015 パリサのアーツ

 午後1時過ぎ。チーム7の東京組は都庁前ダンジョンに帰ってきた。金曜日なので地上エリアはそれほど混んでいない。


 地上エリアは自衛隊が使う転移装置と、民間が使うものに分けられている。左右に並ぶ転移装置の6個目と7個目の間には簡易的ながら壁が設置されており、向こう側の様子を知ることはできない。当然、出入り口も別だ。

 壁の中央にはエリア1への転移門がある。基本的に自衛隊が使うことはないそうだが、念のためどちらからでもアクセスできるようになっている。


 砂田は地上エリアの休憩スペースに向かう。これはICESアイセスの佐藤を経由して採協に設置してもらったものだ。

 2列の転移装置の中央付近にはパラソルが並ぶ。パラソルは小さなテーブルの中央から伸びており、その周りにはスツールが用意されている。一見すると、まるでカフェのテラス席のようだ。

 そのうちのひとつで、パリサとアジートが帰りを待っていた。


 砂田はコーヒーを載せたトレイをテーブルに置いた。管理ビルのコーヒーショップのものだ。トラベラーリッドの付いた紙コップが3つ並んでいる。

 それを2人に勧めると、自らも手に取る。昼間とはいえ、2月の屋外は寒い。コーヒーの熱が、紙コップを通して手のひらから広がってくるような錯覚を覚えた。


「話って?」


 同じくコーヒーで暖を取っているパリサが言った。何を聞かれるのか予想しているような表情だ。

 アジートは妙な空気を察したのか、居心地が悪そうにしている。席を外したほうがいいのかと尋ねてきたが、砂田は問題ないと答えた。


「言いたくなければ言わなくていいけど、何のアーツを使ってた?」

「……答えを聞かなくても分かってるんじゃない?」

「あれはそこらの採取者ピッカーが手に入れられるものじゃない」

「まあね」


 そう言ってパリサは話し始めた。彼女はいろいろとコネクションがあるという。具体的な名前は言わなかったものの、彼女は採協の価格リストに載っていない産出物を定期的に得ており、それを使った取り引きで手に入れたそうだ。

 本当だとしたら、よほどIODEPイオデプに貢献しているのだろう。そういうことができるという話を砂田は聞いたことがないが、できないとも言い切れない。IODEPとやりとりする機会など、そうあるものではないのだ。


「チームメンバーとして聞きたいんだ。隠してるんじゃなければ教えてくれ」


 通常、他人のアーツを聞くことはマナー違反とされている。採協のウェブサイトにすら記載されているのだ。「余計なトラブルを避けるためにも控えましょう」と。

 だが、それが当てはまるのは赤の他人の話だ。チームメンバーのアーツは知っておきたいと思うのが普通だ。実際に、チームを組んでいる者はメンバーのアーツを把握していることがほとんどだろう。少なくとも、リーダーは知っておくべきだと砂田も思う。何ができて、何ができないか分からない者と一緒に働くことは難しいのだ。

 それでも、そういうことを理解していても、所持アーツを隠す者は多い。しかし、そういう採取者でも、表向きに言うためのアーツを別に持っているものだ。


「隠してるわけじゃないよ。聞かれなかったから言わなかっただけ」


 パリサのこれまでの言動を知る砂田は、「そんなことだろうと思った」とつぶやいた。彼女がそういう態度なのは、警戒心からなのか、信頼度の不足かは分からない。単にそういう性癖なのかもしれない。


 砂田がパリサの事情を想像していると、アジートが口を挟んできた。


「2人は知ってるみたいだけど僕には分からない。どういうアーツなんだ?」


 無理もない話だ。レベルGの産出物をチェックしているような採取者は少ない。それに彼は専業採取者でもなかったのだ。手に入らないものを調べる必要はなかっただろう。

 その疑問にパリサが答える。


「名前は〈放射走査〉っていうんだけど、周囲の状況を把握できるんだよ」


 砂田の予想は当たっていた。レベルGの機獣から採取可能なチケット。同名のツール系チケットも存在するが、パリサは探索時にチケットを使っていなかったのでアーツだと判断したのだ。


 彼女の話では、実行すると周囲の構造が立体的に分かるという。球状の範囲で空間的につながっていれば、壁などがあっても問題ないそうだ。実行した瞬間だけの認識なので、動く相手の位置を追い続けるには連続して使う必要があるとのことだが、それでも強力なアーツだ。


「それで普段からレベルDで個人活動できるわけか」

「そういうこと。だからA1での索敵は信用して。わざわざ嘘ついたりしないから」


 そう言ってパリサは砂田と視線を合わせる。神秘的な輝きを放つヘーゼルの瞳が、あらゆる思いを吸い込んでしまうような、そんな錯覚を砂田にいだかせた。


 個人で活動する採取者は少ない。レベルEで個人活動する矢島のような例外もいるが、基本的にはチーム行動が前提だ。彼にしてもエリア22より先には行くことは少ない。個人で行くには無理がありすぎるのだ。

 レベルDですら、個人活動できるのは限られた者だけだろう。パリサにはそれを行えるだけの実力とアーツがある。そういうことだ。


「オッケーオッケー、信用する。他にも持ってる?」

「あとは〈成水〉と〈格納拡張〉を持ってる。そういうスナダは?」

「俺は〈空間識向上〉だけ」

「スナダだって珍しいもの持ってるじゃない」

「フィルムで同じ効果のやつあるでしょ。あれと変わんないよ」


 パリサは〈放射走査〉という希少なアーツを所持している。レベルFでときどき手に入る〈空間識向上〉とは比較にならないだろうと砂田は思った。


「専業採取者でも意外と持ってないものなんだな」


 話を聞いていたアジートが感想を漏らした。

 もっともな疑問だと砂田は思った。ゲームなどで出てくるスキルのように、あれこれと持っているのが普通だと思っている者は、専業採取者以外では少なくない。


 実際に、毎日のようにダンジョンで活動していれば、アーツ系チケットもそれなりに入手できる。それなのに砂田はひとつしかないと言ったのだ。


「5個とか10個とか持ってる人もいるけど、わたしは絞るほうかなあ」

「俺もだ。使わないの持つくらいなら売ったほうがいい」


 アーツというのもは、数を持っていれば有利になるというものでもないと砂田は思う。〈空間識向上〉が典型だが、ダンジョンから産出される薬品類やツール系チケットで代替できることも多い。それならば高価なアーツ系チケットよりも、より多く産出されて、より安価な薬品やツール系チケットに流れるのも当然だ。

 道具を使いこなし、奥の手としてアーツを持っているのが優秀な採取者だというのが彼の考えだ。〈空間識向上〉は中島公園ダンジョンで手に入れたので、近接戦闘に便利だと思って使うことにしたというだけだ。


 所持者が多そうな〈格納拡張〉だが、こちらはこちらで買い取り額が高いため、取得者が使うことは少ない。レベルE以降の攻略が主体の採取者でもなければ、売却したほうが得だ。


「ちなみに使えないアーツの代表は〈成火せいか〉で、持ってるやつは少ないぞ」


 砂田が笑いながら言うと、アジートは「火を出せるんなら、戦闘でも使えるんじゃないか?」と疑問を浮かべた。


「その場で出るだけだしなあ……。単に火を使うだけならライター使うほうが早いし安いんだ」

「あれ使ってるのって、必ず点く火がないと危ないっていう環境のダンジョンを攻略してる人たちだけだよね」

「あー至近距離から全力で使えば動物系モンスターを驚かせるらしい」

「それ〈成水〉でもできるし……あと火は自分も危ないし……」


 何かを生成するアーツでは〈成雷せいらい〉も似たような扱いだが、発見数が少ないので、あまり話題には上がらない。


 2人の言葉にアジートは納得したようだったが、同時にがっかりしような表情を浮かべた。

 それを見た砂田は、先日の男児3人組を思い出した。彼らが「深度はゲームでいうレベルじゃない」と言われたときの表情と、今のアジートの表情は同じ感情からくるものだろう。


「夢がないなあ」


 その言葉に砂田とパリサもうなずく。


「分かる」

「魔法みたいに石とか火の玉飛ばしたりしたいよね」




 アーツの話で盛り上がっていたが、屋外で話していたために体の冷えが気になってきた。熱かったコーヒーもだいぶ温くなっている。

 砂田がそのようなことを考えていると、転移装置から顔見知りのガイドが出てきた。つつみ礼二という男だ。彼は砂田に小さく会釈すると、観光客が出てくるのを待つ。

 4人の大学生くらいの年代の男女の後からは、サポートをしていたのだろう千里せんりが出てきた。

 彼女は砂田を見ると手を挙げようとしたが、周囲の2人に気付いて驚いたような表情を浮かべた。しかし仕事中だということを思い出したのか、すぐに表情を戻して礼二たちの後に続いた。


「知り合い?」


 パリサの質問に、砂田はガイドという意味での同業者だと答える。

 この休憩スペースができてから、何度か利用しているうちに観光客は見慣れたのだろう。そこを聞いてくることはなかった。


「そろそろ俺たちも帰るか……。そうだ、何か食べに行く? 来てから一緒に食事とかしてないよな」

「それなんだけど……僕はちょっと皆との外食が難しいんだよね」


 砂田の提案に、アジートが申し訳なさそうに断りを入れた。

 ヒンドゥー教徒の彼は、食べていいものが決められており、外食できる店が限られるとのことだ。


「えっ、じゃあいつもどうしてんの?」

「ホテルの地下にインド料理店があるから、そこで食べてる」


 基本的に肉や魚介類、卵を食べず、野菜も五葷ごくんと呼ばれるものは食べられない。そういう決まりならば確かに行き先は制限されるだろう。

 パリサが補助するように続ける。


「近くのインド食材店と料理店、あとはベジタリアン向けの店とか、そういうのをホテルの人に聞いてるよ」

「東京は何でもあるね……。ああ、そうだ。僕の家は厳格なほうじゃなかったから、鶏肉や羊肉はたまに食べてたよ」

「はーなるほどねえ」


 そういったことを聞いていて、砂田はアジートの体を大きくするという提案を思い出した。肉も魚も卵も駄目となれば、筋肉をつけるには豆しかないのではないか。一応は鶏肉なら大丈夫とのことだが、普段から食べているわけでもなさそうだ。しかし効率という点では肉を食べたほうが早いのは間違いないはずだ。

 その話をすると、アジートとパリサは忘れている食材があると笑った。


「スナダ、乳製品は食べていいんだよ」


 牛を傷つけずに取れる牛乳と、乳製品は食べていいのだという。チーズは条件があるようだが、満たしていれば大丈夫のようだ。


「そっかー。じゃあホエイプロテイン買おうな!」

「わたしもそれがいいと思う」


 アジートも賛成し、ドラッグストアで買っておくと答えた。

 あとはベジタリアン向けの体作り食材などを調べておくといいだろう。サプリメントも、使っていいのならば使うべきだ。最近はヴィーガン対応かどうか記載されているサプリメントも多いので参考になるだろう。そう砂田は話す。

 幸いトレーニングジムは都庁前ダンジョンの近くに24時間営業の店舗がある。そこの地図も送ると約束した。


「そういえばパリサはどうなんだ? というか、どこの出身なのかすら知らないんだけど」

「聞かれなかったからね」


 そう言ってパリサは意味ありげな微笑を浮かべた。作り笑顔にしか見えないが、ここまでの流れからすると、実際そうなのだろう。


「出身はイランだよ。わたしは特に制限ないけど、地元の友達はムスリムが多かったら食事の制限は慣れてる」


 それを聞いた砂田とアジートは、その辺りだろうと思っていたと顔を向けあった。


 彼女は自分のことを話さない。旅先の話やダンジョンの話はするのに、自身のことになると聞かれなければ答えないという姿勢を崩さないのだ。

 そこをアジートが尋ねると、単純に親しさの問題だという話だった。出会って1か月しか経っていないのだ。

 砂田にしても、アーツについては言っていなかった。気持ちは分かる。


「今のところ、2人のことは信用してるよ。でも過ごした日は少ないからね。これから仲良くなればいいよ」


 砂田は念のためにと宗教についても尋ねたが、それについては答えたくないと言われた。自分は不真面目な信徒なので、ちゃんとした人たちの誇りを傷つけたくないということだった。

 それを聞いた彼は詮索をやめた。そういうことなら、チームとして活動する上で気にすることはないだろうと思ったからだ。

 しかし出身国を聞いたことで、別の懸念が湧いた。


「ナイラのことはどう思ってるんだ?」


 歴史的経緯からイランとアメリカの仲はかなり悪かったはずだと砂田は思い出したのだ。

 そんな国の2人が同じチームにいる。気にならないわけがない。

 質問の意図を付け加えると、パリサは何でもないような雰囲気で話しだした。


「そういう意味では特に何か思うことはないよ。意見が合わなくて言い合いみたいになることはあるけど」


 彼女の口調は真剣だ。〈音声言語理解〉の力で分かるだけで、音声から理解しているわけではなくとも、はっきりと伝わってくる。


「それに……国家とか宗教とか真剣に考えてる人からしたら、わたしはどうしようもない人間に見えてると思うよ」


 過去に何かあったのか、パリサの表情に憂いを見たような気がした。

 しかし砂田自身も似たようなものだ。それを棚に上げて彼女にケチをつけようなどとは考えられなかった。


「いいよ。チーム活動に支障がなければ、俺はそれでいい」


 その言葉を聞いたパリサは砂田を見て、アジートを見て、また砂田を見た。そして笑顔を見せた。


「スナダはそういうタイプなんだね」


 そう言った彼女の瞳に、悲哀はすでに感じられなかった。



   *



 その後、砂田はアジートが食べているものを食べたいと言って、ホテル地下のインド料理店に案内してもらった。

 昼営業ラストオーダーまで30分という時刻での入店だ。

 ランチセットではカレーを選べるのだが、アジートに合わせて豆のカレーを注文した。

 初めて食べたが、これはこれでうまいものだと、楽しめたことを2人に話す。

 ダンジョン領域外では英語と日本語が入り交じる会話だが、以前よりは英語が上達したのではないかと砂田は自賛した。


(俺たちは――国も、宗教も、食べ物も違う)


 それを分かった上で、異なる文化を楽しみながら、チームとして問題なくやっていければいい。そう思いながら砂田はホテルを後にした。

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