第8話
さて、問題の次の日である。
仕事の帰りに道場へ寄ったら、果たして管長が待っていた。
「あ、ドリーム君、よく来てくれた。」
「いえ、それで何をええこと思いついたんですか。」
「僕がブッダになる話や。」
「それは、この前聞きましたけど。」
「そやから、僕がブッダになって、何かええことないかっていう話や。」
「何かええこと見つかったんですか。」
管長は、うっすらと笑みを浮かべながら話しだした。
「僕がブッダになるというところまでは、話したからもうええな。その次や。
普通は、何か悩みとか願望とかがあって宗教的なものにすがろうとして、その門をたたく訳やろ。その門の1つが僕の道場や。そしたら、何かその人のこころの悩みが解決されなきゃだめだよね。それか何か望みが叶うとか。そこでや、僕がブッダになった後から入信した者は、さらにその信者もブッダになることができるという僕の道場の目玉を考えた訳や。どうや、すごいやろ。」
「はあ。それはすごいけれど、どうして信者までブッダになれるんですか。」
「ドリーム君は、最後の晩餐って知ってるか。」
「あまり詳しくは知らないですけれど、キリストが磔刑に処される前に弟子が集まったことですよね。」
「そうや。僕も詳しくは知らないんやけどな。最後の晩餐は知ってたんや。何でか知ってるか。」
「いえ、知りません。」
そう答えると急に管長は声をひそめて言った。
「実はな、学生時代にな、付き合ってた女の子がおってん。」
「はあ。」
「ロングヘアーを真ん中で分けたエクボの可愛い女の子やったなあ。」
「はあ。」
「その時、僕はな女の子のことを『ラーちゃん。』って呼んでたんや。そんでな僕は『ブーちゃん』って呼ばれてた。ちょっと太ってたからな。それでな、休みの日とかにデートするやろ、そしたらお互いに名前を呼び合うわな。」
「ラーちゃん。」
「ブーちゃん。」
「ラーちゃん。」
「ブーちゃん。」
「ラーちゃん。」
「ブーちゃん。」
「2人合わせてラーちゃんブーちゃん」
「2人合わせてラブ、ラブ、ラブ。」
「ってね、1日中名前を呼び合ってたなあ。へへ、ええ時代やったなあ。」
「はあ。そんな管長とその女の人の声区別して話さなくてもいいです。気持ち悪いから。」
「そんで、2人ともオムライスが好きでさ。近くの喫茶店に食べに行く訳。へへへ。そんでもって、2人ともオムライスに添えられてる福神漬けが大好きでさ。ラーちゃん福神漬けオイチイね。ブーちゃん福神漬けオイチイね。ってさ。へへ。何でか知らないけどさ、赤ちゃん言葉で話してたんだよね。ドリーム君、君は、赤ちゃん言葉は使うのかね。」
「いえ、使いませんけど。それより、そのラーちゃんブーちゃんはどうしたんですか。」
「別れてしもたんや。何であの時、別れようなんて言ってしもたんやろ。ドリーム君は何でやと思う。」
「それは知りませんよ。それよりも、話が脱線してます。」
「あ、そうか。僕は何を話そうとしてたんやろ。ドリーム君、何やった。」
「だから、最後の晩餐ですよ。」
「あ、そうや。実はな、そのラーちゃんがキリスト教徒でさ。日曜日には礼拝にいってたんだよ。まだ若かったんだよね。教会で話を聞いた後はラーちゃんも興奮しててさ、ブーちゃんに会った時はまだね、あ、ブーちゃんって僕の事だよ、説教を聞いて感動したんだろうね、ちょっと上気しててさ。夏の暑い日なんかラーちゃんの襟の後れ毛がさ、うっすらと汗で濡れてたんだよね。それにじっと見とれてた記憶があるんだなあ。女性のうなじって色っぽいよね。へへ。」
「うなじの後れ毛はいいです。最後の晩餐です。」
「そうや。それでラーちゃんがキリスト教徒だったから、そんな話も時には喫茶店でしてたんだよね。それで思い出したんだ。」
「はあ。何を思い出したんですか。」
「なんちゃらの福音書や。その中に最後の晩餐のことが書かれているんやけど。
その時に、キリストはパンを弟子に見せて、これは私の身体であるといって、そしてワインをこれは私の血であるといって、弟子に分け与えてたべさせているんや。まあそれはパンとワインやけど、自分の肉体を人に食べさせるんやで。つまりはキリストも人間の肉体を食べることを否定してなかったという訳や。それどころやない、キリストは自分の肉体と血を弟子に食べさせることで、その弟子の中で生き続けようとしたんちゃうかと思うんや。
それを僕はブッダでやろうと思ってるんや。僕の肉体を信者に分け与えて食べさせる。そうすることで、その信者もまたブッダになれるちゅう理屈やわな。どうや。」
「そういえば、今でも教会でミサとかでホスチアって呼ばれる煎餅みたいなパンをキリストの身体と見なして食べる習慣が残っていますよね。」
「そうや、だからブッダの僕の肉体を食べることで、無条件でその信者たちもブッダになれるちゅう仕組みなんだ。」
「まあ、面白いことを考えたものですね。それに無条件でなれるというのがスゴイです。」
「そうやろ、うん、そうやろう。ただ、僕の肉体って言っても限界があるからね、パンとかにする必要があるやろうな。でも、それやったらキリスト教のパクリやと思われるからな。違う食べ物を考えたんや。何か解るか。」
「さあ。日本人やからご飯ですか。」
「いいところまでいってる。ご飯はご飯でもおにぎりや。これはな柳田國男の仮説を頂いたんやけど、柳田國男は、おにぎりの形は心臓の形に似せて作られていると言うてるんや。つまりは、僕の心臓と言う訳やな。より説得力があるやろ。そんでもって、僕の血は味噌汁や。やっぱり日本人がおにぎりって言うたら味噌汁が付きものやしな。入会の儀式の時に、おにぎりとみそ汁を食べる儀式をするんやな。そしてみんなブッダになるちゅうことやな。」
「なるほど、ようそんな理屈考えましたね。でも、信者さんは入会したら何をするんですか。もう入会したらブッダになれる訳やし。もう目的達成でみんな会を離れてしまわへんでしょうか。」
「そうや。それや。入会したらいろいろ特典を付ける予定はあるねんけどな。弁当の割引とか、それか人生相談なんかも会員限定でやろうかな。それとな、本当に考えてるのはボランティアやねん。自分が助かろうと思って入った道場で、自分のことを置いといて、何か社会の役に立つことをするちゅうのも意義があると思うんや。そんな大したことやないで、ゴミ拾いでもいいし、老人ホームの慰問でもいいし、会費を払ってシンドイことをやる訳や。どや。」
「はあ。いいとは思いますけど、どうなんでしょうかね。」
「どうなんでしょうかねって、どうなん。ブッダになれるちゅうのは、すごいステータスやで、詰まりは選ばれた人たちや、選ばれた人なら、ボランティアするのは当たり前やろ。選ばれた人やから選ばれへん可哀想な人たちの為に何かする。素晴らしいじゃないか。」
「それは素晴らしいですけど。みんなボランティアしますかね。」
「うーん。まあ、してくれると思うんやけどなあ。そやから、ボランティアが終わったら打ち上げとかして楽しくやったらええと思うねんあ。硬く考えんと。ボランティアの後のビールとか美味いと思うんやけどなあ。」
「まあ、怜ちゃんや奥さんがいたら、今までの会員さんはやってくれるかもしれませんけどね。」
「まあ、それを期待するしかないけどな。そんでもって、教義も考えたんや。」
「へえ。教義ですか。前は教義なんてないって言ってましたけど。」
「そうや。でも、気分一新でスタートするんやから、教義ぐらい作ってもええかなって思ってな。」
「気分一新で教義ですか。それでどんな教義なんですか。」
「まずは、簡単な言葉で表すべきやと思うねんな。誰でも解るように。そんでもって、その1や。『仕方がない。』というのが第1の教義や。どや。」
「えらい短い教義ですね。それに『仕方がない。』っていうのも、どういう意味なんですか。」
「いや、言葉通りやで。人生は仕方がないことで成り立っていると思わへんか。それを素直に受け入れるちゅう訳や。生きてたら色々辛いこともあるやろう。でも、それは仕方がないことなんや。だから、辛いことがあっても『仕方がない。』と思って、それを受け入れるべきなんや。」
「仕方がないって始めから思って生きるんですね。でも解決策とか求めないんですか。道場に来ている人は何か辛いことや迷いがあって、それを解決するために入ってくる人も多いでしょ。そんな人に、仕方がないって、そんなん、、、、ええんですか。」
「だって、仕方がないやん。ブッダさんもキリストさんも辛いこといっぱいあったと思うで。でも、それを解決したっていう話も聞へけんし。キリストさんなんか最後に裏切られて可哀想なもんやで。それでも、キリストさんも仕方がないって思って最後を迎えはったんや。僕らみたいな凡人が、そないに上手いこと解決できる道理はないやろう。」
「うーん。そうですけど。」
「それにな。僕は因縁果報なんてことは信じてないけれど、もしそういうのがあるのなら、今ある辛いことは過去の因によって起こっているということやろう。そしたら、その因を解決しない限り、どんな解決策を出しても、また形を変えてその因の報いがやってくるはずや。だから解決策なんて考えることは無意味なんや。因の報いで起こっている辛いことは、そのまま仕方がないって受け入れればいいんや。」
「はあ。その理屈は僕も前から考えていたんです。それは納得できる部分があります。でもそれじゃ、辛いだけじゃないですか。せっかくブッダになったのに。」
「さあ、そこや。そこで教義の第2や。『それがどうした。』っていうのが、第2の教義や。」
「はあ。それも短い教義ですね。」
「そのまま辛いことを受け入れるのも辛いよね。でも、『それがどうした。』って開き直ることが大切なんや。辛いことがあるのなら、あがいたって仕方がないからさ、それがどうしたって開き直ればいいんだよ。」
「それは、納得できるかもしれませんね。」
「そうやろう。そんでもって、その開き直るお手伝いをするものが要るだろう。何やと思う。」
「何なんでしょう。」
「般若湯や。お酒や。お酒は人をして楽しくさせる効果がある。まあ、僕はビールが好物だからね。教義の第3は『ビールは飲みたい時に飲め。』だ。」
「はあ。まさかお酒の販売じゃないでしょうね。」
「販売となると許可もいるだろう。でも、道場で飲むのはいいんじゃないか。まだ、調べてはいないけれどさ。だからさ、道場で集会があった後は、この道場で、みんなでビールを飲むんだよ。ちょっとした素人のおツマミなんかも出すつもりだ。カウンターを作った方がいいかな。おツマミもちょっとビールが進むようなものを揃えてさ。」
「それって、居酒屋じゃないですか。」
「まあ、そんなことになるのかな。」
「じゃ、お昼はお弁当を売って、夜は居酒屋ってことですか。」
「そういうことになるのかな。」
「まあ、収入は増えるかもしれないから、奥さんも喜ぶかもしれませんね。」
「僕もそう思うねん。やっぱり定期的な収入が無いと辛いもんな。道場だけじゃなかなかやっていかれへんし、みんなも不安やろうしね。」
「はあ。それだったら良かったんじゃないですか。本当に。奥さんも怜ちゃんも喜んでくれると思いますよ。それに、昔からの信者さんも、そんな気持ち解ってくれますよ。」
「そうか。ありがとう。」
「でも、それやったら、別に管長がブッダにならなくてもいいんじゃないですか。」
「えっ。そうかな。でも、やっぱり僕にも夢があるしな。道場の方も成功させたいんや。アカンかな。」
「いや、アカンかなって言われても、管長のすることやし。僕には何も言えないですよ。でも、その他で収入が安定したんだったら、管長の好きなようにしたらいいんじゃないですか。」
「そうかな。じゃ、やっぱり計画は実行や。」
なんてことがありまして、どうやら管長はブッダになるようでありまして、更に更に会員さんもブッダになるようなのであります。
そんなことがあってから、2週間。
僕は管長のブッダ誕生儀式に参加するべく道場にいた。
道場には、いつもの信者さんや、初めて見る人たちが集まっていて、40人弱ぐらいだろうか、神妙な面持ちでパイプ椅子に座っている。
怜ちゃんや奥さんは、そんな人たちのお世話で忙しそうだ。
さすがに、これだけの人が集まるとクーラーも効かないようで、じんわりと汗がしみ出てくる。
僕は道場の1番後ろの席に座っていた。
「ちょっと管長さん、ブッダになるっていうてるで。大丈夫なんやろか。」
「そうやがな、ほんでブッダになったら会費が上がるっていう噂もあるんやで。」
「そらアカンわ。」
「そやけど、その分、集会の後に合コンとかするらしいわ。結構イケメンの若い男の子もくるらしいで。うちらも参加できるんやて。」
「エーッ。うちらもう65やで。そんな若い子と合コン出来るんかいな。ほんまか。」
「ほんまらしいで。この辺の会社の若い子が集まるらしいわ。それがついてるんやったら安いと思わへん。」
「そら、安いな。でも、うち合コンなんて行ったことないし。なんや怖いわ。」
「うちもそうやねん。そやから2人で行かへん。あんたと一緒やったら大丈夫やと思うわ。」
「そうしよ。そやけどその噂ほんまやの。」
「ホンマやて。若い子と、何かええことあるかもしれへんで。ククク。」
なんて、そんな話を前の椅子の年配のご婦人がしている。
ブッダになることよりも、合コンのほうが気になるらしい。
予定時間の3時になると、怜ちゃんの挨拶が始まった。
「今から、管長のブッダ誕生儀式を行います。あ、皆さんちょっと暑いですか。じゃ窓をちょっと開けましょうね。」
何かと普段と違う雰囲気に怜ちゃんも、みんなにいつも以上に気をつかっている。
すると管長がいつもの白シャツで現れた。
いつもよりも胸を張って堂々とした管長を自分で演出しようとしているのだろうか。
「エーッ。今日は暑い中、皆様にお集まりいただきまして、ありがとうございます。みなさんは今日は、この私がブッダになるという奇跡の瞬間に立ち会うことになります。
それは、ブッダのオケケ様を御本尊としているうちの道場だからこそ出来る儀式であります。今日この儀式を終えた瞬間に、私はブッダそのものになるのであります。世界に存在する仏教徒や仏教寺院のトップ立つわけであります。とはいうものの、ご安心ください。
いくら私が立派なブッダになったからと言って、私と皆さんの距離が遠くなるという事はありません。いつも皆さんの近くに、このブッダがいることをお約束します。
なを、私がブッダになった後は、みなさんにもブッダになっていただきます。みなさんもブッダになれる儀式をご用意していますので、是非ご希望の方はお申し出てください。さあ、それでは儀式に移ります。」
いつもにない真面目な口調で淡々と儀式がすすんでいく。
そして、この儀式の目的であるオケケ様を食べると言うことが行われるようだ。
恭しくオケケ様の入った銀色の筒を管長が皆に見えるように頭の上に持ち上げた。
そして、管長が唱えた。
「ナームー。オーケーケー、ブーツ。」
みんなもその後に続いて、「ナームー、オーケーケー、ブーツ。」と静かに唱える。
そして、管長が銀色の筒の蓋を開けた。
1番後ろの僕の席からは、オケケ様は見えない。
何やら白い綿のようなものを確認できる。
たぶんその白い綿の上にオケケ様が鎮座されているのだろう。
そして1同合掌する。
一瞬の静寂。
すると、階段の下の方から、大きな足音を響かせて上ってくる人がいる。
そしてドアを開けて入ってくる女性がいた。
シマウマ柄さんだ。
「ごめーん。遅れちゃったー。」
それにしても大きな声である。
すると、更に大きな管長の声が聞えた。
「あーーーーーっ。オケケ様がーーーーー。」
シマウマ柄さんがドアを開けた瞬間、ドアから窓に向かって1陣の風が吹き抜けた。
その風にオケケ様が飛ばされたのである。
飛ばされたオケケ様は、、、、、多分、窓の外へ。
ドアから吹いた風に、オケケ様が、ヒラヒラヒラヒラ。
ヒラヒラヒラ。
ヒラヒラヒラ。
ヒラヒラヒラ。
みんな窓の方を向いて言葉が無い。
僕の頭の中は、「飛んで、飛んで、飛んで」という円広志さんの「夢想花」のさびの部分が、何度も何度もリフレインしていた。
飛んで。
飛んで。
飛んで。
、、、、。
ただ、吹き過ぎて行った風は8月とは思えない爽やかな空気で、どんよりと湿っていた道場の澱んだ空気を、窓の外に掃き出してくれたようで、何かすっきりとしたものを僕は感じていた。
悩み多きブッダたち 平 凡蔵。 @tairabonzou
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