005 未知のエリア
正月の雰囲気も薄れはじめた1月3日、午後2時前。砂田は大きく膨らんだ複数のガラ袋を持って地上エリアに戻ってきた。
今日は採協から受けている仕事で、ダンジョン内の清掃作業だ。普段も週に数回ほどやっているのだが、年末年始は毎回のように参加している。
この時間帯は地上エリアが若干だが空く。午前からの観光ツアーのほとんどが終了し、午後からの組との隙間時間になるからだ。レジャー組も似た動きがある。それを狙って、人の少ないタイミングでごみを運び出すようになっている。
砂田はダンジョン領域から出ると、大橋側にある管理ビル出入り口の脇にある扉からごみ集積所に向かった。集積所のある場所は壁で区切られているので、関係者用の扉を通る必要がある。
集積所に形成されているごみの山を大きくして、砂田は大きく息を吐いた。分別が大雑把でなければもっと重労働だっただろうと、毎回のように思う。
そろそろ戻って完了報告をしようかと考えていると、ビルの表側から拡声器を使った声が聞こえてきた。
「日本にダンジョンはいらなーい!」
そして「いらなーい!」と大勢の声が続く。
「街の真ん中に自衛隊はいらなーい!」
「いらなーい!」
「銃刀法を元に戻せー!」
「戻せ―!」
それからもさまざまな唱和が聞こえてくる。ダンジョン関連のあれこれに反対する団体によるデモだ。デモは何度も見ているため、砂田に驚きはなかった。札幌でも見かけた。
今日はダンジョン反対派かと思う。他には、自衛隊をくだらんことに使うな、国土防衛に戻せという主張のデモを見かけることもある。
こういった運動は日本だけでなく、多くの国で行われている。
騒ぎが落ち着いたのを見計らってビル前広場に出ると、新宿駅方面に歩いていく集団が見えた。
「あ、砂田さん」
「橋爪さん、お疲れさまです」
掃除を始めていた採協職員の橋爪が声をかけてきた。ビル前にはデモ団体が残したプラカードや横断幕などが散らかっている。ダンジョンを訪れた観光客や
砂田は「手伝いますよ」と言って残された品々を集めだした。
作業をしながら、迷惑をかけないデモに意味はない、という言葉を思い出す。
そもそもデモは迷惑なものなのだ。それも目的のひとつなのだから。デモの主張が達成されれば迷惑をかけられなくなることから、迷惑をかけられた者は、デモの主張先に対して「どうにかしろ」と働きかける。そうすることで、結果的にデモを後押しすることになる。ストライキと同じ構図だ。
そういった理屈は砂田も知っていた。だが賛否を問わず関わろうとは思わず、意見の表明もしない。
いい歳して政治や社会に無関心とは自分のような者を言うのだろうと自覚はしているものの、改める気持ちは湧いてこなかった。
「すみません、砂田さん今日は清掃やってもらってるのに」
「いやちょうど集積所に持ってったところなんで、ついでですよ」
デモに対して触れることはなく、2人は淡々と作業を続ける。
橋爪が何も言わないのは、採協職員として言及したのを聞かれるリスクを避けるためだろう。
砂田はすでに興味を失っているためだった。
集積所に廃棄物を運び終わり、ダンジョン清掃の報告を済ませて検査場前ロビーに戻ってきた。
2人はコーヒーを飲みながらベンチに腰かけている。今日はビル内コーヒーショップのものだ。手伝いの礼として橋爪が買ってきてくれた。この程度のやりとりは許容されている。
「ありがとうございました。今日はこれからガイドですか?」
「あーいや、年末年始は清掃に参加するって決めてるんで、夜も参加しますよ」
「助かります。今日は特に多そうですね」
「人のいなかった元旦は楽だったんですけどね……」
*
いったん帰宅して仮眠を取った砂田は、同日の午後9時からレベルBの後半エリアを見回り始めた。
ダンジョン清掃は依頼元の採協から手当が出る。
しかし、ガラ袋を運びながらモンスターとやり合わなければならない。ダンジョン内を歩く距離も長い。そういった危険性もあって、本人の実力より低いレベルのエリアを担当するのだが、参加者は少ない。それよりも、ひとつでも多く産出物を得たいと思うのが人情だろう。
そんな作業に砂田が参加しているのは、単に金に困っていないのと、ダンジョンを快適に使いたいという理由からだ。
もっとも、専業採取者しかいないようなレベル帯にごみが散乱していることは少ない。
そういったものを放置すると結果的に自分たちの邪魔になり、怪我や最悪の場合は落命の危険があるので、彼らは基本的にダンジョン内でごみを捨てないようにしている。それに地上エリアには不要物回収箱が置かれているので、家まで持って帰る必要はないのだ。
また、レベルAは観光者がほとんどで、ガイドも同行しているという理由から似たような状況だ。ガイドたちも案内中にごみを見かけたら回収するようにしている。
問題は休日に増えるレジャー採取者だ。彼らは遊びついでに小銭が稼げればいい程度の考えで来ている。生活がかかっているわけではない。レベルBが主なので怪我の危険も少ない。
もちろんマナーのいい者が大半だ。しかし駅前駐輪場の自転車のバスケットに空きペットボトルが詰め込まれてしまう現象からも分かるように、誰かがごみを置いてしまった場所にはごみが増えていく。
採協としても不要物はポイ捨てせずに地上エリアまで持ってくるように周知しているのだが、いまいち効果が見られない。
放置されているものの種類として多いのは、飲食物の容器や包装と、煙草の吸殻。その次が使用済みの携帯トイレだ。
〈格納〉を使えば邪魔にならないのだが、自分の荷物とごみ、それも排泄物を一緒に格納するのだ。それに抵抗感を持つ者は多い。〈格納〉の先がどうなっているかは誰にも分からないのだ。格納中に臭いが移ったという話は聞かないが、気持ちとしては納得できないのだろう。
使用済みの避妊具が見つかることもある。頻繁ではないのが救いだが、稀というほどでもない。それを見つけるたびに、理解できないと砂田は思う。単純に危険という意味でもあるし、どちらかに拒否感があれば烙印を受ける可能性もあるのだ。
初めて清掃に参加する女性採取者と組んでいる最中に見つけたとき、何とも言えない雰囲気になってしまったのも嫌な思い出だ。不必要な警戒心を
都庁前ダンジョンのレベルB、つまりエリア4から8は石造りの通路と部屋という、レベルAと同じような構造になっている。
砂田はエリア7の、とある部屋で作業をしていた。その一角は立ち小便に繰り返し使われたようで、異臭が漂っている。
アンモニア消臭剤を散布しながら、いったん地上に戻ろうと考えていた。エリア6から8はごみの量が多く、すぐに袋がいっぱいになってしまう。
結局、地上とレベルBを何度か行き来して、所定ルートを回りきったのは午前2時前だった。
一度エリア5のチェックポイントまで戻る必要があるため、エリア6から8の掃除は時間がかかる。エリア8の門番を倒して、その先のチェックポイントを使わないのは理由がある。単純に勝てないからだ。
クラスHダンジョンのエリア8、その門番に近接戦闘で勝利した者は皆無だ。
作業を終えて地上に戻った砂田は、清掃に参加していた他の採取者と会話をしながら集積所に向かっていた。
その男は夜の清掃にかなりの頻度で参加し、終了後は人の少ない早朝を狙って活動する採取者で、名を矢島という。主にレベルEのエリア22で個人活動をこなす優秀な採取者だ。
砂田は同じ時間帯の清掃で何度も矢島に会っており、顔見知り以上だ。
「お疲れっす。もう上がりますけど、砂田さんも休憩室行きます? 今日は人少ないから個室扱いっすよ」
「そうしたいところだけど今日Cの人いなかったみたいだし、ちょっとだけエリア9見てくるよ」
「え、まじすか。手伝ったほうがいいすか?」
「いやほんとちょっと見るだけだから大丈夫」
「うーん……分かりました。それじゃ、お先っす」
矢島と別れてダンジョン領域に戻った砂田は、職員にエリア9を少し見てくると伝えた。
「午前の人もやるので無理しないでいいですよ」と言われたが、そんなに頑張るつもりはない。転移門近くに目立つごみがあったら拾ってくるだけだと返す。
そうして職員からガラ袋と火ばさみを受け取った砂田は転移装置に向かった。
エリア8チェックポイントに到着した砂田は出口側のエリア門に移動した。
門の近くには1人の採取者が記録員として待機している。彼はエリア9へ向かう者を記録する仕事を採協から受けているのだが、このような深夜に出入りする者は少ないようだ。パイプ椅子を広げて電子書籍端末で読書をしている。ダンジョン内は電波が届かないので、オフラインで読めるコンテンツなのだろう。
砂田に気付いた記録員がスキャナーを手に問いかける。
「あれ? これから清掃作業に行くんですか?」
「少し見てくるだけですよ。たぶんすぐ戻ります」
砂田に採取免許証を見せられた記録員が、免許証のバーコードを読み取って「お気をつけて」と見送る。
読み取り端末のログには「1月4日 2時24分8秒」と表示されていた。
記録員の声に手を挙げながら転移門をくぐった砂田は混乱していた。
ここは都庁前ダンジョンのエリア9ではない。確実にだ。
周囲を見渡すと、4人の男女がいた。1人は子供だ。誰もが混乱しているように見える。
部屋は長方形で、長辺に転移装置が設置されている。その数は5。向かい側にはひとつだけ転移門があるが、墨流しの色は紫で、初めて見るタイプだ。
さらに短辺にも転移門らしきものがあるが、門柱があるだけで転移膜がない。
「Hi! Can y'all gather around?」
茶褐色の肌をした女が部屋の中央に移動し、手を叩いて声を上げる。
ほとんど英語を話せない砂田には「Hi」しか聞き取れなかった。英語は読むだけならある程度できるが、会話は無理だ。しかし自分と子供以外が集まり始めたのを見て、集合してほしいと言われていることは判断できた。
彼女は迷彩服に戦闘用ヘルメットを着用しており、小銃を提げている。肩口の国旗はアメリカ合衆国。どう見ても軍人だが、軍事知識の乏しい砂田には所属や階級を判断する方法がなかった。
軍人に近づいた2人の男女を観察する。
褐色肌をした若い男はインド系だろうか。顔に緊張は見えるが落ち着いている。恐らく普段着だろう、Tシャツにデニムパンツ。あの格好では行けてもエリア10程度と思われる。
もう一人は中東系と思しき女だ。かなり明るい褐色肌をしている。服装からして採取者だ。緊張よりも警戒感がうかがえる。
「Well, you know... I have no idea where here is. Anyone?」
少し離れた場所で軍人が何かを尋ねている。砂田は何を言っているのかは分からなかったが、何を聞きたいのかは分かった。そしてその答えとして持っているのは「俺も分からん」だ。
同じ思いだったのだろう、問いかけられた2人が否定するような仕草をした。
砂田はまだ集合場所に移動していない。同じく、子供も最初の場所で立ち尽くしていた。あの子供も英語が分からないのだろう。
改めて見ると、ボロボロの服を着ている上に裸足だ。黒褐色の肌だが、出身国を判断できる要素がない。痩せていて栄養状態がかなり悪そうに見える。顔色が悪く、目の動きも落ち着きがない。
視線が合うと、子供は体をびくりと反応させて目を逸らした。そこに身を守ろうとする仕草が出そうになったのを砂田は見逃さなかった。虐待されているのかもしれない。大人に恐怖を感じているように見える。
向こうの3人で勝手に進めているらしい相談をどうするにせよ、5人の中に怯えきった子供がいるのは良くない状況だ。いろいろと疑問はあるが、まずは子供を落ち着かせようと砂田は考えた。子供なら菓子を見れば少しは喜ぶかもしれない。言い方は悪いが、菓子をいつでも食べられる生活をしているようには見えない。
急に近づくと脅かしてしまうかもしれない。菓子を取り出してから、安全だと知らせる必要があるだろう。
砂田はバックパックを降ろし、しゃがみこんでその中に手を入れた。
それを見た軍人が銃に手を添えて一歩踏み出す。
「Hey! What are you doing!?」
いきなり銃の恐怖をちらつかせるとは本場の銃社会の人間は違うなと、妙な感心をする砂田。
とはいえ、〈格納〉という仕組みがある以上、何を持っているか分からない相手を警戒する行動については理解できた。あれを使いこなせる者には効果は薄いだろうが、警告する意味はある。
このままでは本当に銃を向けられると判断した砂田は、ゆっくりと両手を挙げた。
「あー…。Sorry, I want to pass him something to eat」
砂田はちらりと子供を見た。
これで通じるのかは分からない。とりあえず思いつく単語を並べて何をしたいのかを伝えようとした。
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