008 帰還

 話し合いの結果、この場所のことはナイラとアルフレッドが報告することに決まったようだ。そのほうが今からコネクションのルートを作るよりも早いからだ。

 そして軍人以外の者は口外しないことを約束した。この事態は明らかに単なる採取者ピッカーが関わる範囲を越えている。採取者でもない、遊びのつもりだった者などはなおさらだ。


 各チーム内で連絡を取るということで話はまとまった。チームの暫定代表はナイラとアルフレッドが務める。

 この場にいる、関わってしまった者たちをどうするのかは即決できない。やはり政治機関やICESアイセスに任せるべきだろう。

 謎の「発行」チケットは、ロックの解除されている引き出し全てから1枚ずつ回収し、代表2人が届けることになった。いまだ開かない引き出しについては保留だ。

 その通達が終わり、10人はそれぞれの部屋に戻った。




 部屋に戻った砂田は、やっとタイミングが来たとばかりにナイラに呼びかけた。先ほどの会話で少年から得られた情報を伝える。


「それで、この少年とはどうやって連絡を取るんだ?」

「やはり現地に行ったほうがいいかもしれない。……それとスナダ、この子は男の子でいいのか?」

「ああ、さっき雑談中に聞いた」


 現地に行くなら自分がとナイラが主張する。

 砂田は少年との会話で、どこに住んでいるのか聞いていなかった。生活環境とダンジョンの話ばかりしてしまったのはよくなかったかもしれない。だが今ここで確認すればいいだけのことだと思い直した。


「嫌な話に戻して悪いが、連れていかれるダンジョンはエリア8で終わりだったよな。場所は分かるか?」

「……ダンジョンの近くに高い建物が見えるんだけど……大人たちはヒルブロウ・タワーって言ってた」


 それを聞いたパリサが「ああ……」と嘆きか納得か分からないような声を上げた。砂田がどこにあるのかと尋ねると、世界で最も危険と呼ばれることもある都市内だという。そして、最近はよくなったと聞いていたとも話した。

 ナイラが腕を組んで唸る。何か悩んでいるようだ。砂田たちはその様子を黙って眺めていた。

 しばらくして、大きな決断をしたという表情でナイラが宣言する。


「この子は私が何としても安全な場所に連れていく。こんな状況だ。お偉いさんだって分かってくれるさ」

「もし親がいたら?」

「まともな親だったらこんな格好でダンジョンに送ったりしない! 何より名前を呼ばないなんておかしいだろう!」


 砂田は声を荒げたナイラを見て、こんなに気にかけていたのかと意外に思った。子供を見てはいたようだが、ほとんど話しかけないので興味がないのかと思っていたのだ。もしかすると自分が相手をしていたのが理由かもしれないと推測する。世話を焼いてくれる者がいるのだから、自身は現状把握を優先すべきだと考えてもおかしくはない。

 知らないふりをすれば、遠く離れた場所の出来事だ。いくらここで一緒になったとはいえ、次に会えるのかすら不明なのだ。それでも少年を気にかけるナイラを見て、印象を改める必要性を感じた。

 少年以外の子供たちはどうするのかと尋ねると、そこまではここで決められないと返事が来た。


 住居までは判明していないが、近場のダンジョンが分かったのだ。少年を判別できるように工夫しておいたほうがいいだろう。何か特徴を持たせておけば、聞き込みが必要なときは楽になるはずだ。

 そう考えた砂田はハンカチを取り出した。これを結びつけておけば目印になる。

 しかし、こんなきれいな布を巻いていたら奪われてしまうと少年が言う。


 砂田は少し考えたあと、ハンカチを地面に落とすと、何度も踏みつけた。トレッキングブーツの靴裏が容赦なく生地を痛めつけていく。

 そしてボロボロになったハンカチを拾うと、少年の左膝に結びつけた。


「汚れた布を巻くのは心苦しいが、目印として残すためだ。これなら大丈夫か?」

「うん、これなら拾ったって言える。怪我したから巻いてるんだって言うよ」


 砂田が笑顔で少年の肩を叩き「ナイラが迎えに行くからな」と告げると、彼の笑顔が見られた。

 できることはやったと、ナイラに顔を向ける。


「すまないが、後は頼んだ」

「任せろ」


 決意に満ちた目で彼女は答えた。



   *



 砂田は使用可能となった転移装置に入ると、左の門柱を見た。ナァイカが言うには、左側からエリア1チェックポイントを選べば再びここに来られるそうだ。権限のない者が触れると普段のエリア1チェックポイントが選択されるとのことだ。

 これは別の転移門から来る集団の中に、同じ仕組みのダンジョンから来ている者たちがいるということで教えてもらえた。


 エリア8チェックポイントを出てから3時間以上が過ぎており、6時が近い。地上に戻って早く帰ろうと思いながら、砂田はエリア0を選択した。

 転移膜の墨流しの動きが止まる。数秒後、再び流れが動き出したところで転移門をくぐると、そこは都庁前ダンジョンのエリア8チェックポイントだった。出てきたのはエリア門だ。


 地上エリアまで移動し、採協の職員に火ばさみとガラ袋を返しに行くと、遅かったが何か問題があったのかと聞かれた。心配をかけてしまったのだろう。しかし口外禁止の約束をした砂田は正直に答えるわけにもいかず、「ちょっといろいろ」と雑な言葉でごまかして逃げるように立ち去った。

 チェックポイントの記録員にも同じようなことを聞かれたが、同様の対応だった。


 あの転移装置を使うと、入った場所に戻されるようだ。ならば通常の転移装置のような数字類は何なのかと問いたくなる。

 通常の転移装置を流用したのだろうか。ダンジョンを作った何者かがいるのなら、コスト削減なり手抜きなりをしたのかもしれない。そう考えた砂田は小さく笑った。ばかばかしい思いつきだ。そんな者がいるのなら、もうちょっと稼げるようにしろと言いたい気分だ。


 管理ビルの休憩室を借りて一息ついた砂田は、帰り際のことを思い出していた。

 ナイラに連絡先を渡したが、英語でメールを送られても返事を書くのが難しい。翻訳サイトを使って頑張るしかない。

 彼女は上司に相談すると言っていた。上司から州知事、そこから政府まで届くのがベストだと。

 ICESに届けば、もしかすると日本支部から呼び出されるかもしれない。


 あそこにあったチケットのことだ。パリサに確認するように言われたときに急いで見ただけなので、いくつかは記憶から消えているが、新規の産出物を追加するとしか思えないようなものもあった。

 その情報を個人だけが持っていられるはずはない。

 しかし砂田が自ら支部に行っても取り次いでもらえるとは思えない。軍から国へ、国からICESへ。そして支部へと情報が渡ってからコンタクトが可能になるだろう。




「延長って、何を延長するんだと思う?」


 ナァイカたちが帰ったあとに、チケットを見せながらパリサが発した疑問だが、全員が同じことを思ったはずだ。

 あの中にあった、発行できるチケットで最も異様だったのが「延長」系のチケットだ。〈1日延長〉と〈1年延長〉があった。


 砂田が「日本のファンタジーものでは、ダンジョンからモンスターが溢れるまでの時間制限があったりする」と言うと、皆が冗談ではないという顔をした。しかし可能性がないとは言いきれない。

 他には単純にダンジョンの使用期限だという案も出た。


 どちらにせよ、ろくな話ではない。ダンジョンから得られる産出物は経済に小さくない影響を与えてしまっている。なくなってもダンジョン出現以前に戻るだけだが、受け入れられるまでにかかる年数は想像もつかない。

 何より、自身が失業してしまう。食べていくだけの金はあるが、採取者として、ダンジョンガイドとしてやっていけなくなるのは受け入れがたい。

 砂田は今の仕事が好きだ。ガイドとしては半年を超えたばかりだが、これは素直な気持ちだ。


 とりあえず今やるべきことはガイドの仕事だ。今日は木曜だが、土日を含めた3連休明けに予約が入っている。

 ナイラからの連絡とタイミングが重なる心配もあるが、あちらは簡単に済む話でもないはずだと考え直す。ガイドは問題なくできるだろう。

 来週の仕事に備え、スマートフォンを取り出してルート再調査の予定を入れた。金曜に済ませておけば問題ないはずだ。



   * * *



 パリサが地上に戻ると、採協の職員は帰宅していた。23時を過ぎていたのだからしかたのないことだ。〈肌新生ローション〉の納品は明日にしようと考えた彼女は、警備をしている人民防衛軍兵士に挨拶してホテルへと戻った。


 あの場所へ行く前に走り回っていたため、乾いた汗が不快さを増している。いくら肌が美しくなっても汗は出る。

 パリサは服を脱ぐと、脱衣所の鏡に映る自身の姿を見て、かすかに微笑んだ。今日の体も満足できるものだ。誰かに見せるわけではないが、自分が自分の体に満足できるのなら、それで十分だ。


 シャワーを浴びながら、パリサはあの場所にあったチケットのことを思い返していた。

 あの中には興味深いものが多い。発行できるチケットには、効果そのものの名前だけでなく、「所持開始」のような名の付いたものがあった。「所持開始」という名の付いたチケットは、恐らくモンスターが新規にアイテムを所持するようになるのだろう。当然、チケットも含まれる。

 この手のものはダンジョンをアップデートするツール系チケットだとパリサは考えている。逆に言うならば、「所持開始」を実行する前ならば、アーツ系チケットを購入して自分たちだけが所有することも可能になる。

「所持開始」以外にも「低位制限緩和」とついているチケットも存在した。これを使えば、より低レベルのエリアに出現するモンスターが対象アイテムを所持するようになるのだろう。


(それにしても、あの2人……)


 ふと、ナァイカの記憶が浮かび上がってきた。コリッツィはよく分からないが、ナァイカは明らかに異常だった。

 距離が離れていたため、他の皆は気のせいだと思ったかもしれない。しかし、なぜか確信がある。


(ナァイカ――彼女は、美しすぎる)


 容姿だけを見るなら、美形な女という程度だろう。しかし正面から向かい合うと、強制的に「この人は美しい」と判断させられているような、頭をいじられたのではないかという疑問すら浮かぶ。もっとはっきりと顔を認識できる距離まで近づいたとしたら、会話すらおぼつかないのではないだろうか。

 あれは人間ではあるかもしれないが、恐らく自分たちと同じヒトではない。顔に宝石のようなものが埋め込まれているからという外見的な理由ではなく、もっと違う何かから得られた直感だ。

 今回は状況把握で終わってしまったが、次に会えたら尋ねてみようと思いを定めた。


 パリサにとって、もう一度あの場に行くことは決定事項だ。あそこに行けたことは幸運だと思っている。旅人であり採取者でもあるのだ。未知へ飛び込むことには抵抗はないどころか、心が踊る。


(……でも、あれは少し軽率だった)


 言葉のことでナイラを非難した件だ。いくらダンジョンの烙印という仕組みがあるとはいえ、銃を持っている初対面の相手に突っかかるのは無謀だった。

 パリサは自分のことを、少数派のために人々を啓蒙したり、多数派と戦うような人物ではないと知っている。戦っている人々に何も思わないわけではないが、遠くから見ている側だ。

 しかし言語については、それは当てはまらなかった。


 パリサの家では、家族が信仰する宗教の信徒が使う言語を多く用いている。かつては「異教徒の言葉」という意味の名で呼ばれた言語だ。

 幼少時のパリサはそれをよく理解していなかった。宗教の違う友人たちに、ペルシア語ではなく、その言語で話してしまったのだ。

 それからパリサは「奇妙な言葉を話す少女」になった。彼らの親たちから迫害されたわけではない。むしろ事情を知っているだけに気を遣ってくれた。だが、友人たちは子供らしい純粋な気持ちで、自分たちとは異なる存在としてパリサを認識したのだ。

 以来、言語の違いには敏感になってしまった。

 あの言語は広めようとされず、狭い範囲だけで通じるように維持されている。それを知ったあとでも、言語的少数派として、異物として扱われた記憶が消えることはなかった。


 謎の場所に飛ばされて、困惑と興奮で気持ちが不安定になっていたのかもしれない。感情的になっていた。普段ならばもっと慎重に行動したはずだ。

 次はもっと冷静に対処しなくてはと自分を戒めた。




 バスルームから出たパリサは濡れた体を拭き、服を着ることもなくベッドに腰かける。

 小さなテーブルに乗っている水差しを手に取ると、グラスに水を注いで、一口だけ飲んだ。喉の潤いが気持ちを落ち着かせる。

 少しだけ荒れてしまった心も平常に戻り、別のことを考える余裕が戻った。


(それにしても、日本か……バングラデシュもいいな)


 あの場が多国籍の集まりだったことをきっかけに、次はバングラデシュか日本に行ってみようかと思いはじめた。

 もしも今後あのメンバーで例のコインのようなものを集めるのなら、5人分の時差を考えなくてはならない。それならば気軽に移動できる自分が国を移動してもいい。


 ナイラからの連絡はオンラインで来るはずだが、移動のことを考えるとあまり動かないほうがいいだろう。

 それまではタンザニアを満喫しよう。ここの自然は何度でも楽しませてくれる。


 パリサは下着だけを身につけると、そのまま横になった。

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