ホラー系

『無題1』 【屋敷系ホラー】

 十一月も半ばとなれば、吹き付ける風は十分に冷たいものになっている。我こそはと天高く伸びたビルの隙間ともなれば、尚更だ。

 千紗都は学生時代から着まわしているすっかりくたびれたトレンチコートに身を包んで、二十リットルサイズのスーツケースひとつ抱えて、迎えの白いワゴン車に逃げるように乗り込んだ。車は千紗都を乗せてすぐに、滑るように走り出した。

 運転手は宅間と名乗った。事前に電話で聞いていたのもあって、合流は非常にスムーズなものだった。千紗都が落ち着くまで信号二つほど通り過ぎてから、和かに挨拶が交わされた。


「ここまで迷いませんでしたか、貝塚さん」

「はい、お電話で伺っていた通りでしたから。駅前にしていただきましたし」


時間も場所も、なんなら迎えに来る宅間の人相まで細かく教えてもらっていた。千紗都も千紗都で当日の服装やスーツケースの色などを教えていて、それもあってか待ち合わせ場所に着くなり宅間が「貝塚千紗都さんでいらっしゃいますか」と声をかけてくれて、今に至る。

 私はミラー越しに運転席を見た。


「あの、職場はここから遠いんでしょうか。フェリーに乗ると書いてあったので」

「そうですねえ、ちょっと長い道のりですが、車酔いとかは船酔いは大丈夫ですか。なんなら途中に薬局にでも寄りますが……」

「それは大丈夫です」

「よかった。実はこの先で何人か拾う予定になってるんです。お屋敷の近くはろくな繁華街もコンビニもないですし、寄りたい時には言ってください」


今日は特に急ぎの仕事はないから、と朗らかに言う宅間に、千紗都は内心かなりほっとしていた。求人の話が嘘っぱちで、実は怖い人たちだったらどうしようと不安があったのは、嘘じゃない。


 二週間ほどの住み込みのアルバイトの募集を見かけたのは、ある地方の新聞紙面上だった。就活時期から取り始めて、なんとなくそのままに契約し続けている新聞の片隅に埋もれてあった小さな広告。


『家政婦・家政夫募集。当社では住み込みで掃除・洗濯・調理補佐をしてくださる方を募集しています。制服アリ、三食、交通費、各種手当付き。期間は二週間〜シフト制。週二日休み。給与は二週間で十五万円〜。短期の方、経験者、未経験者問わず歓迎します。初めてでも安心、みんな笑顔のアットホームな職場です。詳細は以下に…………』


 無償素材の笑顔の男女のイラストが並び、千紗都は何度かその文字を追った。怪しそう、と思わないわけもなかったが、それでも心惹かれるものはある。


 たった二週間!


 それで前職の一月分の給与とほとんど差がない額が手に入るのだ。家事代行系は未経験ではあったが、気がつけばスマートフォンの通話アプリを立ち上げて、広告の番号に掛けていた。メールでも良かったのだが、千紗都はメールよりも電話の方がまだマシだと思う人間なのだ。

 千紗都としては中々に珍しい行動力を発揮したのは、後がないと思っていたことも大きいだろう。流されるままに進路を決めて、流されるままに適当な中小企業に入社をして、先月に辞めたばかりだった。それからは単発の倉庫の力仕事や喫茶店のアルバイトを掛け持ちしていたのだが、いかんせんそんなに給料は出ないし、喫茶店の方は若い子が優先してシフトを組まれるので時折暇を持て余す。ちょうど来月のシフト希望をどうしようかと悩んでいた時に見つけたのがこの求人だった。


(いっそ、辞めてしまおうか)


 今はまだ貯金はそれなりにあるのだが、いつまで持つかもわからない。

 倉庫の検品は日払いの単発だから勤務希望さえ出さなければ次の仕事はやってこない。喫茶店の方もこうもシフトが入らず、入ったところでそう忙しくもない店なので、辞めたところでさしたる損害はなかろうと、千紗都は考えた。


 電話越しで話した女性も、迎えにきた宅間も取り敢えずは人が良さそうだ。

 一皮剥かねば善悪が分からないのが常とは言えども、常に無意味に悪意を振り撒く人も少なくない世の中なのだ。そんな人よりは見てくれだけでもマトモに振舞ってくれる方がずっと常識的だ。


(まあ、この会社、ネットで今朝調べた口コミも悪くなかったし……あれ?)


 千紗都はなんとなく記憶を辿りながら、一瞬だけ眉根を寄せた。何かを忘れているような気がするものの、何を忘れたかもわからない。確信が持てない。


「貝塚さん?」

「――え? ああ、ごめんなさい」


 深く潜り掛けた思考が、宅間の心配そうな声で断ち切られた。黒目がちな目が一対、ミラー越しにこちらを見ていた。


「車酔いですか。窓、開けます?」

「ありがとうございます、ちょっとぼんやりして」

「お疲れなんですねぇ……。今日はみなさんの歓迎会、と言うと大袈裟ですが、簡単な説明だけの予定ですから、屋敷に着いたらゆっくり休まれてください。市販品になりますが、スタッフルームに栄養剤の類もあったはずですから」


恐縮です、と千紗都が頭を下げた。

 車はいつの間にか見知らぬビル街へとやってきていた。

 宅間は宣言通りに三人の人間を乗せた。やや派手な若い女性が一人と、男性が二人。千紗都を合わせて、てんでバラバラな四人が今回の仕事仲間らしい。乗ってきた時に女性が桃園、男性の細い方が臼井、眼鏡をかけた大柄な方が釧名とそれぞれが名乗った。

 途中、長い信号に停まったタイミングで小冊子が配られた。なんだか修学旅行か、或いは新人研修なんかに向かっているみたいだ。


「今回のお仕事についてまとめてあります。お客様の個人の情報も含みますんで、屋敷についてオリエンテーションが終わり次第に回収しますが……」


言われてぱらぱらと冊子を捲る。なるほど、屋敷での注意事項やら、見取り図やら、そんなのが載っていた。

 思ったよりも広そうな屋敷に、引っ込んだはずの不安がチラリと顔を覗かせたのだが、それは千紗都だけではなかったらしい。


「すみません、質問、いいですか」


臼井が控えめに手を挙げた。


「どうぞ」

「この四人だけで、こんな広そうな家の家事をするんです? そちらの……貝塚さんは分かりませんけど、あとは自分含めて未経験者っぽいんですけど」

「失礼だな、俺は経験者だぞ。こう見えても家政夫歴も長いんだ」


釧名が顔を顰めた。


「だいたい、やることだとか、大体の規模はそこら辺はサイトに書いてあっただろう」

「サイト?」

「ホームページだよ。それを見て応募したんじゃないのか」


ふと、視線がかち合ってしまった千紗都は慌てて頭を振った。


「わ、私は、新聞広告で見かけて……桃園さんは?」


窓の外に向けられていた視線が、ゆっくりとこちらに向けられる。面倒だな、と隠しもしない本音がその瞳に見えて、千紗都は苦笑した。話の輪に入れようと気を利かせたつもりが、要らぬ世話だったのかしら、と不安になる。ややあって、桃園はのんびりとした口調で答えた。


「あたし、SNSのフォロワーさんから教えてもらったんすよ」

「SNS? イマドキだね」

「そーすかね。ま、ワリが良くて即入れるけど違法じゃないバイト的な? 逆に怪しすぎてウケて応募したんで、サイトの方は未読なんすよね」

「僕だってサイトなんて見てませんよ。人材派遣のメールで知って応募しましたし……いや、だからその、釧名さんは経験者でしょうけど、ちょっと気になったんです。サイトに書いてあったんなら、聞いて申し訳ないんですけど」

「いえいえ、構いませんよ、臼井さん」


宅間が運転席からミラー越しに視線をよこした。


「確かに広い邸宅ですが、そうやることが非常に多いということはないはずです。屋敷には社員の酒田が常にいますから、詳しいことは彼女に聞いてくだされば解決するはずです」

「社員の方が常駐してるんですか」

「ええ、普段は彼女一人で仕事を回してるくらいですよ。折角だからと今回の募集をかけたんです。ご令嬢――明式芹様ですね。芹様が賑やかな方がお好きなのですよ。今はシーズンはずれなので人が少ないですが、時期によってはかなりの人数が働きますから、長く続けてくださればそう言った方々とお会いすることもあるでしょうねえ」


臼井は驚いたとばかりに声を上げた。


「おっと、お屋敷にはお嬢様おひとりで? それを女史一人で守っていると。いささか不用心だなあ。酒田女史は勤めて長いんです?」

「ええ、酒田も二十年近くになるでしょうか……ただ、住み込みが彼女だけと言う意味なので日々人の出入りだとかはありますよ。警備会社とも契約してますし、防犯カメラの類もありますからご安心ください」


へぇ、と今度は桃園だ。


「おいくつでしたっけ、お嬢様」

「今年十八になられたかと」

「ふぅん、じゃあ、あたしとタメっすね。芹お嬢様とはお話ししちゃダメとかあるんです?」

「ありませんよ。ただお嬢様は普段はお部屋からお出かけにならないので、お見かけする機会は少ないかもしれませんね。身の回りの世話も酒田が専任しておりますので」

「ふぅん、せっかくなら友達になれたら良いのに」

「おい、桃園とか言ったか? 遊びじゃないんだぞ。学生だろうがなんだろうが金を貰うなら真面目に真摯に働け」


釧名は目を釣り上げた。桃園はヘーイと至極面倒そうに返事を返す。なんとも相性の悪そうな二人である。

 臼井も千紗都も場を盛り上げるようなタイプでもない。先行きが少しばかり不安になった。


(この四人で二週間か……)


 皆違う求人で集められた四人。千紗都は新聞広告、臼井は人材派遣会社の斡旋で、釧名はウェブサイトから、桃園はSNSから。随分と手広く人を集めているようだ。ということは追加で人が来るかもしれない。そうすれば、もう少し柔らかい雰囲気で働けるかもしれないと、気を紛らわせた。



+++



 お屋敷に着くと、まずは部屋割りから行われた。宅間がテキパキと指示をする。部屋は一階の離れに用意されていた。

 自然、同室は女性同士ということで桃園と千紗都との組み合わせになる。どうせ人がいない住み込みなら一人部屋でも良かったのに、と千紗都は思う。

 この部屋には鍵付きの引き出しも、部屋を簡易的に仕切るカーテンもあるけれど、そんなものめくって仕舞えば意味もない。音すら溢す脆い壁だ。

 それでも千紗都は笑顔を浮かべてみせた。嫌なのはお互い様だ、それならば友好的な関係を築いて、お互いに不快感を少なく過ごせるに限る。


「よろしくお願いしますね、桃園さん」

「ドモ」


桃園は首だけでお辞儀をした。


「貝塚さんでしたっけ。改めて、うち──私は桃園星奈って言います。貝塚さん、年上ですしタメで良いっすよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて。セナちゃんって綺麗な名前だね」

「ハイ。星に、奈良の奈で星奈っす。貝塚さんは?」

「千紗都。千に、糸編に少ないで紗、それから都、これで千紗都。えっと、星奈ちゃんって呼んでもいいかな。私のことも好きな感じで……」

「あ、じゃあ千紗都さんって呼んでもいいすか」


彼女が笑むと、周りの空気が明るくなるような気がした。身なりはかなり派手だけど、思ったよりも随分いい子のようだと千紗都は胸を撫で下ろした。

 見知らぬ土地、見知らぬ屋敷、突然のルームシェアと不安だらけだった。それは桃園も同じなのだろう。そっと声を落として囁いてきた。


「千紗都さん、ぶっちゃけココ、どう思います?」

「どうって……説明もまだじゃない?」

「まあ、お屋敷の人には会ってないすけど。ぶっちゃけ超怪しくありません? ほら、お屋敷系のサスペンスドラマとかってこういう雰囲気じゃないすか。人里離れたお屋敷で〜的な」

「確かにドラマみたいかもね。でもひと様のお宅を怪しいなんて言ったら失礼よ」


千紗都は苦笑した。能天気だし、お気楽で、いかにもノリで生きていそうな女の子。ある意味同室が彼女でラッキーだったかもしれない。「失礼よ」なんて言い方は説教じみて嫌味だったかしらと少しだけ臆したものの、桃園は特に気に障ったような様子は見せなかった。「確かにそうっすね」と少しだけ眉尻を下げた。


「でも千紗都さん、こういうときには一人行動はダメっすよ。暗い屋敷で迷子とかシャレにならないすから。てなわけで、すぐ着替えるんで待っててください」

「まさか、先に行ったりはしないわよ」

「よかった」



【ここまで】

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