002 観光ガイド

 都庁前ダンジョン。新宿中央公園に出現した超常構造物だ。正式名称は新宿中央公園超常構造物だが、新宿中央公園ダンジョンと呼ぶ者はいない。そう呼ぶべきだという意見も存在するが、呼びやすさが違いすぎるということで都庁前ダンジョンという名称が一般的となっている。


 砂田が東京に戻って1年近くが過ぎていた。彼は望みどおり都庁前ダンジョンでガイドをしている。

 採協ガイド資格の取得と発行までに約2か月。都庁前ダンジョンでガイド組合員として活動資格を得るために、レベルAからレベルDまでを攻略するのに1か月半。そうして得た新たな職業だ。

 組合員に必要なのは、担当したいダンジョンでのチームによるレベルD以下全エリアの攻略実績のみだ。しかし砂田はガイドとしての質を高めるために、攻略と同じだけの期間をかけて各エリアを調査していた。


 今日の仕事は砂田と同じく、ダンジョンガイド組合の東京支部に所属する井上千里せんりが受けた観光ツアーのサポートだ。


 観光ガイドはレベルAからレベルBのエリアを解説を交えながら案内する仕事だ。そのガイドは2名以上と採協日本支部に決められている。

 多くのガイドは採取者ピッカーと兼業のフリーランスなので、こうやって知り合いのガイドにサポート係を頼むことが多い。コネクションのない者は組合を通して誰かを紹介してもらうことになる。


「それでは、お子様をお預かりいたします。お伝えしましたように、ツアー中は常時録画しております。データはツアー終了後にお渡しいたしますので、よろしくお願いいたします」


 砂田の隣に座る千里が告げた。

 都庁前ダンジョン管理ビルの、採協観光局フロアにある小会議室。2人の正面には小学5年生の男児が3人と、その保護者たちが座っている。

 クリスマスプレゼントにダンジョン観光とはすごい時代になったものだと、砂田は妙な感心をしていた。



   *



 男児たちを引き連れて、都庁前ダンジョンに通じる検査場を通り抜けた。ここではダンジョン内で持ち込み禁止となっている物品を調査される。

 振り返ると、検査場前ロビーで保護者たちが手を振っていた。


 通路を歩きながら、砂田は男児たちを観察する。

 誰かの立場が低いという感じはない。3人とも好奇心は強そうだが、無茶はしなさそうに見える。

 ガイドや保護者への態度と、彼らが交わした会話からの推測だが、そう大きく外さないだろうと思った。


 レベルA、つまり1から3までのエリアのことだが、少し気をつけていれば怪我することはない。まして今回は小学校低学年でも突破できると言われるエリア1のみの案内だ。現実に突破できるかどうかはともかく、難易度としてはその程度だろうと砂田も考えている。


 低レベルエリアにおけるダンジョンの危険性は、構造や敵性体による襲撃以外の部分にある。不慣れな者が身体的な不安を感じなくなったときこそ発生しやすい懸念だ。それを防ぐために、ガイド対象を観察しておくことは必須と言える。


 しばらくすると、ダンジョン領域への改札が見えてきた。その先に見えるのは公園大橋だ。

 都庁前ダンジョンは新宿中央公園を南北に分けているふれあい通りを挟み、北側はダンジョン、南側の一部は管理ビルになっている。管理ビル前には公園だったころの広場が残っており、散歩している者の姿も見える。


 ダンジョン化以降、公園北側は塀とフェンスで囲まれている。入るには、管理ビルを抜けて、ふれあい通りの上にかかる公園大橋を渡らなくてはならない。その橋へと続く出発口にあるのが改札だ。

 改札前にもロビーが設けられており、出発準備ロビーと呼ばれている。ここで当日の予定を確認したり情報交換をする採取者が多い。検査場前ロビーではないのは、すぐに向かえるかどうかの違いだ。

 初めて訪れる者は空港に似ていると感じるそうだ。この仕組みは中島公園ダンジョンも同様で、砂田も初めて見たときは同じ感想を抱いた。もっとも、あそこは都庁前のような巨大ビルではなかったが。


 千里が改札の外を指差して「橋の向こうに見えるのがダンジョン領域です」と告げると、男児たちが感嘆の声を上げた。

 ダンジョンを囲むフェンスに設けられた門には警備員が立っており、明るい日差しが彼らの影を濃くしていた。

 3人が落ち着くのを待って、彼女は話を続ける。


「保護者さんから聞いたり、インターネットで知っていると思いますが、ダンジョン領域に入るといくつかの不思議な仕組みを受けます。その中でも皆さんが気をつけなければならないのが『ダンジョンの烙印らくいん』です。

 烙印はとても恐ろしいもので、私たちガイドはもちろん、採取作業員の方々も常に注意しています」


 ダンジョンの烙印、それは体の中心を縦に割くように、頭頂部から肛門までまっすぐの線が体の前後に浮かぶ現象。明るい肌色の者は黒い線が、暗い肌色の者は白い線が出現する。

 いまだ謎の多い現象だが、確実に受ける状況は判明している。


 ダンジョン内で意図的に誰かを傷つけるような行為をした場合だ。

 殺人者は線が赤色になると言われているが、噂の域を出ない。


 どの程度から烙印を押される判定になるのかは不明とされている。実際に試すわけにはいかないからだ。

 ICESアイセスは、行為だけではなく害意や悪意の有無も強く関わっている可能性が高いと発表している。

 その根拠として公開されているのが、睡眠を取れずに朦朧としていた兵士を、平手打ちして目を覚まさせた者には烙印が浮かばなかった出来事だ。一方で、立ち止まった仲間に対して舌打ちしながら「早く行け」と後ろから突いた者には烙印が浮かんだとの報告も公開されている。


 日本国内において、ダンジョンの烙印は法的な影響を与えない。

 それでも世間的には、何らかの暴力的行動を起こした危険人物と見なされる。平穏な社会生活を送るのは難しくなるだろう。


 これらの事情から、案内する集団内の権力構造はガイドたちの緊張感に著しい影響を与える。砂田が男児たちを観察していた理由だ。


 千里が烙印の仕組みと人生への影響について真剣な口調で説明すると、3人の男児は顔を青くしていた。

 それを見た彼女は、緊張させすぎても良くないと判断したのか、表情を緩めて優しく告げる。


「恐ろしい仕組みですが、怖がりすぎる必要はありません。ダンジョン内で誰かにいたずらしようとしたり、傷つけようとしなければ大丈夫です。

 その証拠に私は1年半、そちらの砂田さんは2年以上もダンジョンで仕事をしていますが、烙印持ちにはなっていません」


 観光中に誰かが烙印持ちになってしまった場合に備えて、ガイドたちは自分たちに非がなかったかどうか確認するために、常に録画している。決まりではなく推奨事項だが、少なくとも都庁前ダンジョンで録画を拒む観光ガイドはいない。

 観光でない護衛兼ガイドの場合は任意だが、一般的には機材が許すかぎり録画する。依頼者も通常はそれを望む。


「万が一を避けるために、他の人に触れる必要が出たら声をかけて、許可を得てからにしましょう。いいですか?」

「はい!」


 男児たちの元気な返事をもらった千里は笑顔で頷いた。



   *



 都庁前ダンジョンに限らず、レベルAに分類されるエリアは石造りの通路と部屋を組み合わせた構成だ。

 高い天井近くの壁には採光用の隙間が空いており、部屋や通路の天井には白い石でできた多角錐型の装飾が頂点を下に向けて設置されている。この装飾は光を拡散させるためだろうと言われている。蛍光灯などに比べれば薄暗いが、その仕組みによって室内の光量は十分と言える。

 ドローンを使って外を撮影した映像には、不毛の荒野が映っていた。草木どころか岩もない、砂色の乾いた大地だ。


 そのようなことを話しながら先頭を進む千里が立ち止まった。モンスターを見つけたのだろうと砂田は判断した。

 ICESが定めた正式名称は「超常構造物内における敵性体」だが、そう呼ぶ者は誰もいない。ICES公式ウェブサイトですら基本的にモンスターと表記している。


「不思議なことに、エリア1から3までのレベルAで出てくるモンスターは、どのダンジョンでも同じなんですよ」


 動かないようにと皆に声をかけた千里が指差す方向には、近づいてくる犬の骨があった。

 骨の歩みは遅く、徒歩で引き離せる速度だ。小型犬サイズで非常に小さい。


「あれはレベルAで遭遇するモンスターです。犬動骨いぬどうこつという名前ですが、ホネイヌと呼ばれるほうが多いですね。それの小さいタイプです。

 ……ひたいつののようなものがありますね? あれを見ると実際には犬ではないことが分かります」


 モンスターの紹介を聞いた男児たちは興味深そうに犬動骨を見ている。

 エリア1の犬動骨は、それほどの余裕を持っても安全なモンスターだ。そして、このエリアには犬動骨しか出現しない。


「討伐体験を始めますので、順番に武器を受け取ってください」


 千里の目配せを受けた砂田は、観光局から借りてきた棒を3人に配った。

 棒の長さは1メートル強。それほど重くもない。木柄もくえデッキブラシの柄程度のものだが、本当に清掃用具の部品なのではないかと疑っているガイドが多いことを砂田は知っていた。

 ただしエリア1では、これでも過剰な攻撃力だ。


「それでは皆さん、棒を構えてください」


 千里の指示を聞いた3人の男児の表情が真剣なものへ変わる。

 砂田はその様子を録画しながら、微笑ましい気分になっていた。あいつはどうやって動いてるんだ、急に素早くなったりしないだろうか、そういうことを考えているんだろうと想像する。かつては自身もそうだった。


「脚を払って転ばす役、背中を叩いて動きを止める役、頭を叩いて破壊する役、でやってみましょう。力いっぱいやる必要はありません。相手の動きは遅いです。よく狙ってください」


 レベルAに出現する小型犬動骨の攻撃手段は噛みつきで、その力は子犬と同程度と言われている。危険性はほとんどない。

 作りももろく、このような複雑なことをしなくとも蹴飛ばせば終わるのだが、これは観光ツアーだ。安全を守りつつ楽しんでもらわなくてはならない。道具のレンタル料金も受け取っているのだ。

 モンスター討伐体験は今回のプランに入っているのだから、の演出はガイドの評判にも関わる。


 千里の指示の下、3人は配置について犬動骨に攻撃をしかけた。おっかなびっくりという言葉がぴったりだったが、指示をしっかりと守った動きを見せる。

 攻撃を受けた犬動骨は砂のようになって崩れ、その砂粒もさらに小さくなって消えていった。


「おめでとうございます。これで深度が増えたはずです」


 それを聞いた3人は「地震の?」「深さだよ」「レベルアップ!」などと話している。

 最初の深化のメインは〈格納〉を得られることにある。これほど簡単に得られるのだ。

 千里は落ち着かせるように説明したが、〈格納〉もまた彼らの盛り上がりポイントだった。「アイテムボックスだ! すげえ!」と騒ぎ始めた。


「モンスターをたくさん倒せばどんどんレベルアップできるんですか?」


 興奮した男児に質問された千里は困ったような表情を浮かべた。


「深度が増えることを深化と言いますが、増える条件はエリアごとに決まっています。ひとつのエリアで深化したら、以降は同じエリアで何千体とモンスターを倒しても深度は増えません」

「そうなんですね……」

「外国ですが、何か月もかけて試した人がいるんですよ」


 千里が苦笑しながら答える。都庁前ダンジョンのエリア1だと、無傷でモンスター1体を倒すことが条件だと、彼女は説明を付け足した。

 他には素手で捕獲する方法も存在するが、意味がないので誰もやらない。


「例外もありますが、それは後で説明しましょう」


 深化条件は不明なことが多い。全てのダンジョンの同エリアで共通の要素もあれば、固有の条件もある。それでいて入手済みエリア判定は全ダンジョンで共有なのだ。なお、レベルBまではどのダンジョンも同じだ。

 取得方法が不明なエリアで条件を見つければ採協経由でICESに高価格で買い取ってもらえるため、その検証をしている採取者もいる。

 基本的にはエリアに出現するモンスター全種類を撃破するのが条件だが、そこに「無傷で」などの追加事項が付く場合もある。


 ICES本部が英語で「Deepening」と表記したから、その日本語訳としての「深化」なのだが、いったい何が深まるのかは不明だ。同様に「深度」も「Depth」の日本語訳だ。


「深化すると強くなれますか?」


 男児の1人が尋ねた。

 この質問は観光ガイドが聞かれる質問ランキングで不動の第1位だ。


「深度はゲームなどのレベルとは違うもので、たくさんあっても力が強くなったり、動きが速くなったりはしません」

「ええ~、そうなんですか……」


 観光ツアーでは毎回のように行われるやりとりだ。

 事前知識を持っている観光客でも、現場の者から実際に聞かされるとがっかりしたような表情を浮かべることが多い。

 砂田としては、モンスターを倒して経験値を増やしてレベルを上げて強くなる、という夢を壊すことに若干の申し訳なさを感じている。「レベル制だったらいいのに」と採取者たちも話題にすることはあるので、彼らの感覚が大きく外れているわけでもないのだ。それでも、違うものは違うのだからしかたがない。


「先ほど使えるようになった〈格納〉ですが、〈開示〉というチケットが入っているはずです。その名前を意識しながら取り出してみてください。手にチケットが出現するイメージです」


 千里があらかじめ用意していた〈開示〉チケットを見せて、イメージの手助けをする。「全部取り出す」と意識すれば、中身が全て出てくるのだが、それは別で説明するのだろう。今は個別の使い方だ。


 しばらくすると、男児たちの手にチケットが出現した。見ている側からすると、突如その場で形成されたかのようだ。入れる場合も、まるで消滅したように見える。


 千里がチケットという存在がどういうものなのかを簡単に説明し、〈開示〉チケットを使ってみることを勧めた。


〈開示〉チケットは、チケット自体が効果を発する、ツール系と呼ばれるチケットのひとつだ。正式には使い捨てチケットという。

 このチケットは、自分の深度と現在いるダンジョンにおける最高到達エリア、そしてIDらしき文字列をダンジョン文字として裏面に刻む機能を持つ。

 これを使わないと深度が分からないので、気にする者は頻繁に使う。条件探しをしている者などはモンスターを倒すごとに実行していると噂されている。


 男児たちが嬉しそう折ったチケットの裏面には、ID以外は同じ内容が刻まれた。


「深度が1と表記されていますね」

「……本当に読める! すごい!」

「後で深度を増やせる例外を見せますので、そのときにも試しましょう」


 それを聞いた男児たちがチケットはどうすればいいのかと尋ねる。千里は持ち帰ってもいいし、不要なら採協が回収していると答えた。使用済みの〈開示〉チケットに価値はない。買い取ってはもらえないのだ。

 千里は「お土産作りにも使えますよ」と、観光ガイドとして付け加えていた。




 5人はモンスターが消えた場所に移動し、千里が指差す床を見た。


「モンスターを倒すと産出物を得られることがありますが、今回は何もありませんでしたね」

「さっきのモンスターの粉みたいなのがドロップアイテムに変わるんですか?」

「いえ、モンスターも〈格納〉を持っていて、倒すと効果が切れてその中身が出現すると言われています」


 モンスターがどうやってチケットなどを得ているのかはさまざまな説がある。

 基本的には発生時に持っているというのが有力な説だ。人間も〈格納〉には最初からチケットが入っているのだから、何もおかしくはない。

 多少なりとも知能があるタイプは、ダンジョン内で見つけたアイテムを〈格納〉に入れることも確認されている。他のモンスターから出た産出物が放置された場合、こういったモンスターに拾われるという。


 説明を聞いた男児がおそるおそる質問する。


「……それって、人間も同じですか?」

「はい、人間もダンジョン内で命を落とすと〈格納〉の中身が周囲に出現します。他には、中に何か入れたままダンジョン領域から出ようとしたときも同じことが起きます」


 モンスターと違うのは人間の死体は消えないことだ。ダンジョンの外から持ち込んだものは消えない。

 粉になって消えるという、通常では起き得ない現象で消滅することから、モンスターは疑似生命体や疑似存在などと呼ばれることもある。


 千里が「産出物は次に期待しましょう」と告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る