第14話 恩知らず
「────────さてと、そろそろ帰るか」
いつの間にか窓の外は闇に覆われていた。
僕は杖を左手に持ち、ソファーから立ち上がろうとすると、彼女は僕に飛び付いて来る。
「だ、ダメ! まだ全然話して無いよね!?」
「うわわわ、ちょ、ちょ! ままま、待って、近い近いから?!」
抱き付いたままソファーに押し倒された僕、しかも彼女はキスでもするかの勢いで顔を近付けてくる。
近い近い、ふわあ、まつ毛長い……ああ、綺麗な唇……。
「どうして逃げるの!?」
「そ、そりゃ逃げるでしょ?! いくら何でも意味がわからないよ!」
重い重い重い重い、いや体重じゃなくて、思いが重い! 一生って、一生面倒を見るって……そりゃいきなり結婚って意味でしょ? いや、この場合紐か? どっちにしても、おかしいでしょ?
「私……ずっと貴方の事調べてた……大会に出ていたって情報だけで」
彼女は僕にのし掛かかったまま、真っ赤顔で見つめる。
彼女の長い髪が僕の顔にサラサラと降りそそぐ。
天井からの明かりが、彼女の髪を通してキラキラと輝く。
本当に綺麗……会いたかった、ずっと会いたかった……でも、今はそんな彼女に見とれている場合ではなかった。
「だ、だけでって? 調べた?」
何でわざわざ?
「──母に……弁護士の……叔母様に任せたからって言われて……だから何も聞かされなかったから、何も教えて貰えなかったから……」
「ああ……そっか」
叔母? えええ! あの人女の人だったの? スーツ姿だったから……そう言えば声が高かった気がする。
色々な事が判明していく。
「ごめんなさい、何度も頼んだの、貴方の事を教えて欲しいって……でも、子供の出る幕じゃ無いって……ママも叔母様も……。
だ、だから調べた……貴方の事ずっと調べて……そしたら……走って無くて……ご、ごめん……なさい」
そう言うと今度は彼女がポロポロと泣き始めた。
「私は……取り返しのつかない事をしたって……貴方の夢や将来を台無しにしたって……」
「いや、違うから……だからあれは僕が悪いんだって」
「違う、私が……もっとしっかりリードを握っていれば、公園で貴方に近づかなければ、散歩になんかいかなければ!」
「そんな事無い、君は悪く無い!」
そう言って僕は彼女の肩を持つと、彼女をゆっくりと起き上がらせた。
そして彼女を僕の腰の部分に座らせ、彼女の手を握った。
冷たい手、その彼女の手は小刻みに震えている。
そこで僕は気が付いた……傷付いていたのは僕だけじゃないって事に……彼女も2年以上の間ずっとずっと傷付いていたんだって事に。
「違う……全部……私のせい──だから……だから……私にも背負わせて……貴方の傷を、痛みを、失った未来を……貴方の為だけじゃない……私の……為に……ぐす……ぐす……ふえええええん」
彼女はポロポロと溢れる涙を袖で拭った。
その姿に僕は……彼女を見つめ、その握った手に力を込め、告白するよりも……緊張しながら言った。
「──じゃあさ──手伝ってくれる?」
「……て、手伝う?」
「僕の……次の夢を見つける手伝い……してくれる?」
「次の……夢?」
「うん……」
「──うん! て、手伝う! 見つけよう! 一緒に、一緒に見つけよう! 宮園君の夢! 私も一緒に!」
「──うん……ありがと……」
「宜しくね」
彼女は笑った……満面の笑みで……出会った時と同じ彼女の笑顔がそこにあった。
そして僕は思った……これだって、ずっと見たかったのはこの笑顔だって。
やっと見れた……その笑顔を僕はずっと見たかった。
ずっとずっとテレビの中の彼女を僕は見続けていた。その顔を……その笑顔を見たかった。
僕は多分この笑顔を、一生忘れないだろう。
「こちらこそ……宜しく……」
僕の夢を一緒に探してくれる……一緒に追いかけてくれる……その言葉に僕は涙が出る程嬉しかった……。
でも……新しい夢って……僕の……新しい夢って一体なんだろうか?
「と、ところで、あの時の子犬は? 助かったって聞いたけど」
「あ、うん勿論、今も隣の部屋にいるよ、連れてくるね!」
「え? ああ、うん……いるんだ」
「絶対感謝してるよあの子」
とりあえず話せる事は話せたと彼女は僕から離れると、スキップするかのように部屋を後にする。
僕には元々彼女に対するわだかまりは少ない、だからこうして話せただけで、納得できる。
でも……心配なのは妹……僕がこうやって彼女の家にいる事を知ったら……どう思うんだろう……。
あれだけ嫌っている彼女が同じクラスにいるって事を知ったら……。
「チック、ほら! あのお兄ちゃんが命の恩人よ!」
扉が開くと、彼女の足元から白い犬が飛び込んでくる。
犬種はわからないが、ドックフードの表紙になるような白い綺麗な犬。
あの時よりも二回り程大きくなっていたその犬は、僕に向かって突進してくる。
「おお! 生きていたか?!」
僕は彼女を助けたわけではない、だから彼女が僕に責任を感じているのは少し違うって思っている。
でもお前は、僕に感謝してもしきれないだろう。
「きゃおおおおおん」
「チックって言うのか?! よし来い」
僕は手を広げチックを迎え入れる。
これが本当の恩人との再会だ。
しかし……
「────あ、あの……こいつ僕を恩人って思ってない……みたいな」
「がるるるるるるる」
「あああああ! ち、チック!」
「あの……すいません……チックさん……痛いんですけど……」
僕の胸に飛び込んだチックは、そのまま唸り声をあげながら、僕の腕に噛みついていた。
「こ、こらあああ、チック、この恩知らずーー!」
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