でも、お兄ちゃんがいなくなったわけじゃない……お兄ちゃんはいる。

 脱け殻なったお兄ちゃんが、私の目の前にいる。


 私は……イライラしていた……覇気のないお兄ちゃんにずっとイライラしていた。

 でも、でもお兄ちゃんは可哀想な人だから、あの事故だってお兄ちゃんが悪い分けじゃない……悪いのはあいつ……あの白浜円。


 あいつさえいなければ、あいつがしっかりと犬のリードを握っていれば……。


 あいつは謝る事さえしない、お兄ちゃんがこんなになっているのに……。


 しかもあいつはいつもテレビでニコニコとしていた。しかもお兄ちゃんはそんなあいつをいつも見ている。


 イライラする、イライラする、イライラする!


 なんでそんな目であいつを見るの? なんでそんな……恋するかの様な目で……いつもあいつを見てるの?

 あいつはお兄ちゃんをそんな身体にしたんだよ? あいつは私のお兄ちゃんを、自慢だった大好きなお兄ちゃんを奪ったんだよ?


 でも、あいつはテレビの中の人、いまのお兄ちゃんには私しかいない。

 だから、私はそんな可哀そうなお兄ちゃんの面倒を見る。


 だって……お兄ちゃん……いつも膝を擦っている……いつも愛しそうに自分の足を見つめている。

 毎晩自分の足を、膝をマッサージしている。 

 諦めていない、諦めきれない、可哀そうなお兄ちゃん。

 だからそんなお兄ちゃんの面倒を私は一生懸命見ていた。

 お兄ちゃんには私しかいないから……お兄ちゃんの側には私しか……。


 そして……私がこんなにまで一生懸命尽くしたのに。こんなにまでしてあげたのに。


 あろうことか、お兄ちゃんはあいつと一緒にいた……幸せそうな顔であいつと一緒に……。

 

 裏切られた、お兄ちゃんに私は裏切られた。

 大嫌い、お兄ちゃんなんて大嫌いだ……お兄ちゃんなんて……死んじゃえばいいんだ……あんなお兄ちゃんなんて……もう……いらない……。



 私はあれから泣きながら家に帰った。

 囂々と雨が降る中一人で……お兄ちゃんは追って来ない……お兄ちゃんは……私よりもあいつを選んだ……。

 でも、もしかしたらと思い……私はリビングでお兄ちゃんを待った。

 濡れたままで、髪も乾かさずに、暗い部屋で一人お兄ちゃんを待ち続けた。

 

 でも、お兄ちゃんは帰って来なかった……そして私は……翌朝朦朧として、そのまま倒れてしまった。

 

 目を覚ますと、私はベッドに寝ていた。

 誰かが私の側にいる……。


「お兄ちゃん?」

 私がそう呼ぶと……「ううん、夏樹だよ」

 そう返事が返って来る。


「なっちゃん……なんで?」

 私がそう聞くと、なっちゃんは言った。


「かーくんが学校休んでるみたいだから様子を見に来たの」


「お兄ちゃんが?」


「うん、そしたらかーくんじゃなくて、あまっちが熱だして倒れてるんだもん、びっくりしたよーー、とりあえず着替えさせて、ここまで運んで、お医者さん呼んで、大変だったんだから」


「ごめん……ありがと」


「いーーえ、どうしたしまして、おじさん達には心配ないって連絡しておいたから、それでかーくんは? いないの? なにかあったの?」


「──うううう、うええええええええん、なっちゃあああああん」


「え? ええええ?!」

 

 私は泣きながらなっちゃんに話した、白浜 円の事、あの事故の事、昨日の事……私の思いも……全部、包み隠さず……。


「──そか……」

 なっちゃんは何も言わなかった。私にもお兄ちゃんにも白浜円についても、誰の批判も肯定もせず、何も言わずに、ただその一言だけ私に言った。


「なっちゃんんん……うええええええええん」


「……まあ、とりあえず今は寝なさい」


「うん……」


「じゃあ後でお粥作って持ってくるから、お母さんにも頼んでおくね」


「うん……ありがと」

 なっちゃんはそう言って私の部屋を後にした。

 


 そして次の日も、その次の日もお兄ちゃんは帰って来なかった。

 不安が頭を過る……お兄ちゃんに何か? ううん……どうせあの女の口車に乗って、部屋でイチャイチャしてるに違いない……そう思い、お兄ちゃんへの怒りが再び込み上げる。



 そしてあれから3日が過ぎた。私の熱は下がったが、相変わらずお兄ちゃんは帰って来ない……。

 

 あいつのマンションに二人で……もうお兄ちゃんはあいつと……そう思い、少し不安になっていたら、なっちゃんが血相変えて私の部屋に飛び込んで来た。


「かーくんと白浜さん……ずっと一緒に休んでる……しかも届けまで出してるって」


「え?」


「調べて貰ったら、インフルだって……それで私あのマンションに行って確認して貰ったの、あそこ受付のお姉さんがいるから、でもいないって」


「いない?」


「うん、プライベートの事は話せないけど、現在マンション内にはいないって……そう言われた」


「どういう事?」


「わかんない……スマホの電源も入ってないし、もしかして……ヤバい事にって……」


「え?」


「とりあえずまだ熱下がったばかりだし、今日は寝て、明日うちの学校に来れる?」


「学校に?」


「うん、色々調べて貰ったの、生徒会長に……」


「生徒会長?」 


「うん、高等部の会長さん、中等部の時陸上部で、あの事故の日もかーくんと一緒にいたって」


「……そう……なんだ」


「最近のかーくん色々と思い詰めてたから……まさかとは思うけど……とりあえず明日放課後に生徒会室で話しましょうって……場合によっては警察に、でも騒ぎが大きくなったらまずいからって……会長さんが……」


「……うん……わかった」

 お兄ちゃんが……私の中で不安が増していく。

 まさか……変な事考えていないよね? 


 帰ってきて……お願い、お兄ちゃん……。

 

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