恋病

 有雀に椅子で殴られて、腕に青アザが出来てしまった。お気に入りの廃ビルで、今日も夕焼けをぼんやり眺める。


 ペロリとアザを舐めてみる。桜色の飴玉みたいな、甘くて儚い味がする。勿論、私の肌がそんな味をしている訳ではない。ただ、有雀につけられた傷だから、そのように錯覚しているだけだろう。


 これを人は病気と呼ぶのだろうか。


「……有雀、愛してるよ」


 邪魔なライバルを排除したことで彼女に対する愛情は、より強固な物へと化した気がする。正直、あの古美が私を殺そうとした所は予想外だった。でも、結果は私の大勝利だ。


 もう、私には有雀の事しか考えられない。


──恋の女神は私を味方してくれてる。この時の私は、勝手にそう思い込んでいた。


 ◇


 4月。私たちは小学6年生になって、クラス替えの結果が発表された。そこには、私が最も恐れていた事が書かれていた。


 有雀と違うクラスになっている。


 私はプリントに穴が開くほど、何度も何度も目を通した。でも、非情な現実は変わらない。恋の女神なんて最初から居なかった。これが私が産まれて初めて感じた、絶望というものだったかもしれない。


 そこからは、灰色の毎日だった。


 親が心中した時も、対して何かを思うことは無かった。最初から、両親に愛されたことも、両親を愛したことも無かったからだ。


 恋敵が現れた時も、ショックこそ受けたものの、絶望まではしなかった。事実、私は自分の手で希望を掴み取った。


 今まで、不快感ならば人よりも何倍も多く感じてきたが、こんな無力感に襲われるのは初めてだ。


 心にも痛覚があることを、初めて知った。


 ◇


 もう、私の事を構う人は居ない。クラスの中でも、ずっと空気みたいだった。それが凄く痛かった。今まで、そんなこと気にしていなかったのに、私はどうしてしまったのだろう。


 孤独が怖かった。


 痛いのは嫌。怖いのも嫌。孤独は嫌。退屈は嫌。朝は嫌。昼は嫌。夜は嫌。休み時間は嫌い。体育はもっと嫌い。嫌い嫌い。何より私が大嫌い。


 だから、『嫌』と感じることも無いように、感性を殺し続けた。大嫌いな自己を殺し続けた。皆が私を空気のように扱うみたいに、私も私自身を無いものにしようとした。


 そうやって、私は私を護るため、私を殺した。


 でも、それでも、有雀の事だけは忘れられなかった。どれだけ自己を殺したと思い込んでいても、知らぬ間に有雀を目で追い掛けている私が居た。有雀だけは嫌いになれなかった。


 ◇


 廊下から、隣のクラスを覗いてみる。そこには、誰もいじめていない、ただただ友達と談笑しているだけの有雀がいた。


 有雀があんな風になったのは、塾に通い始めてからだ。受験のために勉強をしているらしい。彼女はすっかり良い子になってしまった。


 今の彼女は、私なんて見てくれないのだろう。私はそれが凄く悔しかった。虚しかった。もう一度、私を虐めて欲しかった。


 でも、現状は良くならない。それどころか、私をさらに苦しめる存在が現れた。


 家に帰ると、知らない靴が置かれていた。派手なピンクのハイヒールで、目に止まった瞬間、嫌な想像が頭に過る。


 薄暗い廊下を進む。すると居間から女性の喘ぐ声が聞こえてくる。障子を開けると、知らない女の人と、叔父が激しく交わっていた。


 私は強い嫌悪感を感じつつ、居間の向こう側にある台所へ水筒を置きにいく。それを横目に、二人はひたすら愛し合っていた。


 それに対し女が言葉を溢す。


「あれがアンタの姪っ子? 可愛くないわね」


 思わず、動きを止めてしまう。私は母にも散々酷いことを言われてきたが、特に傷付く事は無かった。でも、何故かこの女の言葉は私の心にグッサリと突き刺さる。


 やはり、私は精神的に限界になっているのだろうか。


 ◇


 夜中まであの女が居たらどうしようかと思ったが、途中で帰ってくれて助かった。この家は元は叔父しか住んでいなかったので、寝室が一つしか無い。それもあって、もし彼女が居たら本当に発狂していたかもしれない。


 最悪の事態は避けられた。それでも、私は何だか眠れない。布団で横になっているだけで、嫌な記憶がどんどんと蘇ってくる。


──また、有雀に構ってほしい。


 いつものように、叔父の煙草が臭ってくる。真っ暗闇の部屋の中で、赤い焔だけがぼんやりと光っていた。


 そこで私は良いことを思い付いた。


 ◇


 月すら見えない夜の下。煌々と私の家が光っている。ぼうぼうと燃える炎は、どこか神秘的で全てを包み込んでくれているようだった。ウーウーとあちこちでサイレンが鳴り響く。


 オレンジに染まる風景は、いつもの廃ビルを思わせる。


「発火原因は、叔父の煙草の消し忘れ。そう言うことにしときましょう」


 こんな不幸で悲惨な子が居れば、有雀も構ってくれる筈。胸踊る毎日が戻ってきてくれる筈。文字通り、私は全てを有雀に捧げたもの。


 目の前で私の家だった物が崩れていく。


 ◇


 ワクワクと、柄にもなく小走りで進む。ドクドクと鼓動する胸は、今にも飛び出そうだった。ガヤガヤとうるさい教室も、今日だけは許してあげよう。ワラワラと、彼女の周りで羽虫みたいに群がっている、有象無象をかき分けて、今、目を合わせる。


「私、家燃えちゃった」


 それは私が彼女に初めてかけた言葉だった。それまで和気藹々と話していた群衆たちは、呆気にとられた様子で、口をポカンと開けていた。有雀もまた、同じようにして口を開けていたが、彼女だけは目元に焦りの色が見えていた。


「そ……その…………ゴメン咲來!」

「………………?」


 何故、彼女が謝っているのだろう。家を燃やしたのは、彼女では無い筈なのに。そもそも、私は彼女に虐めて欲しくて喋りかけたのだが、どうもコミュニケーションが取れていないようだった。


「私……咲來の気持ちも考えずに……今まで、ずっと酷い事してた…………!」

「???」


 有雀はボロボロと涙を溢す。何が起こっているのか、一切、理解できない。


「ゴメン……! 許して何か貰えないだろうけど、謝らせて!」

「………………」


 そうか。彼女は変わってしまったのだ。もはや、今までと同じ対応はしてくれないのだろう。そこにはやけに冷めた私が居た。


「放課後、一緒に来て」

「へぇ……?」


 私は足早に教室を出る。有雀はきょとんとしていた。


 ◇


 色々と考え事をする。授業の音も、私の耳には入らない。ずっと、ずーっと、頭の中でグルグルと考え事をする。この気持ちは、何だろう。


 ただ、一つ。私のやりたいことは決まった。


「どこに行くの、咲來?」


 その質問には答えずに、淡々と足を進める。そろそろ、陽も落ちる頃合いだろう。


「綺麗でしょ? ここ、私のお気に入りの場所なの」


 ここへ有雀を連れてくる、そんな妄想を何度かしたことがある。まさか、現実になるなんて思っていなかった。


「綺麗……だけど、どうして私をここに?」

「有雀の事が好きだからだよ」


 思い切って抱き締めてみる。何だかふわふわとした匂いが広がって、違法な薬物でも吸ってるみたいに気持ちが落ち着いた。彼女の暖かみを、全身を使って堪能する。


「えっ……? 何で? 私は貴方を虐めてたのに…………」

「とにかく、好きなの。だから、──」

「だから?」


 埃の混じった空気を肺一杯に飲み込んで、満を持して言ってみる。



「──一緒に、死のう」



 彼女をぎゅっと抱き締めたまま、花が散るように飛び降りる。何故、こんな事になったのか。


 それはきっと、桜色のバグのせいだろう。


 べちゃり。

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桜色のバグ たまごかけマシンガン @tamagokakegohann

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