第7話


さて、次の日である。

合コンである。

別に結婚相手を探そうなんて思っていない。

でも、どんな可愛い子が来るんだろうていう下世話な期待もあるのでありまして。

僕は仕事も早めに上がって、道場へ行った。

ドアを開けると長テーブルが3つ並べられて、近くのサラリーマンと思しき男性が6人座っていた。

どの人も20代から30代と言った年齢だろうか。

女性との出会いを求めている年齢なんだね。

そして、相手の女性を探すと、1番ドアに近いところに20代と見える2人組が座っていた。

前の席の男性と話をしている。

1人はサラサラロングヘアーでミニスカートをはいた細身の美人だ。

こんな女の子がよく道場にきたものだとビックリした。

もう1人はショートカットのエクボの可愛い、ちょっと年齢よりも若く見える女の子である。

子供っぽい表情が、僕には新鮮に見えた。

なかなかいいじゃないか。

そう思ったが、その隣の女性を見て腰を抜かしそうになる。

シマウマ柄さんが、大声で向かいの男性に話してるじゃないですか。

「ほんで、兄ちゃん。年収はなんぼなん。彼女はホンマにいてないいんやね。」

向かいの男性は、すっかりこの合コンを諦めたという表情で、話し相手になっている。

地元の居酒屋に入って、運悪く中年のおばちゃんに絡まれたという感じだ。

そして、その横にはまた同年代のおばちゃんが3人座っている。

まあ、男性と女性の数は同じだから、カップルが生まれても不思議ではないのだけれど、年齢的には、もしカップルが生まれたなら気持ち悪い組み合わせとなるだろう。

というか、そんなカップルは出来るのだろうか。

静かな会話の中にシマウマ柄さんの大声が響く。

「ごめんな、兄ちゃん。ほんとはうちの娘が来る予定やってんけど、急に親戚に不幸があってな。こられへんようになってん。」

「はあ。親戚に不幸があって、娘さんだけ行って、お母さんは行かなくていいんですか。」

「ほんまやわ。そらそうやな。ごめんごめん。本当は急にお腹が痛くなったんやったわ。がははは。」

「はあ。それはお大事に。」

そんな腹がよじれそうな話を聞いたら合コンに参加する気がなくなった。

「はい。それじゃ。お互いにいいなと思う相手の名前をこの紙に書いてください。」

白シャツ管長は、このシチュエイションでも真剣だ。

普通シマウマ柄さんがいてる時点で、そんな名前を書くなんてことはやめるはずだろう。

このグループの中で、カップルの可能性があるのは、ドアの近くの2人の女性だけだ。

でも、シマウマ柄さんは、配られた紙に向かって真剣に悩んでいた。

「いやいや。あんたは悩まんでええやろ。」

そう言いたかったが、静まり返った道場では言えなかった。

「それじゃ、発表しますよ。」

果たしてドアの2人組の女性はめでたくカップル成立をした。

それはそうだろう、この場の男性はこの2人の女性しか名前を書く相手がいない。

なので、当然カップルになる可能性は非常に高い。

「そして、もう1組発表します。」

名前を呼ばれた瞬間、シマウマ柄さんが悲鳴を上げた。

「きゃー。うち選ばれたわ。」

腰を抜かしそうになった。

選ばれたということは、シマウマ柄さんを指名したサラリーマンがいるということである。

果たして、選んだのは向かいに座って年収を聞かれていた男性だった。

「どうしよ、どうしよ。うち選ばれてしもたわ。そやけど、お父ちゃんに合コン行くっていってないし。もしバレたら大変や。」

慌てふためくシマウマ柄さん。

それを驚きの目で見つめる会場の全員。

なんで、なんでや。

僕はそのサラリーマンに尋ねてみたかったが、あまりにも会場がシマウマ柄さんのあわて振りに注目しているので、声を掛けることができない。

そして、シマウマ柄さんが言った。

「お兄ちゃん、あんたの気持ちを受け入れたいけど。うち結婚してるから、ごめんなさい。」

ペコリと頭を下げた。

まさかの「ごめんなさい。」だ。

あまりの可笑しさに声を出して笑い出しそうになるのだけれど、この雰囲気では笑えない。

シマウマ柄さんが、あまりにも真剣だからね。

それにしても、大丈夫か、この青年。

どういう理由でシマウマ柄さんを選んだのか、知りたい。

皆もそう思うのか、青年に注目をしている。

でも、青年は薄らと涙を浮かべて何も言わない。

その涙は何なんだ。

どうにも、会場の皆が声を掛けられずに、大縁会は終了した。

これは、成功したというのだろうか。

まあ、2組のカップルは誕生したわけだし、成功は成功だろう。

縁が繋がったのだから。

でも、どうにも理解のできない縁はそのままに、シマウマ柄さんが何度も頭を下げながら道場を出て行った。

そして、僕は青年に声を掛けた。

「どうして、彼女を選んだの。」

「どうしてなんでしょうね。私にも解らないんです。」

まあ、そういう趣味もあるのかもしれない。

「そうなんだ。じゃ、まあ頑張って。」

何を頑張れというのか解らないが、それしか思いつかなかった。

白シャツ管長を見ると、「大成功や。」と喜々としている。

まあ、成功なのだろうね。

でも、シマウマ柄さんはどうなのさ。

入り口のドアが開いて、怜ちゃんが入ってきた。

手にはコンビニのビニール袋を持っている。

「あれ、もう終わったん?それでカップル出来たの?」

帰るなりそう聞いた。

「そうや。大成功やったで。2.5組のカップルが誕生したで。」

白シャツ先生が喜々として答える。

「その、点5っていうのは何なん。」

「それが、2組は大成功や。それと点5というのは、折角カップル誕生したのに、ごめんなさいっていうねん。なんでやろ、若い男の子ゲットできたのになあ。」

「へえ。それは誰なん。」

「青木さんや。それに相手は30歳代のサラリーマンやで。せっかくやったのになあ。」

「ええっ。青木さん。あの青木さん?本当に選ばれたん?えっ、何で、何で。」

「さあ、それは知らんけどな。まあ何か良かったんやろ。でも、夫に知られたら怒られるゆうて、ごめんなさいや。」

「あ、ドリームさん、その時にいたん?どうやった、そのサラリーマン、男前やった。」

「そうやなあ、まあ普通のサラリーマンやなあ。 別に変なとこ無かったけどなあ。」

「病んではるな、そのサラリーマン。他にも可愛い子おったのに、何でわざわざ青木さん選んだんやろ。『曰く、不可解、ヒュー、ドボン、クエッ。』別に青木さん変な人ちゃうけど、恋人には、可笑しいやろ。」

怜ちゃんの言った、「曰く、不可解、ヒュー、ドボン、クエッ。」というのは、今何故か怜ちゃんがハマッテいるギャグのようなもので、もともとは華厳の滝で自殺した藤村操の辞世の文章から来たものだ。

何かの時にネットで知ったのだと言う。

文章の始めの「悠々たる哉、云々」という部分はどうでもいいらしい、というか覚えていないそうだ。

でも、この「曰く、不可解。」だけが怜ちゃんの気に入ったようである。

始めは「曰く、不可解。」としか言ってなかったけれど、それじゃ何か面白みがなかったんだろうね、「ヒュー、ドボン。」を付けた。

華厳の滝に飛び込んだときの音だという。

何とも藤村操の文章も台無しだ。

どうも大阪人の血が、何かをつけないと気が済まなかったのだろう。

そうする内に、今度は「ポクッ。」というのを最後に着けるようになった。

「ヒュー、ドボン。」だけだったら死んだことが表現できていないという。

大阪人の血に、B型の血が掛け合わされた瞬間だ。

「ヒュー、ドボン、ポクッ。」

自殺や死というものを、ここまで茶化してしまうのは、死と言うものから目をそらさないということで、ある意味怜ちゃんの大きな優しさでもある。

ただ、この「ポクッ。」は、すぐに「クエッ。」に変わった。

何でも本人によると、「ポクッ。」には、何か気楽な音を感じるらしいのだ。

ぽっくり死にたいといような事を聞くが、死の苦しさを感じない安楽死のイメージだという。

なので、「クエッ。」に変えたのだと言う。

「クエッ。」には、「あれ?何で俺、死ぬことを選択してしまったんやろ。本当は生きたかったのかもしれへんのに。」という死ぬ瞬間のこころの動きが入ってるのだそうだ。

死ぬ間際の後悔というか、死を選んだ自分自身への疑問。

それを聞いた時には、なるほどと思ったのであるけれど、何もギャグ1つにそこまでこだわる必要もない気もするのである。

1人旅行から帰って来たときから、このギャグは続いていて、道場へ来たなら1日に1回は聞かされることになるのである。

ただ、最後の「クエッ。」のところで口をカッパのように突き出して、首を傾げるポーズはどうかと思う。

とはいうものの、本人はいたってご満悦なのではありますが。


さて、合コンである。

カップルになった2組は、これは本当に楽しそうで、アドレス交換などをしている。

その内、1組はこれから飲みに行くと言う。

羨ましい。

実に羨ましい。

それなら参加すれば良かったのでありますが、どうも女性とこんな場で出会おうとする会が苦手だ。

男は解る。

僕も男だから、綺麗な女性をいつも求めている。

なので、こんな合コンに行こうという考える思考回路は、理解できないことはない。

しかし、女性が問題だ。

女性は、どこか控えめな、弱わ弱しいイメージなんだ。

僕の中ではね。

それは古いイメージだと思うのだけれど、そういうものだと何故か思っていた。

まさか、自分から男を求めて行動をするなんてことは、僕のイメージから外れている。

なので、こんな合コンの場で、テーブルを挟んで男女が並んで座っていると、どうも滑稽な風景に思えてくる。

テーブルの向こう側に座った女性たち。

綺麗な服と完璧な化粧で自分を、「私綺麗でしょ。」っていうメッセージを発し続ける。

仕草にしても、普段はしない女の子らしいことを、自分でも気づかないうちにやってしまっている。

そんな女性を見ると思う。

この女性の頭の中には、「さあ、今日は見つけるで。誰でもええから彼氏欲しいわ。ホンマ誰でもええから、何とかしやな。」とか思っているんだろうなと想像してしまう。

或いは、「なんや、今日は大したことないメンバーやなあ。まあ年収聞いてから、これからの行動考えよ。」とか。

或いは、「今日は遊びやからな。取りあえずは、見た目で行こ。そんで、1夜限りの恋でも楽しもか。あたし最近欲求不満やし。早よホテル行きたいわ。こんな会話とかいらんで。」とか思っているのだろうかと想像してしまう。

そう思うと、テーブルの前に座っているお尻が痒くなる。

そして、話も上の空になってしまうのだ。

男を求める女性に、品定めの為にテーブルに座らせられていることが情けない。

選んでもらえる自信がないものね。

それに選ばれても、困るのだ。

その先の自信がない。

どうにもやっかいな会であるので、僕は参加することはない。

「うち、ブサイクやし、アホやから、そんな合コン行かれへん。」とか言うような、引っ込み思案な女の子が好きだ。

そういう僕の考えは浅はからしいのである。

女性の友人に言わせるとね。

そんな、「うち、ブサイクやから、、、。」とか言っている女の子も、こころの中では、「男、男、男が欲しい。」って思っているそうだ。

どうにも、ツライものだと思う。


それにしても、シマウマ柄さんは、惜しかったね。

せっかく、若いサラリーマンとカップルになったのに。

ひょっとしたら、シマウマ柄さんが今回の合コンの中で1番純情だったのかもしれない。

でも、選ばれたんだものね。

選ばれるってことは、本当に嬉しいと思う。

僕だって、誰かに選んでほしい。

誰でもが、誰かに選んでほしい。

皆選んでほしいと思っているのだけれど、世の中には選んでもらえる人と、選ばれない人がいる。

まったく誰にも選ばれない人は、どうしたらいいんだろうね。

絶望的だ。

とはいうものの、選ばれるということにも、程度というものがある。

1日24時間ずっと選ばれるづけることは誰でもできないだろう。

それに、軽く選ばれるのと、深く選ばれるのとも違う気がする。

あの人いいねぐらいの感じで選ばれるのと、あの人がいない人生なんか意味がないぐらいの選ばれ方。

でも、いくら強く選ばれても、その内に飽きられて、ハイサヨウナラとなる。

なのだけれど、僕はいつも選ばれるという幻想にこころ奪われて、街を彷徨っているのである。

いつくるか解らない偶然の出会いを求めて。

「あ、そうや。ドリームさん。曰く、不可解。ヒュー、ドボン、クエッってあるやん。

あそこの『クエッ。』ってとこ『グエーッ。』にしたら、どうやろ。どう思う。」

「まだそんなこと考えてるんや。グエーッは、ちょっと生生しいんちゃうかな。クエッの方が軽い感じで、ええんちゃうかな。」

「そうやね。やっぱりクエッでいくわ。ありがとう、クエッ。」

「どういたしまして、クエッ。」

「あはは、ドリームさんも、うちのギャグ使ってええよ。みんに広めようよ。そうや、ドリームさんは、明日から、1日1回は、クエッをいうこと。解った?」

「、、、、、クエッ。」

「あ、これ挨拶とかにも使えるんちゃう。それとか、何でも最後にクエッをつけるねん。」

「朝起きたら、クエッ。ご飯食べる前に、手を合わせてクエッ。」

「あはは、決まり。今日からこれでいこうよ。ね、クエッ。」

「じゃ、アイラブユーもクエッなの。」

「そう、クエッ。」

どうも何だか面倒くさいことになってきた。


昼下がりの道場は、合コンの人たちも帰って、少しばかり気の抜けた感じの空気が漂っていた。

窓からビルの谷間を抜けてきた風が吹き込んで怜ちゃんの長い髪を揺らす。

僕も、その風の塊が半袖のシャツを通り抜ける感じを気持ちよく感じていた。

風というものは不思議なものである。

ある時は、塊として感じるし、ある時はゆるやかな流れとして感じることもある。

分解すれば、窒素や酸素、二酸化炭素という小さな小さな粒なのに、全体としては、捉えどころなく存在している。

僕は街中でも、そして海などの見晴らしの良いところにいるときも、風を感じる。

それは、意識的に感じようとしているのかもしれないが、感じて想像する。

今、僕の腕の皮膚を、首筋の皮膚を撫でて行った風はどこからきたのだろうかと。

1秒前は、たぶん僕の腕の、そして首筋の10センチか20センチ手前にいたはずだ。

でも、それは塊としていたのじゃなくて、ただ何となく漠然とした状態で存在していた。

或いは、10センチ手前は2つの塊だったのかもしれない。

或いは、腕の手前の塊と首筋の手前の塊は同じだったのかもしれない。

そもそも、塊と感じるのは気のせいで、そんな塊は始めから存在しない。

ただ、漠然としてそこに存在していた。

バラバラの状態でね。

そして、僕の腕や首筋を撫でて行った、その10分前は、どうだったか。

何十メーターも離れたビルの角を擦って行ったかもしれないし。

或いは、どこかのビルのOLのスカートの裾を揺らしていたのかもしれない。

或いは、道端の銀杏の葉っぱを蹴飛ばして通り過ぎていたのかもしれない。

それは、幾つもの数えきれないほどの塊であり、1つの大きな塊であるのかもしれない。

ただ、全体的に漠然と流動的に存在している。

そして、そして、また思う。

1時間前は、どうだったのか。

1日前は、どうだったのか。

1年前は、どうだったのか。

そうすると、地球の表面を、渦を巻きながらながれている空気の流れが感じられる。

今、僕の腕を、そして首筋を撫でて行った風を感じるその瞬間に、同時に遠いビルやOLの存在を風という媒体を通して、間接的に接触した感覚になることがある。

風が吹かなければ感じられない空気が、風が吹くことで流動的な塊として感じられる空気の厚く大きな、そして透明な形あるものになる。

その厚く大きな透明な塊に、僕の首筋が接触していて、その熱く大きな透明な塊に、遠いビルやOLが接触している。

間接キッスのような感覚。

厚く大きく透明なものを、間に挟んで、あらゆるものにする間接キッス。

僕の腕と首筋に、同時に、漠然とした塊を挟んで、地球上の色んな国のビルやOLや、どこか遠い国のリビングのテーブルや、アルプスの頂きの粉雪や、南の国の椰子の葉っぱや、南米の少女の黒髪や、北の国のストーブの前に座っているおばあさんや、そんな地球の地面の上に乗っかっているすべてのものに、間接キッスをしてる感覚。

そんな風に想像すると、ふっと体の緊張が解ける時がある。

僕は今、風、あるいは空気というものを挟んで、すべてのものと皮膚接触しているのだ。

つまりは、テレビで見ている綺麗なモデルさんとも、風を挟んで、モデルさんの皮膚と間接キッス。

「ウヒヒヒ。」

なんて、下品な想像をして楽しんではいられない。

モデルさんの棒のような綺麗な脚に間接キッスをしていると同時に、今もまだ戦争をしている国で犠牲になっている子供たちの傷口にも間接キッスをしているし、食べるものが食べられずに餓死しようとしている赤ちゃんのほっぺたにも間接キッスをしているのである。

その痛みが伝わってくる気がする。

そして、モデルさんの棒のような脚への間接キッスの味は、すべすべで、ほのかにグレープフルーツの香りがした。

「ウヒヒヒ。」なんてね。

そんな下品な想像でもしなきゃ、世界中の人の痛みや苦しみに間接キッスしちゃったら、ノイローゼになってしまう。

モデルの脚ぐらいが、ちょうどいいのであります。


「何、ニヤニヤしてるのクエッ。」

怜ちゃんが、僕のモデルさんの脚にスリスリの邪魔をした。

「いや、別に。」

「そのニヤニヤは、きっとエッチなこと考えてたニヤニヤやわ。」

「解った?」

「きゃー、エッチ。やっぱりドリームさんは、エッチなんや、クエッ。」

「男は誰でも、エッチなの、クエッ。」

こんな他愛ない会話が、痛みへの間接キッスを忘れさせてくれるようである。

とりあえずは、怜ちゃんも1人旅行を終えて、道場も弁当屋も順調だし、今回の合コンも無事に終わったようであるし。

ひとまずは、安心しできるようになった。

管長に挨拶をして、その日は帰ることにした。


何となく、寄り道をしたい気分である。

しかも、汁がいい。

僕は、どうも汁が好きだ。

お昼に定食屋に入っても、真っ先に味噌汁だけを最後まで飲み干す。

それから、おかずとご飯を食べるのだ。

だからスープも好きなのだけれど、味噌汁もスープも、その後のメインティッシュを頼まなきゃいけない。

やっかいなお店が多い。

というか、そういう僕がやっかいなのではある。

それだから、汁が欲しくなった時は、うどん屋かラーメン屋に入ることが多い。

ただ注意しなければいけないのは、うどん屋だ。

最近は、讃岐うどんを代表として、コシのあるうどんが美味しいとされている。

マスコミによる刷り込みである。

大阪は、昔から柔らかいうどんを食べてきた。

それがテレビや雑誌で、あまりにもコシだコシだなんていうものだから、コシがなきゃ美味しいうどんじゃないように、今の若者は思い込まされている。

残念としかいいようがない。

もっと若い人は、自分の感覚を信じるべきだ。

そして、うどんをすするべきなんだ。

そうすれば、柔らかいうどんの何とも言えない優しい味の美味しさに気が付く筈である。

それに、正しいコシというのは、硬さじゃない。

噛んだ時に歯が麺に食い込むときの弾き返そうとする力の事である。

それがコシというものなのです。

ある時に友人とそばを食べに行った時のことだ。

キンキンに冷やされたざるそばを1口啜りこんで、「うん、コシがあって美味しい。」と言った。

僕は、それを聞いて黙って、これは腰じゃないと声に出さずにつぶやいた。

それは、硬くて冷たいだけの針金のような食べ物だった。

そのキンキンに冷えたというのも、本来ならそこまで冷やしてしまうと風味を感じにくくなるもので、普通の人はそこまでキンキンにしないほうが美味しく感じられるとは思うのだけれど、その辺は個人の好みというものだろうか。

以前に、福岡へ行った時にうどんを食べた。

福岡のうどんも柔らかいうどんだ。

その上に、口に啜りこまれたときに感じる麺の表面のスベスベ感が、どうにも美味しかったのを思い出す。

さてこれから食べようと思うところのうどんである。

お店を何軒か見て回ったが、どうもコシのあるうどんを提供するお店ばかりのようであった。

なので、今度はラーメン屋さんを探してみたら、果たしてすぐに見つかった。

こってり系のお店のようだけれど、鶏ガラスープのあっさりとした昔ながらのラーメンもあるようである。

うどんの出汁を飲みたかったが、仕方がない。

それでも、あっさりとしたラーメンなら気分である。

まずは、ビールを頼む。

瓶ビールが大であることも、飲みたい人には解っている店というものだ。

本当は、ビールの小瓶を何本も開けてテーブルに並べていくのが好きなのだけれど、それじゃすぐに支払いの値段が上がってしまう。

それだからの大なのであります。

赤いカウンターの上は脂分も拭きとられていて、ラーメン屋にしては掃除もちゃんとしている。

共に来たグラスは、冷やすなどの工夫はせずに、そのままスタッキングされたプラスチックのトレーからお姉さんが持って来た。

ラーメン屋さんだから、これもまた雰囲気なのかもしれない。

普通の食堂にあるコップにビールを注ぐ。

カツッという瓶とコップが当たる音が、怜ちゃんと別れた寂しさに似ている。

いつのまにか、年の差を忘れているのが、そして恋心のようなものを抱き始めている自分が、可笑しくも悲しかった。

ビールを持って来たお兄さんを呼び止めて注文を追加する。

鳥の唐揚げや餃子といったラーメンの普通ならまず先に注文するアテは注文せずに、

普通の昔ながらのと書かれたラーメンだけを注文した。

そしてお兄さんに注文をつけたした。

「出来る限り麺を柔らかく湯がいてください。」

やっぱりラーメンも柔らかいのが好きだから。

でも、ここでコツがあるのである。

普通に、「麺柔らかめ」とか「やわ麺で。」なんて言っても、実際に出されるのは、ほんの少し柔らかく湯がいた麺しかでてこない。

僕が食べたいと思っている柔らかい麺の、何倍も硬い麺がでてくることになる。

そこで、文句の1つも言いたいところだけれど、僕は言う勇気がないので、黙っている。

自分でできる細やかな工夫としたら、食べるのを待って麺が延びるのを待つというぐらいなのだけれど、待ってスープの温度が下がったら、元も子もない。

元来、スープが飲みたくてラーメンを食べるのだから。

なので、注文をするときは、出来るだけ柔らかくという事にしているのだ。

蕎麦屋などでは、台抜きというものがある。

てんぷらそばのそばを抜いたものや、鴨なんばのそばを抜いたもので、それを酒のアテとして食べると言うか吸うものである。

でも、それはそばの具を汁の味で楽しむもので、汁そのものを楽しむものではない。

凡はたまに汁を飲みたいけれど、麺を食べるには腹が張り過ぎているという場合、ラーメンやうどんの汁だけを注文したくなる時がある。

ラーメンの麺抜きだ。

多分、頼めばやってくれそうだけれど、僕にはまだ、それを言う勇気が無くて普通のラーメンを注文して、胃袋の度を超してしまうことがあるのであります。

店内は、20組ぐらいは入れるテーブル席があるが、食事をしているのは、カウンターの僕と、テーブル席の4人組だけだ。

といって、グループの会話をアテに飲むには席が離れている。

仕方がなく、カウンターの調味料を見たりしながら待っていた。

ややあって、運ばれてきたラーメンを食べる。

まずはスープを掬って1口飲む。

これは合格だ。

そして、またスープを飲む。

よし、なかなかいい。

そして、またスープを飲む。

僕は、スープが美味しい時は、最初にスープばかり飲むことが多い。

スープとは、色んな素材から作られる旨味の濃縮したものである。

だから、スープだけでも立派なおかずとなる。

本当に美味しいラーメンにはスープだけで麺はいらないと思う。

そんなことを思いながら、ようやく少し麺を掬って持ち上げた。

「しもた。」

しもたとは、シマッタという言葉の大阪弁である。

麺を持ちあげた時にすぐに解った。

カンスイが入っている。

カンスイとはラーメンの麺を作る時に入れるもので、麺にコシを出したり、プリッとしたチジレのある食感にしたりと、普通なら有難い効果のある原料だ。

でも、僕は柔らかい麺が好きなのだ。

だからの、出来る限り柔らかく湯がいてのお願いなのである。

実際には、普通より柔らかく湯がいてはくれているのは判るのだけれど、それでもカンスイの入っているプリプリ感があるのである。

僕が好きなのは、究極的には乾麺である。

あれは、コシはない。

だから、ラーメンでいうと広東麺なんかが好みだ。

大阪でいうと551の蓬莱の麺は、柔らかくて僕好みである。

とはいうものの、守口には551はない。

とはいうものの、お兄さんは僕の希望を100%叶えてくれた訳で、悪いのは僕の方なのだ。

とはいうものの、食べる気持ちになっていた汁も吸ったので帰ることにしよう。

と思って店を出た瞬間携帯の電話が鳴った。

白シャツ管長さんだ。


「あ、ドリーム君。今日は折角来てくれたのに、相手出来なくて悪かったね。」

ときた。

「いえ、そんなことはありません。楽しかったですよ。」

「そうか、それならいいけれど。早速やけど、ドリーム君は、僕の事をどう思う?頼りないと思うやろ。」

「いや、そんなことはないですよ。管長としても立派だし。それに良い家族の父親やし。」

一体どうしたというのだろうか。

「そやけど、人間として信用できんやろ。そう思てるやろ。魅力ないやろ。」

「一体、どうしたんですか。人間としても信用できるし、魅力もありますって。それより、何なんですか。」

「いや、そう思てくれるのはドリーム君ぐらいなんかな。今日信者さんが2人やめてな。きっと、僕のことが信用出来んようになったんやろな。」

「そうなんですか。やめましたか。」

「管長としても、人間としても、アカンやつやねん、僕っていう生き物は。」

「生き物はって、それは落ち込みすぎですよ。人には人の考えがありますからね。やめてもそれは自然な成り行きですよ。それにまた新しい信者さんを2人入れればいいだけのことじゃないですか。管長だったらできますよ。」

「そうかなあ。ドリーム君も実際は怜ちゃんのお色気作戦で来ただけやしなあ。」

「それでもいいじゃないですか。これからも怜ちゃんに頑張ってもらえば。」

「そうか、そうやな。ありがとう。また考えてみるわ。ありがとうな。ありがとうな。」

管長は、何度もありがとうを繰り返して電話を切った。

宗教団体のような、お寺のようなものを経営するのも大変なものなのだろうなと、それは僕も管長に同情せずにはいられなかった。

信者がいなくなるというのは、生活費がなくなるのも同じだものね。

奥さんや怜ちゃんを養っていかなきゃと思っている管長にしたら、ツライことなのだろう。

とはいうものの、弁当屋も順調だし、当面の生活費には最近になって困らない様になったこともあり、心配ではあるけれども、やや楽観視はできる状態であることが、僕にとっても救いだった。

それに、何よりも奥さんと怜ちゃんがついている。

とはいうものの、この僕に電話までするぐらいだから、よっぽど悩んでいるのだろう。

明日でも、覗いてみるか。


そう思って、次の日に道場へ仕事の帰りに寄ってみた。

「管長。調子はどうですか。」

「あ、ドリーム君か。昨日は心配させたな。」

ビックリするぐらいの明るさで、手をあげた。

「いや、昨日管長だいぶん落ち込んでたようなんで、寄ってみたんです。」

「そうか、ありがとうな。でもあれから色々考えたら、画期的な方法を思いついたんや。」

「画期的な方法ですか。」

「ああ、そうや。画期的やで。聞きたいやろ。」

「ええ、まあ気になりますけど。」

「僕はな、今までは人間やった。でも、これからは人間じゃなくなるんや。」

「人間やなくなるって、何になるんですか。」

「仏や。」

「仏ですか。」

「あ、まだ信用してないな。それはそうやな。こんなこと考え付くのは、僕ぐらいのもんやからな。」

「はあ。」

「今までは、僕は人間やった。そやから皆に尊敬されへんかったんや。でもこれからは仏やからな、無条件で僕のことを信じるで。そやから、もう会を辞める人なんていなくなるんや。そんでもって、入会者も、どーんと増えて道場も超満員や。会費もガッポガッポやで。ウヒヒヒヒ。」

「ウヒヒヒヒ。会費ガッポガッポ。」怜ちゃんが横から嬉しそうに、突っ込む。

「仏になるのはいいんですけれど、どうやって仏になるんですか。」

「そこや。うちにはスゴイお宝があるやろ。オケケ様や。あのオケケ様というのは、ブッダの下の毛そのものやって言ったことあるやろ。そこが他の所と違うところや。他のところはブッダ関係のもの持ってても、仏舎利ぐらいや。あれはこの前も言ったように、カルシュームやさかいな。それに比べてこっちはブッダそのものやからな。毛やけど、ブッダの身体そのものや。え、まだ解らんか。」

「はあ。そのブッダの下の毛が何かあるんですか。」

「ブッダの毛は何でできてると思う。」

「何でしょうか。たぶんタンパク質か何かですよね。」

「そうや。タンパク質や。そのタンパク質を食べたら、君どうなる。」

「どうなるって、そんなん。下の毛を食べるなんて嫌ですわ。」

「それは、ちょっと嫌かもしれへん。でもな、これも道場のためや。さあ、どうなる。」

「はあ。胃とか腸で、溶かされるんじゃないですか。」

「そうなるわな。そしたら、どうや。胃と腸で溶かされたら、どうや。吸収されるやろ。所謂、消化というやつや。そしたらどうや。吸収されたら、それは体の中を駆け巡るか何かするやろう。そして、最終的には僕の身体の一部になる訳や。つまりは、ブッダの下の毛が、消化吸収されて、僕の身体の1部になる。つまりは、ブッダと一体になってしまうという理屈や。どうや。」

意気揚々として僕に説明をしてくれる。

「はあ。」

「だから、もうオケケ様にシンクロするなんて、回りくどいことしなくていい訳や。この僕自身がブッダになるんやさかいな。みんな僕を拝むちゅうことになるんやな。」

「管長、それ本気で考えているんですか。」

「そうや。」

「でも、何か嫌ですね。人間が人間の1部を食べるやなんて。しかも下の毛。何か気持ち悪いです。」

「まあ、下の毛というのは、僕もちょっと勇気がいるけどな。これが女子高生の下の毛やったらなあ。ウヒヒヒヒ。」

「お父ちゃん、それはアカンわ。そこでウヒヒヒ言うたら、アカンで。まあ、気持ちは解るけどな。」怜ちゃんがビールを持って来てくれる。

「そうか、女子大生の下の毛は、アカンか。アカンねんなあ、なあドリーム君。」

「女子大生は、アカンですよ。それやったら変態ですわ。」

「そうか。でもブッダの下の毛やからな。言うたらおじいさんの下の毛やしなあ。ちょっと抵抗あるけどな。これも仕方がないことやしなあ。」

「管長。それよりも、人間の身体の1部を食べるやなんて、いいんですか。」

「いいんですかって、普通の人も同じようなことやってるで。」

「いや、僕はやってませんし。普通の人は何をやってるんですか。」

「例えば輸血はどうや。」

「はあ。」

「君は人間の血を飲みたいか。コップに生の血がなみなみと入ってるんや。ほんのり温かいやつや。」

「いえ、飲みたくはないです。気持ち悪いし。コップに口をつけるのも出来ないです。」

「そうか。じゃ、ストローで吸うのはどうや。何なら氷を入れて飲みやすくしてもいいで。」

「だから、それも気持ち悪いです。」

「そうか、それじゃ、そのストローの先に針をつけて、血管に差したらどうや。これが輸血というものや。君は病気で、そうしないと死んでしまうとしたら。輸血するか。」

「それは、すると思います。」

「でも、それは血を飲む行為とほとんど同じ行為だとは気が付いていないやろ。つまりは、輸血とは血を飲む行為に、ニアリーイコールということや。それを僕らはごく普通に病院でやってる訳や。臓器の移植も同じや。」

「そういえば、そうですけど。」

「つまりはな。ブッダの下の毛を食べるという行為も、輸血も、他人の肉体の1部を自分の身体に取り入れるという点では、同じということや。そやから、別に人間の毛を食べるということに、そんな批判的になる必要はないんだよ。」

「はあ、まあそれは解ったとして、それでブッダになれるんでしょうか。」

「なれるさ。まあブッダそのものという訳にはいかへんやろう。毛1本やしな。でも確実に、その毛は吸収されて僕の身体の1部になる。これは間違いがない。だから、この現代にブッダが蘇るという事になる訳やな。そしたら、どうなる。現代のブッダを求めて全国から弟子入りしにやってくるのは納得できるやろ。そやから、会費ガッポガッポという算段も出来る訳なんや。」

「あ、おとうちゃん。それやったら会費値上げしたらええんちゃう。」

「そうやな。それはええな。そしたら会費さらにガッポやな。」

「それやったら、うち旅行とかいきたいな。」

「わたしハワイ行きたい。」奥さんが枝豆を持って来てくれた。

「奥さんまで、その気なんですか。」

「冗談よ。でも、そんなことして信者さん、びっくりして辞めへんかしら。」

奥さんだけは、冷静ではある。


それにしても、面白いことを考えたものでありまして、管長は得意げに話してはいるのだけれど、そんな上手いこといくとは素直には想像できない。

まあ、今いる信者さんは、奥さんや怜ちゃんのことも、管長のことも知っているからね、そんな無碍なことはしないとは思うけれど、これで会費ガッポはどうなることやら。

それで、管長がブッダになるということは、本尊がオケケ様で無くなる訳で、信者さんも戸惑うだろうね。

それに、もともと教義が無い訳だからさ。

教義が無くてもオケケ様を拝むというのは、みんなも信じてるかどうかは知らないけれど、やりやすいだろう。

でも、いくらブッダになったからって、今まで知っている管長を拝むって言うのは、どうもやり難いんじゃないだろうか。

「ナームー、カンチョウー、ブーツ。」なんてね。

管長が、道場の前にちょこんと座って、それをみんなが拝んでいるところを想像したら可笑しくてたまらない。

「今、何か変なことを想像してたでしょ。思いだし笑いするなんて、ドリームさん、やっぱりエッチ。」と怜ちゃんがすかさず僕に突っ込んだ。

「いや、思いだし笑いじゃないよ。それにエッチでもないし。管長が拝まれているところを想像したら、笑えただけやん。」

そういうと、怜ちゃんも管長が拝まれているところを想像したのか、お腹を抱えて大笑いをした。

「笑えるよね。」

「うん、笑えるー。」

とはいうものの、それが現実になろうとしている。

もし管長を拝まないとしたら、教義とかをみんなの前で説教しなきゃいけないし。

そんな理論を聞いたことが無い。

それに、管長も教義はないと自分で言っているんだものね。

じゃ、みんな道場で何をやるのだろう。

困っちゃうよね。

「それで、管長。まえに教義はないっていってましたよね。そしたら会員になった人は、何をするんですか。まさか毎月道場に集まって、管長を拝むとか。」

「そうや、それを考えてたんやけどな。僕がブッダになるということは、これは素晴らしいことやろ。」

「そうなんですかね。」

「えっ、素晴らしいことちゃうんか。」

「いや、素晴らしいって、ブッダになって何かええことあるんですか。」

「ええことって、、、ドリーム君。そんな、、、やっぱり、ええことなかったらアカンか。」

「そらそうやと思いますよ。会員に入って何もないって、そんなん入る理由がないですやん。いくら管長がブッダやっていうても、病気治せるとか、悩みなくなるとか、、、何かないと、会費なんか払いませんよ。」

「それはアカンわ。会費払えへんかったら、アカンなあお父ちゃん。」

怜ちゃんは、現実的でいいね。

「会費は欲しわな。せっかくブッダになるんやから。」

「それに教義みたいなもんもいるんちゃいますか。」

「教義なあ。今から付け焼刃で作ってもなあ。僕を拝むと来世で金持ちウハウハというのはどうや。」

「それやったら、オケケ様でいいですやん。」

「合コンとか、弁当割引も、インパクト弱いしなあ。」

「でも、みんな何かにすがりたいって思ってるから、うちみたいな道場みたいな、お寺みたいなとこに来るんやろ。」怜ちゃんが「みたいな」を強調するところが可愛い。

「そしたら、ご利益は、来世で、、、来世で、、、何かないか、来世で。」

「来世が好きですな。」

「現世じゃ、ちょっとキツイやろ。僕には無理や。」

「でも、ブッダになるんでしょ。」

「でも、親鸞さんも死んでから成仏できるっていうやん。こんな僕やから来世でもええんちゃうかな。」

「それはまあ、そうですね。」

「だから、来世で信者もブッダになるというのはどうや。」

「来世ねえ。そしたら、管長はブッダになると、そんでもって、そのご利益はというと信者さんが来世でブッダになれるということですか、まとめたら。来世でブッダやったら、ほとど親鸞さんと同じような気もするなあ。何か現世でええことありませんか。」

「そやから、現世は厳しいって。そんなん現代人はドリーム君が思ってる以上にせっかちやで。すぐに効果がなかったら、また信者さんやめてしまうやろ。それは厳しいわ。」

「それやったら、管長がブッダになる値打ちがありませんやん。オケケ様でいいわけやし。」

「そやけど、本物のブッダが目の前にいてるちゅうインパクトがあるんやで。」

「何も出来ない本物のブッダですよ。」

「そやけど、本物のブッダやねんけどなあ。それじゃ弱いか。」

「ちょっと弱いような気もしますよ。」

「うん、そうやな。」

「そんな急がんでも、またご利益考えたらいいやん。」怜ちゃんが管長の落ち込みを見かねて言った。

僕が道場に来たときの意気揚々とした管長が少しく消沈している。

「僕も何かいいご利益を考えますから、元気を出してください。」

「そうか、ドリーム君も考えてくれるか、そうか。」

「ドリームさんも、良かったら晩御飯食べて行ってください。」

奥さんが夕食の用意が出来たと告げに来た。

「いや、そんなことして頂いたら申し訳ないですから、帰ります。」

「いいじゃないですか、もう用意もでききてますから。」

「そうや、食べて行ったらいいやん。」

「ドリーム君も食べましょう。」

管長も怜ちゃんも誘ってくれるので、ご相伴にあずかることにした。

キッチンのテーブルの上には、すき焼きの用意がしてあった。

「ドリーム君、君の家ではすき焼きはどうやって作るんや。」

「どうやって作るって言われても、普通ですよ。」

「まず、すき焼きの鍋に何を乗せる。」

「はあ、それはまず肉でしょう。その前にヘッドで油を鍋に引きますけど。」

「うん、そうやな、やっぱり肉やな。そしたら、肉を乗せたらどうする。」

「いや、砂糖を振りかけますよ。肉に。そんでもって、醤油をその上に回しかけるんです。普通はそうじゃないんですか。」

「普通はそうや。普通はそうなんやけど、関東では始めから味を調整した液体を掛けるらしいで。割下っていうんやけどな。あれはどう思う。」

「どう思うって、それはそれでいいんじゃないですか。関東の人はそれで美味しいって食べてるんですから。」

「君は寛大なやあ。あれは肉を液体で煮るんやで。焼いてるんとちゃう。そやから厳密に言うなら、すき煮や。あれをすき焼きっていうたらアカンのとちゃうか。」

「アカンのとちゃうかって、そこまでこだわらんでもいいような気もしますけど。」

「そうか、やっぱりドリーム君は寛大なこころの持ち主や。僕なんか、すき煮か、すき焼かず、とでも呼び名を変えて欲しいぐらいや。やっぱり正確に表現することは大事やで。」

「あーっ。お父ちゃん砂糖乗せすぎやわ。肉に砂糖がテンコ盛りになってるで。それは甘すぎるやろ。あかーん。」怜ちゃんが叫んだ。

「でも、甘い方が美味しいやろ。」

「甘いにも限度があるわ。そんなん食べたら糖尿なるわ。」

「なりません。」

「なります。」

「絶対に、なりません。」

「絶対に、なります。」

「あーっ。お母ちゃん、醤油かけ過ぎやわ。そんな醤油かけたら塩分とりすぎになるよ。高血圧なるで。」

「でも、お父さん濃い味が好きやから。」

「もう、お父ちゃん、濃い味食べてたら高血圧なるで。」

「なりません。」

「なります。」

「絶対に、なりません。」

「絶対に、なります。」

どうも楽しいすき焼きであります。

鍋の横を見ると、麩がボールに山のように盛られている。

こんな大量の麩をどうするのだろう。

「それにしても、麩の量が半端じゃないですね。」お母さんに聞いた。

「そうでしょ。これもお父さんが好きなのよ。」半分笑いながら答えてくれる。

「ドリーム君、麩は美味いよね。すき焼きは肉もいいけど、麩が1番美味い。」

「まあ、麩は美味いという事は賛成しますけど、それにしても多いですね。」

「麩は、それ自体は味がないのに、周りの料理の味を吸って、その料理の旨味そのものになるんや。エライと思えへんか。僕は麩になりたいな。いや、麩になったら麩食べられへんからアカンか。それにな今の麩も美味しいけど、次の日の麩もまた美味いんや。ご飯の上に乗せたら最高やで。そやから大量に必要なんや。」

「それやったら、お父ちゃんは麩担当な。あたしは肉担当になるわ。」

「あ、そんなんズッコイわ。お父ちゃんも肉食べたいし。」

「それにしても、料理というのは、突き詰めたら調味料の味ということやな。すき焼きもそうや。素材の肉も、そのまま食べたら、生臭くてネトネトしてて不味いやろ。このネギもそうや、生のままやったら辛すぎる。糸コンも菊菜も白菜も、生で食べたら不味いんやけど、砂糖と醤油で味を付けたら美味しいんや。すき焼き以外でもそうやで。天丼もそうや。ご飯の上にてんぷらが乗っかってるだけやったら、美味しないやろ。やっぱり天ぷらのツユが掛かってなかったら脂っこい魚の味しかせえへんのとちゃうかな。いっそのこと天丼も、上の具はなくして、白ご飯を丼に乗せるやろ、その上からちょっと油を3滴ぐらい落としてから、天丼のツユを掛けるだけでも美味しいかもしれへんな。うん、それでええわ。油3滴が寂しかったら天かすだけで豪華になるで。」

「それは言えてますね。調味料が無かったら料理は成り立たないですよね。いくら素材の味が大切だっていっても結局は、調味料の味の方が大切ですよね。」

「うちもそう思うわ。素材の味なんて分らへんし。そやけどお父ちゃん、それやったらすき焼きも肉とか具を入れずに、麩だけいれて砂糖と醤油で味付けしたらええんちゃうん。それやったら安くつくし、もっと麩食べれるで。」

怜ちゃんの素直な疑問。

「そうやけど、、、やっぱり麩だけやったら寂しいやろ。いや、それでもええんかな。

いや、それやったらすき焼きとは言われへんな。始めに麩を鍋に乗せる訳にはいかへんし。

そんなことしたら引っ付いてしまうしな。そしたら、麩を鍋に入れてから関東風に割下を注ぐか。いや、それやったら麩焼きって言われへんから麩煮か。でも、それやったら何か薄味な感じやな。この味を表現するには、麩の濃い味煮とすべきやな。どう思うドリーム君。」

「いや、それはそんな料理を作った時に考えたらいいんじゃないですか。」

「うん、それもそうやな。そしたら、ビールの次はワインやな。赤ワイン飲むか。」

「赤ワインですか。それはいいですね。御馳走な雰囲気ですね。」

「そうやろ。すき焼きにはワインが合うんや。今日のはチリのモンテスの赤ワインやで。これは値段もそこそこやし、美味いんや。」

「ホントですね。適度な渋みがいいですね。」

「そうや、赤ワインか。うんそうや。ええこと思いついたわ。」

「どうしたんですか、管長。」

「いや、それはまだや。明日までに考えるし、明日またドリーム君うちに寄ってくれるか。僕の今思いついた考えを聞いて欲しいんや。」

「それはいいですけど。何を思いついたんですか。」

「そやから、それは明日や。これから頭の中整理するさかいにな。」

「お父ちゃん、頑張ってや。」

「そうやで、会費ガッポガッポやで。」

お母さんまで、会費ガッポは、何かうれしくなった。

「さあ。今日は痛飲するで。」

急に元気になった管長は、何を思いついたのだろうか。

美味しいすき焼きを御馳走になって、赤ワインも開けて、千鳥足で帰ったのでありました。

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