第52話 私がこの手で


「ど、どうして……」

 

「ふふふ、だって翔くんて、分かりやすいんだもん」


「くっ、ふ、わ、分かりやすい?」


 円はガサガサと草を踏みながらゆっくりと僕の前まで歩いて来る。

 そして白い服が汚れる事なんて気にせずに、僕の前にひざまずき倒れこんでいる僕をゆっくりと起こした。

 円はゆっくりと僕の足の丁度太ももの上に乗り、僕の顔に手を差し伸べ、僕の流している涙をそっと指で拭いた。


「ふふふ、だって急に明日の事とか言い出すし、無理やりご飯を食べるとか、私の話を聞いてる振りをして、でもどこか上の空とか」


「そう……か」


「……それにね、そもそもこうなる事はわかってた、そう煽ったのは私」


「煽った?」


「うん、薬を見せ、やり方を示唆して、そしてとことんまで優しくする……こういう時に優しくされるとね、人って逆に追い込まれるんだよね」


「示唆……追い込む……なんでそんな……」

 これは全部彼女が仕掛けた事?

 僕がそう言うと彼女は笑った……その笑顔は本当に女神の様に美しく儚く、そしてその瞳は僕の心の奥を覗いているようだった。


「言ったでしょ? 私は貴方の夢を貴方の望みを叶える為に来たって」


「夢? 望み? それって……」


「あははは、ごめんね翔くん……その薬じゃ死ねないんだ……」


「え?」

 円はそう言うと、僕の顔を両手で触れ、そして自分の顔を近づける。まるで今からキスでもするかの様に……。

 鼻先がくっつく程の至近距離で、円は僕の目をしっかりと見て言った。


「その薬は……私の覚悟って言ったでしょ?」

 

「う、うん」


「もし……貴方がそれを今ここで飲んだら……」


「の、飲んだら?」



「──私が貴方を殺してあげた……」


「え……」


「私の手で……貴方の望みを叶えてあげたかったから……」


「そ、そんな……」


「大切な物を大事な物を誰かに壊されるくらいなら……自分で壊す……他人に壊されるくらいなら、私が自分で……例えそれが貴方でも……私はそれを許さない」


「……」


「もう、目の前で大切な物が壊れていくのを、それを人に、他人にされるのは見たくない」


 暗闇の中、月明かりに照らされ、円の顔がうっすらと見える。

 僕を真っ直ぐに見据えたその円の顔を僕は一生忘れないだろう。


「貴方の望みは何?」


「僕の望み……」


「まだ死にたい?」

 円は微笑みながら僕の顔に添えていた両手をゆっくりと撫でる様に下ろしていく。

 こめかみから頬を通り顎を撫で、そして……僕の首に添えた。


 このまま……円に……このままこの女神に連れて行って貰えるならって、そうすれば僕は天国に行けるかもって、一瞬そう思った。


 でも……それは甘えだって、僕はまだ円に、誰かに甘えようとしている……。

 情けない、ここで円になんて、それだけは……ってそう思った。

 

 だから僕は円に言った、ありったけの気持ちを込めて、僕は円に向かって言った。


「……僕は……僕は……死にたくない……まだ、死にたくない!」


「……そっか」

 そう言うと円は少し残念そうな顔で僕の首から手を外す。


「う、うえ、うえええええええええん」

 その瞬間、僕の中で何かが溢れた。そしてそれが涙となってだらだらと溢れ出る。

 同時に声を上げ、僕は情けない位に、子供の様に泣いた。


「うわああああああああん、うあああああああああああん」

 僕が泣きじゃくると、円はそっと僕を抱いてくれた。

 母親の様に、そっと僕を包んでくれた。

 僕は、そのまま円に抱かれながら泣き続けた……この2年間の思いが、全て溢れていく。

 そうか……僕は泣きたかったんだ……死にたかったんじゃない、ただただ泣きたかったんだ。


 円に抱かれ、僕はずっと泣いていた。

 円は何も言わずに、僕をそっと抱きしめ続けてくれた。


 朝まで、明るくなるまで、僕はずっとずっと泣き続けていた。

 

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