013 東京の3人

 羽田空港の税関を通り抜けたパリサは、到着ロビーでぼんやりと立ち尽くす砂田を見つけて手を振った。バングラデシュのダッカから約15時間、シンガポールを経由しての訪日だ。


「スナダ、アリガト」


 少しだけ覚えてきた日本語で話しかけると、砂田は「おお」と感心した様子を見せた。

 先ほどまで後ろを歩いていたアジートも挨拶をしている。2人は英語を使っている。何となく通じているようだ。


 半ば勢いで日本に決めてしまったが、言葉の問題は早急に解決しなければならないとパリサは感じていた。少なくとも1年はいるつもりなのだ。ホテル生活とはいえ、ある程度のコミュニケーションは取れるようにしておきたい。

 幸い言語学習のために新しく知人を作る必要はない。相手なら目の前にいる。


 到着したら、最初にICESアイセス日本支部へ行くことになっている。表向きの立場がICES臨時職員だからだ。これはエージェントたち全員が同じ扱いのはずだが、イクルワはどうなっているのか分からない。ナイラの家族扱いだろうか。

 砂田がタクシーとモノレールのどちらがいいか尋ねてきたが、アジートの希望でモノレールに決定した。乗ったことがないので体験したいらしい。




 車両に揺られながら、パリサはエリアA1での出来事を思い返していた。


 砂田は予想以上に戦えるようだった。クラスF攻略者というのは本当らしい。あの様子ならレベルDでも単独で突破できるだろう。

 それよりも痛快だったのは、惨めに転ばされた屈み鬼の頭を砕いたところだ。

 パリサは屈み鬼に分類されるモンスターを嫌悪している。自らが被害にあったことはないものの、連中は人を連れ去る。その先で行われる攻撃は人の心を壊す。そして殺すのだ。そこに年齢性別による区別はない。


 パリサとしては、チーム7はリージョン1ならば問題ないと感じた。ナイラはダンジョン経験こそ薄いものの、軍に所属するだけはある。パートタイムの軍人だと言っていたが、さすがに未経験者とは違う。

 アジートは基本的にレベルBしか行かないような、採取者ピッカーとは呼びがたい段階だが、慣れれば十分やっていけそうな気がした。

 足手まといと思われたイクルワだが、子供だけでダンジョンに放り込まれていただけあって度胸がある。レベルBとはいえ、武器も渡されずに探索していたことが理由だろう。


 しかしリージョン1では稼げない。100点を得るのに最低でも50体のモンスターを倒さなくてはならない。

 リージョン番号を上げれば得られるトークンの価値が上がると言われたが、どのくらい上がるのかは分からない。アルフレッドたちが聞き出せればいいが、そうでなければ自分たちで確認する必要がある。


 それにしても、あの日、ナァイカたちに会えなかったのは残念だった。彼女たちがどういう存在なのか聞いてみたいと思っていたのだ。そのためならば、パリサはトークンを差し出すことにためらいはない。

 彼女たちの話を、別の世界の話を聞きたい。そして早く他の転移門の異世界人たちにも会ってみたい。ファンタジー映画に出てくるような人たちだろうか。アケメネス朝の不死隊や、サーサーン朝のカタフラクトを思わせるような装備だったりしないだろうか。

 意外と、現代地球と同じような世界なのかもしれない。


(本当にダンジョンは面白い)


 きっとトークン集めよりも有意義だ。パリサはそう思うのだった。



   * * *



 ICES日本支部に到着し、支部長とやり取りをするアジートは疲労困憊だった。

 長時間の空旅で肉体的に疲れたというのもあるが、日本行きを提案されてから、いろいろあって気疲れしていた。


 あの日の数日後、ICESバングラデシュ支部長がアジートの家を訪ねてきた。

 彼は日本に行くなら家族の説得を手伝うと申し出た。バングラデシュに残るならそれでいいが、そうでないなら支援するように本部から言われたそうだ。

 つまりは本人の気持ち次第だった。


 アジートとしては正直どちらでもよかったのだが、家を出れば1人分の家計が浮く。

 A1での雑談中に聞いたパリサの旅先の話や、砂田のガイド話に興味を引かれて、外国で長期滞在してみたいという気持ちも生まれていた。

 それでも大して強い動機ではない。反対されれば諦めてもいいと思える程度だった。


 アジートの心配は杞憂に終わった。家族は反対しなかったのだ。支部長が「ICESの臨時職員となって日本に出張してもらう」という説得材料を出す前に、後押しすらしてくれた。支部長の提案を聞くと大げさに感じるほど喜んでいた。

 そもそもが、アジートは学校が休みの日にダンジョンで産出物を得て、家計の補助をしていたのだ。

 12月に卒業したばかりだが、そのまま採取者になるのかと両親は思っていたそうだ。そういう状況で、いつ怪我をしてもおかしくない採取者からダンジョン対策の国際機関の職員になると聞けば、大出世だと感じただろう。


 迎えを待つ間、家族と多くの話をした。家族との時間を大事にしたいと、これほどまで思ったのは初めてのことだった。

 両親はとにかく無事でやれと、アジートの安全を願っていた。兄は彼のことを褒め、誇りに思うとまで言った。

 そんな家族に、死ぬ危険性がある仕事だとは言い出せなかった。


(何ともしても任期を生き抜いて、達成賞与も手に入れてみせる)


 アジートの決意は固い。

 当初は巻き込まれたことを呪ったが、家族のためになるのならと、そう思えるようになったのだ。


 しかし気合を入れるのが早すぎたのかもしれない。

 バングラデシュまで迎えに来たパリサが「まだ仕事じゃないんだから楽にすればいいのに」と言っていたが、そのとおりだった。

 高級そうな服を着こなし、やたらと肌艶のいい彼女を見て、家族はどこかの金持ちが来たと勘違いしてしまった。そうして生まれた過剰な激励によって、アジートにさらなるプレッシャーがかかってしまった。


 何はともあれ、無事に到着したのだ。面倒なやり取りさえ終われば休める。

 ビザ関係はICESが手を回しているので1週間ほどで通るはずだと支部長が言う。エージェントとはいえ表向きは職員なので、書類上の調整が必要なようだ。

 それまでは時差解消や装備の調達をして過ごしてほしいとのことで、本格的な活動は2月からになりそうだ。



   * * *



 初日はアジートが疲れ果てていたため、砂田は2人をホテルに送って別れた。

 ホテルは都庁近くの、1泊で数万はする高級ホテルだ。アジートは恐縮していたが、パリサは満足そうだった。もしかすると彼女の要望なのかもしれない。

 ICESからすれば、最大10人が高級ホテルで生活する程度は何ともないのだろう。砂田は産出物の取り引き以外にICESの財源を知らないが、どこかの国から金が出ているのだろうと推測している。


 しかしICESは、金は出してくれたが、人は出さなかった。通訳がいないのだ。必要ならば自分で雇えということなのだろうか。外には漏らせない内容が多いので、そもそも通訳を使うなということなのかもしれない。

 しばらくは片言の英語で乗り切るしかない。もしかすると英語力が上がるかもしれないと、砂田は自分を納得させた。

 2人とも日本語を覚える気があることは救いだった。


 東京での合流が完了したことと、活動を開始できる日時については、パリサを経由してナイラに伝えられた。

 ナイラとしては早めに動きたいだろうが、時差解消の手助けをすると言い出したのはICESなのだ。こちらが焦る必要はないはずだ。

 本当に急いでいるなら、無理矢理にでも本部のあるニューヨークに集めようとするだろう。



   *



 エリアA1での活動開始に当たって、まずはアジートの服をどうにかしようと砂田は提案していた。これはICES支部での話し合いの際に、佐藤に通訳をさせた。

 二度目のA1でも彼は平服だった。普段からその服でダンジョンに入っているのだろうが、レベルBならともかく、レベルE以上のA1では危険すぎる。

 丈夫な服とプロテクターは必須だ。


 合流から数日後、朝から3人連れ立って、新宿駅の鉄道会社系デパートにやってきた。まとめて買うならデパートが手っ取り早い。金は出してもらえるのだ。最初から上級品をそろえておくのがいいだろう。


 新宿駅周辺のデパートには採取者向けのテナントも多い。スポーツやアウトドアに関係するメーカーが、戦闘も想定した採取活動用の商品を多く作り出しているためだ。

 採取者はミリタリーショップなどで軍放出の戦闘服を買うことが多いが、スポーツブランドの商品も高い人気がある。ミリタリー関係に詳しくない者にとって、大手の信頼性というのは捨てがたい。

 砂田は主にカーキ色やオリーブ色の戦闘服を着ているが、インナーやプロテクターなどはスポーツメーカーでそろえている。国内では多数派の組み合わせだろう。


「あれ? 砂田さん? えーと、そちらさんは……」


 声をかけてきたのは矢島だった。持ち物からするとダンジョンからの帰りだろう。彼にしては遅い時間だが、デパートが開くのを待っていたのだろうか。


「いろいろあって、これから一緒に仕事するメンバーだよ。服を新調したいってことで来てる」

「……できそうなお姉さんっすね。お兄さんのほうは……これからに期待って感じっすか」


 2人をちらりと見た矢島は、立ち姿や雰囲気から実力を判断したようだ。

 矢島は今日の採取活動中にプロテクターを傷つけてしまい、せっかくだから買い換えようと思って店に来たと話してくれた。


「話は変わるんだけどさ、矢島くん英語できたよね?」

「えっ、えーまあ、一応……あんまりきれいな英語じゃないっすけど」

「疲れてるとこ悪いけど買い物につきあってくれない? 通訳を頼みたいんだよね。……3万でどう?」


 砂田は、矢島がオンラインゲームの音声チャットで英語を覚えたと聞いていた。経緯が経緯なので、スラングが多くてビジネスには使えないと笑っていたのを覚えている。

 それでも砂田が話すよりはスムーズに話が進むだろう。


「いいっすね! てか言葉通じないのに一緒に仕事するんすか?」

「あーそこはまあ、仕事中は問題ない」

「うーん……採取者同士ならそうかもしれないっすね」


 何か気にかかったような様子を見せた矢島だが、詮索することなく砂田のごまかしを受け入れてくれた。


 矢島はアジートと身長が近いため、彼にあれこれをアドバイスをしている。

 リージョン1でのこと思い出すかぎり、動きは問題ないだろうが、アジートは体が細い。そう思った砂田は体重を増やすかと持ちかけたのだが、それを考慮してのことだろう。

 値札を見て自国通貨換算するといくらなのかと計算するアジートを見て、パリサが笑いながら何か言っている。矢島に聞くと「どうせ経費になるんだから気にするな」と話しているようだ。


 ある程度アジートの買い物が終わったところで、パリサも買い物をしたいと言い出した。普段はアウトドア系の服を着て活動しているそうだが、せっかく日本のデパートに来たのだから買い物をしたいとのことだ。


 パリサがコンプレッションウェアを試着して、サイズが合っているか店員に確認している。それを見た砂田は疑問が浮かんだ。中東系の彼女が体のラインの出る服を着て、それを男の前で見せているのは大丈夫なのかと。

 こういう疑問は早めに解消したほうがいい。気にしていては無駄に疲れる。

 そう思った砂田は矢島に声をかけた。彼はパリサを見て「おー鍛えてますねー」と日本語で褒めているところだった。確かに彼女は引き締まった体型をしているが、問題はそこではない。


「パリサさんは大丈夫って言ってますけど」

「あー違うんだよ……そうじゃなくて文化的にとか宗教的にいいのかって思って」

「なるほど。ちょっと聞いてみますね……えーと、イスラム教徒じゃないって言ってます」


 彼女の国の都市部では、スカートや上着で腰回りを隠してはいるものの、肌に密着するようなパンツを履いている若者もいるという。女性はヒジャブが必要といった服装規定があるそうだが、宗教の違う彼女が日本に来てまで守る必要はないという主張のようだ。

 矢島の隣で話を聞いていたアジートも納得した様子だ。彼もムスリムではなく、自国では少数派らしい。

 それを聞いた砂田はエージェントにムスリムがいないのかと思ったが、チーム8に新規で入ったエジプトの若者がそうだと後日ナイラから教えられた。




 買い物が終わった4人は、デパートの飲食フロアでコーヒーを飲みながら雑談をしていた。

 矢島もいろいろ話が聞けて楽しかったと言っているので、通訳代と合わせれば明日の採取活動を休む対価としては十分だろう。


「ヤジマ、アリガトウ。ニホンゴ、ガンバル」

「ワタシ、モ? ガンバルネ」


 アジートとパリサが教えられた日本語で声をかけると、いつでも話しかけてくれと言って、矢島は帰っていった。

 出会ったのは偶然だったが、手伝ってくれた気のいい同業者に砂田も感謝した。


(こうやって交流するだけなら楽しい仕事なんだけどな……)


 それでも代わりはいないのだ。交代するには1年、正確には残り11か月やりきるしかない。そうでなければ死ぬかだ。

 こう思ってしまうということは、自分は決意しきれていなかったのかもしれないと、砂田は気持ちを改めた。


 明日からは待機予定になっているが、地上エリアで話し合いでもしたほうがいいかもしれない。佐藤に場所を作ってもらえるように言ってみるのもありだろう。

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