そのほか

『桜露邸に招かれて』【ミステリー】

 私が古都の山間にあるその屋敷──桜露邸おうろていに招かれたのは、本当に偶然の出来事だった。

 桜庭さくらば露太郎ろたろう氏によって建てられたその屋敷は、真上から見ると桜の花弁のような形になっているらしい。というのは人伝に聞いたからで、私が実際に見たわけではないからだ。しかし、私はその露太郎氏とも、その後継者である桜庭露李つゆり露玖太ろくた姉弟ともこの日までは面識はなかった。


 つまり、私はここに招かれるはずはなかった。


 そんな私が招かれることになったのは、駅で一人の女性を助けたからに他ならない。酔っ払った男に難癖をつけられていたその女性こそ、桜庭露李その人だったのである。

 まるで人形のような風貌だった。陶器のようななめらかな肌に、細い黒髪が真っ直ぐに垂れ、長い睫毛に縁取られた目は伏目がちで、真っ赤なルージュに彩られた薄い唇が印象強い。身に纏っていたのがいかにも高級な着物だったのもあるかもしれないが、とにかく人形のように見える。

 とにかく私の中にある面倒な正義感とやらが疼いたのだ。双方と話だけでも聞こうじゃないか、勝手な正義は堂々と私の足を動かした。


「失礼、お困りのようですね。どうかされましたか。自分で良ければ力になりますが」


 勤めて低い声を出す。私の身体つきはそれなりに大柄だったから、近寄ると男は舌打ちして身を離した。


「なんでもねえよ、クソ野郎。邪魔しやがって」


なんともな捨て台詞である。やれやれ、でも私のお節介で変なことにならなかったのはよかった──そんなことを考えながら女性を端に誘導していると、


「ありがとう存じます──」


涼やかな声が下から聞こえて来た。

 聞けば、先ほどの男にしつこくナンパされていたらしい。時間がないと言っても行く手を塞いで、やれ美味い店があるだの、夜景が綺麗な場所があるだの、車を止めてるからなんだのかんだの、そろそろ警備員を呼ぼうとしていた頃合いだったそうな。それはお節介をしたかな、と苦笑した。


「いいえ、わたくしとて大事にしたくもありませんでしたから──露玖太……弟がとても心配性で」

「弟さんがいらっしゃるんですね」

「ええ。こんなことがあって騒ぎにでもなったなら、おちおち一人で外出もさせてもらえなくなりますわ」

「それは困りますね」

「ええ、わかるでしょう?」


彼女はころころと笑う。

 それから、私の装備──新幹線から降りたばかりだったので大きなスーツケースとトートバッグを持っていた──に気がついたらしい。


「こちらにはご旅行で?」


と首を傾げた。


「まあ、はい。そんなところです」

「一人旅? 羨ましいわ」

「自分、これでも画家の端くれで──いつもは描かない景色でも描いてみようかと思ってですね。行先のない気ままな旅と言えば聞こえはいいですが、無計画に飛び出してきたってわけです」

「まあ、素敵!」

「いや、偉そうに言いましたが、まだ駆け出しの無名の画家です」

「絵を描こうとする、その心が既に素敵ですわ」


そんなことを言われては照れてしまう。

 しかし、こうして彼女を引き留めては、自分こそが先のナンパ男と同じになってしまうのではないだろうか、とここで気がついた。用事があるのだと言っていたし、と今更ながらに思い出す。


「しかしトラブルにならずによかったです。それでは、自分はそろそろ──」


そう言いかけたのだが、最後まで言わせてはもらえなかった。

 彼女はとてもいいことを思いついたようだった。それが私にとってどうかはともかく、少なくても彼女にとっては妙案だったらしい。きらきらと表情が色づいたのが傍目にも分かった。


「ねえ、親切なお方。良かったら、私の別荘に──桜露邸に遊びに来ませんか?」

「おうろてい?」

「ええ、桜のような、綺麗な洋館ですのよ──景色も良くって、近くには大きな桜並木もこぢんまりとした滝もあったりしますのよ。絵を描くにはとても良いんじゃないかしら」

「いえ、そんな、会って間もないのに、そんなご迷惑をかけられませんよ」


知らない人について行ってはいけません。そんな教訓を小学生以来に思い出した。雑魚寝には慣れているし、なんならヒッチハイクの経験すらある私だが、流石に出会い頭に誘われてホイホイついていく私ではない。


「是非来てくださると嬉しいわ」

「いえいえ、流石に知らない人のお宅にお邪魔するわけには──」


そこで、あっと彼女は呟いた。知らない人という単語に引っかかったらしい。


「ごめんなさい。お助けしてもらったのに私ったら──私、桜庭さくらば露李つゆりと申します」

「あっ、私はこういうものです……って、桜庭、露李子さん? もしかして桜庭食品の──」


私は反射的に名刺を差し出してから、遅れて驚いた。桜庭のご令嬢──まえに何かの記事で見て、名前が変わっているなとなんとなく印象に残っていたのだが、その人相は知らなかったのだ。目の前のこの人が、と私は驚きを隠せなかった。露李は柔らかく微笑んでいる。


「まあ、父の会社をご存知? 光栄です」

「ご、ご存じも何も」


 桜庭食品と言えば、そこかしこに桜庭食品が手がけたファミリーレストランは建っているし、なんならコンビニにもサクラバの文字が堂々と踊った菓子類が置いてあるのだ。知らない人などいないだろう。


「ふふ、これで知らない人ではありませんね。私もあなたも互いに名前を知っているわけですもの」


そしてこの人はかなり強引だった。

 御令嬢に促されるまま、結局私は押し切られる形になった。三日ほど、件の桜露邸にお邪魔することになったのである。


「では、詳しいことは後ほどご連絡いたしますね。ええっと、こちらのメールにお送りすればよろしいかしら」

「はい、すぐに気が付きますので。わざわざ、すみません」

「いいえ、こちらこそ────」


ふわり微笑んだ露李はそのまま綺麗にお辞儀をして駅を後にした。

 こんなわけで、私──桃山ももやまめぐみは桜露邸に招かれることになったのである。





 七時きっかりに、駅の前。

 私はやはり大きな荷物を抱えていた。そこに小走りにやって来たのは、露李と瓜二つの青年だった。髪型以外の顔立ちはほとんど同じで、背格好すら似ていた。ショートカット美女と言われればうっかり信じてしまうだろう。


「──お待たせしました。桃山さんでしょうか。桃山天さん」

「はい、どうも桃山です。貴方が露玖太さん……?」

「初めまして、桜庭露玖太です。先日は姉がお世話になったそうで──それなのに突然屋敷に遊びに来いと言ったのでしょう。重ね重ね、ご迷惑をおかけしました」

「いえいえ、私こそ、部外者がお屋敷にお邪魔しちゃって。露玖太さんにもお迎えを頼む形になって恐縮です」

「お気になさらず。それに、姉は家に人を呼んで騒ぐのが好きなんですよ、それこそ小さな頃から」


そう言って少年のように笑った。

 露玖太は素早く私の荷物を持ち上げると、近くに停めてあったロイヤルブルーの外車に手際よく詰め込んだ。サッと助手席のドアをあけてくれる。なんともスマートなエスコートだ。


「車に酔いやすいとか、ないですか」

「大丈夫です」


 さて、露玖太青年は大変優秀なドライバーだった。道中特にひどい揺れもなく、心地よいラジオをBGMに、窓の向こうの移り変わる景色を楽しむ。中々に良い。

 不意に、露玖太が口を開いた。


「桃山さんは画家だとか」

「ええ、はい。そうは言ってもまだまだ修行中なんですけれど」

「いやあ、すごいな。本名で活動されてるんですか?」

「そうなりますね」

「天の字でさん?」

「はい」

「珍しいなあ」

「よく言われます。そうそう、学生時代はテンとかソラってあだ名でしたよ」

「あはは、あとはアメとか? いずれにしても綺麗なお名前ですねえ」


 信号で一度車が止まった。露玖太がこちらを見た。


「桃山さん」


茶化すのではなく、ごくごく真面目な声で。


「正式にお仕事として──姉の肖像画を依頼できますか」

「お姉さんの──露李さんの肖像画ですか」


確かに絵のモデルにしたいほどの美人ではあったけれども。会って間もない人を屋敷に招いたり、肖像画を依頼したり、似たもの姉弟のようだった。


「私の絵がご期待に添えるかどうか……」

「人物画は描かれませんか」

「そんなことはありません」

「依頼は受け付けていないとか──」

「そんなこともありませんが、一度ポートレートを見ていただいてからのほうがいいんじゃないですか」

「では、是非。こうして知り合えたのも縁ですし、お代はご指定の額お支払いします」


強引なところも似ていた。


「……考えておきます。露李さんにもお話を聞いてから、改めてのご依頼という形で」

「姉はきっと喜んでお願いすると思いますよ」


車はまた走り出した。



+++



 車はやがて、大きな屋敷の玄関の前に停められた。すでに何台か車が停まっている。

 招待されたのは私だけではないらしい。そこには私を含めて五人の男女がいた。年齢層に大きなばらつきこそないが、それでもお互いに知らない人同士のようだった。思い思いに携帯を触ったり、本を読んだり、ひたすら遠くを眺めたりしていた。


「ああ、露玖太くん、やっときた」


そのうちの一人が顔を上げた。ショートヘアの女性だった。


「鍵しまっててさ、近く彷徨くのもなあって皆待ってたの」

「あれ、猫田先輩。姉はまだ来てないんですか」

「まだもまだまだ、来る兆しゼロ……兆しってなんだって言われたら困るけどね」

「他の皆様もすみません、今開けますので」


慌てて露玖太は鍵を取り出した。

 玄関ホールから真っ直ぐ長い廊下が伸びて、ガラス戸に隔たれたその先が円形の談話室になっている。談話室には五つの扉があって、その先が客人用の部屋になっているようだった。

 なお、どの部屋も間取りは同じだそうだ。桜の花弁のような形をしていて、ちょうどに大きな窓が嵌められている。窓はクレセント錠で、外との出入りも出来るし、なにより森の静かな景色がよく見えるのはとても気に入った。窓際のベッドは言うまでもなく、他の設備も素晴らしかった。部屋に入ってすぐにユニットバス、それから簡易キッチン、お魚入ったキャビネット、壁には大きなテレビが埋め込まれていて、テーブルセットにふかふかのソファまであるのだ。私は一目でこの別荘を気に入ってしまった。


 他の人たちも概ね私と同じ意見のようだった。

 さて、部屋割りは次のようになっていた。

 一番目の部屋は桜庭露玖太。ご存知露李の弟だ。後継者として桜庭食品東京支部で働きながら、大学に通っているらしい。

 二番目の部屋は私だ。画家の端くれで、旅行中に露李に出会った。

 三番目の部屋には猫田ねこた黒江くろえ。露李の高校時代からの友人で、有給休暇を消化しに来たらしい。「あの子いっつも突然メールくれるのよねえ」と文句を言ってはいたものの、どこか嬉しそうにしていた。

 四番目の部屋には烏丸からすまかける。露李の元上司で、今は脱サラして農業に勤しんでいるそうな。出会い頭に挨拶だとかで野菜の詰め合わせをくれた。

 五番目の部屋にはクリス・マロウという留学生が入った。露李が留学中にホームステイしていた先の子どもだとか。歌劇に興味があるらしく、本人はここら辺の劇団に入って修行中だとかなんとか。短く刈った赤毛と空色の瞳が印象的だった。

 露李の部屋については、


「姉さんが来たら僕は帰るか、同じ部屋か、じゃなきゃ僕が車中泊にしますから」


と露玖太は笑っていた。

 彼女が現れたのは、その翌日のこと──朝露を纏って、眠るように櫻の樹に身を預けるようにして座っていた。まるで寝ているようだと誰もが思ったかもしれない。



【ここまで】

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