第6話
焼肉のお祝いから数日経っただろうか。
僕が道場を訪ねると白シャツ管長が、オケケ様の前で一所懸命に拝んでいる。
「ナムー、オーケーケー、ブーツ。」
何度も、何度も、繰り返し、繰り返し。
それを、シマウマ柄さんが見つめている。
「ナムー、オーケーケー、ブーツ。」
信者を集めた集会でも、オケケ様の名前を唱えるのは、ほんの数回だ。
それでご利益があるという。
そんな理屈を言っている白シャツ管長が、何度も、何度もオケケ様を唱えているなんて珍しい。
あまりに熱心に唱えているので、白シャツ管長には声を掛けづらい。
シマウマ柄さんに、小さな声で聞いた。
「今日は、どうしたんですか。」
「あ、ドリームさん。うちもな管長さんに付き合わされてるねん。もう30分ぐらい続いてるねんで。かなんで。」
「何かあったんですか。」
「反乱や、反乱。怜ちゃんの反乱があったんや。怜ちゃんが、管長さんをおいて家を出て行ったらしいで。もう管長さん半泣きやで。こういうの反抗期ちゅうのかな。いや、反抗期はもっと若い時にあるんかいな。いや、でも怜ちゃんはずっと優しかったからな、今になって反抗期が来たんかな。あんた、どう思う。」
「いや、どう思うっていわれても。」
「年とってからの反抗期は、キツイで。いや、怜ちゃんの年で年とったちゅうのも変やな。ちょっとだけ年とってからの反抗期ちゅうべきかな。あんた、どう思う。」
「そやから、どう思うって言われても。」
「あんた、何にも解らへんねんなあ。」
「はあ。」
そんなことを言っていると、奥のドアから奥さんが入ってきた。
「お父さん、まだ拝んでるんですか。そんな心配しなくても大丈夫よ。怜ちゃんはうちらの子やで。優しい子やから、お父さんが心配するようなことないし。すぐに帰ってくるわよ。」
そう奥さんが言うと、白シャツ管長は拝むのを止めた。
「やっと、止めたで。」シマウマ柄さんが僕に言った。
「怜ちゃん、今頃どこにいるのかなあ。」
白シャツ管長は、腑抜けのようになった感丸出しで、奥さんに聞いた。
「それは知らないけど。日本のどこかにいるわよ。」
「どこやろ。」
「さあ、本人もどこに行ったらいいか分らへんのとちゃうかな。どこかに向かって電車か何かに乗ってるわよ。東京ちゃうかな。私やったら東京に行きたいわ。」
「お母さん、何呑気なこと言ってるんや。こうやってる間にも怜ちゃんが悪い男に騙されてるかもしれへんねんで。」
「怜ちゃんは、そんなアホちゃいます。」
「賢くてもな、悪い奴は、こうなんちゅうか、ウマイこと言うて悪いことするんや。お母さんは知らんだけなんや。そやけど、怜ちゃん、どこに行ったんやろ。やっぱり東京か。あかん、東京には悪い男がようさんおりそうや。あ、ちょっと調べてくるわ。」
そう言って、ドアの向こうに消えて行った。
「ごめんね、ドリームさん。せっかく来てくれたのに。」
奥さんが、困ったように僕に言った。
「それにしても、どうしたんですか。怜ちゃんは。」
「それがね。一昨日のことなんやけど、急に一人旅したいって言い出して。昨日からどこかへ行ってるんよ。」
「一人旅って。何でなんですか。」
「それが、よくは解らへんねんけど。多分、この前、高校の同窓会に行ったことが原因みたいなんです。同窓会に行ったら、みんな大学生になって楽しそうにしてたり、もう結婚してる人もいたみたいなんよね。そしたら、みんながすごく羨ましかったらしいわ。その時に思ったんやね、うちには何も無いって。そやから、1人で旅に出てみたくなったんとちゃうかな。自分も何か1人で出来ることがあるってこと感じたかったんやと思う。」
「そうなんや。でもそう感じたのは解る気がする。僕もそうなんですよ。同窓会っていうのは、楽しいけれど、どこか1人ぼっちな、みんなに取り残されたような、置いてけぼりな感じ。怜ちゃんの気持ち解る気がする。僕らの同窓会も、ざっくばらんな感じなんですよ。だからみんなで年収の話をしたりするじゃないですか。そしたら、学生時代に親しかった友人が、僕の何倍もの年収だったりするんですね。学生時代は、同じステージに立ってたのに、今じゃトップスターと切符切りみたいに離れちゃっている。すごく可愛い子と結婚している人もいるしね。僕だけ、1番ベベタをフラフラ歩いているようで。帰り道で泣いたこともあるんですよ。」
「怜ちゃんは、高校でてから、ずっと家の手伝いばっかりしてたから、やっぱりそう思ったんかな。でも、私は怜ちゃんが、そんなことを言い出したこと、ちょっと嬉しいと思ってるんです。うちも今まで何も出来なかったから、怜ちゃんが、そう感じたんなら、そうしてもいいなって。だから、お父さんは反対してたけど、私が説得したのよ。」
「僕も、そう思います。ずっと怜ちゃんを見てて、すごく優しい親思いの子やなと思って。今どきこんな女の子いないですよ。でも、怜ちゃんもそんなことを感じてるんだと思ったら、ちょっと安心しました。」
「そうですよね。ドリームさんが、そう言ってくれたら、私も安心しました。」
そんなことを、奥さんと話していると、白シャツ管長が戻ってきて言った。
「あかん。解らない。東京に何人ぐらいの悪い奴がいるのかネットで調べたけど、出てけえへん。」
「そらそうでしょ。そんなの解る訳ないですよ。」
「ドリーム君、君も呑気だな。東京だよ。東京には悪い奴がぎょうさんいてるんや。危険じゃないか。親として心配だろう。」
「管長、親と言うより、恋人のようですよ、見てて。それに怜ちゃんだったら大丈夫ですよ。しっかりしてるし。」
「しっかりしてるちゅうてもな、、、。」
「それは、さっき奥さんと話してるの聞きました。」と僕は管長の言葉を遮った。
「怜ちゃん、今度帰って来るとき、悪い男の人連れて帰ったらどうします。」
シマウマ柄さんが、いたずらな目で白シャツ管長に言った。
「もう、止めてくださいよ。本当にまた心配が増えたじゃないですか。もう困ってるんですから。」奥さんもこれ以上、管長のむやみな心配が増大しないことだけを願っているようだ。
「眉毛剃った、金髪の男の子連れて帰ったりして。」と僕もシマウマ柄さんに乗っかる。
「そうそう、ウィーッスとか何とか言って挨拶するよ、きっと。ズボンに手突っ込んだまま。」シマウマ柄さんも楽しそうにまた乗っかる。
「いや、本当に悪い奴は、みなりはしっかりしてるかもね。背広をぴちっと着こなして。でも、すごい悪いことを仕事でやってる訳。お年寄りだましたりして。」僕も乗って来た。
「きゃー。それはドラマみたいやん。」
「ひょっとしたら、人も殺してるかもしれへん。何十人も。でも怜ちゃんにだけは優しいねん。愛やね。さあ、どうする。」
「うちは、愛を取るわ。人を殺すのも、うちの為にしてくれてるねん。うちに贅沢させるために。今月は5人殺したから、これ今月の給料100万円ね。って渡してくれるの。やっぱり人殺しは月給高いやんね。」
「愛か。やっぱり愛やね。最後は。」
「そう、愛。」
僕とシマウマ柄さんが楽しそうに話を膨らませていると、奥さんが厳しい目で僕たちを睨んだ。
それを白シャツ管長は、オドオドとした表情で聞いている。
「東京か。東京に何がある。」
「管長、まだ東京って確定した訳じゃないし。もっと、大阪より田舎の方にいったのかもしれないですよ。」
「そうか、東京ちゃうんかな。そやけど、東京の気がするなあ。お母さんも言ってたけど、僕も行くんやったら東京がええわ。」
「まあ、皆が東京っていうんやったら、それで僕はいいですけどね。」
「もう、東京っていう事で、手を打ちましょ。」シマウマ柄さんが言った。
「手を打ちましょって、、、。若い子の家出っていったら、むかしは修学旅行と同じところへ行ったりするのが定番だってことを、高校の先生に聞いたことがありますよ。」
「そうか、修学旅行か。そうだ、お母さん、怜ちゃんの修学旅行は、どこやった。」
「修学旅行は、九州でしたよ。長崎とか、回ったんじゃなかったかな。」
「そうか、長崎か。長崎には悪い男は、いるんやろか。どう思う、ドリーム君。」
「それは、いることはいるでしょう。」
「やっぱり、いるか。悪い男が長崎にも。」
「はあ。いると思います。でも、ネットでも長崎に悪い人が何人いるかなんて、調べても解らないですよ。」
「そうか、ネットでも解らへんか。」
白シャツ管長は、腕を組んで黙り込んだ。
「でも、やっぱり東京やな。お母さん、今度東京にでも行ってみるか。」
「行ってみるかって、止めてくださいよ。まさか怜ちゃんを探しにいこうと思ってる訳じゃないですよね。」
「いや、そうやないがな。お母さんも東京行きたいって言ってたし。ほら、観光やがな。スカイツリーとか見に行ったらどうかなって思ったんや。」
「本当に、観光かしら。」
「勿論や。ただ、観光してて、偶然に怜ちゃんに会うちゅうこともあるわな。」
「ほら、やっぱり。」
どうにも困ったという奥さんの表情が、僕に助けを求めているようだ。
「管長、東京は広いですからね。偶然に怜ちゃんに会うって言う確率は、限りなくゼロに等しいですよ。それに、東京である理由もないしね。」
「じゃ、どうすればいいというんだ。ドリーム君。」
「怜ちゃんを信じて、ここは待ちましょう。」
「そうか。それしかないのかなあ。」
そういったまま、また黙り込んだ。
「そしらた、うちはこれで帰りますよ。そろそろ子離れをしやなアカンよ。」
シマウマ柄さんは、やっと帰れると言って、道場を出て行った。
それにしても、怜ちゃんはどこへいったのだろう。
怜ちゃんの気持ちは痛いほど僕には解った。
何も出来ない自分に、どうにか変化をつけたくて、でもその方法が解らない。
とはいうもの、今までのままでは、ずっと何も変化がないまま生きて行くことになる。
でも何をしたらいいか。
その方法を考える時間が欲しかったんだろう。
それで答えが出るとは思わない。
思わないけれど、何かをしなきゃという、焦り。
誰にもぶつけることのできないネットリとした気持ちの足かせ。
そんな気持ちがこころに満ちてこぼれそうになった時に、今いる世界から逃避したくなる。
逃避しなきゃいけなくなるのだ。
「それで、怜ちゃんからは、連絡があるんですか。」
お母さんに聞いた。
「それが、まったく。電話も掛かってこないんです。でも、それでいいんです。万一の時は、携帯もあるんだしね。」
「そうですよ。そっとしておいてあげましょう。」
きっと、電話をしたら帰りたくなると自分でも分っているんだろう。
帰りたくなるというよりも、両親の為に帰ってあげなければと考えるだろう。
怜ちゃんは優しいからね。
それでは、せっかくの一人旅が台無しだもの。
シマウマ柄さんの言った、子離れということも、今日の白シャツ管長を見ていると、そうだとは思う。
思うけれども、ただ自分の子供に執着しているだけでもない気もするのである。
勿論、白シャツ管長は、怜ちゃんに依存しているところはある。
でも、怜ちゃんには、何となく、いつもそばにいて欲しいと人に感じさせる雰囲気があるのである。
子供でもない、妹でもない、母親でもない、そして恋人でもない何か。
強いて言うなら自分の分身。
頭の中で、自分の分身を、自分の理想の女の子に作り上げた偶像。
自分の分身だから、1日24時間ずっと自分のそばにいても苦にならない。
自分の理想の女の子だから、いい面しか見えない。
怜ちゃんと言うのは、そんな自分の分身のような存在なのかもしれない。
ただ、それも少し的外れな部分があるような気がするのは、怜ちゃんも1人の女の子であって、彼女なりの存在感を示しながら実在をしているのである。
けっして、偶像ではない。
それにしても、怜ちゃんは今頃どこにいて、何をしているのだろう。
白シャツ管長まではいかないが、気にはなるのである。
しばらく道場に居て、帰ろうとしたときに、奥の部屋から白シャツ管長のオケケ様を唱える声が聞えたような気がした。
淀屋橋まで出て、普通は京阪電車に乗り換えるのだけれど、何となく梅田に出てみようと思った。
少しばかりブラブラとした後に、本屋へ入った。
最近は近所の街の本屋が少なくなってきて、どうしても大型店に入るために梅田や難波に出ることが多い。
ぶらぶらと当てもなく時間を費やすのには格好の場所だ。
こんな時に、足が向く書棚がある。
成功本とでもいうのだろうか、潜在意識を利用して成功するだとか、幸せを引き寄せるだとか、成功するためのハウツーものの本のコーナーである。
この成功とはどういうことかということがあるけれど、僕にとっては、兎に角お金である。
成功とは、苦労もなくお金が手に入るということに尽きるのだ。
他の成功については、それが叶った後でいい。
僕も、そういう本を読んでは、どうにかならないものだろうかとため息をつく。
今の状況を変えたいと思うのは、怜ちゃんだけじゃない。
僕もそうだし、誰でもがそう思っている。
それは、そんな成功本のコーナーに行けば、すぐに実感できる。
必ず、誰かがそんなコーナーで立ち読みをしているのである。
本の内容に没頭するように読みふける人。
40才ぐらいから60歳ぐらいまでの人が多いだろうか。
沼に足をとられたように動かない。
残された時間に、どうにか変化をつけたいと願う悲鳴が聞こえてくる。
そうしている間にも、ずぶずぶと沼にはまりこんでいく。
自分の為かもしれないし、家族の為かもしれない。
諦めるには諦めきれない。
とはいうものの、今の仕事で成功をするということは、考えられない。
中小企業のサラリーマンなら、今の状況からどう考えたって出世するなんてことは、よっぽどの楽天家でなきゃ考えられないのが普通だ。
だからこその一発逆転である。
そして、その為の成功本なのである。
それには、努力してコツコツなんてことでは埒があかない。
そこで潜在意識などと言う不思議な現象へと興味が引かれるのである。
そんな書棚に来てしまう僕も、或いは膝上ぐらいまで沼にはまっているのかもしれない。
ただ、最近はそんな本を買って帰ることも少なくなってきた。
何故なら、ここに置かれている成功本では成功できないと思うようになってきたからだ。
どう見たって、ここに立っている人が、今現在に成功してるとは見えない。
それに、今まで僕は、成功本を読んで成功しましたって言う人に出会ったことがない。
1人もいないのです。
つまりは、成功しないという事なのかもしれないと思うのは自然だ。
なのだけれど、こうやって書棚にやってきてしまった。
もがいているんだな。
書棚に並んでいる背表紙をさらっと見て、コーナーを離れた。
並んでいる本は、ほとんど内容を知っていたからだ。
あちらへ行き、こちらを冷かしたりしていると2時間経っていた。
そろそろ帰ろうか。
梅田は最近になって大きな商業施設がいくつもできて、地下を歩いていると迷子になりそうである。
カウンターのあるビアレストランに入った。
ドイツ風の黒いチョッキを着たショートカットのお姉さんが、足つきのグラスにビールを注いでくれる。
暖色系の照明に、隣の人の注文したタンシチュウの表面の細かな脂がうまそうに見える。
ただ、僕はピザにする。
アンチョビを追加で乗せることが出来ると知ってからは、ここでは決まってピザを頼む。
ゆっくりとビールを注いだかと思うと、注いだ泡が消えるまで待って、その上にきめの細かい泡を注ぎ足す。
僕は思うのである。
このビールの泡は要るのか。
そもそもビールは泡の出る液体だ。
グラスやジョッキに注ぐと、泡が出る。
それでいいじゃないか。
それなのに、最近の洒落たお店では、わざわざビールを注いだときにでる泡があるにも拘らず、更に上に泡を乗せようとする。
ケッタイである。
泡を必要だとする人たちは、この細かい泡を絶賛する。
細かければ細かいほど上等なビールだと言う。
泡なんてものは、あれは、美味いのですか。
ビールの泡なんて、ビールの醍醐味である炭酸を含んだ液体が喉を通過するときの爽快感がないじゃないか。
あれは喉では飲めない。
また、ビールは蓋の役割をしているなんて人もいるけれど、あまり泡が分厚いと、ジョッキやグラスを傾けてもビールの液体が唇まで到達しない。
到達しないから、もっと傾けると、鼻の下ぎりぎりまで泡が押し寄せて、どうにも泡が憎たらしく思えてくる。
僕が飲みたいのは液体なのに、何なんだこの泡はとね。
ビールに蓋はいらない。
すぐに飲み干せばいいんだから。
それが、ビールなんだから。
運ばれたグラスの泡をふっと吹き飛ばして注がれた液体を飲み干したかったが、泡を憎みながら喉に流し込む
今頃、怜ちゃんは何処にいるのだろうか。
同窓会にいた誰よりも怜ちゃんには魅力があると思うんだけどなあ。
同じ年代の女の子を見ても、こんな素直な子はいない。
それを本人は気が付いていない。
でも、怜ちゃんの、そう思う気持ちの動きはすごく解る。
あの同窓会というのは、やっかいなものである。
勿論、久しぶりに懐かしいクラスメイトに会うのは楽しいものだ。
昔話を持ち出して大笑いしたり、今の近況を伝えあったりと。
でも、この近況と言うのが少しばかり複雑な思いを、気持ちの底に湧き起こらせる。
卒業してからの時間が長くなればなるほど、人生の明暗というと大げさになるけれど、活きいきとしている人と、沈んでいる人の差が開いてくるのである。
その複雑な思いが沸き起こるのが解散した後だ。
帰り道に、僕は今どんなところにいるのだろうと思うのだ。
クラスメイトという物凄く狭い世界なのに、比べる必要のない友人なのに、今僕は、どの位置にいるのだろうかと考えてしまう。
活きいきとやっているのか、沈んでいるのか、或いはその中間なのか。
どう考えてみたって活きいきとはしていないだろう。
まあ、中間より少し下ぐらいなものだろうか。
人の顔を見ると、どうにも僕よりは良い生活をしているように感じる。
そんな時は、帰り道に鼻歌でも歌って帰ることにしている。
「もしもし、カメよ、カメさんよー。」ってね。
いくら焦っても仕方がない。
今の僕は、とりあえずは生きているんだから、そして僕なんだから、このまま僕で生きて行くしかないものね。
ただ、僕だって成功することを願っている。
僕にとって成功とはお金だ。
とはいうものの、今のサラリーマンを続けている。
上司の理不尽なパワハラを受け続けながら。
動くことができずにいる僕を、いつも自分で攻め続ける。
でも、動かない。
こういう人間が普通の人というのだろうか。
僕が、白シャツ管長に惹かれるのも、白シャツ管長の人柄が好きになったこともあるし、怜ちゃんと言うアイドルもいるし、何より僕のこれからの人生を変えられるヒントと言ったら大袈裟になるけれど、何か考え方を変えられるかもしれないという気持ちがあるからかもしれない。
それに、居心地がいいというのが、1番の理由だろう。
同窓会と言うと、僕の結婚をしている友人の話だけれど、彼は同窓会が終わると泣くのだそうだ。
同窓会と言うのは、気の置けないやつも多いので、年収の話になったりする。
これが東京などの洒落た地域なら、そんな質問なんかするのはダメだろう。
でも、大阪では、そんな質問も気にしないでやる。
そして、これに答えるのも普通だ。
そうすると、どうなるか。
学生時代は、皆同じなんだね。
同じ立ち位置だ。
でも、卒業して時間が経てばたつほど差が開いてくる。
収入の差だ。
俺、このぐらい貰ってるでとか、俺は会社経営してるから、このぐらいやとかの話をするわけだ。
その年収が、クラスの中でも下の方らしいんだね、僕の友人は。
年収が少ないのは、これは仕方がない。
自分にそれだけの力がないからと諦められる。
でも、友人が泣くのは家に帰ってからだという。
楽しい同窓会が終わって家に帰る。
そうすると、奥さんが夜も遅いので寝ているそうだ。
そして、その寝顔を見ると自分自身が情けなくなってくるというのです。
無防備に寝ている自分の奥さんの顔を見て、「ごめん」というのだそうです。
こんな情けない自分についてきてくれる。
そこには感謝もあるけれど、それよりも自責の念のほうが大きいのだそうだ。
もし自分と結婚しなければ、もっと生活も楽だったろうし、楽しい生活が出来たんじゃないかって考えると、ごめんという言葉しか出てこないらしい。
こんな情けない自分を信じていてくれる。
そう思うと、友人は吉田拓郎さんの「流星」という歌の1フレーズが繰り返しこころの中で鳴るのだそうだ。
「君の欲しいものは何ですか~。」というフレーズだ。
そして、奥さんの寝顔に言うそうだ。
「君の欲しかったものはなんですか。今は、幸せなのですか。」と。
流星の歌詞の「君」とは、自分の子供の事だという解釈もあるのだけれど、自分の奥さんの事ではないだろう。
奥さんのことではないけれど、何故か友人は自分の奥さんに当てはめてしまうそうだ。
その話を聞いて友人のこころの優しさを感じた。
僕も結婚したら、奥さんの寝顔を見て、そんなことを感じるようになるのだろうか。
怜ちゃんも、置いてけぼりを食ったような気持ちになったんなら、それも普通の事だろうと思う。
1人旅も、いいじゃないかと思ってはいるけれど、どうにも気が付けば怜ちゃんの事を考えてしまう。
これは恋なのだろうか。
年齢が違うから、始めから妹のような感覚でいたけれど、どうも妹よりも気になる存在である。
だったら、付き合えばいいのか。
いっそ、デートにでも誘うかなどと考えてしまうけれど、怜ちゃんにはその気持ちはないだろう。
あくまでも、道場に来ている白シャツ管長のお弟子なのか友人なのかの存在であって、怜ちゃんにとっても、お兄さんとかおじさんという感覚だと思う。
そう思うから、それ以上には怜ちゃんに想いを、自然に抱かないようにしてきたのかもしれない。
こんな時に、自然に気持ちを表せる人がうらやましい。
まあ、それは僕には無理だなあ。
怜ちゃんが1人旅をしたと聞いてから、3日ぐらい経ったときだろうか、僕は道場を訪ねてみた。
祭壇の前に腕を組む白シャツ管長がいた。
「管長、少しは元気がでましたか。」
そう尋ねると、白シャツ管長は後ろを振り返る。
腕組みをして座っていた祭壇には携帯が置かれていた。
白シャツ管長は、どうやらその携帯をずっと見つめていたようである。
「あ、ドリーム君。君はどう思う。怜ちゃんに電話した方がいいと思うか。」
そういうことだったのか。
白シャツ管長は、怜ちゃんからの電話を待っていたのだ。
「はあ。しない方がいいんじゃないですか。せっかくの1人旅なんだから。」
「しかしなあ。寂しがってるんじゃないか、怜ちゃんは。電話してあげた方がいいんとちゃうか。」
「はあ。ほっといてあげたほうがいいと思いますよ。」
「そうかなあ。」
白シャツ管長は、腕を組んだまま携帯を覗き込んで首を捻った。
「何かあったら、電話が掛かってきますよ。電話がないということは、大丈夫ってことですよ。」
白シャツ管長は、また黙り込んだ。
「いらっしゃい。ちょうど良かったわ。主人がもう恋人がいなくなったような寂しがり方で困ってたのよ。ドリームさんが来てくれて気晴らしになって良かった。」
「寂しがってるのは見たら解りますわ。でも、今からこれじゃ、怜ちゃんが結婚するゆうたら大変なことになりますね。」
「そうなのよ。今から思いやられるでしょ。」
そう言った表情が呆れたようでもあり、疲れたようでもあった。
「それで、奥さん弁当屋の方は、どうなんですか。」
「それが、お蔭様で順調なのよ。お弁当で利益は少ないけど、安定して売り上げが入って来るでしょ。もう精神的にすごく楽になって。お寺の信者さんの会費もあるけど、でも不安でしょ。前からの信者さんは付き合いで続けてくださるけど、新しい会員さんは入ってもすぐやめたりするから。毎月心配やったんよ。」
「それは、良かった。やっぱりお金かなあ。」
「そう、お金やわ。」
「これもオケケ様のお導きなんちゃいますか。」
「何アホなこと言うてるのよ。」
「あれ、奥さんはオケケ様を信じてないんですか。」
少しからかってみた。
「信じてるわよ。でもオケケ様は来世で願い事を叶えてくれる神様やからね。ん、神様じゃなくて、仏様か。兎に角、現世ではお願いを叶えてくれないのよ。」と笑った。
「そうでしたね。でも気の長い話ですよね。」
「ホンマやわ。現世で願い事叶えてくれるんやったら。もうとっくの昔にお金持ちになってても可笑しないものね。」
「そうそう、現世でお願いをきいてくれるんやったら、怜ちゃんも家出せえへんかった。」
僕も奥さんも、笑い出した。
「怜ちゃんは、家出やないやろ。1人旅や。」
白シャツ管長は、僕たちの話を聞いていたようで、そう言い放ったが、最後の1人旅やっていうところの声が裏返っている。
そうとうなダメージのようではある。
「でも、怜ちゃんは、何かオンリーワンなもの見つけられるんやろか。」
奥さんがため息をつくように言った。
「オンリーワンって、何なんですか。」
「怜ちゃんがね、1人旅に出る前に友達に言われたらしいのよ。ナンバーワンでなく、オンリーワンになればいいんだって。オンリーワンになれば、他の人がうらやましくなくなるって。」
「はあ。オンリーワンですか。そんなのにならなくていいですよ。オンリーワンなんてクソくらえだ。」
僕の語調が思いのほか強かったみたいで奥さんは僕を見つめた。
僕は思う。
そんな言葉でごまかしちゃだめだ。
やっぱり1番がいい。
1番というのは楽しい響きがある。
僕には1番と言えるものが何もない。
でも、たとえ1番じゃなくても、1番という言葉は好きだ。
他人から「あなたは、1番じゃない。」って言われても何も傷つかない。
だって、1番じゃないから。
それは、正確であり、なんらの矛盾も含んでいない。
だから気持ちがいい。
でも、最近よく聞く言葉に「オンリー・ワン」という言葉がある。
あれはどうも、僕にとって気持ちが悪い言葉だ。
流行の歌の歌詞にも出てくるが、「ナンバー・ワンにならなくてもいい、オンリー・ワンになればいい。」というような感じで使われる。
気持ちが悪い。
このオンリー・ワンという言葉には、何か自分が特別な存在にならなければいけないという命令のような教訓が含まれている。
何かの目的のようなものに向かって突き進まなければいけない。
でなきゃ、それはダメな人間なんだという価値観の押し付けを感じるのであります。
努力は善。
そんな価値観を押し付けないで欲しい。
そう感じるのは僕だけだろうか。
オンリー・ワンなんて言われなくても、僕はただ1人しかいないので、自然にオンリー・ワンだ。
それも特別なオンリー・ワンなんかじゃなくて、凡人すぎるほど凡人のオンリー・ワンなのです。
それどころか、凡人以下の凡人。
悪人であり、どうしようもなくダメであり、これっぽっちのいいところのないオンリー・ワンであるのであります。
でも、それでいいのです。
人間なんて、ただそこに存在していれば、それでいいのであります。
どんな形容詞もいらない。
ただ、生きていればそれでいい。
そう思う。
そんなことを奥さんに説明した。
怜ちゃんは、そのままでいい。
ナンバーワンでもオンリーワンでもない、そこにいるワンであればいい。
怜ちゃんにも、そう言ってあげたいのだけれど、連絡はしない方がいいだろうと思う。
でも、やっぱり気になるのは事実だ。
白シャツ管長をバカにしてはいけない。
「怜ちゃんがいないと寂しいですね。」
僕がそういうと、2人とも頷いた。
「そうなんですよ。信者さんも寂しがってるのよ。それに、弁当屋のお客さんもね。」
「でも、もうすぐ帰って来る気がするなあ。だって、家が嫌で飛び出したんじゃないですもん。ある程度、他の土地の空気を吸ったら、気を取り直して帰ってきますよ。第一、怜ちゃんは両親思いだからね。」
「そうよね。旅行に行ったって思えばいいのよね。でも、楽しんでくれてたらいいんやけどね。」と奥さんが言った。
「でも、どこにいるのでしょうね、今は。」というと。
「東京やろ。」と白シャツ管長が、すぐに言った。
「いや、東京とは限らないじゃないですか。」
「いや、東京や。母さんも行ってた、東京に行きたいって。」
「というより、日本じゃないかもしれないですよ。」と僕はからかうつもりで言った。
「それはないわ。パスポート持ってないし。」と管長。
「いや、怜ちゃんはパスポート持ってますよ。」
「えええ。パスポート持ってる。そんなん知らんで。」と白シャツ管長は目を丸くして首を伸ばして鳩のようである。
「この前、今度高校の同級生の友達みんなで一緒に旅行に行こうって言って、パスポートだけ作りに行ったやない。」
「そんなん知らん、知らん。」
「そやから、パスポートだけは持ってるよ。」
「そんなん知らんで。そやったら、外国かもしれへんのやな。どこや、外国やったら。
なあ、ドリーム君。どこやと思う。」
「さあ、どこやと思うって言われても。外国って広いですからね。」
「あ、お母さんやったらハワイに行きたいわ。」
「お母さんの行きたいところとちゃうねん。怜ちゃんの行ってる場所や。」
「そやけど、ハワイってええと思わへん。」
「いいですねえ。私もハワイには行ったことがないんですけど。楽しそうですよね。
そしたら今頃怜ちゃんはムームー来てフラダンス踊ってるかもしれないですよね。こうやって腰振って。怜ちゃんだったらきっと可愛いですよ。」また乗っかってしまった。
「私もフラダンスしてみたいわ。本場のフラダンスできるようになったら、信者さん集めて発表会とかしてもええやん。お弁当もハワイ弁当とか作っちゃお。」奥さんも乗る。
「あ、それってパイナップル入ってるだけじゃないですよね。」
「あかん。パイナップル入ってるお弁当。」
「いや、いいですけど。じゃ、ハワイアンの音楽でもかけてさ。」と言うと。
「ハワイちゃうやろ。怜ちゃんは1人旅やで、ハワイは1人でいったら余計に辛いがな。」
と白シャツ管長が、話を止める。
「そういえば、1人のハワイは楽しそうじゃないですよね。」
「どこや、どこやと思う。ドリーム君。」
「どこやって言われても、見当がつかないですよ。刺激を求めるんやったらアメリカとかかもしれないし。近場だったら韓国とか台湾とか。」
「アメリカはアカン。危ないやろ。拳銃持ってるし。危ない、危ない。お願いや怜ちゃん、アメリカだけは行かんといてな。」と両手を合して空に向かって拝んでいる。
「管長、誰に向かって拝んでるんですか。それに行かんといてなって言っても、時間的にアメリカに行ったんなら、もう着いちゃってますよ。」
「着いちゃってるって、そんな殺生な。お願いします、アーメン。」
「アーメンって、オケケ様に拝んでるんじゃないんですか。」
「いや、郷に入っては郷に従えや、アーメンの方が向こうの神様に通じるやろ。」
「もう、2人ともシッカリしてよ。アメリカやないと思うよ。そんなお金持ってないし。」と奥さんが割って入った。
「じゃ、インドか。怜ちゃんカレー好きやしな。本場のカレー食べに行ったんちゃうか。」
「カレーを食べにインドね。もしそうやったら、怜ちゃんも中々やりますね。」
「あ、いや。しかしインドも危ないんちゃうか。」
「今頃、変な髭生やしたガリガリのオジイサンに、ヨガの修行とかさせられてるかもしれませんよ。」と言うと。
「変なヨガの修行、、、。まさかフンドシみたいなんつけて、何かけったいな格好させられてるかもしれへんぞ。海老ぞり返ったり、足を頭に乗せたり、、、これは困ったぞ。まだ、怜ちゃん若いんや。そんな変な格好したら結婚できんようになるで。お願いや、怜ちゃん、フンドシはええけど、ブラジャーだけはしといてくれよ。お願いやで。」とまた空に向かって拝んだ。
「でも、意外とヨガの素質あるかもしれへんよね。」奥さんはいつも前向きだ。
ならば、乗っからなきゃいけない。
「そうそう、似合ってるかも。帰って来るころにはヨガの偉いさんになってて、この道場でももう管長に出世してね。怜ちゃん管長ってみんなに可愛がられるかも。そんで、管長は副館長で、怜ちゃんに仕える訳。」
「怜ちゃん管長、、、、。それでもええから、早よ帰って来て欲しいわ。お願いします、怜ちゃん管長様。お願いや、怜ちゃん管長様。」と空に向かって手を合わせる。
「管長、お願いや怜ちゃん管長様っていうても、まだ怜ちゃんが管長になった訳でもないから、そんなお願いきいてもらえないですよ。」
「そうやったな。それにしてもインドは暑いやろ。心配やなあ。」
「まあ、まだインドって決まったわけやないし。」
「あ、インドやったら。帰ってきたらカレー弁当も作ろうかな。本場インドのヨガのカレーとか何とか名前付けて。」奥さんは、道場より弁当屋の方が大切なのであろうか。
じゃ、これまた乗っからなきゃいけないのか。
「それだったら、怜ちゃんフンドシヨガ修行カレー弁当とか。弁当の蓋に怜ちゃんのふんどし姿のシール貼ってさ。」
「それええやん。あ、そうや怜ちゃんにフンドシの写真撮っておいてってメールしようか。」
「あかん、あかん。怜ちゃんのふんどしはあかんやろ。」と白シャツ管長は真剣だ。
「それで、管長。道場の方は順調なんですか。」と話を変えた。
「ああ、道場は相変わらずやなあ。やっぱり現世でご利益がなかったらアカンのかなあ。信者も増えへんし。まあ、弁当屋が順調やからな。前よりは経営も楽になってるし。でも、やっぱり本業で成功したいなあ。」
「管長は、やっぱりオケケ様を広めたいんですよね。」
「ああ、そうや。いっそ予言でもしてみるか。それで当たったら信者増えるんちゃうか。」
「管長、そんな予言とかできるんですか。霊感とかありましたっけ。」
「いやない。ないけど、何となく予言できるんちゃうか。例えば、3000年に人類は滅亡するとかさ。」
「いや、3000年って言われても、エライ先やし、そんなん誰も関心持たへんでしょ。」
「でも、来年滅亡するって言ったら、当たらへんかったら、これまた厄介やろ。」
「来年って、どこから出て来たんですか。」
「いや、何となく今思いついただけや。」
「それは、当たらないと思います。」
「そうやろうな、僕もそう思うわ。単なる思い付きやから。」
しばらく考えた挙句に管長が言った。
「やっぱり現世利益や。何かご利益のあることを考えやなアカン。そうや、ドリーム君。この世で叶えたいこととかあるか。」
「叶えたいことって言っても、、、お金とか。お金が沢山欲しいです。」
「あ、私もお金がいいわ。」奥さんが入った。
「そうか、お金か。中々難しいなあ。その他には何かあるか。幸せ感じるもんて何がある。」
「そうですね。後は、愛とか恋とか。やっぱり恋人とか欲しい人は、多いんちゃいますか。」
「それや。それやろう。恋人との縁をつなぐお寺。そんなコンセプトや。」
「この辺、サラリーマンも多いし、OLも多いから、いいかもしれませんね。」
「合コン寺。ええやないか。」
「合コン寺ですか。えらいストレートな名前ですね。でも、解りやすいか。」
「じゃ、僕はその準備にかかるから部屋に戻るわ。」と言って道場を出て行った。
「ドリームさん、本当にごめんね。いろいろお父さんのお相談にのってくれて。」
「じゃ、僕も帰ります。」
さてさて、どうなるのでしょうか、この道場は。
お寺で合コンとは、でも御本尊がオケケ様だからね。若い女の子は、ちょっと引きはしないだろうか。
そんなことを考えながら京阪電車の改札をくぐった。
しかし、何となく飲んで帰りたい気持ちになって、京橋で途中下車をした。
京橋は安い居酒屋が多くて、気安い店が多い。
暖簾をくぐってカウンターに座る。
ここには1度来たことがあって、その時はクリスマスが近いとあって従業員が赤い三角帽をかぶっていた。
もう、60歳を越えているだろう年の調理人や係りの人がヨレヨレの赤い三角帽をかぶっている姿は少しばかり痛い感じで、でもこの京橋と言う場所に会っては、それが却って似合っているのは面白かった。
今回は、何も被ってはいない。
ただ、庶民的なお店であることは、前に来たときと同じだ。
まずは、きずしを注文する。
これには熱燗といきたいところだけれど、始めはやっぱりビールを流し込もう。
そして、出汁巻を頼む。
出汁巻は、出しの味が滲みているので、本来ならそのまま食べるのが1番美味しいとは思う。
思うのだけれど、僕はいつも醤油を掛けてしまう。
濃い味が好きなのだ。
というより、これは儀式の1つでもある。
どんな料理にでも調味料を掛けたくなる。
特にカレーは必ずウスターソースを掛けてしまう。
これは何も僕に限ったことではない。
カレーとは、何かを掛けて食べるものである。
学生時代に、カレーにソースを掛けるか、醤油を掛けるかで友人と議論をした記憶がある。
僕は、はなからソースだと思っていたので、醤油を掛けて食べるという友人に出会って、ビックリした。
そんなん、美味しいかと言って、実際に掛けて食べてみたけれど、まあこれもあるのかなあと思った。
そんなに場違いな味じゃない。
ただ、カレーに関しては、最近の若い人は何も掛けないで食べると言う。
果たして、これは外食文化でソースを置いていないカレー専門店が増えてきたせいじゃないかと寂しくなる。
昔の家庭や、食堂では、みんなソースを掛けて食べたんだよね。
僕が友人の家にあそびに行ったとこのことだ、友人のお母さんがお昼にカレーを出してくれた。
勿論、僕はソースを回しかけたんだけれど、その時に、お母さんが「あっ。」って言ったんだ。
そして、言った。
「美味しい味に作ったんだけど。」
そうだよね。
美味しい味に作ってくれたことは解っているんだ。
でも、これは儀式なんだ。
カレーを食べる時の儀式。
それ以来、友人のお母さんは僕にカレーを勧めることはなかった。
別の友人曰く、「1口でも味を見てからソースを掛けなきゃ失礼じゃないか。」というのだ。
でも、1口味をみてソースを掛けたなら、そのカレーの味を否定している訳で、それこそ失礼というものだ。
カレーを1口食べてから、ちょっと首を捻ってソースを掛ける。
それって、そのカレーを否定していることになるっていうことを理解していないのだろうか。
僕は、始めからカレーの味をみない。
味を見ずにソースを掛ける。
儀式だからね。
だから、友人のお母さんのカレーの味をまったく否定していないのです。
その方が、よっぽど良いと思わないのだろうか。
とはいうものの、カレーはちょっと横に置いておこう。
今は行ったお店は、居酒屋だからね。
カレーとは関係ない。
注文した出汁巻が運ばれてきた。
箸で1口大に切って口に運ぶ。
すると、お姉さんが聞いた。
「美味しい?」
「うん。出汁が利いていて、柔らかくて美味しいです。」
と、答えてはみたものの、どうもしっくりいかない気持ちだ。
この出汁巻は美味しい。
そうなんだけれど、その感想を求められるのは、甚だ迷惑だ。
まだ、この出汁巻は美味しいので、僕の気持ちの中では納得のいく返事となった。
でも、美味しくない出汁巻だったら、どうにも座り心地の悪いシチュエーションになってしまう。
誰が作った料理でも、「美味しい?」って聞かれるほど返事に困ることはない。
それが美味しい料理だったら「美味しい」と答えてもいいだろう。
でも、そうでない場合は、どうしたらいいの。
僕は、不味いとは絶対に言えない。
もし、21歳のサラサラロングヘアーの女の子が髪の毛を額からかき上げながら、上目使いの悪戯っぽい目で聞かれたら、僕は、「うん、おいちぃ。」と答えるだろう。
何故か赤ちゃん言葉になってしまう。
サラサラロングヘアーの女の子でなくても、母親でも誰でもが作った料理に、未だかつて「不味い。」と言ったことはない。
実際、僕は何でも美味しいと感じるから。
ある時に、朝のテレビ番組を見ていた。
その中に「世界の朝ごはん」というコーナーがあった。
世界のいろんな国の新婚さんの朝ごはんのレシピを紹介するコーナーだ。
先週は、アメリカのサンフランシスコの新婚さんの朝食の紹介だった。
見ていると、オムレツを作るのに、液状になった卵白で作るというのです。
アメリカでは、液体の卵白を牛乳パックのような入れ物に入れて売っているそうで、それ自体も驚きだ。
コレステロールを気にしてるので、卵白だけを使っているというナレーションが入る。
テレビを見ていた僕は、テレビに向かって突っ込んだ。
「そんなん、美味しないやろ。」
玉子の白味だけのオムレツなんて、絶対に美味しくない。
しかも、コレステロールを気にしているのに、大きなソーセージをグリルしたものも、プレートに一緒に乗せている。
「ソーセージの方が、カロリー高いやろ。」
「卵白だけにした、意味ないやん。」
またまた、普段はしないテレビにツッコミを入れた。
そのVTRが終わった後に、参加者が同じ料理を再現したものを食べるのだけれど、参加者の殆どが、これもまた美味しいというような表現をしていた。
しかし、見ている僕は何か釈然としない気持ちだ。
白身のオムレツなんて美味しい訳がない。
でも、よくテレビを見ると、参加者の一人の渋い演技が素敵な俳優さんが白味のオムレツを食べながら首を少し横に振っているようだ。
うん、これは美味しいと思っていないなと感じた。
司会者がそのゲストさんに感想を求めたとき、「旨くはないな。」と答えたのである。
僕はこの瞬間、スカッとココロのもやもやが吹き飛んだ。
ありがとう。
やっぱりオムレツは全卵の方が美味しいに決まっている。
テレビの料理番組に出演していると、なかなか本当の感想はいい難いものだというのは、僕でも想像できます。
お店のレポートに行って、「不味い。」とは言えないでしょう。
お店の人に対しても、番組の進行上も、言ってはダメというのは解る。
でも、視聴者としては、本当の事が知りたいものであります。
本当に美味しいのか。
落語家の南光さんは、テレビの料理番組に出演して、美味しくない料理に出会うこともあるそうです。
そんな時は、「美味しい。」と嘘をつくことは嫌だから、「洒落た味ですな。」と言うようにしているそうです。
そうだ、僕も美味しくない料理の批評を求められた時のために、「洒落た味」に代わる言葉を考えておこう。
「なかなか手の込んだ料理ですね。」
、、、手の込んでいない料理には使えないので、駄目だ。
「エレガントな味ですね。」
、、、ちょっと良いかもしれないですね。
「変わった料理ですね。」
、、、あ、これは一番いけません。
何故なら、B型の僕に取って「変わってる」は最上級の褒め言葉なのであります。
今まで友人に色んなものに対する感想を求められたときに、「変わってるから、いいやん。」と返事をしていたのですが、友人には、どうもその意味が解らなかったそうです。
ある時、友人が、B型の性格を書いた本を読んで、「B型人間にとって、変わっていることは自慢だ。」ということを知って、今までの僕のコメントに合点がいったそうです。
なので、「変わった料理」は「美味しい料理」よりも、上に位置してしまうので、これも没だ。
少しばかり、マイナスなイメージを言葉に持たせたいな。
そう考えていると思いついた。
「心憎い料理ですね。」
うん、これはいい。
何しろ憎いんだから。
こんな料理を食べさせる「あんたが憎い。」
でも、一応は褒め言葉として成立している。
そうだ、これでいこう。
南光さんのテレビを見るたびに「洒落た味ですな。」という言葉を言うかどうか、注目しているのですが、未だその言葉を聞く機会に恵まれません。
1度でいいから、南光さんの洒落た味のコメントを聞いてみたいのであります。
でも、ぼくもこれからは、大丈夫だ。
「おいしい?」と聞かれたら。
「うん、心憎い味ですね。」と笑顔で答えよう。
そんなことを考えたのだけれど、お姉さんに「心憎い味」だっていうことを言う機会を逸してしまった。
とはいうものの、美味しいから、これはこれでいい。
生ビールの後は、瓶ビールを2本開けて、店を出た。
近場の繁華街を酔っ払いながら、ぶらぶらと、もう1軒寄ってみようかなんて考えながら歩くのが好きだ。
とはいうものの、大概の場合、お酒を飲む店には寄らずに立ち食いソバやラーメン店に、ちょっと寄って帰るというパターンが多い。
このまま帰りたくはないけれど、胃腸の調子が付いて行かないという感じだ。
学生時代は記憶がなくなっても次の店に行けたものだけれど、今は体が無理だって悲鳴を上げる。
なのだけれど、たまにその悲鳴がアルコールで麻痺してしまって聞こえない場合もあるのだけれど、今日は僕の胃腸が胃薬を求めている。
まさか、怜ちゃんは見知らぬ土地で、こんな風に酔っ払ってはいないだろうな。
そうは信じているのだけれど、やっぱり心配でもある。
泊まっているのはホテルだろう。
まさか、女の子1人で温泉宿というのは、勇気がいるだろうし。
となれば、ホテルだけれど、安いビジネスホテルだろうね。
今頃、ホテルの1室で何を考えているんだろうね。
苦しいのだろうか、或いは辛いのだろうか。
僕のように、街に出てビールを引っかけているのかもしれないけれど、それなら居酒屋ぐらいなのかな。
それでも、女の子1人じゃ勇気がいるよね。
ここで電話でもしてみようかなんて考えている自分がいる。
両親からの電話なら出ないだろう。
でも、僕からの電話なら出てくれるかもしれない。
ある意味、部外者でもあるからだ。
それほど気にする必要もない他人だ。
とはいうものの、ある程度は知っている人だから、掛かってきた電話にも構えることはないだろう。
「どうしてるの?」なんて、そんな1言でもいい。
なにより、怜ちゃんの声を聞きたいのは僕なのかもしれない。
自分の年齢も考えずに、そんなことを考える自分は、怜ちゃんに依存してきているのかもしれない。
好きだと言う依存。
そんな引っ掛かりを胸の内に残したまま、何処にも寄らずに京阪電車に乗った。
こんな日は、家でカルピスでも飲んで寝るのがいい。
甘く冷たい液体が恋しいのである。
或いは、チューペットでもいい。
それから、数日は道場へは行けなかった。
でも、もし怜ちゃんが戻って来たなら、電話ぐらいはくれるだろう。
なので、日々の生活に追われるままに過ごしていたのです。
そして、果たして奥さんからの電話が入ったのは、怜ちゃんが家を出て10日ぐらい経ったときだ。
奥さんから、安心したような声の報告を頂いた。
戻って来たのだ、怜ちゃんが。
その夜に、早速道場を訪ねた。
道場に3人集まって談笑しているのを見て、少しばかり安心した。
「怜ちゃん、おかえり。」
そう声を掛けると、「あ、ドリームさん。元気してた?」と返ってきた。
「元気してたは、こっちのセリフやで。どうやった1人旅は。どこ行ってたん。」
「どこいこうかなって思ってんけど、東京まで行ってん。」
「あはは、やっぱり東京か。みんなで東京違うかって話しててんで。」
「別に東京に行きたかったわけちゃうんやけど、他に思いつかへんかっただけや。」
「でも、まあ無事に帰ってきたから安心したわ。」
「ありがとう、お父さんもお母さんも心配してたみたいやけど、別に旅行に行ってただけやし。でも、もうホテル代もなくなったし帰ってきてん。」
「東京はホテル代も高いしな。そんで、何してたん。」
「別に何もしてないけど。目的もないしぶらぶらしてただけやわ。」
「へえ、そうなんや。」
「そんで、何か面白いこと見つかったんかいな。」
「何にも見つかれへん。でも、楽しかったわ。」
「そらそうやな。そんな簡単に見つかったら人生面白ないしな。まあ、見つかる時は大阪でも見つかるわ。」
「そやけど、東京の方が刺激があって面白そうやったけどな。」
「まあ、東京やったら、いつでも行けるやん。」
そんな会話をしていると、白シャツ管長が言った。
「そんで、ほんまに東京の悪い奴には引っ掛かれへんかったんやな。」
「もう、お父さん、そればっかり言うて。」お母さんもしつこいなあという感じである。
「もう、さっきからそればっかり。そんなこと言うてたら、また東京へ行くよ。」
「ごめん。もう怜ちゃんが心配で。ごめんやで。」
怜ちゃんは僕を見て、笑った。
普通なら、普通の女の子がこんなに言われたら、きっと怒るだろう。
でも、怜ちゃんには、人の気持ちを汲んでくれる度胸がある。
お父さんの大袈裟な心配にも、優しく応対のできる子なのである。
怜ちゃんが帰って来たことで、道場も前のように明るくなった。
きっと、これからも道場や弁当屋も順調にいくだろうなと思う。
「あ、そうだ。ドリーム君。明日の夜は空いてるか。」
「はあ。予定はないですけど。」
「そうか。じゃ、是非うちに寄ってくれ。」
「寄ってくれって、何があるんですか。」
「愛を見つける大縁会や。」
「愛を見つける大縁会ですか。」
「ほら、この前行ってたやろ。誰もが恋とか愛を求めてるって。そやから、この道場で合コンするんや。合コンって名前付けたら、いかがわしいやろ。そやから縁を見つける会にしたんや。どうや、ドリーム君も赤い糸を探せへんか。」
「赤い糸はいいんですけど、人は集まるんですか。」
「それは心配いらん。弁当の蓋に案内のチラシ挟んだら、サラリーマンから問い合わせ殺到や。中には真剣に結婚相手探してるって人もおってな。僕も一肌脱がなあかんなと思てるんや。」
「そんで、女性はどうなんですか。」
「女性はなあ。まだ反応ないねんけど。まあ信者さんに声かけてるんや。娘さんがいる信者さんに参加してもらえるように頼んであるんや。一応保険やな。」
「そうなんですか。信者さんの娘さんですか。まあカップルが誕生するといいですね。」
「そうやろ、1組ぐらい出来て欲しいな。そうや、ドリーム君も今回の大縁会で見つけたらどうや。」
「はあ。まあ時間があれば覗いてみますわ。」
「じゃ、待ってるで。」
怜ちゃんが戻ってきたこともあって、白シャツ管長も元気がいい。
それで、合コンはどうなんだろうね。
近くで働くOLが来るかもしれないし、これはちょっと面白そうでもあるな。
今夜は、親子3人で過ごしたいのかもしれないので、僕はそのまま道場を出た。
怜ちゃんも、家を出る前と、変わりなく。
というか、本人の中では何かのこころの変化があったのかもしれないけれど、優しさのオブラートに包んでいたのか、今の3人にはそんな変化はなかった気がした。
1人旅なんて、今どきの女の子にしてみれば、大したことのないものかもしれない。
でも、怜ちゃんにとっては、親に心配を掛けるという気持ちを抱えたままの旅であったに違いない。
そんな抱える物を持った旅の方が、よっぽど大した旅であるに違いないのである。
そんな気持ちを考えると、どうにもこれで良かったのかという思いも出てくるのである。
これで良かったのか。
もっと自分を押し出して生きてみるのも悪くない。
帰ることを忘れて、行きっぱなしの旅というのも1つの選択肢だ。
とはいうものの、両親の気持ちも捨てる訳にはいけない。
だからこそ、帰ってきたのだろう。
でも、それで良かったのか。
自分を抑え込んでいやしないかと心配にもなる。
ただ、行くのがいいのか、帰るのがいいのか、それは誰にも解らないし、本人にも解らないだろう。
まあ、今は、とりあえずは、安心していままでの生活を続けるのが、皆にとっていいことではあるのだろう。
すこしばかり複雑な気持ちで、京阪電車に乗り込む。
仕事疲れもあって、数分間寝てしまったのかもしれない。
目を開けると降りるべき駅の門真市駅だった。
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