『さよなら、しにがみ』 【ライトホラー・青春?】
※作中にいじめに関する表現を含みます。
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(一)
七月。
同級生の
先生はひどく慎重に言葉を選んだが、結果は変わらない。不幸な事故で、一樹里愛という少女がこの世から消えてしまったということだ。
クラスに啜り泣き、困惑、無関心、そんなものが広がる中で私はひどく狼狽していた。それを隠そうと、下手くそなポーカーフェイスを浮かべてもみたけれど、やはり隠せない。
突然死んでしまった、可哀想なあの子。だけど私はそうは思えない。常から、それを願っていたのだ。
──あんな奴、死ねばいいのに。
樹里愛は本当に嫌な女だった。
この閉鎖空間では決して無視できないくらい強くて、けれどその実不安定で頼りないモノに──所謂スクール・カーストの頂点に立っているのだと信じて疑わなかった彼女は、女王様気取りの傍迷惑な勘違い女だった。
自分の欲求に素直で、人はそれに慮るべしと当たり前に思えてしまう。自分がムカつけば人にあたっても許されると勘違いして、気に入らなければ虐げてもいい、思ったことは何を言ってもいいと本気で思っている、そんな嫌な奴。
「だって本当のことでしょ。みんなが言いにくい現実を教えてあげただけじゃん」
と開き直る顔は本当に憎たらしくて、ブスだの木偶の坊だの揶揄され嘲笑される度にその横面を叩きたい衝動に駆られたものだ。
私なんてまだマシな方だった。私以外にも彼女のその場の退屈しのぎのための玩具になった人は何人もいる。
そうだ、私は彼女のことが嫌いだった。
彼女も、嫌がらせのたびに反抗してくる私を嫌っていたのだろう。だから、ことある毎に嫌がらせをしてきた。
──人に不幸をばら撒くだけのあんな女。
──たった数秒の退屈しのぎの為に人を傷つけるようなやつ。
──死ねばいいのに。
──消えちゃえば良いんだ。
そう、私の願いの通りに樹里愛は死んだ。
清々する、そのはずが得体の知れない感情の方が大きくて、吐き気がした。指先が冷えて感覚を失う。
知ってる人が、それも嫌いな人がいなくなる感覚を生まれて初めて知った。
たった十六年。
これは私の呪いせいなのかと、ふと考えて恐ろしくなる。
ぞわりと背中を駆ける悪寒。ぐるぐると巡る嫌な記憶、願っただけで何もしてないじゃないかという気持ち。嫌に長く感じた
学校で嫌な目に遭っていたことは親には伝えていないから、同級生が亡くなったのね、おともだちだったの、なんて母親の声に曖昧に笑いながら
「全然グループ違うから、話さなかった子」
そう答えた。強がってると思われたのか、今日のおやつはちょっとだけ、豪華だった。
布団に潜る。
──死ねばいいのに。
──本当に死んじゃった。
──今までのバチが当たったんだよ。
──それじゃあ私にも当たるのかな。
目を閉じて、ぐるぐるとかき混ぜられる思い出に私は浅く呼吸を繰り返した。
そうやって、真夜中。
私は人の視線で目を覚ました。それはじっと私を見下ろしている。私は信じ難いものを自室に見て、思わず呟いた。
「
こともあろうか樹里愛は私の前に化けて出て来たのだ。
しかも、死神として。
(二)
それはどこからどう見ても彼女だった。
薄茶色のミディアムボブに、真っ黒の瞳、白い肌に不満そうなへの字を描く薄い唇が乗っかって、樹里愛は記憶通りの姿でそこに立っていた。
幽霊は透けていて足がないものと思ったのに、彼女は憮然とした顔でしっかりと私の部屋のカーペットを踏んでいる。
まず最初に湧いてきたのは純粋な疑問だった。なんでこいつの霊がここにいるの? と。次第に困惑が大きくなって、最後にはすべて苛立ちに塗り変わった。
「どんだけ私のことが嫌いなん」
私は睨みつけた。幽霊なのか、私自身が見せる幻覚なのかわからないけど。
「
今すぐ消えろと私は呪詛を吐いた。
「大体佐藤さんとか、山倉さんとか、ナカヨシのところに行けばよかったんじゃん。なんで私なんよ」
「別にウチが選んだんじゃないし」
ようやく、その薄い唇が言葉を紡いだ。喋れるのかと私はにわかに動揺した。
「ウチだって選べたら友達を選んでるに決まってんじゃん。ウチがあんたを選んだなんて思ってんの? ばっかじゃないの」
「……死んでまでそれ言いにきたとか、バカはどっちよ」
「は、さぞ嬉しいんでしょうよ。夏川、あんたサイコーに調子乗ってんね。人が死んで喜ぶなんてクソ最低じゃん」
「死んで喜ばれるようなことしてたからでしょ」
「だからってあんたが最低なことは変わらないし」
彼女は鼻で笑った。それが癪に触る。
そういえば、ありえない状況なのに私はこれっぽちも恐怖心を抱いていなかった。あるのはむかつきだけ。だからこれは、人の死を安易に臨んだ私への罰で、私の罪悪感が見せる幻覚なのだと判じた。
私はコレと向き合わないといけないのか。
「……ねえ、一さんは何の用で現れたん」
「──ウチが死神になるから」
はあ? と私は思わず眉尻を上げた。
意味がわからない。幻とはこんなにも自由なのか。はたまた、怖くないと思っているだけでコレは幽霊なのか。それとも本当に死神だなんて妖怪だか何だかわからない未知のモノがそこにいるのか。
死神、と聞いて私は思わず真顔になった。本当だとして、そしたら。
「……あんたが? 死神って」
「そうだよ。クッソ痛い思いして悔しくてたまんないのに、それなのに休むことなく働かされるとか! ホンット意味不明なんだけど」
「こっちが意味不明なんだけど」
「…………わけがわからないのはウチの方だし。そうなっちゃったんだから仕方ないじゃん」
彼女は表情を歪めた。
「どーせイタい奴とか思ってんでしょ」
「まあ……それより尚更、なんで私のとこに来たのさ。死神って……私、死ぬん?」
「違う。最後に生前縁のある奴に顔貸してもらう必要あんだって言われて。そんで、その見届け人に指定されたのがアンタなの。ウチだって不本意なんだからね、なんでウチばっかこんな目に遭うの……」
「そんなら、クラス会でわんわん泣いてたんだし、そーいう友達とかの方に行ってあげればいいでしょ」
私の声は、しかし彼女にはちゃんと届かなかったらしい。彼女は一つのワードにだけ反応した。
「……みんな、泣いてた?」
「まあ、それなりには」
「誰が泣いてた?」
「先生と、いつもつるんでる人たちと、あとは別クラスの子……ねえ、そんなん聞きにきたわけじゃないんでしょ」
「いいでしょ、それくらい」
そう言って、彼女はこちらを真っ直ぐに睨んだ。
嫌そうに、けれども迷いなく手を差し出す。怪訝そうに眉根を寄せる私に向かって、彼女はぶっきらぼうに言い放った。
「悪いけど。ちょっと付き合ってよ」
(三)
無言の二人で夜道を歩いている。
どうせ現実じゃない、という感覚があって、私は特に忌避感のひとつも覚えずに部屋から抜け出していた。
しんと静まったアスファルトの上を街灯が仄かに照らして、ふたつ影を揺らしながら私たちは歩く。不思議と歩くたびに街並みは見知らぬものへと変わっていった。見慣れた商店街は現れず、あるはずのない景色が広がっていく。
自分でも驚くべきことに、私は素直に彼女に従うことにしていた。
「
「……せめて樹里愛って呼んで。あんまりその呼ばれ方、好きじゃない。ウチもアンタのこと、好きに呼ぶから」
「樹里愛……さん、何処行くん」
ちゃん、は違う気がする。呼び捨ても違う気がする。私たちの距離感はそんなに近くない。中途半端な態度に彼女は軽く吹き出した。
「樹里愛さん、って。変なの。じゃー、ウチはアンタを佳織さんとでも呼ぶわ」
それから首を振った。
「悪いけど、ウチもよく知らないんよ」
「ふっ、いや、待ってよ。そんなことある?」
「笑うなし。仕方ないでしょ、ウチを死神にする為の最後の旅って言われて、知ってるやつに見届けてもらえって言われて、それきりなんだから」
「死神サマに? 誰によ」
「……さあね」
「樹里愛さん何も知らんやん」
「いいでしょ、あんたの身の安全は保証する。あんたが馬鹿な真似さえしなきゃ死んだりしない。安心してよ。明日起きたらあんたは全部忘れてるんだから。なんにも変わらない朝が来るってさ……」
忌々しそうな物言いの割に、樹里愛は淡々とした表情をしていた。彼女が不幸な事故に遭ったと聞いたのは今朝のこと。しかし実際の樹里愛はもっとずっと長い時間を経てきたようにも見えた。
そう考えると、少しだけ小気味が良いような、それでいて少し可哀想であるような気がしてきた。せっかく生前縁のある人と再会できる機会に、出会えたのが私とか。
「こうなった以上、義務でいーから、テキトーに座って見ててよ。ここで揉めても互いにメンドーでしょ」
「……」
「佳織さん、あそこ。舟」
彼女が指差す方に顔を向けると、確かに小舟が一艘、川縁に浮かんでいた。あれで河を下るのだと彼女はつまらなさそうに言った。それから、黒い人影が見えた。
私はてっきりこの嫌な女と二人きりなのだと思っていたから驚いた。黒い人影はぼやぼやと定まらない輪郭をしていて、近づいてもその姿の詳細は認識できなかった。背が高くて、人のような形をしているだけの、影。
やってきた私たちに向けて、黒い人影は帽子を脱ぐ仕草をした。それで帽子をかぶっていたのだと分かる。
「他にも人、いたんだ」
「人かはさておきだけど。アレ無口だし、反応もつまんないし。アトラクションのスタッフさんだと思えばいい」
「ふうん?」
二人きりだと思ってたと溢せば、彼は船頭なのだとつぶやいた。樹里愛には舟は漕げないし、彼のような存在だけが河を自在に渡れるのだとか。
見慣れたはずの河は、夜だからかまるで知らない所のようにも感じられたけれど、やはり恐怖心は微塵も沸いては来なかった。
今は大人しいとは言え相手はあの一樹里愛。舟に乗り込む時に突き飛ばされるのではないか、とは一瞬疑ったものの、船頭さんが手を貸してくれて丁寧に座らされた。それが済んでから、樹里愛が乗り込む。
船頭一人と、死神になった樹里愛と、私。小舟はそれだけで一杯になってしまった。舟は予告もなく離岸した。
「あの、すみません」
私は船頭を見上げた。やはり黒塗りのそれの些細はわからない。男なのか、女なのか、すら。
「あの、船頭さんは樹里愛さんの上司とか、ですか。聞きたいことがあるんですけど」
船頭の動きはよくわからない。風に吹かれて揺らめいているのか、首を振って応えてくれているのか。樹里愛は小馬鹿にしたように言った。
「ほら、だから無反応って──」
「──失礼ながら」
いやでも、と私が呟く前に、無口なはずのそれが声を発した。老若男女、誰にも当てはまりそうな声だった。私も、樹里愛も目を剥いた。
「じゅりあさんとは、どなたでしょう」
「えっ」
「聞き慣れぬ言葉でしたから──」
船頭はゆらりとその輪郭を動かすと、その視線は樹里愛のところで止まった。ややあって、ああ、それのことですか、と声が続く。ソレ呼ばわりに樹里愛が顔を歪めた。
「此処に在るのはただの渡守にすぎませんよ、生者のお嬢さん」
「渡守?」
「ええ。河を渡るには舟が必要でしょう。舟があるならば漕ぎ手が必要でしょう」
「この河は何処に向かってるんですか」
「この河はただの河、無名の河、忘却の河、三途の河、あなた方のお好きなように。呼び方一つで本質までは変わりませんから。なんと呼ばれても向かう先はひとつです」
それは淡々と呟いた。
私は河を見る。水面に私の姿は映らない。樹里愛と船頭の影は映っている。そっと水に触れかけた手に、慌てたように樹里愛が手を掴んだ。ひどく怯えた顔をしている。
「なに」
「やめときなよ。溶かされる。アンタとろけるよ」
と、樹里愛がはっきりと私に向けて言った。
「とろけるって?」
「チーズみたいに」
「私がってこと?」
「そう。あんたをちゃんと帰すのもうちの仕事なんよ。勝手なことせんで」
「ま、待ってよ。これって溶けるレベルで熱いん?」
「熱くはないけど、そういうもんなの。触れるものを溶かし込んで、無に返す。──ああもう、面倒臭い奴! そんなに試したいなら勝手にすれば?」
苛々と、彼女は手を離した。私は行き場を失った手を引っ込める。
「そう──溶かされるのですよ。存在からなにもかも。やめておいた方が良い」
船頭は身体ごと樹里愛に向き直った。
「じゅりあさん。思い出も、名前を覚えていられるのはこの旅までになりますよ」
「散々聞いたし」
「この旅はあなたの存在を溶かして、死神とする為の最後の旅となります」
「……わかってるってば。さっさと行こうよ」
「では、よいでしょう。最後の旅路と参りましょうか──」
死神の樹里愛と、全てを溶かす河と、それからはまた寡黙に戻ってしまった船頭。私は居心地が悪く身を捩った。引っ込んでしまった私の疑問は、樹里愛の口から溢れ落ちる。
「なんで、本当にアンタなんかと」
ママとか、パパとか、友達とか、せっかくならそう言う人が良かったと樹里愛は声を絞り出した。怒りと悲しみとやるせなさを滲ませて、こちらを睨んでくる。私だって、譲れるなら譲りたい。何が悲しくて、嫌いあった人同士でこんなことをしなくてはならないのか。
可哀想だとは思う。だけど行き場のない恨みだってある。
そもそも恨みであっても愛情であっても、私の思いの強さが一番なんてことは絶対にないのだ。
そんな私と旅に出なきゃいけない彼女に対して暗い気持ちが浮かんでくる。ふん、と鼻を鳴らした。いつも、彼女が振る舞っていたように残酷に、おかしくってたまらない風に口角を持ち上げて。
「──きっとバチがあたったんよ。ざまあみろ」
私は意地悪く笑ってみた。ひどく吐き気がした。
【ここまで】
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