011 エージェント
謎のエリアから帰還して1週間ほど経ったある日、砂田は
半蔵門線で永田町駅の隣にある青山一丁目駅。青山通り沿いのビルに日本支部は入っている。
砂田が想像していたよりも規模が小さい。まるで従業員が20人程度の企業のオフィスのようだ。
受付の電話で要件を告げてしばらくすると、スーツを着た男が現れて「ICES日本支部長の佐藤です」と名乗った。
清潔な印象を与える容姿だ。見た目の年齢は砂田と同世代か、少し上くらいだろう。
2人は会議室に移動すると、円形の机を挟んで座った。机の大きさは直径2メートルくらいだろうか。北欧家具ブランドのものに似ている。
「砂田さん、今日の要件は分かっていますよね」
もちろん砂田は理解している。ここでごまかす必要はない。
これまで皆との約束どおり口外もしていないのだ。遠回りな会話をするよりも、早く本題に入ったほうがいい。
「はい。何か決まりましたか?」
「ICES本部からの伝達です。砂田
砂田は特に表情を変えなかった。この手の処理をされるだろうとは予想していたからだ。
特定採取作業員とは、ICESが指定した産出物の取得を目的とする
その第2種は、例の場所で採取活動を行う者のことを指すと佐藤が説明した。
ちょうどそのとき、会議室の扉がノックされた。コーヒーを持ってきたようだ。
佐藤が入室許可を出すと、職員らしき男が2人分のコーヒーカップをトレイから下ろし「どうぞ」と差し出した。
そしてそのまま退室していく。ずいぶんと特徴の薄い男だと砂田は思った。妙に顔が覚えづらい。
彼を見送った佐藤は、砂田にコーヒーを勧めてから話を続ける。
「まず、例の場所は『エリアA1』または単に『A1』と呼びます。『Another One』の略だそうです。
――エリア1がもうひとつあるはずだという話は知っていますか?」
砂田はその話を知っていた。民間に開放される前から発表されていたことだ。
チェックポイントが確認されているエリアは、1・2・3・5・8・13・21・34・55・89。
89の次が144と予測されているのも、この法則からだ。
だが、法則を成り立たせるためには、もうひとつ「1」が必要だ。それならばどこかにあってもおかしくはない。そういう理屈から生まれた話だ。
この説を信じ、未知のエリア1を探し続けている者もいると聞いている。しかし地上から次のエリアへの経路はひとつしかない。
「そういうわけで、もうひとつのエリア1と仮定されました」
佐藤はそこで話を区切り、カップを手に取った。コーヒーはカプチーノだが、コーヒーメーカーを使って淹れているのだろう。インストコーヒーとは違う香りが届く。
それを見た砂田もコーヒーを口に運んだ。舌の上にほのかな苦味が広がる。
「代理人がやることについてですが、あの代用貨幣を得て、チケットを入手するのが最優先事項です」
佐藤はエリアA1で見た貨幣のことを「トークン」と呼ぶことになったと付け加えた。代用貨幣のことを英語ではトークンと呼ぶので、そこから取ったのだそうだ。
そして稼働中の他の転移門を使っているという人員からの情報取得も仕事に含まれる。モンスターのいる場所の詳細も調べてほしいとも言われたが、必須ではないようだ。
期間は最低1年。これはエリアA1へのアクセス権を持つ者が権限を破棄可能になるまでの期間だ。
〈アクセス権破棄の発行〉を使って得られた〈アクセス権破棄〉チケットには、「7番は現地時間で1年以内は破棄できない」というようなことが書かれていた。アルフレッドたちの8番も同様だ。
「任期の話ついでというわけではありませんが……アルフレッドさんの集団にいた女性、デニサさんが亡くなりました。A1からの帰り道で強盗に襲われたそうです。ICES職員が死亡を確認しています」
あそこから帰った時刻は22時ごろだと推定されている。デニサは中央アフリカの出身だと話していた。
その死亡報告を聞いた砂田だが、ほとんど表情を変えなかった。短い時間とはいえ、一緒に過ごし、言葉を交わした者だ。悲しいかと問われれば悲しいと答えるが、自分の知らない場所で起きたことはしかたがない。彼はそう考えている。
「それは残念です」
「……それに伴い、アクセス権を持つ者が死亡した場合にどうなるのかが判明しました」
佐藤は何か言いかけたが、そのまま話を続けた。
アルフレッドとフアンがエリアA1を調査している際に、転移装置がある部屋に知らない人物がやってきたと報告されている。2人はデニサの死を知っていたため、別の人間が選ばれたのだと気付けたようだ。
しかし時間が合わない。入ってきた人物に聞くと、初めて来たという。その取り乱した様子から、嘘ではないだろうとアルフレッドは確信したそうだ。
「つまり、直後ではないが数日以内には次のアクセス権保持者が選ばれる、ということですか」
「サンプル数が1なので、あくまでも推測ですが」
そういうことなら、1年後には安心してアクセス権を破棄できる。替わりに選ばれる者には悪いが、見知らぬ場所で選ばれる見知らぬ人物だ。それならば砂田は気にすることはない。
しかし不安もある。死亡すれば代替人員が選ばれるのなら、戦えない者を殺すメリットが出てくる。
「……もし1年未満で怪我して仕事ができなくなったとき、馬鹿な話かもしれませんが、暗殺されたりしませんよね? この仕事ってどっちかというと裏仕事だと思うんですが」
「それについては、必要に応じてダンジョン産の薬品を提供するそうです」
「……〈再生ポーション〉みたいに寿命削るやつじゃなければいいんですが。それと、どう見てもレベルBまでしか行けなさそうな人が多かったんですが、そういう場合は?」
「次に選ばれる人物を指定できないのです。わざわざ……いえ、今いる人員を鍛えるべきという判断になったと連絡を受けています」
佐藤が暗殺を否定しなかったことに砂田は気付いていた。しかし問い詰めても答えてくれないだろう。そして恐らく、「わざわざ殺すよりも」とでも言いかけたのだろうと思った。
「ちなみに断ったらどうするんですか?」
「断らせるな、とだけ言われています」
つまり、断れば何らかの処置を下される可能性があるのだろう。ダンジョン関係だけならば、政府に物言う権力を持つと噂される国際機関が相手だ。国家所属の兵士を失いつつもクラスH攻略を目指す動きを考えれば、やると決めたら日本でもやるだろう。
選択肢はない。砂田には代理人として動く道しか残されていないのだ。
「……受けます」
「すみません」
佐藤は本当に悪いと思っているような表情をした。
それを聞いた砂田は意外に思った。感謝ならともかく、謝罪の言葉が来るとは考えていなかったからだ。ただの演技なのかもしれないが、どちらにせよ言葉だけの謝意よりは印象がいい。
「それで、まさか個別でやるんじゃないでしょうね」
「いえ、チーム――A1の転移門に付いている番号で分けたチームです。基本的には、その単位で動いてもらいます。砂田さんはチーム7所属です」
「……あの子供も?」
「彼も代理人の人員リストに載っています」
さすがに砂田も顔をしかめた。軍人のナイラや採取者のパリサ、成人間近のアジートはともかく、名のない子供は10歳程度だろう。それを未知のエリアに放り込むというのだ。目の前で死なれでもしたらたまったものではない。
「本気ですか」
「彼のことは本部と南アフリカ、そしてアメリカが決めることです。こちらに権限はありません」
砂田はため息をついた。ナイラが保護して終わりならそれで良かったのだ。
何もできないと言われてしまえば従うしかなかった。佐藤に拒絶を突きつけて、遠く離れた見知らぬ土地まで行くほど、砂田は正義感にあふれる人間ではない。
「本部はそう決定しました。彼についてはナイラさんが保護に向かっています」
「危険度も分からないのに……あんな場所だ、付けられた名前はA1ですが、普通のエリア1なんかとは違うとは思いませんか?」
「それについては、一部が確認されています」
佐藤はアルフレッドとフアンがリージョン1を確認したと伝える。リージョンとはエリアA1から行けるトークンを得られる場所のことを指す。そのときに使う転移門の番号からリージョン番号が割り振られた。
リージョン1は、通常のダンジョンならばレベルEからF程度だということだ。入るたびに行き先が変わるらしく、明確にはできないと報告されている。
レベルFまでなら近接武器だけでもどうにかなるが、それより上になると砂田の手持ち武器では厳しいだろう。それはどうすればいいのか聞こうとすると、先手を打つように佐藤が告げた。
「ちなみに、日本から銃を貸すことはありません」
砂田は東京に戻ってから、一度だけレベルGに行ったことがある。エリア55チェックポイントには自衛官がいたが、危険性を説明されただけで止められることはなかった。
そして、エリア56の入り口側の転移門からそう離れていない場所を見回っただけで逃げ帰った。北海道にいたころのチームで突入したとしても、ひとつのエリアを突破するのも苦労するだろうと感じたのだ。
「銃火器類については、個人の希望がなければアメリカや中国、いくつかのヨーロッパ諸国が所有するものを提供するそうです。砂田さんはチーム7ですので、ナイラさんの所属するアメリカが用意するでしょう」
「それはナイラが運ぶんですか?」
「はい。銃も含め、各種物資を準備室に用意するとのことです。銃の使い方もそこで習ってください。ただし日本に持って帰ってこないでください」
準備室とはエリアA1に行き来する転移装置が並んだ部屋だ。
〈格納〉と転移装置があるとはいえ、ナイラは何往復することになるのだろうか。だが、それだけICESは本気だと言える。どうでもいいならば支援などしないだろう。
それにしても佐藤は遠回しな説明をしてくると砂田は感じていた。わざと苛立たせて人格チェックでもしているのかとすら思ってしまう。
「こっちは巻き込まれた民間人です。ICES所属ということなら、無償ではありませんよね?」
砂田は佐藤の目を見据える。望んだわけではないとはいえ、体を張らなくてはならないのだ。国家のために戦う軍人でもなければ、ダンジョン攻略に人生をかけているような一部の採取者とも違う。
トークンを集めてチケットを手に入れることでICESにメリットがあるなら、何らかの見返りが欲しいと思ってもおかしくないだろう。
それに対し、佐藤は月ごとにICESから給料が出ると答えた。扱いは臨時職員だからだ。目標のチケットを入手できたら、その種類に応じて達成賞与も与えるとのことだ。また、時差解消のために外国へ行くなら滞在費も出る。さらにエリアA1で活動するにあたって、必要な物資の経費まで出るそうだ。
そう説明したところで、佐藤は釘を刺すような視線を向けてきた。
「ですが、何もしないで1年を過ごさせるわけにはいきません」
「それはそうですが、戦争中の兵隊でもないんです。毎日戦場に送られるのは勘弁してほしいですね。……何のためにやるのかすら知らないのに」
「そうですね、今のところですが、少なくとも週の半分はやってほしいと言われています。トークンとチケットの入手状況によっては、ペース調整を指示するそうです」
結果が出なければ毎日戦う羽目になりそうだと砂田は思った。逆に考えれば、結果さえ出せば文句は言われないということだ。問題はそれができるかどうかだ。
佐藤は代理人が何のために戦うのか答えていない。それが気にかかったが、とりあえず流れを切らさず質問を続けることにした。
「稼働日はICESが決めるんですか?」
「それはチームで決めていいそうです。チーム7はナイラさんがリーダーを務めますので、例の少年の保護が終われば連絡が来るでしょう」
「意外と余裕あるんですね」
「それは本部に聞かないと分かりませんが、彼も代理人ですから。戦力になるかどうかはともかく、他に人員がいません」
砂田は先ほどから「代理人」という名称に違和感を覚えていた。佐藤は代理人の仕事を説明する際に、ICES本部に変わってエリアA1で活動するから代理人だと言っていた。しかし、あそこで得られるチケットを使えばモンスターの所持アイテムに変化を与えることも可能だと推測できる。それが正しければ、秘密裏にダンジョンのアップデートを実行できるとすら言えるだろう。
そのアップデート権を得るために活動する、たった10人の代理人たちはICES所属。あのチケット類を見れば、表立っての発表はできないだろう。もしかすると、クラスHの攻略隊ですら知らない可能性もある。
「ところで、代理人というのは英語のエージェントの日本語訳ですか?」
「そのとおりです。使っているのは本部の日本代表と私だけですが」
「やることを考えると、工作員と訳してもいいと思うんですが……そのまま『エージェント』でいいんじゃないですか?」
砂田の考えを聞いた佐藤は「なるほど」とうなずき、今後はそうしようと返事をした。本部の代表にも伝えておくそうだ。
その後、佐藤はエリアA1で活動する際に産出物が得られた場合の対応について説明をした。
トークンとの引き換えではない産出物が得られた場合は、エージェントが使用可能だ。通常のダンジョンで既知のものなら売却してもいいとのことだ。
エリアA1での活動において必要なチケットがあるのなら、獲得トークンの一部を使うことも制限付きで認められている。
なお、未知の産出物の獲得とトークン使用については、事前事後を問わず報告義務を負う。
単純化するとこのような内容だった。
「他に何か質問はありますか?」
砂田は、エリアA1で見たチケットの中でも異彩を放っていた2つを思い出した。
あのように怪しい名前のものを発行できるチケットだ。ICES本部の目も引いたはずだ。
「それでは聞きますが、〈1日延長〉や〈1年延長〉って何を延長すると考えられているんですか? 想像ですけど、ICESはそれを見てA1での活動を決めたんだと思うんですよ。あれは目立ちますし」
「……私には答えられません。権限の有無や制限ではなく、知らないのです」
「ICESの支部長なのに?」
「支部は本部からの指示と情報を前提として動く組織です。伝えられていないこともたくさんあるはずです」
今回の面談も本部から送られてきた資料を基に話しているそうだ。
内容からすると、佐藤は砂田たちがあの場で体験したことの多くを知っているはずだ。チケットの情報も見ているかもしれない。だが、ICES本部の動きまでは把握していないという。
納得した砂田がもう質問はないと伝えると、佐藤は
(まあ、そうなるよな)
面倒だが、必要なことだ。砂田は文面をじっくりと確認してからサインした。
それを受け取った佐藤は記入欄を確認すると、立ち上がってドアへと近づく。彼はドアノブに手をかけはしたものの、ドアを開くことなく砂田に向き直った。
「何度も言いましたが、口外しないようにお願いします。NDAも結びましたしね」
2人は会議室を退出し、ビル共用スペースへと向かった。
佐藤に見送られながら、砂田はエレベーターに乗る。扉が閉じられる直前、佐藤は少し心苦しそうな表情で告げた。
「――それでは、体調にはお気をつけて」
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