009 大切なもの
「はい、それでは今日の21時。よろしくお願いします」
砂田は電話を切った。私用の確認電話だ。一安心したところで、予定をチェックする。
今日は午前中から護衛兼ガイドの仕事が入っている。日帰りだが、長引くことが予想されるので余裕あるスケジュールを組んだ。
依頼者の大原は北海道在住だが、問題なく東京に着いたと昨日のうちに連絡をもらっている。
行き先はレベルC。観光時のような、ただの木の棒では不安がある。
砂田は愛用の武器の状態を確認して専用バッグにしまった。ファスナーを閉じると、2つの南京錠で施錠する。
この武器には刃がついていないが、採取支援道具所持許可証の携帯と、施錠管理を求められている。仮にこの武器に必要ないとしても、刃物も持っているので許可証は必要だ。
錠を解くのが許される場所はダンジョンと自宅、他には許可を得ている施設だけだ。バッグには所持票と呼ばれるものの提示が必須であり、これも欠かすことはできない。
正月直後の連休明け、三が日と連休をつなげて平日を休みにした者たちも職場に復帰するだろう。ダンジョンはいつもどおりの繁盛具合に戻っているはずだ。
そう予想しながら砂田は自宅を後にした。
*
サポートを依頼した千里と合流し、打ち合わせを行う。時刻は午前8時。
場所は管理ビルの検査場前ロビーだ。会議室は依頼者が来る時間に合わせて予約しているので、まだ使うことはできない。
「ごめんなー、千里ちゃんって本当はガイドしてるのエリア10まででしょ?」
「んーでも今日はわたしの案件じゃないし。レベルCなら大丈夫」
「他の心当たりが予定埋まってたから助かったよ」
「Dに行くって言ったら断ってたしオッケーオッケー。あっ、じゃあ後でスタビおごって! フラチーノ新作飲みたい!」
Starbeatsは世界展開するコーヒーショップだが、砂田はどうも苦手だった。注文方法やメッセージのサービスが、ではない。単に雰囲気が合わないのだ。
しかし持ち帰りにしてもらえばカウンターだけで済むはずだ。そう思って「終わってからな」と返す。
千里はそれ聞いて小さくガッツポーズをした。
そこに矢島が通りかかった。採取支援道具所持票のついたバッグを持っているところを見ると、帰宅する途中のようだ。髪が少し濡れている。シャワー室を使っていたのだろう。
「おっ、やじーお疲れ!」
「井上さんは朝から元気っすねぇ。これからガイドっすか」
「今日はスナちゃん指名のサポートだからコレよコレ」
親指と人差指で円を作り、手のひらを上に向けながら千里が言う。砂田を指名する客は依頼料が高いことを言っているようだ。当然サポート人員の報酬も増える。
それを見た矢島が「なんかキャバクラみたいっすね。いや知らねっすけど」などといい加減なことを言う。
「じゃあ俺もう帰りますんで。今度一緒に
「これは、お誘い! もしかして、やじーわたしのこと狙ってる?」
「あーそっすね。砂田さんもお疲れっす」
千里の絡みを雑に流して矢島は帰っていった。
砂田が小さく笑うと、千里が睨んでくる。もちろん本気で怒っているわけではないだろう。
しばらく雑談したあとは、真面目に打ち合わせをしながら依頼者を待った。
*
依頼者の大原と合流した砂田は、千里を連れて都庁前ダンジョンのエリア11に来ていた。最短経路を通ってきたのだが、すでに3時間以上が経過している。
入り口側のエリア門を出て、出口とは逆方向に歩いていると大原が話しかけてきた。
「いや、さすがに遠いね。年寄りにはこたえるよ」
「大原さんまだ50代でしょ」
「もう、だよ。砂田くん」
「……もうすぐ着くので頑張ってください」
エリア11は丘のある草原のあちこちに小規模な林のあるエリアだ。丘からは川も流れている。
モンスターはなるべく避けるように歩いてきた。それでもエリア8チェックポイントからは距離がある。そのため大原は疲労を感じているようだ。
視界に荒野の面積が増えてきた。
草原のような開放型の自然環境エリアには境界があり、その先には荒野が広がっている。建造物タイプの外に見えるのと同じ光景だ。
この荒野についてはよく分かっていない。ダンジョンのエリアが見えなくなるまで進むと帰ってこられない可能性があるため、あまり離れないようにとICESから通達されている。
ICES所属のチームが調査をしているらしい、という噂だけは砂田も聞いていた。自分でも分かるのは、地平線があるから球形なのだろうということだけだ。
草原の果てにある小さな林の前で、砂田が「着きましたよ」と伝える。ここからが大原の目的なのだが、まずは休憩することにした。
「砂田さんに写真家さんの知り合いがいるとは思いませんでしたよ」
その雑談中、不意に千里が尋ねた。警戒を続けながらなので、視線は周囲に向けられたままだ。
「彼とは札幌で知り合ってね。札幌のダンジョンあるだろう? そこの動物系モンスターの撮影に行きたいって言ったら砂田くんを紹介されたんだよ」
当時、砂田は中島公園ダンジョンを攻略中だったが、
あのダンジョンにいるオニクズリとフタオキツネを撮りたいということだった。
レベルCにいるフタオキツネはともかく、オニクズリのいるレベルEまで連れていくのは骨が折れた。
訪ねてきたときの大原はエリア8のチェックポイントに到達済みだったが、そこから先は砂田たちが連れていくことになったのだ。
中島公園ダンジョンは雪原エリアが多い。何日もかけた撮影旅行になった。
オニクズリは原型のクズリ以上に荒々しいと言われる。名前のとおり体格も大きい。その凶暴さときたら尋常ではない。護衛するのも、安全距離を維持するのも並大抵の苦労ではなかった。
歩以外のメンバーも同行したが、おしゃべり好きな
大原が撮ったオニクズリの写真は素晴らしいものだった。何度も命の取り合いをした相手を美しいと感じたことに、砂田は衝撃を受けた。
後日、大原から記念に贈られた大判の写真は、ガイドを目指すきっかけのひとつとなった。
「よし、そろそろいいよ。ありがとう。
――砂田くんのおすすめはさっきから見えているあれかな?」
そういって大原は林を指差す。
砂田は「きっと気に入るモンスターがいる」としか大原に伝えていなかった。だが、動物や昆虫の写真を撮っている彼なら間違いなく喜ぶはずだとも思っていた。
「はい、いわゆる
そう言って砂田は〈情報リクエスト〉チケットを大原に渡した。名前に間違いがないことを確認してもらうためだ。
3人は林の近くに移動し、蝶の姿が明確になる位置まで近づいた。
大原がチケットを折り、その裏面を見て笑い出した。
「なるほどなるほど、これをそう解釈するのか。名付けたやつはセンスがいい」
このモンスターの情報だが、ダンジョン文字からは「明と暗の二面を持つシジミチョウ」といった意味が読み取れる。
モンスターの名付けは、発見者の意見と〈情報リクエスト〉で得られた名前をもとに、初発見国のICES支部が決定する。しかしローカライズする過程で、その言語で分かりやすい名前に変更される場合がほとんどだ。
オンミョウシジミが最初にどこで見つかったのかは不明だが、砂田が調べた時点ではすでにICESのウェブサイトに掲載されていた。彼自身も、その名を知ったときには大原と同じ感想を抱いた。
砂田は林から少し離れてから撮影するように言って、荒野との境目を指差す。
大原はうなずくと、〈格納〉から三脚を取り出して設置した。続いて巨大なレンズを出現させ、それをバックパックから出したカメラに装着する。以前、野外でレンズの付け替えはあまりしたくないと言っていたが、〈格納〉に電子機器を入れるよりはましだということだった。
800mm単焦点のレンズはまるで大砲のようだ。千里も「おぉ」と妙な声を漏らしている。打ち合わせ中にも見ているはずだが、何度見てもインパクトがある。
クイックリリースプレートのついた雲台にレンズを装着し、カメラのファインダーを覗いた大原が感嘆の声をあげた。
砂田もその気持ちは分かる。発見したときは美しさに目を奪われたものだ。
「素晴らしい……。黒く縁取られた白銀の
テリハリしてる個体もいるな……。おお! 卍巴飛翔までするのか! 外の蝶とそっくりだな!」
凄まじい勢いで話しながらシャッターを切る大原。後半は何を言っているのか砂田には分からなかった。
確かにダンジョンの動物系モンスターは、元となった動物と似た行動をする。しかし似てはいるが、別物だ。それが大原を惹きつける理由なのかもしれない。
久しぶりに見る大原の興奮具合が心配になった砂田は、念のために警告しておくことにした。
「三脚あるからそんなに移動しないと思いますけど、近づくと危ないので……そうですね、最低5メートルくらいは離れていてください」
「このレンズの最短撮影距離は6メートルだから大丈夫だよ。防衛行動が危ないのかい?」
「はい、命の危険はないんですが……最悪、失明します」
砂田はすでに経験済みのため、安全に避ける方法を知っている。それを伝えたうえで、大原に撮りたいかどうか尋ねる。その答えは予想どおりのものだった。
動画で撮ることを勧めると、大原は標準レンズのついたカメラを取り出して準備を始めた。そちらでも撮るらしい。
危ないのでファインダーではなく背面液晶のライブビューで撮ったほうがいいとアドバイスして、砂田も準備に取りかかる。素早く動けるように荷物を下ろして、千里に警護を頼んだ。
砂田はカメラの位置を意識しながら林に近づくと、向かい合ってくるくると飛び回っている2頭のオンミョウシジミに向けて軽く武器を振った。
蝶がそれをかわして砂田を見る。小さくて分かりづらいが、見られたと直感した。
直後、視界が闇に包まれる。光も、音も、匂いも消えていた。砂田は武器を捨てて両手で目を覆い、顔を隠すように屈み込む。
闇に飲まれてから数秒後、闇は強烈な光に変換された。まぶたを通してさえ感じる明るさ。
光が落ち着いたことを感じ取った砂田は、ゆっくりと目を開けて立ち上がった。武器を拾い、手を振りながら元の場所に戻る。
「いやぁ、あれはすごいね。暗くしてからというのがえげつない。攻撃まで名前どおりとは」
「あのアーツって取れます? 欲しい……」
千里はそう言ったが、砂田はチケットが出るまでオンミョウシジミと戦うのはごめんだった。そもそも取れるかどうかも不明だ。防衛性モンスターはアイテム所持率が低いと言われている。
千里には蝶がチケットを所持しているかどうか分からないと答えておいた。
あれは耐久力こそなさそうだが、外の蝶よりも明らかに素早い。虫取り網などでは難しいだろう。
それから砂田は安全な範囲を指示しながら撮影の補助を続けた。
何度か角の生えた馬のような頭と犬の体を持つ中型犬サイズのモンスターが襲ってきたが、いずれも早いタイミングで千里が発見し、槍で突き殺した。あちらの攻撃は受けず、こちらは一度も攻撃を外さない、完璧な戦いぶりだった。
それを見た砂田は、彼女はここでも普通にガイドできるのではないかと思った。もしかすると、エリア11まで来るのが面倒で受けていないだけかもしれない。
護衛としての戦いは大原に撮影されており、それを知った千里は写真を欲しがった。交渉の結果、格安で入手できることになったようだ。自宅に飾るのだと嬉しそうに話している。大原は無料でいいと言ったが、彼女は断っていた。プロに無料でやってもらうのは良くないとのことだ。
「今度モンスターの写真集出すんだけど、さっきの防衛行動も載せていいかな? 砂田くんさえよかったら、写ってる部分に名前も出したいかな。『防衛行動を検証するガイドの砂田氏』みたいに」
「もちろん構いませんよ。ただし危険性を添えてくれれば。あれ食らった直後にさっきの
「うん、そうだね、そうさせてもらうよ」
帰り道に写真集の相談をされた砂田は気分がよかった。後ろ姿しか写っていないだろうが、掲載してもらうことに否やはない。
出版されたら贈ってくれるという。北海道での写真を思い出した砂田は、今度も楽しみだと期待した。
その後、無事に管理ビルに帰った3人は経費請求などの相談を終えて解散した。
大原は大満足だったようで、何度も礼を述べていた。
「また珍しいの見つけたら呼んでね。いつでも北海道から飛んでくるよ!」
最後にそう言って帰っていった。
時刻は18時を過ぎたところだ。砂田もひとまず帰宅することにした。ただし千里と約束したStarbeatsに寄ってからだ。
*
21時。砂田はある店に来ていた。「5番のお客さま」と整理番号を呼ばれ、ソファーから立ち上がる。
扉の前で注意事項を確認。扉が開かれると艶めかしくもきらびやかな衣装の女が立っている。彼女に案内されて小部屋に入ると、ベッドに腰を下ろした。
女がアンケート用紙の挟まったバインダーを机に置きながら話しかける。
「そうだカケルくん、前にもらったポーション? すごいね! 飲んで寝たら完全復活だったよ!」
「お、よかった。ルミカちゃん疲れてたからね。鑑定しに行った? 本物だったでしょ?」
「うんうん、本物だった。ありがとね! それで、今日は……ベッド? それともあっち?」
そう言ってルミカはエアーマットが立てかけられた浴場を見た。
当然だが「カケル」は偽名だ。砂田はここで「石田カケル」と名乗っている。
「うーん……何回も洗ってもらうの悪いし、ベッド先で」
「気にしなくていいのにー」
笑いながらルミカは砂田の前に膝を突く。腰かけた砂田の脚を開き、体を寄せてきた。そうして慣れた仕草でベルトを外すと、服を脱がし始める。
「こちらにも挨拶しますねー」
ルミカはそう言って2本の脚の中心に顔を埋めた。
ルミカに見送られたあと、店舗スタッフに渡されたアンケートを書いてから砂田は店を出た。いつも同じようなことを書いているが、特に気にしてはいない。
今日は調子が良かった。普段より1回多く楽しんでしまった。
にやつきながら砂田は送迎車に乗る。あとは帰るだけだが、送り先の上野は自宅から遠い。もう遅いのでタクシーにしようかと思った。
(今日は朝からずっといい日だった)
仕事前に同業者と馬鹿な話で盛り上がり、案件は真面目にこなす。
依頼者にも喜んでもらえた。ガイドを始める前にダンジョンを細かく調べた甲斐があった。
仕事が終わったらルミカに楽しませてもらう。頻繁には来られないものの、月に2回は通っている。金は飛んでいくが適切な料金だと砂田は思う。
まだ帰宅途中ではあるが、最初から最後まで充実していた。
砂田はこういう日を好ましいと感じており、大事にしたいとも思っている。彼は自分自身のことを、大した人間ではないし清廉潔白でもないと考えているが、それは別の話だ。
(せめて日常くらいは、自分の小さな日常くらいは楽しみながら生きていたい)
ナイラから連絡が来てしまえば日常が変わる。それでも今日のような日は捨てたくない、そう思うのだった。
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