016 アルフレッドの苦悩

 アルフレッドはA1のチーム8準備室で火器を点検していた。壁にはイギリス陸軍標準の装備だけでなく、さまざまなものが並んでいる。

 今のところ、5.56mmだけで十分な威力を発揮しているが、今後のことは分からない。


 チーム8は、チーム7よりも早く活動を開始したが、やはり時差の問題は大きかった。このチームのメンバーはイギリス、エジプト、フィリピン、中国、ブラジルで構成されており、ちょうどいい時刻というものが存在しなかったのだ。

 結局、2週間の活動後に時差調整のためにメンバーを集約することになった。現在はそのための期間で、トークン集めは休止している。

 メンバーは基本的にアルフレッドのいるイギリスに滞在してもらうことになったのだが、中国の学生だけは呼ぶことができなかった。ICESアイセスイギリス支部長は言葉を濁していたが、国が手放すことを嫌がったのだろうとアルフレッドは推測している。


 現実的かどうかは不明だが、ここでの活動に貢献できれば、ICES本部や国家のやりとりで強く出られると考えているのかもしれない。

 エージェントを出国させてしまえば、活動自体はともかく、支援が難しくなるのだ。それならば国内に縛り付けておいたほうが何かと便利だろう。物資を運ばせることも容易になる。そして、保護と訓練も。


 イギリスと中国の時差は8時間。東西に長い中国において、西側だと実質的な時差が異なってくるが、彼女は北京在住とのことだ。その辺りは問題ないだろう。

 2か国間の時差を考慮しての活動する時間帯は、現場でなくICES支部を通して決定されたのだが、アルフレッドは不満だった。しかし現場の者だけで決められる状態ではないと、ICES支部長だけでなく、上官にまで言われてしまったのだ。どのような政治的なやりとりがあったかは不明だが、逆らうわけにはいかなかった。


 活動開始時刻はグリニッジ標準時で午前7時。中国標準時では午後3時だ。ちょうどチーム7とは反対側の時間帯に当たるため、これから両チームがA1で顔を合わせる機会は減るだろう。




 点検を終えたアルフレッドは、トークンを収めている金庫を開けた。何度見ても金額が変わることはない。

 金庫の隣には、活動日と活動参加者、その日の獲得トークン合計をメモしたノートが置かれている。それを見ると、偵察期間を除いた平均は50テス程度。活動日数は8日なので、400テス少々しか稼げていない。

 稼いだうちの100テスはコリッツィに情報料として払ってしまった。その上、あとから入った人員のために〈音声言語理解の発行〉を1枚購入して256テス消費している。それをもう5枚。果てしなく遠く感じる。


 あの日、なぜか1人で共用フロアをうろついていたコリッツィを捕まえて、リージョンとトークンの最大値の関係を聞き出したことに後悔はない。

 行けば分かるので無料みたいなものだと彼女は言ったが、今のアルフレッドにとって100テスは貴重だ。しかし、ある程度の方針を固める上では、その価値はあったと考えている。


 話が終わり、コリッツィがアルフレッドから離れたころにナァイカが準備室から出てきた。彼女たちはそのままリージョン6へと入っていった。

 リージョン6におけるトークン1枚の最大値は64テス。あそこならば、20体のモンスターを倒せば〈音声言語理解の発行〉5枚分のトークンを得られる可能性がある。

 リージョン1で最低でも640体を倒さなければいけない自分たちが情けなくなってしまった。もちろんメンバーには言わなかったが、顔に出ていたのだろう。フアンが何か言いたそうにしていた。


 想定した以上にトークンの獲得値が伸びないのは、やはりメンバーの問題だ。

 ICES本部は、チーム8には軍人が2人いることを理由に、難度の高いチケットを目標に設定したのだろう。多少の不安はあったものの、アルフレッドも納得していた。

 しかしチームでの活動を開始してから、それは甘い考えだったことが分かった。


 ダンジョン内での目的はないが、とりあえずダンジョン領域に入る者は多い。

 産出物の薬品は、ダンジョン内で使うほうが効果は高いが、外でも使える。しかし、ダンジョン領域に入ったことのない者にはまったく効果がない。

 実際にそれらの薬品を使う機会があるかどうかはともかく、もしもの機会のためにと、ダンジョンに入ったという経験を得ようとする者は当たり前にいるのだ。そして、せっかく来たのだから少しエリア1を見ていこうかなどと考える。


 3人はそういったタイプに当てはまる人物だ。死んでしまったデニサも同様だった。彼女が死亡したことは残念に思うが、気持ちの切り替えは済ませている。

 デニサの次に入ってきたユサフは商店の息子で、戦闘経験など皆無だ。そういう意味では、大した違いはないとアルフレッドは思う。

 ブラジルのカイラも、中国の雨涵ユーハンもだ。2人ともダンジョン経験はない。


 そんな3人が、いきなりレベルE程度の場所に放り込まれて戦えるわけがなかったのだ。戦えないだけでなく、移動すら手間がかかっている。

 モンスターへの恐怖心、先の分からない道への絶望感、なぜこうなったのかという理不尽さ。そういった感情を抑えられないのだろう。

 アルフレッドが指示を出して、フアンとともに3人を守りながらモンスターを倒しているが、限界はある。彼ら自身が戦えるように、せめて指示どおりに動けるようにならなければ、今後の展望はない。


(自分の将来のためにも、何とかしなければ……)


 こんなところで死ぬわけにはいかないという気持ちもある。そして、ここでの活動で実績を残せば、出世の道もあるかもしれない。

 ダンジョンの攻略ではなく、警備だけを任されるような兵士は、あまり期待されていないはずだ。これは大抵の国で当てはまるだろうとアルフレッドは考えている。

 ダンジョン攻略において、国防に大切な一線級の戦力は基本的に投入されない。とはいえ、それなりの実力を持つ兵が登用されるのも自然の流れ。

 アルフレッドは攻略隊を希望していたが、レベルFを攻略し終わった段階で、エリア55チェックポイントの警備に割り当てられた。


 エージェントとして結果を出すことで、その悔しさを晴らせればと思っていたのだ。しかし、素人3人を率いてレベルEの1エリアを攻略するのと同様なのが現状だ。


(それでも、他国の民間人に強く言うわけにはいかない)


 改めて考えてみると、チーム7は子供のイクルワを含めて全員が経験者だ。軍人は州兵1人だが、専業採取者が2人もいる。ダンジョンに慣れている分、チーム8よりもいい動きをするのではないだろうか。




 考え続けて気持ちが落ち込んできたのを自覚したアルフレッドは、ペットボトルのキャップを外してミネラルウォーターを一気に飲み干した。


 ふと、共用フロアに行ってみようかと思った。

 調査期間を終えてからは、推奨こそされないものの、1人で共用フロアに立ち入ることは禁止されていない。

 リージョンへの転移門が並ぶフロアに行けば気合を入れ直せるだろう。そう考えてのことだ。


 準備室から出たアルフレッドの目は、1番準備室から出てくる集団を捉えた。

 初めての、12番以外のチームとの遭遇だ。


(現代地球人と装備が近い……)


 彼らも銃のようなものを持っている。服装も、古代や中世を思わせるような鎧ではない。

 生物としての見た目も同じにしか見えない。


 しかし、近しいが、地球人ではない。そう直感する。

 彼らの武器は銃のようではあるが、奇妙な形をしている。あのような銃が実用されているという話は聞いたことがない。


 1番の集団はアルフレッドに近づいてくる。笑顔が見え、気楽な様子だ。


「はじめまして。12番の2人から聞いていますよ。自己紹介のついでと言っては何ですが……聞きたいことはありますか?」



   * * *



 中国のエージェント、ルオ雨涵ユーハンが陸上競技用トラックの隅で胃の中身を吐き出している。

 それを人民解放軍の将校、チェン欣怡シンイーが見つめていた。彼女は雨涵の教育係で、護衛班の長を務める軍人だ。


「罗雨涵、立ちなさい。まだ走りきっていませんよ」


 雨涵は敵意を込めて彼女に振り返った。口元は戻した水分と胃液で汚れたままだ。怒りで腹筋に力が入った瞬間、再び胃が縮み、液体が食道をせり上がってくるのを感じた。


「あそこで死にたくなければ、今ここで、死ぬ思いで走りなさい」


 欣怡が冷たく言い放つ。

 初めて見たときには素敵だと思ったスカートの制服も、今では憎さを増すだけの格好でしかない。

 雨涵は立ち上がり、よろよろとトラックを走り始めた。目からこぼれる涙は、嘔吐だけが原因ではない。


 エージェントとして活動を開始して2週間、雨涵は初めての肉体的苦痛を味わっていた。




 最初のエリアA1から帰った翌日、ICES中国支部長が欣怡を連れて雨涵の自宅を訪れた。

 それ以降、雨涵のそばには常に彼女がついて回り、友人との付き合いにも制限が入った。しかし、彼女は優しかった。雨涵のことを気にかけ、日常生活に不便を強いることを申し訳なく思っていると告げていた。


 雨涵は北京の学生だ。美容とファッションに興味を持ち、短いダンス動画をはやりのソーシャルメディアに投稿して、いいねをもらって喜ぶ。そんな都会の若者だった。

 その日々は、エージェントとなったことで変わってしまった。


 あの日ダンジョンに行かなければこんなことにはならなかった。肝試しだと言われて、深夜のダンジョンに入ってしまったのが間違いだった。


「どうせ一度は行くんだし、ついでにダンジョン経験をしておこうよ」


 友人の言葉を恨みそうになる。彼女は深夜のダブルデートのつもりだったのかもしれないが、雨涵は同行した男に好意はなかった。今から思えばそれすらも腹立たしい。

 地上からエリア1に行くための唯一の転移門をくぐった瞬間、A1に飛ばされてしまったのだ。


 ICES支部は雨涵を深化させ、〈格納〉を得たことを確認すると〈格納拡張〉を3つも使わせた。そして軍から提供された多数の銃器を準備室に運ばせたのだった。


 アルフレッドは国の方針だと考えているようだが、国ではなくICES支部の方針だと言える。

 雨涵を訪ねてきた支部長が漏らしたことだが、国としては最初にクラスHを攻略できればいいのであって、A1での活動はどこがやっても同じだと判断したそうだ。中国のエージェントが活躍できれば、それはそれで喜ばしいが、駄目でも何ら困ることはないという話だ。

 だが支部長と代表はそう思わなかったらしい。軍人と装備を借りる許可をもらった彼らは、雨涵を使ってICESでの影響力を得ようとしているのだ。直接聞かなくとも、政治闘争に興味のない雨涵ですら想像できることだった。

 それを達成するために、彼女に死なれては困るのだろう。




 エージェントとしての活動中、アルフレッドとフアンは怯える3人を守った。その姿は雨涵を感動させるには十分だったが、彼女自身がそこに入っていく必要があるのかという疑問を持たせる一因にもなった。

 それが覆されたのは、今朝のことだ。


 時差解消のために、雨涵を除く4人はイギリスに集まるという。引っ越しなどで時間を使うという理由で、前回の活動終了後に1週間の活動休止が伝えられていた。

 せっかくの休みなのでゆっくりしようと思っていたのだが、欣怡の言葉がそれをさせなかった。


「ロビンソン氏は苦労しているとICES支部長から聞いています。皆が戦えるようにならなければ、いずれ彼の限界が訪れ、守られているだけの者たちは死ぬでしょう。当然、あなたも含まれます。

 中国支部としては、罗雨涵を失うわけにはいかないのです。ですので、今日から私が教育係として、あなたを戦えるエージェントにします」


 雨涵は、やはりそうだったのかと深く反省した。5人もいるのに戦える者が2人では、自分たちは足を引っ張っているだけだ。それを強く自覚した。


 戦闘要員でなくとも、せめて足手まといから脱却したいと彼女は思った。

 しかし、その決意は最初の長距離走で大きく揺らぎ始めていた。


 これまで真剣にスポーツに打ち込んだわけでもない。若い肉体があるから少しは動けるというだけだ。本気で走ればすぐに化けの皮がはがれるのは、火を見るよりも明らかだった。

 それに今更ながら気が付いた。


 つらさ、悔しさ、情けなさ。厳しさに反感を覚えてしまう自己愛精神。崩れかけの決意。全てが入り混じって頭の中を満たす。

 走りながら、目の前がぼやけてしまうのを分かっていながら、涙が止まらない。


 運動経験の少ない雨涵にも分かる。急に厳しいトレーニングをしたからといって、すぐに筋力や体力がつくわけではない。それでも欣怡はやらせるという。

 これは精神の問題なのだ。この程度で消え去るような決意なら、雨涵はA1で生き残れない。彼女は言外にそう伝えているのだ。


 雨涵は何度も立ち止まり、膝を突きながらも、最終的には指定された距離を走りきった。終盤は歩きと変わらない速度だったが、彼女は必死に走っていた。




 2日目からは、初日のような精神論ではなく、科学的なトレーニングが開始された。この日は前日の疲労を考慮した内容だった。

 これからも、エージェント活動に悪影響が出ないようにトレーニングを続けるという。活動日でも雨涵は午後3時前までは空いている。そこにも肉体的疲労の少ない技術講習を詰め込まれた。


 雨涵が再びA1に入ったのは約1週間後。そのような期間では、肉体に大した変化は起きようもない。

 しかし彼女の姿を見たアルフレッドは「よく頑張った」と告げた。きっとICESを経由して欣怡の話が伝わったのだろう。


 守られるだけの罗雨涵はもういない。

 守られながらも、学び、成長し、戦えるようになる。

 決意を胸に秘めたエージェントがそこにいた。

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