003 ツアー終了

 5人は通路を進み、部屋を調べながら歩き回ったが、モンスターと遭遇することはなかった。

 普段は今日のような休日であっても、もう少し遭遇するのだが、どうも運が悪いようだ。


 十字状の通路に差しかかったとき、左側の通路から別の団体が現れた。千里せんりが立ち止まって軽く手を挙げ、その集団を引率するガイドに挨拶をした。

 それを受けたガイドは立ち止まらずに手を挙げ返す。彼らはそのまま直進し、最後尾にいたサポートのガイドが手を振って去っていった。


 組合のガイドたちは、ツアーのエリアと時間帯が同じガイドと連携を取って、道順や探索エリアの重複を避けるようにしている。それでも、交差路での遭遇を避けることは難しい。

 こういった場合はツアー客に居心地の悪い空間を作らないように、ガイド同士のやりとりは最低限に留めることがマナーとなっている。


 砂田がいる集団も交差路を越えるべく歩みを再開した。


「……今日はなかなかモンスターが出てきませんね」


 独り言なのか客への申し訳なさなのか、先頭の千里がつぶやいた。

 それを聞いた男児が何か納得したように尋ねる。


「やっぱり、そうなんですか?」

「そうなんです。いつもなら3回は見かけるくらい歩いているんですが……」


 レベルAはモンスターが少なく、その中でもエリア1はさらに少ない。しかし、ここまで遭遇しないのは珍しいことだった。

 振り返って「ごめんなさい」と手を合わせる千里に男児たちが励ましの声を送る。


 砂田も現状は歓迎できないと考えていた。初めてダンジョンを訪れる客への話題ならいくらでもあが、やはりガイドとしては体験を提供したい。男児たちにしても、年に一度のクリスマスプレゼントをもらう替わりとしてダンジョン観光ツアーに来ているのだ。

 予約で指名された千里も張り切っていた。事務的な口調でガイドをしている彼女だが、事前の打ち合わせ時点でモチベーションの高さがうかがえていた。

 目的までの道のりは残り半分を切っている。彼女も焦ってきているのだろう。


「井上さん、少し休憩しませんか? 遭遇が少なかったので時間はあります。そこの部屋でお菓子でも食べて気分転換しましょう」


 提案した砂田自身も、一度リフレッシュしたい気分だった。良くない雰囲気のままツアーを続けるよりは、少し間を空けたほうがいいとの判断したのだ。




 安全を確認した千里に続いて、4人は部屋の中に入った。ダンジョンの部屋の大きさはまちまちだが、ここは6畳間ほどの大きさだ。


 砂田がバックパックから菓子類の入った袋を取り出して千里に渡す。中にはチョコレートバーのような棒状の菓子ばかりが入っていた。

 袋を受け取った彼女は、部屋の一角に移動して男児たちに声をかけた。


「皆さん、手を洗いますのでこちらに集まってください」


 通常、ダンジョン内で手の汚れを落とす場合はウェットティッシュなどが使われる。しかし、あえて水で手を洗うことを千里は選択した。それを見た砂田は彼女が何をするつもりか気付いた。

 千里は男児に手を出すように言った。疑問を浮かべる彼の両手の上に右手をかざすと、そこから水が流れ出てきた。


「すごっ! 魔法だ!」

「スキル! スキルですよね!?」


 手を出した男児の両脇で見ていた2人が騒ぎ始める。手を差し出した本人はぼうぜんとしていたが、にこりと笑った千里に「手を洗いましょう」と言われて両手を擦り合わせはじめた。


「これはそうですね、アーツやスキルと呼ばれています。そのうちの〈成水せいすい〉というものです。チケットのお話をしましたよね? その中にこういう魔法みたいなことができるようになるものがあるんです」


 少し得意げな千里を見て、砂田は表情を緩ませた。モンスターに遭遇できないのでダンジョン特有の現象を見せて楽しませようとしているのだろう。


〈成水〉は持っているとありがたがられるアーツで、日をまたいで活動する採取者チームに1人は欲しいと言われるものだ。

 砂田が所属していた北海道のチームに所持者はおらず、同名のツール系チケットを使用していた。どちらが便利かは場合によるが、アーツのほうが汎用性は高い。


〈成水〉に限らずこの手の能力は、ICESアイセスの資料においては「超常構造物内に限定される特定技能」という長い名称が用いられる。

 日本語での略称は特能とくのうだが、英語圏では「Special Arts」が通称なので日本でもアーツと呼ぶ者が多い。一方で、ゲームやアニメ、ライトノベルなどの文化に親しんでいる者はスキルと呼ぶ傾向にある。


 ひとつの特能を指す場合でも複数形を用いるのは、芸術の意味でのアートと混乱するというのが表向きの理由だ。しかし本当のところは「何か日本語として違和感がある」というのが多くの者の本音だろうと砂田は思う。情報サイトの掲示板や、ソーシャルメディアでのダンジョン関連のやりとりでは、このような話をときどき見かける。コンテンツを単体でもコンテントと呼ばないのと同じことだという意見には、なるほどと思ったものだ。

 なお、特技ではなく特能と略するのは、通常の意味で使う「特技」と紛らわしいという意見が多いからだ。これは建前ではないはずだ。


 最初に手を洗い終わり、ハンカチで手を拭いていた1人が砂田に質問する。


「あの水って飲めるんですか?」

「飲めるよ。ミネラルがほとんど入ってないみたいで、おいしくないけど」

「へえ~」

「飲む前提ならスポーツドリンクの粉末とか持っていくのが普通かな」


〈成水〉で作った水を頼る必要が出るのは、補給ができない状況だけだ。採取者ピッカーの場合はレベルD以降でチェックポイント到達を目指す場合に発生する。それらのレベル帯は1日や2日での攻略は不可能だ。


「そんな水が出てくるなんて不思議ですね」

「ダンジョンで活動して2年以上経つけど不思議なことばかりだよ」


 そう言って砂田は笑顔を見せた。


「そうだ、おしっこしたくなったら言うんだぞ。携帯トイレ持ってきてるからな。大っきいのでも大丈夫だぞ」



   *



 時間を空けたことが功を奏したのか、その後の行程は順調だった。

 犬動骨と数回の遭遇もあり、男児たちは千里が提案した戦闘の役割を一周りできた。


 そしてツアーは山場を迎える。

 いま彼らが見ているのは門番の部屋へと続く転移門だ。

 

 転移門は12角形の2本の門柱で構成されている。12角形はクラスHの証だ。

 その内側は墨流しの薄い膜状になっていて、転移膜と呼ばれる。その墨は止まることなく、複雑な模様を変化させ続けていた。

 転移膜にはいくつか種類が存在し、エリア間にあるエリア門や転移装置の膜には明暗だけでなく色がある。それらはやや明るい緑色をしている。


「皆さん、ここを抜けると門番の部屋です」


 千里の言葉に、3人は緊張した面持ちで彼女を見た。

 強く握りしめられた棒の先が震えている。


「大丈夫です。ここまでで見た犬動骨より少し強いだけです。同じように戦えば絶対に勝てます」


 実際のところ、ここの門番はエリア1の犬動骨を中型犬サイズにしたものだ。成人が真面目に戦うなら一瞬で終わる。

 エリアを進むごとに門番は強くなっていくが、レベルAでは大差なく、骨の種類が変わるだけだ。


 門番の部屋へ複数人で入る場合、最初に入った者から途切れないようにしなくてはならない。常に誰かの体が転移膜に触れていなくてはならないのだ。一般的には前を進む者の肩に手を置いたり、手をつないで進む。

 途切れた場合、違う門番の部屋に通される。同じモンスターだが、違う個体だ。


 転移門をくぐる3人の緊張度がかなり高いと千里に相談された砂田は、手をつないでいくことを提案した。


「は、離さないでくださいね」

「大丈夫です。……砂田さんもよろしくお願いします」


 最後尾を務める砂田も、すぐ前にいる男児の手を握っている。その光景に、甥の解理かいりを連れてきた日のことを思い出した。男児たちと年齢の近い彼も、道中ははしゃいでいたにもかかわらず、ここで緊張のあまり車椅子を進められなくなった。姉のみると一緒に励ましたものだ。




 結局、3人は危なげなく門番を倒すことに成功。その勇姿と勝利の声は砂田がしっかりと撮影した。

 そしてようやく、このツアーで初めて産出物を得ることに成功した。


 得たものは〈開示〉チケット5枚と能留石のうりゅうせき1つとなった。

 男児たちには言う必要はないが、この門番の所持品が変わったことはない。いつでも〈開示〉チケット5枚となっている。

 ただし能留石は得られないこともある。


 能留石は所持品ではなく、モンスターが消える際に粒子とならずに残ることがある部分だ。英語では「Energy-kept Stone」と呼ばれる。

 円柱形をしており、高さと直径が約1.6:1の割合になっている。一見すると、白い半透明の石だ。

 名前は〈情報リクエスト〉チケットのレスポンスから付けられたが、何のエネルギーを持っているのかは不明だ。

 砂田はそれがどういうエネルギーになるのか興味がなく、売って金に変えられるならそれでいいと考えていた。もっとも、使い道が分からない上に量も取れるという事情から、現在は大した価格にはならない。


〈情報リクエスト〉を使って得られたものに限らず、ダンジョン文字は読み取る者の使用言語に依存する。そういった事情から、ICESや採協の日本支部は本部が付けた英語名を翻訳して用いることもある。

 能留石については、エネルギーを意味する漢字が日本にはないので、中国語でエネルギーを意味する「能」を借用したと説明されている。しかし馴染みがなくて言いにくいという理由から、採取者は単に「石」と呼ぶことが多い。


 現在、ダンジョン文字については翻訳がかなり進んでいる。

 ダンジョン文字を理解する効果と〈開示〉の情報を使うことで、桁の低い数字に関してはかなり早い段階で解明された。10進法が使われていることが判明すれば、それからは一瞬だった。

 他の文字に関しては、使用済みの〈情報リクエスト〉チケットを集めて、読み取り内容とともに機械学習の訓練データとしている。並行して言語学者による解析も進められているようだ。


〈開示〉チケットも能留石も大量に採取されるため、売っても円では大した金額にならない。それでも、男児たちは初めての産出物に目を輝かせた。

 千里がそんな彼らに深度が増えたはずだと言う。


「実は門番を倒すと、そのエリアで1回だけ深化できます」

「さっきの例外っていうのがこれですか?」

「そうです。通常とは違う方法ですので、加算深度と呼ばれます」


 加算深度は、〈開示〉の結果にも通常の深度とは別に記載される。名前は当然ダンジョン文字から得られたものだ。

 こちらは門番を倒せばいいだけなので単純だ。都庁前ダンジョンのようなクラスHには、恐ろしく強い門番が低レベルにいるが、別のダンジョンで取ればいいので問題はない。


「エリア1での深化は、これで全部です。産出物も出ましたし、おめでとうございます」

「これって売ったらどのくらいになりますか?」

「石のほうは重量で計算されますが……この重さだと30円くらいでしょうか。〈開示〉チケットは2枚売って残りは記念品に使うのがお勧めです」


 チケットに刻まれたダンジョン文字を読み取って、ローカライズする機器がある。光学文字認識の流用だ。

 基本プログラムはICESから公開されているため、さまざまなソフトウェアが存在する。ローカライズ部分が差別化のポイントだそうだ。

 国内ではクラスDからHまでのダンジョンにATMサイズの機器が設置されている。使われているのは日本メーカー製の「D文字くん」だ。これは印刷も可能な機械だが、「D文字リーダー」というスマートフォンのアプリケーションを使うことで、読み取り自体は誰でもできるようになっている。D文字くんとの違いは認識精度が端末付属カメラの性能に左右される点だ。

 D文字くんを使って出力した〈開示〉の結果を、名刺サイズのアルミプレートに名前と一緒に刻字こくじするサービスをメーカーが行っており、観光客の記念品として人気が高い。都庁前ダンジョンでは管理ビルの1階で作ってもらえる。




 男児たちとの冒険を終え、砂田と千里は再び小会議室で保護者たちと向き合っていた。

 保護者たちは3人に怪我がないことを確認し、録画データを受け取る。


「今日はありがとうございました」


 保護者の1人が礼をすると、他の者たちもそれに続く。

 ガイドの2人も「こちらこそありがとうございました」と礼を返し、男児たちに顔を向けた。


「最後に私たちからのお願いです。ダンジョンではモンスターを倒すことが許されていますが、外で生き物をいじめたり、勝手に物を壊したりしてはいけません。それを忘れないでください。モンスターのように消えてなくなったりはしません。

 人にいたずらしたり傷つけたりしないという約束を守れた皆さんなら、きっと大丈夫です」


 その言葉に、3人は元気よく返事をする。保護者たちの採取者に対する印象も少し良くなったように感じた。



   *



 仕事が終わったガイドの2人は検査場前ロビーにやってきた。

 これは砂田が千里と組むときのいつもの流れだ。


「千里ちゃんさー、小学生相手なんだし、もうちょっとフランクに接してもよかったんじゃないの」

「えっ、わたしいつもあんな感じだけど? 思春期入りかけの少年にお姉さんぶるキャラじゃないし」

「そういう話じゃなくない?」


 ロビーに設置されたベンチで缶コーヒーを飲みながら話している。

 ちょうど昼どきで、管理ビル内のコーヒーショップも混雑していたので、コーヒーは自動販売機で購入した。


「ていうか、スナちゃんこれから空いてる? わたし次が4時からで暇だからランチ行かない?」

「そうだなー、時間あるなら着替えて新宿まで行くか」

「オッケー。じゃあ1時にここで」


 何を食べるか決めていなかったらしい千里が、ハンバーガーとラーメンならどちらがいいかと聞いてくる。

 他に選択肢はないのかと言いかけた砂田だが、彼女のソーシャルメディアのアカウントはそれらの写真をかなりの頻度で投稿していることを思い出した。

 結局、少々なら長居しても問題なさそうなハンバーガーを選んだ。行き先は1食1000円以上のハンバーガーショップだ。


 そんな話をしていると、少し離れた場所に見知った男女カップルを見つけた。

 男はシンプルな格好だが、女は大きなボリュームニットキャップの主張が激しい。近頃の彼女は見るたびに同じものをかぶっているので、砂田はすぐに気が付いた。

 あちらも砂田を認識したようで、手を振りながら近づいてくる。


「砂田さん、お疲れさまです」

「今日はガイドですか?」

「ちょうど終わったとこだよ。今日はこっちの井上さんのサポート。2人はこれから?」

「ですね。来たばっかりなので、まずは着替えてからってところです」


 千里に会釈しつつ、短い雑談をした2人は連れ立って更衣室のあるフロアへと向かった。

 それを見送った砂田に千里が尋ねる。


「採取者って感じじゃなかったけど友達?」

「あー、俺がガイドを始めてから最初のお客さん。彼氏のほうが長尾ながおくん、彼女のほうが佐中さなかさん。最近は週末にレジャー採取者やってるって」

「なるほどねぇ。彼女のほう小柄だったけど大丈夫かなー?」

「レジャーで行くならレベルBのはずだし大丈夫でしょ」

「イブのデートがダンジョンってすごいなー。あーあの帽子かわいかった。どこで売ってんだろ」


 砂田がコーヒーを空き缶入れに捨てると、すでに溜まっていた缶とぶつかって乾いた音が耳に届いた。

 その音が別のところに興味が移り始めていた千里をランチの頭に引き戻す。


 それから2人はハンバーガーランチをすべく、まずは更衣室に向かうのだった。

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