004 旅するパリサ

 東アフリカの国、タンザニア連合共和国。

 ビッグ5を始めとする、多種多様な動物たちが生息するセレンゲティ国立公園と、広大なクレーターで構成されるンゴロンゴロ保全地域。アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ。楽園のようなヌングイビーチを持つ、夕陽が美しいザンジバル島。これらの雄大な風景は世界中の観光客を惹きつけてやまない。


 それはこの地を訪れているパリサ・ケルマーニーにとっても同様だった。

 イラン出身の彼女はダンジョンが民間に開放されて以降、家を飛び出して旅をしている。実家との連絡は保っているが、現在のところ帰省の予定はない。

 タンザニアに来てから半年が過ぎている。この美しい自然から離れるのは名残惜しいが、そろそろ次の旅を考える時期だ。



   *



 12月上旬、パリサはキリマンジャロを登っていた。

 現在はマラングルートを使った5泊6日ツアーの3日目、ホロンボハットの山小屋での休息中だ。


「うう、脚がだるい……」


 ジャズミンがふくらはぎを揉みながら弱音を吐いた。

 彼女はパリサがタンザニアで出会ったドドマ大学の学生で、お互いの休日にはおしゃべりをして過ごす間柄だ。


「勉強ばっかりしすぎなんじゃないの?」

「なんでパリサはそんなに元気なの……」

「ジャズもダンジョン行こうよ。たくさん歩くから運動不足解消になるよ!」


 パリサは採取者ピッカーとして生計を立てている。

 外国人がダンジョンを利用する際、滞在国の採協支部で産出物による収入に応じた税金を収めておけば面倒なことは言われない。どの国でも共通なのだが、どういう理屈でそうなのかパリサは知らない。興味がないのだ。それでも便利な制度だからと十分に利用している。どちらかといえば面倒なのはビザ取得のほうだ。

 ダンジョンで資金を稼ぎつつ滞在を楽しんで次の国へ。そうやって過ごしている。


 パリサは自国では珍しい非ムスリムだ。

 生家には信仰する宗教があったが、彼女はそれほど信仰心が厚くない。それに対して、なぜか両親は厳しく言わなかった。その生活で培われた精神が、旅とダンジョンへ向かう決意の呼び水となったのではないかと彼女は考えている。

 両親の願いでシャベ・ヤルダーが終わるまでダンジョン旅行への出発を我慢したが、その翌日にはトルコへ旅立った。

 行き先が自国のダンジョンではなかったのは、旅がしたいという条件があったからだ。


「今日はここでもう1泊するし、ゆっくり休んで。わたしウフルピークまで行きたいからジャズに脱落されると困る」

「ああ……ツアー代払ってくれるからって付いてくるんじゃなかった」

「誘ったときはノリノリだったくせに何言ってんの」


 愚痴っていたジャズミンだが、その後は気合でキリマンジャロの旅を完了し、パリサを感心させた。



   *



 タンザニアの首都、ドドマ州ドドマ。その西部のショッピングモール裏にあるのがクラスHのドドマ・ダンジョンだ。

 パリサはタンザニア滞在中、観光と休養以外の日はここで活動している。

 彼女は個人採取者のため、それほど高レベルまでは進めない。それでもレベルDの中盤までは採取活動を行えるほど実力は高い。


 西暦での年末と元日もダンジョンに通っていた。イラン出身の彼女としては、新年はノウルーズに祝うものという意識が強い。クリスマスにはクリスチャンのジャズミンの家に招かれて食事をしたものの、他者の祝事という気持ちが拭いきれなかった。

 タンザニアでもかつて移住したイラン系民族を発祥としてノウルーズを祝うようだが、その頃には違う土地にいるだろうとパリサは思った。


 ダンジョンの近くに出ている屋台で牛肉のピラウを受け取る。西暦で年が明けたばかりの1月3日の今日、屋台の主人が来ているのか心配していたが杞憂きゆうだったようだ。

 パリサはこのスパイス炊き込みご飯を気に入っていた。一緒に売っているトマトと玉ねぎのマリネを混ぜるのが好みの食べ方だ。


 近くの段差のある場所に座り、食事をしながら周囲を見渡す。

 この辺りには屋台が多く、人民防衛軍兵士の姿も見える。彼らはダンジョン攻略隊の一員だろう。


(次はどの国に行こうかな……)


 トルコから始まりエジプトのダンジョンへ。イタリアに移動し、それからヨーロッパ諸国のクラスHダンジョンをいくつか訪問した。その後に来たタンザニアはアフリカの2カ国目だ。

 クラスHダンジョンは人口の多い国に存在しているようで、アフリカとアジアに多い。パリサはクラスHがある国を目的にしているので、行き先はその中から選ぶことになる。

 このままアフリカを巡るか、南アジア以東に向かうか。中南米という手もある。


 食事を終えたパリサは立ち上がった。食器を屋台に返し、ダンジョンへと向かう。

 行き先はゆっくり考えればいい。急いでいるわけではないのだから。




 レベルDエリア16。パリサ単独では少々の無理が必要なエリアだ。しかし前回でエリア15までの探索は終了している。

 ダンジョンは一度チェックポイントに到達すれば、他のダンジョンでも転移装置を使って通過済みチェックポイントに移動できる。

 数多くのダンジョンを訪れているパリサだが、基本的にレベルCから探索を開始していた。

 金が足りないわけではないが、余分にあって困るものでもない。今日は一気に稼ぐつもりだ。目的のものが見つかればの話だが。


 一般に、行動分類ではモンスターは攻撃性アグレッシブ防衛性ディフェンシブの2種類に分けられている。これは公式分類で、ICESアイセスの資料でも用いられる。

 攻撃性モンスターはダンジョン領域外の生物を知覚すると襲いかかろうとする。中には自ら対象を探してうろつくモンスターもいる。軍や採取者が戦っている主な相手だ。

 逆に防衛性モンスターは攻撃的な行動をされなければ襲いかかることはない。こちらから観察する分には無害だ。これまでの記録から、防衛性モンスターから産出物を得ることはかなり難しいと判明している。このタイプのモンスターはアイテムを所持していることが少ない。そして防衛手段として面倒な攻撃方法を持つモンスターが多いため、わざわざ戦おうとする者はほとんどいない。

 しかしパリサは知っている。行動分類ではもう1タイプいることを。


 受動性パッシブ。彼女はそう呼んでいる。


 多くの者はそれがモンスターだと思わない。ダンジョン内に作り出された疑似自然環境の一部だとしか考えていない。

 それは人間を襲うこともなければ、反撃することもない。されるがままの存在。

 そう、草木だ。


 ダンジョンにおいて動物を元にしたモンスターは、ダンジョン外の動物が死ぬのと同じ条件で疑似生命体として崩壊する。

 それならば草木――植物はどうなのか。植物の死の定義は曖昧だ。たとえ木を切り倒しても、残った切り株が生きていれば個としての死ではない。動物の例を見ると、ダンジョンでも同様の扱いのはずだ。

 そこに例外が存在する。ダンジョンだからこその例外だろう。


 ICESは気付いているのではないかとパリサは思う。

 しかし公表されていない。それならばわざわざ自分から喧伝する必要はない。


 パリサが発見したのは偶然だ。

 トルコのダンジョンを探索していたときのことだ。旅人の彼女は一時的なヘルプメンバーとしてにチームに参加していた。


 草原エリアの一部に小さな林があった。入り口と出口のエリア門を結ぶルートから遠く離れたその場所には、人もモンスターも見当たらない。ある日、彼女たちのチームはその近くでキャンプを張ることにした。

 小用を足そうと林に立ち入ったパリサは、小さな蘭のような着生植物を見つけた。咲いている花はひとつだけで、他には蕾も見たらない。

 可愛らしくも妖しい魅力を放つその花は、彼女の心を奪った。誘惑したと言うのが正しいのかもしれない。パリサは思わず花をんでしまったのだ。

 その瞬間、モンスターの崩壊と同じ現象が起きた。

 初めて遭遇する現象に驚きつつも、パリサは地面に落ちている産出物を見逃さなかった。


 チケットや能留石のうりゅうせきとは違う産出物はさまざまだ。そのひとつが落ちていた。細長い陶器に文字が刻まれている。

 手に取ると〈肌新生ローション〉というものだと分かった。「肌を生まれ変わらせる」という説明文も読み取れる。

 ローション系の産出物は〈創傷そうしょうローション〉や〈回復ローション〉を知っていたが、このような美容品とも言えるものを見つけたのは初めてだった。


 パリサには幼少期に負った小さなやけど痕があった。そこに〈肌新生ローション〉を試すことにした。

 ローションに限らず、異常な効力を持つダンジョン産の薬品類といえども、効果が明確に分かるまでは時間がかかる。即効性があると言われていても、わずかな時間は必要となる。それを知っている彼女は様子を見ることにした。


 数時間後、ローションを塗った痕は完全に消えていた。

 むしろ他の部分より美しい質感になっていた。初めは勘違いかと思ったが、見た目も手触りもまったく違う。


 これは間違いなく高く売れると判断したパリサは、そのローションをひそかに破棄した。

 チームで来ている今は駄目だ。ダンジョンから出る際には全ての持ち物を確認されてしまうだろう。


 後日、パリサは1人で同じ場所を訪れたが、あの花は見つからかなかった。

 それでも根気よく探していると、違うエリアで樹木に着生している花を発見。すぐに〈肌新生ローション〉を回収した。


 採協の価格リストに掲載されていなかったそのアイテムは、前例がなかった。そのため、IODEPイオデプ(国際超常産出物取引機構)が効果を確かめてから価格を決定することになった。

〈肌新生ローション〉から得られた文言を聞いた産出国のトルコは、攻略人員による効果確認の必要なしと判断し、検証に参加しなかった。名前からして1個限定でもないだろうという理由だった。基本的に、国が買い取りを検討するのはクラスH攻略に必要なものだけだ。

 最終的に単独で検証したIODEPが買い取ることになったのだが、その金額はパリサの予想以上だった。


 2度目もトルコで発見したが、前回と同じく、国には買い取られなかった。

 価格リストに載っていない産出物は、産出国が買い取らなかった場合にはIODEPのオークションにかけられる。オークションに出される産出物にはいくつかの経路があるが、採取者が提出するものに関しては、価格リストに載っていないことが前提条件となる。

 初めて世に出た〈肌新生ローション〉は、その最終価格がとんでもないことになり、買い取り基準価格も大幅に上昇した。

 オークションは最終価格から取り分が決まるため、時間はかかるが儲けが大きい。


 それ以降、あちこちのダンジョンで同じ花を探したが、クラスHダンジョン以外で見つかることはなかった。いくらか他の受動性モンスターを発見できたため、無駄にならなかったことはパリサにとって幸いだった。


 今日ダンジョンに来た目的は〈肌新生ローション〉の花を探すためだ。タンザニアに来てから、すでに2度発見している。

 花の名はカトレアCattleyaファータFata

 フェアリーの語源となった「運命」を意味する語を持つ、カトレアの小さな疑似生命体。〈情報リクエスト〉チケットを使用して調べた名前だ。語学力豊富なパリサだからこその解釈。

 自分にぴったりの名前だと彼女は思う。彼女の名前はペルシア語で「妖精のような」を意味する。


 今でも〈肌新生ローション〉は採協の価格リストに掲載されておらず、たびたびオークションにかけられている。

 その動きを見ていると、パリサ以外にも発見者がいると判明した。しかし考えることは同じようで、頻度と数を調整して希少度を落とさないようにしているのが明らかだ。IODEPや採協はそれに気付いているはずだが、何か言われたことはない。


 パリサの資金の大部分は〈肌新生ローション〉が生み出したものだ。自分でも全身に使用し、瞠目すべき美しさの肌を保っている。

 自分より美しい肌を持つのは乳児くらいのものだろう。そう思えるほど彼女は自信がある。

 このローションは医薬品ではなく美容品としての需要が高いことは明確だ。美容に大金をつぎ込む者なら、喉から手が出るほど欲しいと思うことだろう。


 戦闘を避けつつ最短経路でエリア16にたどりつき、その片隅にある苔むした岩場でカトレア・ファータを見つけたパリサは静かに笑みを浮かべた。



   *



 パリサは急いでエリア13のチェックポイントに戻ってきた。


 各チェックポイントは太い長方形の巨大な部屋だ。天井が信じられないほど高い場所にある。

 その短辺にはエリア門が設けられており、入り口と出口が存在する。出口側が次のエリアへの門だ。門番側の門は幅が広い。

 長辺には転移装置が並んでいる。向かい側も同様で、それぞれ12個ずつ。


 転移装置は門をくぐると小さな部屋になっており、左右の門柱に並んだ数字から行き先を選択できる。その数字はチェックポイントのあるエリアを表すダンジョン文字だ。なお、誰も到達していないチェックポイントの番号は門柱に刻まれない。誰かが到達した時点で増えるようだ。

 加えて、どうやって判別しているのかは不明だが、装置内にいる者の最高到達チェックポイントの最低値までしか選べない。


 番号に触れると墨流しの動きが止まる。行き先の変更はできない。そして再び墨流しが動き出せば到着だ。門をくぐって出ればいい。

 この使用方法から想像されるように、エレベーターとも呼ばれている。


(16はさすがに遠かったな……)


 探すのにも時間がかかるが、往復だけでもかなりの時間を使った。早い時間に出発したが、とっくに20時を過ぎている。ドドマ・ダンジョンのエリア16までの最短経路を理解し、索敵に便利なアーツを持つパリサでなければキャンプが必要なエリアだ。

 カトレア・ファータを見つけたエリアは、今回が16、前回が14、前々回が17。ヨーロッパより平均値が高くなっているが、運によるものだろうとパリサは思った。

 ともあれ、目的は果たした。帰ったら買い取りに出して、振り込みを待てばいいだけだ。


 パリサは転移装置の門をくぐって振り返るとエリア0を選択した。

 確かにエリア0のはずだった。


「えっ……?」


 転移装置から出ると、そこは見慣れたドドマ・ダンジョンの地上エリアではなく、見覚えのない部屋だった。

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