006 言語の違い

「彼に何か食べさせたい」


 恐らくだが、そう言いたいのだろう。カリフォルニア州兵ナイラ・ハワードは、東洋系の男が発した訛りのきつい英語をどうにか理解した。

 確かに、あの子供はどう見ても栄養状態が悪い。その上、周囲をうかがってびくびくしている。少しでも警戒心を解くべきだろう。

 状況に焦って気が回らなかったことをナイラは自省した。

 ただ、あの男は子供を彼と呼んだが性別不明だ。


 ナイラが「OK」と言って銃から手を離すと、東洋人はうなずいた。

 彼はバックパックからチョコレートバーのようなものをいくつか取り出し、ひとつを選んで赤い包装を開けた。クリスピーな食感を持つ、アメリカでも見かけるチョコレートバーだ。

 バーを口に持っていく動きをし、子供を指差して同じような仕草を見せている。子供はそれに興味を持ったような表情をしたものの、なかなか彼に近づこうとしない。


 少し考えるそぶりを見せた東洋人は、チョコレートバーにかじりついた。

 子供が驚きとも落胆ともつかない表情で男を見つめる。すると彼はもう1本のバーを取り出し、笑顔を見せながらそれを差し出した。

 そうしてようやく子供は彼に近づき、バーを受け取って食べ始めた。


「Ngiyabonga」


 チョコレートバーを食べ終わり、水をもらった子供が言った。


「……何語だ?」

「うーん、ズールー語かな? それか同じ系統の違う言葉かも」


 つぶやいたナイラに、近くで様子を見ていた中東系の女が答えた。

 改めて見ると異様に美しい肌をした女だ。服装から採取者ピッカーだと思われるが、とても採取活動をしているようには見えない。どこかの富豪の娘だろうか。


「ズールー? ということは南アフリカ?」

「たぶんね。それと東洋系の採取者っぽい男は日本人だと思う。さっきバーの包装に日本の文字が見えた」


 よくあれこれ知っているものだとナイラは感心した。自分に中国の文字と日本の文字を区別できるとは思えない。


「物知りだな。……ああ、私はカリフォルニア州兵のナイラ・ハワードだ。ナイラでいい」

「どうも。わたしはパリサ。よろしく、ナイラ」

「こちらこそ、パリサ」


 自己紹介を終えたナイラは、これまで黙っていたインド系の男に向き合う。


「あなたは?」

「僕はアジート・ロイ。……バングラデシュから」


 やや片言だが、すぐに返事が来たことから聞き取りは問題なさそうだ。

 そういえばパリサはイギリス風の発音だったと気付く。名称は忘れたが、中東の女性が着用しているスカーフのようなものを着ていないので、その辺りの出身ではないのかもしれない。


 それはともかく、この状況をどうにかしなければならない。

 転移装置が使えないかと触れてみるが、墨流しの止まった転移膜を通り抜けることはできなかった。

 唯一の行き先は紫の転移門だが、見たことのない転移門だ。何が起きるか分からないため、うかつに試すこともできない。

 どうするか話し合いたいのだが、あの子供は英語ができないように思える。先ほどの言葉からして日本人の男もほとんど話せないだろう。

 そう思いながら、追加の菓子を取り出した日本人と、それを嬉しそうに受け取る南アフリカの子供を見た。


「英語を話せないとは困ったな」


 思わず口に出た言葉だった。ナイラとしては悪気のない言葉だった。

 そこにパリサが冷たい表情で言う。


「主言語が違うだけでしょ。英語を話せないのは必要なかっただけ。ここはアメリカじゃないし、彼らの国もアメリカじゃないはず。

 ――それに、それは言語的多数派の傲慢だよ。ナイラはずっと英語が通じて当然というふうにしか話してない」


 詰め寄ってくるパリサにナイラは気圧された。そういうつもりはなかったとはいえ、何か彼女の大事な部分を刺激してしまったようだ。


 言葉を選んでいるようだが、要は差別するなと言っているのだろう。

 彼女の言うことは間違っていないと思える。違う場所から人々が来ているのだ。ここがアメリカ合衆国だというのは無理がある。

 しかし安易に謝るのは立場を悪化させる可能性が高い。非が自分にあるのは分かるが、認めてしまっていいのかは別問題だ。


「おいおい、喧嘩はやめてくれ」


 ナイラが言葉に詰まっていると、2人の間にアジートが割り込んできた。

 その姿を見て彼女はパリサの言葉を頭の中で繰り返した。

 ここはアメリカではない。謝罪が不利になるとは言いきれない。


「……いや、今のは私が悪かった。すまない」


 ナイラは謝罪を選択した。険悪な雰囲気を脱するのに必要なのは対話ではなく、とりあえずでも謝罪することだと判断したのだ。

 普段のナイラなら、このような判断はしない。非を認める前に話し合いをするべきだと考える。しかし今は議論をしている状況ではない。

 何より、否定できない感情があった。仮に立場が悪くなったとしても、いざとなれば銃があるのだという暗い安心感があったことだ。謝罪の言葉は、自己嫌悪をいだきながらのものだった。


 謝罪を受け取ったパリサは笑顔を見せて右手を差し出し、今後はお互いに気をつけようと言った。

 ナイラはその手を握り返す。そうだ、5人は出身がバラバラのはずだ。いつまでここにいる必要があるか分からないが、それぞれがいろいろな面で異なることを認識しておかなければ余計なトラブルを招きかねない。


「英語を使えると便利なのは確かだけどね」


 考え込むナイラを見たからか、パリサはそう付け加えた。




 お互いの認識を合わせたところで、ナイラは紫の転移門を確認したいと告げた。

 この何もない部屋でただ待っていてもしかたがない。転移装置が動いていないのだ。このままでは〈成水〉持ちがいたとしても餓死してしまう。

 閉じ込められているのならともかく、動いている転移門があるのだ。未知の形式とはいえ、確認せずにいるのは死を選ぶのと同義だ。


 彼女の意見にパリサとアジートも同意したが、全員で行くことを条件として出した。出会ったばかりの5人だ。信用も信頼も無に等しい。

 ナイラとしても拒否する理由はない。まずは離れた場所にいる2人を呼ばなければと2人を手招きした。


 ふと、手の甲が下だと意味が違ったりしないだろうかと心配になった。どこかで手招きの違いを聞いた気がする。そう思い出したナイラだが、問題なく通じたようだ。ようやく日本人と南アフリカの子供が合流した。


「私たち、皆で、門の、向こうに、行きます」


 フレーズごとに区切り、全身を使った仕草でナイラが説明した。

 日本人は納得したような表情をして「Okkei」と返事をする。了承を得られたようだ。南アフリカの子供も小さくうなずいた。


 門番前の転移門と同じ仕組みかもしれないと想定して、5人は前の人間の肩に手を置きながら転移門をくぐった。

 そこはダンジョンのチェックポイントのような空間だった。自分たちが出てきたものを含めて12対の転移門がある。それとは別の短辺には、ひとつずつ転移門が配置されている。


 チェックポイントと違うのは、床の造りと転移門の色、そして5人が出てきた転移門の脇に何らかの装置があることだった。

 壁に密着した机のような箱が設置されており、天板の下には10cmほどの隙間が空いている。机の隣には大量のつまみを持つ収納があり、そのうちのひとつが引き出されている。他の引き出しには鍵がかかっているようで、引っ張ってもびくともしない。

 引き出されている中を確認するとチケットが何枚か入っていた。その名前は〈音声言語理解の発行〉。効果は「〈音声言語理解〉チケットを発行する」という、名前どおりのものだ。


「それ使って大丈夫? いつも見るのと違うみたいだけど……」


 ナイラが皆にチケットを見せると、パリサが気付いたように言った。

 そこには普段見かけるチケットとの差異があった。通常、折るための切れ目の先には何の文字も刻まれていないのだが、このチケットには「7」を意味する文字がある。裏面にも数桁の数字が書かれているが、何を意味するのかは分からない。

 日本人の男も何となく分かったのか、〈情報リクエスト〉チケットを取り出して折り目の先を比較してみせる。

 それを見たナイラは、リクエストすれば分かるのではないかとパリサに尋ねた。しかし返ってきたのは、チケットには説明が載っているので、リクエストしても同じ内容だという答えだった。


 5人で悩んでいると、隣の転移門から誰か出てきた。人数はナイラたちと同じ5人だ。そのうち2人は軍人で、他は採取者ではない民間人に見える。


「もしかして、君たちもか?」


 イギリス軍の戦闘服を着た男が尋ねた。いつでも銃を構えられるような体勢。警戒しているようだ。

 もっとも、それはナイラも同じだ。軍人同士ということでナイラが代表して答える。


「そうだ。ダンジョンの転移門をくぐったらあの部屋にいた」

「そうか。……アメリカ? どこの所属だ? 私はイギリス陸軍所属のアルフレッド・ロビンソンだ」


 戦闘服の国旗を見つけたのだろう、アルフレッドと名乗った男がナイラに尋ねた。


「カリフォルニア州兵ナイラ・ハワードだ。そちらで何か分かることは?」

「ない。そちらもそうだろう? 気付いたものといえば、この妙な箱くらいだ」


 それからナイラはアルフレッドと情報交換をしたが、この場に関しては何も分からないままだ。メンバーについては、言葉が違って意思疎通の問題が発生しているとのことで、あちらも同じ状況らしい。

 あの怪しいチケットを使ってみるしかないと結論を出した2人だが、誰がやるのかを決めなくてはならない。

 さまざまな事情を考えた結果、軍人の2人がやることに決まった。


 ナイラはチケットをアルフレッドに渡し、自らも同じものを手に持った。

 彼に目配せをすると首肯が返ってきた。「1、2、3」と声を出し、3のタイミングに合わせてチケットを折る。


「……何も起こらない」


 困惑が広がった。アーツかツールかを問わずチケットの使い方は共通のはずだ。なぜ何も起きないのかナイラには理解できなかった。

 何かないかと皆で箱を調べてみると、天板の片隅に差込口のようなものがあり、サイズがチケットとぴったりだった。

 ナイラは周囲に確認をとると、そこにチケットを差し込んだ。底が浅いようで、ちょうどチケットの切れ目と同じ深さまで差し込むことができた。これを折ればいいのかもしれない。


 本当にいいのかと不安感が湧き上がってくるが、他に思いつくことはない。彼女は意を決してチケットを折った。

 物理的なチケット自体に効果の残らないタイプのようで、折られたチケットはモンスターの崩壊と同様に粒子となって消えた。

 直後、箱の上に1枚のチケットが出現する。効果の切れた〈格納〉から出る現象と同じような印象を受けた。


 出現したチケットは〈音声言語理解〉。〈音声言語理解の発行〉を実行したのだから当然そうなる。

 効果は「一定数以上の話者が存在する音声言語を理解可能になる」というものだ。チケットには穴が空いていない。つまりアーツ系チケットだ。

 再び周囲に許可を取ったナイラはチケットを折った。そしてパリサに自国の言葉で話してみるように頼む。


「ずいぶん手間のかかるチケットだね」


 パリサの言葉が理解できた。一度も学んだことのない言葉をナイラは理解できた。

 ナイラは効果に驚きつつも返事をしようとしたが、英語しか思い浮かばない。つまり、この効果は聞けるという一点のみ。


「これは聞いて理解できるというだけで、話せるようになるわけではないようだ」


 それでも価値はある。複数人が持っていれば問題ないのだ。

 ナイラの話を聞いたアルフレッドも箱の上でチケットを折ったが、今度は何も出てこなかった。

 どういうことかとナイラが疑問を呈する。


「もしかすると、自分が使った転移門の装置とチケットを使う必要があるのかもしれない。チケットに番号があるんだ。その確率は高い」


 そう言ってアルフレッドは自分が出てきた場所まで戻って同じ行為を繰り返す。そして、こちらで起きたように箱の上にチケットが出現した。彼の予想は当たっていたのだ。

 彼はそのまま全員分のチケットを発行して、他の4人に配った。


 ナイラも同じようにしようとしたが問題に気付く。すでに3枚を無駄にしているため、数が足りない。

 アジートが、とりあえず全部取り出して引き出しを戻してみてはどうかと提案した。もしかすると引き出しはひとつずつしか開かないのかもしれないということだ。

 それを聞いたパリサもやってみる価値はあると同意した。


 ナイラは残りのチケットを取り出すと、引き出しを戻す。すると、閉じた引き出しからちゃりちゃりと金属音が聞こえた。チケットを重ねるときの音と同じだ。

 不思議に思って再び引き出しを確認すると、中身は全て補充されていた。


「どうなっている……?」


 もう一度やってみた結果、減ったチケットはいくらでも補充されるようだった。

 不気味に感じたナイラだが、とりあえず〈音声言語理解〉を発行しようというパリサの言葉で我に返った。

 手早く4人分を発行し、順番に実行するように指示を出す。

 これまで黙って様子を見ていた日本人と南アフリカの子供も何をすべきかは分かっているようだ。彼らは問題なくチケットを折った。

 ナイラは確認のため、2人に向かって尋ねる。


「そこの2人、私の言葉が分かるか? そっちも何か話してみてくれ」

「ああ、分かる。なんか変な感じだ。しかし英語が必要になるとは……よくさっきの通じたな」

「まあ状況的に」

「なるほどね」


 彼の言うとおり、妙な感覚だ。聴覚としては違う言語の音声を認識しているのに、言語として処理する際には知っているものに置き換わっている。


「それと、一方的に英語で話してすまなかった」

「あー、そうだな……まあしょうがないんじゃないか。気にしないでいい」

「そうか……ありがとう」


 男は軽く手を挙げる。

 ナイラは少し心が軽くなった。パリサに謝りはしたものの、当事者が放置されていたためだ。

 そんな彼女を見た日本人の男は不思議そうな顔をしたが、何かを思い出したような表情をして皆に告げる。


「さっき自己紹介してたみたいだから、こっちもやっておこう。俺はスナダ・カル。スナダが名字。日本で採取者やってる」

「どう呼べばいい?」

「そうだな……名前で呼ばれることはほとんどないから、スナダと呼んでくれ」


 ナイラは分かったと伝える。

 それを見た彼はうなずくと、子供に顔を向けた。


「少年、名前は?」

「知らない。大人たちはガキって呼んでる」


 少しも考えるそぶりを見せず、子供は即答した。表情から嘘ではなさそうに見える。

 ナイラは天を仰いだ。この子供はまともな生活をしていない。格好からひどい生活をしているのだろうと予想はできていたが、これは確実と言ってもいいだろう。

 このことは考える必要があるが、それも地上に戻れることが決まってからだ。

 ナイラは2人に名前を教え、パリサとアジートを紹介した。


「お互いの名前も分かったところで、これからのことをフレッドたちも含めて話し合おうと思う」

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