第53話 今は寝るだけ


「ひっく、ふええええ、ひっく、ひっく」

 延々と泣き、ようやく収まって来た……が、しゃくりあげっていうのだろうか? 子供がギャン泣きした後にするような、しゃっくりが止まらない。

 多分そんな僕を見かねたであろうか? 黙って僕を抱いていた円は一度僕から離れ、ゆっくりと立ち上がる。


「ふ、ふええええ、ひっく」

 円が少しでも僕から離れるとまた不安が襲ってくる。

 とてつもない喪失感……僕は迷子の子供の様にまたベソベソ泣き始める。


「ほら、一旦お部屋に戻ろ」

 もう周囲はうっすらと明るい……鳥の囀ずりがうるさいくらいに聞こえてくる。

 円は手を差し伸べ僕を立たせると、薬の入った小瓶とペットボトルを拾い蓋を閉じた。


 そして器用にそれを左手で持ち、空いている右手で僕の手を握る。


「ひっく、ひっく……」

 僕は円に引っ張られる様に、手を繋ぎ二人でとぼとぼとホテルに向かって歩いて行く。


 もう、本当に……僕はどこまで情けないんだろうか……そんな思いが頭の中でぐるぐると渦巻く。

 円もいい加減愛想が尽きるのでは?

 そう思ったら、また涙が出てくる。


 僕の手を握り前を歩く円、彼女は今どんな顔をしているのだろうか?

 笑っているのか? 怒っているのか? 呆れているのか?

 こんな情けない僕を、今でも好きでいてくれているのか?


 もう僕には彼女しかいない……というのに……。


 死の恐怖、生への執着、過去の自分、妹への思い、円への思い……その全てが涙となって溢れた。


 僕は今一人ではない、でもそれは円がいるから……。


「あううう、ひっく、うえええええん」

 そんな事を考えているとまた涙が込み上げてくる。

 恐らく円は呆れているのだろう……僕を見る事なく歩いていく。


 

 夜中に一人で歩いた時は足元もろくに見えずかなりの時間がかかったが、円が先導してスタスタと歩けばあっという間にホテルに到着してしまう。やはり僕一人で円から逃れるのは難しいって改めて思う……。


 いまだに、ぐじぐじ、ひっくひっくと泣き止む事が出来ない僕、幸いロビーにはまだ誰もいなかった。


「ちょっと待ってて」

 円はロビーの端にあるソファーに僕を座らせると、一人でフロントに向かって行く。

 まっでええ、いかないでええ……と言いたくなる気持ちをグッとこらえ、僕は一人うつ向きながら待っていると、フロントでなにやら話をしていた円は何か妙な面持ちで僕の側に戻ってくる。


「さ、部屋に戻ろう」


「ひっく、う、うん、ぐじゅ……」

 円の顔を見ると、何か言いたげな顔、口元がヒクヒクしている……ああ、情けない……また死にたいって気持ちが沸き上がる。


 ここで円に捨てられたら、僕は……もう本当に駄目になるかも……。

 そんな事を考えるとまた涙が……。


 完全に終わってる僕を円は何も言わずに部屋まで連れて行く。

 そして、部屋に入ると僕をそのままベッドルームに連れて行く。

 言われるがまま、されるがまま、僕はもう何もできずにいた。


「あーーあ、グシャグシャ……、ちょっと待ってて」

 円は僕の顔を見て苦笑いをし、洗面所の方に向かって行く。

 僕はそのままそこに立って待っていると、暫くして円は濡れたタオルを持って戻ってくる。

 そして、僕の顔や手をそのタオルでゴシゴシと拭くと、今度は僕の上着のボタンを外し始めた。


「……え?」

 ボーっとされるがままでいると、今度は躊躇うことごとくなく僕のズボンを一気に下げた。


「はう!」

 何をしているんだこの人は、そう思いようやく抵抗しようとしたその時「ドーーン」と、そう言って円は僕をベッドに突き倒す。

 片足で立っている様な僕は、何も出来ずにベッドに倒れ込んだ。


「え?」

 一体何を? 僕はベッドに倒れたまま円を見ると、円は自分の服の胸元のボタンを外し、ワンピースのスカートの裾を手で持つと、そのまま一気にたくしあげ豪快に服を脱ぐ。


「ええええええ?!」

 あまりの事にさっきまでしゃくりあげて泣いていた涙が止まる。

 目の前には下着姿の円……円は僕を見てニヤリと笑うとそのまま……。


「ドーーーーン」

 といってベッドに飛び込くんでくると、そのまま僕に抱きついた。

 そして布団を僕たちの上から被せ、そのままギュッと僕を抱きしめる、


「え? え? え?」

 一体何事か? わけがわからない……。

 すると円は何か思い付いた様に布団の中でごそごそと動くと、僕の頭を持ち自分の胸元に引き寄せた。


 その瞬間フワリと柔らかい物に包まれる。

 得も言われぬ甘い香り、そしてスベスベとした柔らかい感触……まさかこれって……生?

 今ごそごそしていたのは、ブラを外した?

 一体これから何を、まさか、そんな事を考えパニックに陥りそうになったその時、円は僕の耳元で言った。


「今はとにかく寝よ……」


「え?」


「とりあえずゆっくりと……部屋は明日まで延長したから……誰にも邪魔されないから……だから、今はとにかく寝よ」

 円はそう言うと僕の頭を軽くポンポンと叩く、まるで赤ん坊を寝かしつける様に……。

 円の胸の中、そう言えば、一昨日は円が一緒に寝てくれて、久々に寝れた気がした。

 思えばあれで少し自分の中のモヤモヤが薄れた気がした。

 ひょっとして、あれが無かったら、あの時寝ていなかったら、僕は昨夜薬を飲んでいたかも知れない。

 そしてあの薬を飲んでいたら……そんな出来事が、そんなifの世界があったかも知れない。


「ねむれ~~ねむれ~~翔くんは~~かわいい~~」

 あまり聞いた事の無い適当な子守歌を円はやさしく口ずさむ。

 でも、その歌声がそして、円の温もりが、柔らかさがとても心地よく、昨夜の興奮もあって僕は段々と眠くなってくる。

 そして、円の胸で、柔らかい感触の中で、僕はそのまま眠りに落ちていった。


 そして、僕はとても幸せな夢を見た。


 とても、とても幸せな、夢を……全力で走る夢、皆に見られながらゴールテープを切る夢を……僕は久々に見れた気がした。

 






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