恋敵

 学校帰り。いつものように廃ビルへ行く。ランドセルを横に置いて、山へ沈む夕日を見る。


 ぼんやりと街を眺めていると、愛しの彼女を思い出す。有雀。こんな私に構ってくれる優しい有雀。笑顔が素敵な可愛い有雀。


 彼女の見下すような視線を思い出す。彼女の浴びせた暴言の数々を思い出す。


「…………んっ……!」


 気付けば私は、自慰に耽っていた。


 ◇


 有雀のいじめはそれからも続いた。ここまで長い期間、私を求めてくれたのは有雀が初めてだ。これは誰がなんと言おうと恋だ。


 だが、恋愛にはライバルというものが現れるのが世の常だ。


 朝。今日はどんな嫌がらせを受けるのか、楽しみにしながら教室へ入る。けれど、私を出迎えたのは、別の女の子が咽び泣く声だった。


 教室の隅で有雀にホウキで殴られていた。その周りをいつものメンバーが囲っている。


「あはは! ゴミ掃除してるみたい!」


 私は驚きと悔しさで一瞬、思考が止まってしまった。本来なら、あそこで踞っているのは私の筈で、有雀の罵倒を受けるのも私の筈だった。どうして、私の役目が奪われているのか分からなかった。


 休み時間が始まり、座席表を確認する。『古美こみ留美るみ』。妙に語感の悪い、聞き覚えのない名前だ。


 その理由はすぐに分かった。彼女の名字は元々、『田宮たみや』だったのだが、突然『古美』に変わったそうだ。


 たちまちクラス中に、『離婚した両親が再婚したんだ』という噂が飛び交った。それに目をつけた有雀たちが、私から古美にいじめの標的を変えたのだろう。元々、内気だった彼女は、誰かに助けを求めることすら出来ない。


 私は理由を知って、ますます煮え切らない気持ちになった。両親が変わった古美と、両親がいない私で、有雀は古美を選んだという事実が気に入らなかった。長年、私をいじめてきたから飽きてしまったのだろうか。考えれば考える程に悔しく、やるせない気持ちになる。


 私はもう一度、有雀に振り向いてほしい。もう一度、私を罵って、ボロ雑巾みたいになるまで暴力の限りを尽くしてほしい。


 その為には、ライバルを消さなくちゃいけない。


 ◇


 放課後。日が段々と落ちていく時間。いつもだったら、一目散に廃ビルへと向かうのだが、今日は古美の後ろをついていく。


 古美は進んで人通りの少ない通路を選ぶ。それは私にとっても都合が良かった。


 カッターの刃を伸ばす。


 これであいつの首をかっ切って殺してやる。私は捕まるかもしれないが、それでもあいつを殺せるならいい。後一回だけでも有雀の愛が貰えるなら、それ以外はどうなったって構わない。


 向こうは私に気付いていない。このまま近付いていけば、やれる。


 そう考えていると、突然、古美はしゃがみ出す。


「クロ、いい子にしてた?」


 彼女の目線の先には、段ボールに入った黒い子猫がいた。目ヤニだらけで、今にも死んでしまいそうな程に衰弱している。それでも彼女の手の温もりを感じると、か細い声でにゃあと鳴いた。


「クロだけだよ。私を癒してくれるのは」


 どうやら古美は、日常的にあの猫に会いに行っているみたいだった。酷い環境下で何かを心の拠り所にするという点では、私も彼女も同じなのかもしれない。


 私はカッターの刃をしまって、彼女の方へ駆け寄った。


「咲來さん!?」


 古美は目をまん丸くして、こちらを見つめる。


「猫……可愛がってるの?」

「そう。クロって言う名前でね、この子、こんなに小さいのに捨てられちゃったの。家では飼えないから、ここで面倒見てるんだ……」

「ふぅん……。優しいんだねさん!」

「う……うん。ありがとう……」


 古美は何故か浮かない顔で頷いた。すると、おもむろに立ち上がる。


「……私、早く帰らなきゃいけないから。じゃあね」


 震えた声でそう言い残すと、逃げるように帰ってしまった。さっきまで、私と彼女は同じかも、なんて考えていたが、やはり他人は他人だ。何を考えているかなんて、全く分からない。


 まあ、彼女がここを去ってくれたことは僥倖だ。ちょうど、彼女を殺すよりも面白いことを思い付いていたからだ。


 緩慢な動きでカッターの刃を伸ばす。


 ◇


 次の日の朝、古美は学校に来ていない様だ。お陰で今日は有雀に構って貰えて、有頂天外の心持ちだった。


 私は口が歪むのを我慢しつつ、朝のホームを待つ。すると、いつもとは違い、緊迫した雰囲気で先生が入ってきた。


「今朝、学校の近くの道端に子猫の死体が落ちていたそうです。誰かが故意的に行った形跡が残っていたそうですが、まだ犯人は捕まっていません。放課後は少なくとも、二人以上で帰るようにして下さい」


 そう言って先生はプリントを皆に回す。犯人を怖がる人や、猫を憐れむ人、中には猟奇的な事件に興奮している人までいて、クラス内ではざわめきが起こっていた。


 だが、ドンっという大きな音と共に、静寂が訪れる。音の方向には、息を切らして、目を真っ赤にした古美がいた。


「古美さん。扉を雑に開けないで下さい。それと遅刻をした時は……」


 先生の忠告に一切、耳を傾けず、真っ直ぐに私の席へ向かってきた。


「あんたでしょ! あんた以外にあり得ないんだもん!」


 古美は涙を流しながら怒鳴り散らす。私の席に前のめりになって、首を絞めかかってきた。


「殺してやる! あんただけは、絶対に殺してやる!」

「何をしているんですか、古美さん!?」


 本気で私を殺しにかかる古美を、先生が直ぐに引き剥がす。古美は完全に力尽きたのか、先生に掴まれたまま、空気の抜けた風船みたいにしぼんでいた。


「……どうして……返してよ! クロを返してよ…………!」


 その日から、古美は学校に来なくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る