俺たちは英雄になれない

あとりえむ

001 砂田の進路

 北海道、中島公園ダンジョン。最終エリアの門番ネジレゲヒグマに対し、5人の男女が戦いを挑んでいた。

 誰もが薄汚れており、皮脂にまみれた髪の毛がばさばさと揺れている。整えられていない眉と、伸び放題のひげが、日時の経過を如実に表していた。


「砂田さん、どうにかして突き離して! 離したらミッチーさん射撃! んで隼翔はやとさんとヨッシーさん交代!」


 司令塔の高木あゆむが叫び終わる前に、門番が後ろ脚で立ち上がろうとする。その左腹に砂田かるが武器を叩き込んだ。回転力を乗せた、十分な威力を持つ攻撃だった。

 しかし門番は動じない。体格差がありすぎるのだ。腹に当てても効果は薄い。門番は完全に二足状態になると、距離を取ろうとする砂田に向けて左腕を振るう。

 凶悪な爪が戦闘用ヘルメットを削る音が響いた。


(――ヤバかった!)


 ひたいから流れる血が右の眉を濡らすのを砂田は感じた。このままでは戦闘に支障が出るのは明らかだ。しかし直撃なら首から上はなくなっていただろう。それよりはましだと思い直す。


「歩くん、傷ローション用意! 僕じゃなくて砂田さんが代わる!」


 砂田に代わって門番の相手をしている鈴木隼翔が叫ぶ。隼翔は砂田をかばおうと、手に持つ槍で門番を牽制。その穂先が四足に戻った門番の目を掠めた。

 門番の動きがわずかに鈍る。

 合図をするまでもなく、今がその時とばかりに砂田は門番の頭に武器を打ち込んだ。


「交代!」


 砂田が叫びながら、しかし視線は切らずに下がる。視界の端から加賀芳樹よしきが現れ、門番に向かっていく。


「ミッチーさん胸を狙って」


 歩の指示が響く。それを聞いた坂下満流みちるが「オッケー」と返すと同時にクロスボウを発射した。

 この戦いのためだけに苦労して持ってきた武器で、初速400FPSに達する強力なものだ。装填に手間を要するのが難点だが、相手はすでに1体を残すのみ。時間は十分にあった。

 満流の放ったボルトが門番の胸に突き刺さる。こわい毛が複雑に絡み合い、防刃繊維のごとき性能を持つ毛皮を貫く威力。


 門番が咆哮する。それは怒りからか、それとも、怯えからの行動か。

 そのひたいに、芳樹のバルディッシュが叩き込まれる。

 圧倒的な体重差を覆すための、頭部への強力な一撃。打倒こそできなかったものの、動きを完全に止めることに成功した。


「こいつ頑丈すぎ……!」


 重量のある長柄武器でも割れない頭蓋骨に対して、芳樹が愚痴をこぼす。だがその言葉が終わる頃には、隼翔の槍が門番の眼に突き刺さっていた。その深さは脳まで達しているのが明らかだった。


 もう一発だという隼翔の言葉に、芳樹は再度バルディッシュを振り下ろした。

 完全に力尽きたネジレゲヒグマが崩壊を始める。その体は細かな粒となって崩れ落ち、やがて見えなくなった。


「やりましたね!」

「やったなー」


 歩の嬉しそうな声に、〈創傷そうしょうローション〉を額に塗りつけていた砂田が応えた。

 砂田も嬉しい。嬉しいのだが、ようやく終わったという気持ちのほうが強い。とにかく風呂に入りたかった。もう1か月近くダンジョンから出ていないのだ。


「おーい、チケットと石が出たよ!」


 隼翔の言葉に、門番が消えた場所に全員が集合する。そこには金属片が数枚、そして白く半透明な円柱形の石が落ちていた。

 砂田が金属片のひとつを手にする。小さな板状だ。穴が空いていないのでアーツ系チケットと思われる。


「〈特殊格納〉……? 誰か聞いたことある?」


 その問いに答えられる者はいなかった。



   *



 およそ1か月後、年末が近づく冬の札幌。

 個室居酒屋の一室で祝勝会が行われていた。


「後処理で間が空いてしまいましたが……クラスF中島公園ダンジョン民間初攻略を記念して、乾杯!」


 隼翔がビールジョッキを掲げて控えめな声量で挨拶する。

 その音頭に応え、残りの4人も「乾杯」と声を上げてジョッキを打ち合わせた。


 隼翔の言うとおり、中島公園ダンジョンを民間人が制覇したのは初めてのことだ。砂田たちがエリア55の門番を倒して最終チェックポイントに到達したとき、民間へのダンジョン開放から1年3か月が過ぎていた。

 国内に存在する他のクラスFダンジョンは全て民間攻略済みだ。よって、中島公園ダンジョンが同クラスで最後となった。

 もっとも、あそこを攻略したがる者が少ないという事情もある。理由は単純で、過酷だからだ。クラスは難しさの指標ではない。


「いやーしかし1年以上もかかるとはな」

「自衛隊の初攻略チームは調査しながら半年くらいだったっけ?」

「しょうがないでしょ。こっちは銃ないし5人しかいないし……スタート時点で戦う技術レベルが違うし」

「福岡のクラスFは半年で民間攻略されたじゃないですか」

「いやだから何者なんだよそいつら」

「ていうか歩くんが所持許可証なくしたから」

「それはすみません!」

「まあ、もう済んだことだし気にすんなよ」


 会話に割り込んできたり急にいなくなったりと、各人がとりとめもなく雑談を続けていた。


 民間開放の1年前。世界中にダンジョンが出現した日だ。

 自衛隊は出現から1週間後に各ダンジョンの調査を開始。それから約半年で、大阪と東京の一部を除いて全て攻略した。その中には中島公園ダンジョンも含まれる。

 各国の軍事組織や防衛組織による調査はICESアイセス(国際超常構造物対策会議)に報告され、最終エリア番号によってクラス分けされた。クラスが不明だったダンジョンについても、最終エリア番号を判別できる方法が見つかったことにより、問題なく分類が完了した。

 攻略隊が作成したダンジョン内の情報はICESによって公開済みだ。国内向けは日本支部によって翻訳されている。

 中島公園ダンジョンの情報を作成した自衛隊のチームは本当に大変だったようだ。国内同クラスの中では最も時間がかかったと記載されている。


「それよりさ、アレいくらだった!? 価格リストになかったんだからレアものでしょ!」


 声を潜めて言った満流に対し、隼翔はにやりと笑う。


「はいはい、皆ちょっと聞いて。アレだけど……基準価格は決まってた。つまり初物じゃない。でもオークションで見かけたという話もないから変だと思ったんだよね。

 聞いてみたら、クラスH攻略には絶対に必要らしくて、産出国がそのまま買い取るからオークションにも出ないみたい」


 隼翔によると、〈特殊格納〉はフランスが最初に発見したそうだ。その後は他の国でも見つかっているが、日本での発見は自分たちが初めてだという。

 それを聞いた他のメンバーは興味があるのかないのか分からない反応を示した。


「隼翔さーん、解説より先に報酬額お願いしまーす」


 歩が片手を挙げて催促する。彼は興味がない側だろう。

 それを聞いた隼翔は苦笑いを浮かべて、バッグからクリアファイルを取り出した。その中に収まっていたA4用紙を皆の中央に差し出す。


「明細見たら分かるけど、ほとんどが〈特殊格納〉チケットの買い取り額だよ」


 用紙を覗き込んだ4人は息を呑んだ。

 レベルFは21もエリアがある。当然、攻略中には大量の産出物を入手していた。しかし〈特殊格納〉チケットは、それら全てを合わせても遠く及ばない買い取り額だった。


「ヤバ」

「もう働かなくてもいいですか」

「ヤバイ」

「ヤバイですよ」


 満流と歩が顔を見合わせて、語彙の少ない会話をしている。

 それをよそに、砂田と芳樹はジョッキを合わせた。


「芳樹、やったな。結婚資金としては十分っていうか、余裕っしょ」

「ありがとうございます。砂田さんもおめでとうございます。……と言うのもおかしいですけど」

「遊ぶ金に困らなくなるから『おめでとう』で間違ってないよ」

「それは……ほとほどにしたほうがいいんじゃ」


 芳樹と満流はこの攻略を機に採取者ピッカーを引退し、結婚することが決まっていた。それは報酬額によらない約束事だったが、2人にとってはこれ以上ないものになっただろう。


 盛り上がっている4人に割って入るように隼翔が告げる。


「働かなくてもいいかは分からないけど大金だよ。金額が金額だから、免許持って出張所に来てくれって言われたよ」


 その言葉を機に再び乾杯が繰り返されたが、砂田によって発せられた「税金は払えるようにしとけよ」という言葉に皆がため息をついた。




 宴会が進み、腹も満たされてきたところで砂田が質問する。


「それで、〈特殊格納〉チケットは日本が手に入れたのか?」

「産出国に優先権がありますしね。転売するんじゃなくて自衛隊に使ってほしいな。役に立てたら、なんか嬉しいですしね」

「そうだな……クラスHがある国はどこも必死らしいし、使えるものは多いほうがいいよな」


 チケット。超常産出物の一種。

 薄い金属板で、採取者たちの収入源のひとつだ。一般的な名刺サイズとして知られる名刺4号を、長辺と平行に2分割したものとほぼ同じサイズの金属片で、片方の端近くには横断するように切り込みが入っている。

 角丸の金属板の表面には未知の文字、通称「ダンジョン文字」が刻まれているのだが、ダンジョン内でならば誰でも理解できる。初めて体験する者には「読めない文字なのに理解できるのが気持ち悪い」と評されることが多い。しかしその効果はダンジョン内のみだ。自力で翻訳できる実力者でもないかぎり、外ではただの金属片にすぎない。


 このチケットをダンジョン内で切り込みに沿って折ることで効果を得られるが、文字が読めなくなるほど損傷したチケットは効果を発揮しない。

 これはICESが発表したことで、採取者による検証動画も多数アップロードされていた。


 そして砂田たちが手に入れた〈特殊格納〉チケットの効果は「〈格納〉とは別に、何かをひとつだけを格納できるようになる」というものだった。


 ダンジョン内で条件を満たした全員が手に入れられる〈格納〉。物体を消滅させるかのようにどこかに収納し、また、生成するかのように出現させられる特殊技能だ。その容量は100リットル程度と言われている。

 入手を避けるには努力が必要なほど条件が緩く、実質は誰でも手に入れられると言っても過言ではない。

 それを前提とする〈特殊格納〉は追加効果のようなものだろう。似たものに〈格納拡張〉があり、砂田たちのチームでも歩が2つ使っている。

 ネジレゲヒグマを倒したあとに、全員が〈特殊格納〉チケットの文言を確認しているが、具体的な効果を知る者はいない。それでもチケットから得られる簡易な文言だけでは確認できない効果があるのだろうと、買い取り額から容易に想像できる。


(ひとつだけ、ね……)


 それが重要な点なのだろうと、砂田が〈特殊格納〉の効果を想像していると、歩が近づいてきた。いつの間にか飲み物がビールから焼酎に替わっている。


「そういえば、これから砂田さんはどうするんですか? 僕は卒業しときたいんで大学に戻りますけど……。隼翔さんは採協職員になるし、ミッチーさんとヨッシーさんは結婚してお土産屋さん継ぐって言うし」

「えーわたしも知りたいー。あっ、もしかして有り余る金ですすきのの帝王になるとかですか!」

「なるほど、ありだな……いや冗談だよ。遊びには行くけど」


 わざとらしい下品な笑い方をしながら満流が会話に混ざった。だいぶ酔っているようだ。

 この話題に隼翔と芳樹も顔を向けてきた。

 本人はまったく意識していなかったが、砂田のこれからについては皆が気にしていたようだ。

 いい機会かもしれないと砂田は思った。確かに誰にも教えていなかったのだ。皆と別れることにもなるので、ここで言っておくべきだろう。


「俺は東京に戻って都庁前ダンジョンでガイドをやろうと思ってる」


 砂田駆、31歳。

 若い仲間たちが採取者として「上がり」を選択する中で、ダンジョンに関わり続けることを宣言したのだった。



   * * *



 超常構造物、通称「ダンジョン」が出現して2年4か月余りが経過していた。

 ダンジョン出現時、各国の対応は足並みがそろった迅速なものだった。手際がよすぎたとも言える。

 その対応速度は民衆に疑念を抱かせた。


 なぜ出現の翌日にICESという国際機関の運用開始が可能だったのか。

 軍事組織または防衛組織の投入が、最遅の国ですら出現から1週間後という早さだった理由は。

 なぜ多くの国で都合よく警邏けいら強化月間で、ダンジョンの発見が早かったのか。

 あのとき、なぜいくつかのダンジョン出現場所が都合よく工事予定で立入禁止中だったのか。


 ――明らかに政府は、ICESは何か隠している。


 そう世間は判断した。状況から、それは疑惑ではなく確信とも言えるものだった。

 当然マスコミは追求したが、ICESも政府も質問に答えることはなかった。

 ウェブ上ではさまざまな噂や出どころの怪しい情報が拡散され、ソーシャルメディアはダンジョン関連の投稿で溢れた。

 多くの国では情報公開を求めてデモが行われ、一部は暴動にまで発展。

 さらには政府機関のネットワークに侵入しようとして逮捕される者も出た。


 これに関連して日本国内では与党の支持率が急落した。ところが、野党の追求もどこか遠慮しているようで切れが悪く、同様に支持率が低下するという結果になった。

 ダンジョンに関するまともな議論は、民間開放に関する法律の作成と、それに伴う銃刀法改正まで行われなかった。

 出現から1年後にダンジョンを民間に開放するというICESの決定に対して、政治家からの批判や拒否反応は極めて小さかった。そして、開放を前提として国会は進行した。

 最も重要な部分が素通りされた不自然さに再びマスコミが噛み付いたが、成果は得られなかった。

 当時の世間の反応は、歓迎と反対を含めてさまざまだった。これは現在も変わらない。


 民間開放に当たり、ダンジョンから得られる物品「超常産出物」を取り扱うための機関がICES内に作られ、それらを得るのに必要な人員を管理するための協会も同様に作成された。

 協会の名はWEPCAウェプカ(世界超常産出物採集協会)。国内では略して「採協」と呼ばれる。

 そこに所属して産出物を採取する職業が生まれ、運用が始まった。ICESの宣言どおり、ダンジョン出現から1年後のことだ。

 彼らの肩書は「超常産出物採取作業員」だが、通称「採取者さいしゅしゃ」または英語圏での名称から「ピッカー」と呼ばれるようになった。


 ダンジョン出現に関する謎について、何らかの情報を得た者がいないのは現在でも同じだ。

 しかし、ダンジョンが存在し、そこで金銭を得るための活動をする者たちがいることは当たり前になりつつあった。

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