第55話 ぷよんぷよん……


 ふと目が覚めた……どれくらいの時間が経ったのだろう……布団の中でもぞもぞと動く。


「う、ううん……」

 僕の頭の上から艶やかな声が聞こえる。

 柔らかい感触、甘い香り……僕はまだ彼女に抱かれて寝ていた。

 目は閉じたままなのではっきりと言えないが、僕は布団の中で彼女の抱き枕にされている様だった。

 丁度顔が彼女の胸の谷間に入り、腕を頭に回されさらに腰の辺りを足で挟まれ全く身動きが取れない……。


 でも、凄く心地よい、安心出来る……まるで母親の胎内にいるような、胎児にでもなったら様な、そんな錯覚に陥る程、僕は安心していた。


 怖かった……本当に怖かった……死の恐怖、ビルの屋上で佇んでいる様な、あと一歩で落ちていく寸前だった様な、そんな恐怖が僕を襲う。


 今こうやって円に抱きしめられていなかったら……僕はまた泣き叫んでいただろう。


 つまり円は知っているのだ……あの恐怖を……だからあんな事を誘導するような事をしたのだろう。


 僕にわからせる為に……。


 

 一つのベッドで、布団の中で、お互い半裸状態で抱き合って眠る。

 僕が少しでも離れようとすると、生まれたばかりの子猫をはなそうとしない親猫の様にがっしりと力を入れ痛いぐらいに円は僕を抱きしめる。


 僕はそのまま身動きが取れない……って事を理由に円の胸の感触を堪能していた。


 そんな余裕が自分の中に芽生え始めた事に少し驚く……そう言えば一緒にお風呂にも入ったんだった……あの、白浜円と一緒に……。


「うわわわわわ……マジか……」

 僕は思わず小声でそう呟く……頭がどんどん冷静になっていく……。


 ちょっと待って、今円は……半裸……。


 ああ、今朝ワンピースを脱ぎ捨てた時の、下着姿の映像が頭に浮かぶ。

 僕はとりあえず、その映像を頭の記憶領域に保存してから、今の事を、そしてこれからの事を考える。



 このまま円に抱かれ僕は再び眠り落ちていった……終わり。



 そんなリドルストーリーみたいな事が許される筈もなく、生きるって決めてしまった以上、これからの事を考えなければいけない。


 考えられる事は現状二つ……一つは風呂に入っている時に円が提案してきた……このまま一生二人で……って奴だ。

 全てを投げ捨て二人で……でもそれはつまり、僕は完全に円のヒモになるって事だよね? まあ、それも、今思えばありかも……って、僕はまた逃げようとしている……逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃ……。


 そもそも円ってちょっと怖い、そんな円に依存するって……かなりリスキーな気がするんだが……。


 こんなに色々として貰いながら、こんな事を思うのはどうかと思うけど。


 つまり僕の残された道はただひとつ……現世に帰る事……。


 家に学校に元の生活に帰る事。


 それしかない……。


 つまりは……地獄が待っている……今度は学校だけでなく家でも、妹とも……。


 でも、それを選んでしまったのは自分……自分で選んだのだ。


 だから! 地獄に戻る……でも、その前に! 僕は! 僕は!


 僕はそう決心して……円の背中に回していた手を、ゆっくりと自分の正面に持ってくる。

 そして、僕の頬の側にその手を持って来ると……そっと、そっと……。


『ぷよんぷよん』

 多分漫画とかだと、こんな擬音が描かれるのだろう……。


 ああ、天国ってあるんだな……あれ? もしかして僕って死んだんじゃないかな? 今天国にいるんじゃないかな?

 自分で死ぬと地獄に行くんだから、じゃあ僕はやっぱり円に……。


「──翔くんも、男の子なんだなあ」

 生きてるかどうか、ここは天国なのか? 悩んでいると、そんな声が頭上から聞こえてくる。

 僕は円の胸元から、ゆっくりと顔を上げると、円は真っ赤な顔で、でも、ニコニコしながら僕を僕の顔を布団の隙間から覗いていた。


「う、うわわわ! くぁwせdrftgyふじこlp!」

 僕はそう叫びながらぐるぐると回転してベッドの脇から下に転落する。

 そしてさらに半身起こし、しりもちをつきながら左足一本でずるずると壁際迄後退する。


「ああん、逃げなくても」


「ごごごご、ごめんなさい!」

 ベッドから起き上がると円は布団で身体を隠しながら僕を残念そうに見つめている。


「別に良いのに……でも、翔くんの反応、面白いあははははは」


 その満面の笑みを見て……うん、やっぱり僕は生きてました。


 背中の痛み、円の笑顔……僕は生きている事を実感した。


 さらには『ぐうううう……』と、お腹が鳴った。


「……は、腹減った……」


「あははははは、じゃあご飯食べ行こっか?」

 そう言ってベッドから立ち上がろうとする円から僕は慌てて目線を反らした。

 ふとそのまま外を、露天風呂の所から見える外を見ると、もうすっかり暗くなっていた。


 僕はあれからたっぷりと、多分半日、12時間近く寝ていたんだろう……。


 円に抱かれながら、たっぷりと。


 

 でも、それで吹っ切れた、とりあえず円さえいれば……地獄でも楽しいかも……って……僕は今そう思っていた。



 とりあえず腹ごしらえをして、そして帰ろう、現実世界に。


 僕の新しい始まりと、終わりに向かって……。





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