第95話 西の森の確認2 ワイバーンの巣




 滝の上を迂回し、渓谷の反対側へ渡ると、ワイバーンが走り回った後が一層多く見つかり、ジャイアントボアなどの骨も多く見つかるようになった。


 更に周辺を探索していると、今度は明らかに灌木以外の木も倒れ、ワイバーンが獲物を狩ったであろう痕跡はあっても、獲物の骨が見当たらないという場所が多くなっていく。


 「これはどういうことなんでしょうね? 骨まで残さずペロリと平らげていたとかですかね」


 俺は不思議に思って近くで合流していたマリスさんに聞いた。


 「骨まで獲物を食べることは流石にしないでしょう。これはいよいよ、本格的な巣があり、そこに獲物を持ち帰って食べていた、と見た方がいいですね」


 「なるほど。ワイバーンはこの周辺で結構獲物を乱獲してたんですね」


 「この周辺に獲物が居なくなってしまったので、東の方面に出て来たということでしょうね。

 ワイバーンがたびたび飛来する暗き暗き森の南部では、ワイバーンを見かけるとすぐに倒してしまうので巣を作られるということが滅多にありません。私もワイバーンの巣がどんなものなのかはわかりませんよ」


 マリスさんでもわからないのか。


 どんなものなんだろう。


 「まあまだ日もありますし、もうしばらく周辺を探してみましょう」


 俺はそう言ってマリスさんと別れ、またハンス、ダイクと一緒に周辺を探索した。


 森の中のあちこちで木が倒れ、ワイバーンが狩りをした痕跡はあるものの、巣らしきものは見つからない。


 「殿下、ワイバーンとはいえ生き物ですから、巣を作るなら水場に近いところなんじゃありませんかね」


 とダイクが言う。


 確かに水は必要だろう。


 「さっきの渓谷の上の方をもう少し探してみようか」


 俺たちは渓谷に沿って上流に向かった。


 途中で何本もの小川が渓谷に合流し、水量がその度に下流に向かって増えて行く様子がわかる。

 俺たちは遡るたびに水量が減っていく中で、最も水量の多い川筋を選んで進んでいく。

 渓谷が普通の森の中を流れる小川になり、所々森の中にワイバーンが狩りをした痕跡があり……


 やがて突然森が開けた。


 一面の木々が倒された痕跡があるが、倒れた木々は持ち去られているのか無く、これまで見かけたワイバーンの狩猟の跡とは違う。


 開けた一面は100m×100m程の範囲。開けた真ん中に幅15m程の池があり、俺たちが辿ってきた小川はその池から流れ出ている。


 俺達を驚かせたのは、その池の周辺から木々が倒された森の縁まで、平地を埋め尽くすかのように散らばる骨、骨、骨の光景だった。


 所々骨が積みあがって山のようになっているところもある。

 ここでワイバーンは捕らえた獲物を貪っていたのだろう。

 骨の多くはジャイアントボアやアルミラージなどだ。


 しかし、沢山の骨が積み重なった一番下の方に見える骨。


 人骨に似た骨。10数体ある。


 「あれ、人の骨なのかな……」


 いや、そんな筈はない。多分。

 フライス村が一番暗き暗き森に近い村の筈だ。 襲われるようなところに村があった筈がない。


 「どうも獣人の骨のようですね」


 その人骨のような骨を調べていたダイクが言った。


 「耳孔の位置からすると山猫人間ワ―キャットだと思います。この周辺にアレイエム王国保護下にない山猫人間ワ―キャットの小集落があったのでしょう。もしかしたら、眠っている間に毒霧で一網打尽にされて食われてしまったのかもしれません」


 ダイクにそう言われて周辺を見回してみると、骨の下に埋もれているが、地面を掘って火を焚いていたと思しきかまどの跡のようなものが何か所かあった。


 「ここの池のほとりにアレイエム王国の把握していない山猫人間ワ―キャットの集落があったってことなのかい?」


 俺がそう尋ねると、


 「そうですね、獣人の中には昔の人族の征服から逃れて森の中に数家族単位の集落を作ってひっそり生きている集団もいますよ。 山猫人間ワ―キャットならそうおかしくもありません」


 ハンスがそう答えた。


 「かまどみたいな跡があるけど、上に建ってた建造物みたいなものはないね。山猫人間ワ―キャットは住居を作らないんだろうか」


 「いや、多分あれに使われちまったんでしょう」


 ダイクがそう言って、池の反対側の森の縁を指さす。


 ダイクが指さした先は木々が積み重ねられて小山のようになっており、その木の山には出入りできる穴のような空間が作られていた。


 「あれが多分ワイバーンの巣なんでしょう。巣の主は居なくなってるんですから、どんなとこか見学に行ってみましょうか? 後学のために。

 ドノバン先生が見たら飛び上がって喜んだでしょうが、ツイてないってもんですね」


 ハンスの言葉を受けて、俺たちは雪狼に乗って池を回り込み、ワイバーンの巣に近づいた。多くの骨で進みづらいが、雪狼たちは通れる隙間をすぐに見つけて進んでいく。


 ワイバーンの巣の前に辿り着く。

 すぐに穴のような空間には入らず、巣の周囲をぐるっと回ってみる。


 ワイバーンの巣は、木々を積み重ねて作られている。

 木が倒された跡はあっても倒れた木が無かったのは、ここに積み重ねていたからだろう。

 ワイバーンが中に入って眠れるだけあって、やたら大きい。

 高さは15m、周囲はぐるっと回れば50mはありそうだ。

 巣の下の方には森の木とは違った、加工された柱が横倒しに乱雑に飛び出ているが、山猫人間ワ―キャットの住居の残骸だろう。


 ワイバーンの巣の周囲をぐるっと回っていると、積み重ねられたワイバーンの巣の木と木の隙間から、俺たちが近づくのを察知したのか体長1m程の動物が4足歩行で森に向かって素早く逃げ出した。


 ワイバーンのお零れを狙った野生動物だろうか。


 「待てッ!」


 ダイクはその動物を雪狼から降りて追いかけだした。

 ダイクも珍しく4足で走っている。

 ダイクの姿は森の中に見えなくなった。


 「突然どうしたんだろう?」


 「さあてね? アイツのやることだから何か意味はあるんでしょうけどね、さっぱりわかりませんや。とりあえず戻って来るのを待ちましょう」


 ハンスは呑気にそう言う。ダイクに対しての信頼は厚い。

 確かに待つしかない。


 そう思ってしばらく待っていると、ダイクが戻って来るよりも先に、マリスさんやリューズ達エルダーエルフの一団が俺達のいる場所までやってきた。


 マリスさんは池の周囲一面を覆い尽くす骨を改めて見渡して、


 「凄い有様ですね、これは。ワイバーンが巣を作って居付くとこんな事になってしまうとは……」


 と驚きを隠せない。80年生きて来たマリスさんを驚かせるほどに、ワイバーンの食害が甚大ということだ。


 「ジョアン、この中はもう見たの?」とリューズが尋ねる。


 「いや、ダイクが野生動物を追っかけて森の中に入って行ったから、ダイクが戻って来るのを待って入ろうかと思ってね」


 「そっか。でもそろそろ夕暮れ近いし、あまり暗くなると巣の中が全然見えなくなるかも知れないから、今のうちに確認しといた方がいいんじゃない?」


 確かに太陽が森の木の少し上の位置まで落ちてきている。リューズの言う通り夕暮れが近い。


 今日はここに一泊するとして、中を確認するのは日のあるうちの方がいいだろう。


 「そうだね、確かに暗くなると中の様子がわからないか。じゃあ入ってみようか」


 俺はそう言って雪狼から降り、ハンス、マリスさん、リューズ、キュークスと一緒にワイバーンの巣穴の中に足を踏み入れた。


 巣穴の中は外以上に骨だらけなんじゃないかと思っていたがそんなことはなく、結構きれいなものだ。


 ワイバーンは外でお食事をする、意外に綺麗好きな奴らしい。


 巣穴の中は意外に木々がしっかり積まれているためか、木々の隙間から光が差し込むなんてことはなく、巣穴の入り口から差し込む光が届かない奥に行くと暗くなっている。


 その暗くなったところの一角が、突然光を反射した。


 「まさか……」


 俺たちはその場で立ち止まり、中の様子を観察しようとしたが、マリスさんが『瞬足』で素早く動き、光を反射した箇所の下辺りに腰の鞘から抜いた剣を突き立てていた。


 GAHA……


 音にならない声が響き、光を反射していた部分がすっと消えた。


 「大丈夫ですよ、奥まで入ってきてください」


 マリスさんがそう言ってくれたので俺たちはマリスさんの傍らまで行く。


 ハンスがワイバーンの巣に使われていた木の太めの枝を折り、それに魔法で火を付け松明替わりにすると辺りが明るくなり、マリスさんが剣を突き立てた物を照らし出した。


 そこにはフライス村を襲った奴よりもやや小型のワイバーンが、自分の尻尾の先端を咥えるかのような形で体を丸めて、右の翼を広げて尻尾に被せる形で何かを守るように横たわっていた。


 入り口からの光を反射していたのはワイバーンの目だった。今は閉じている。


 マリスさんの剣はワイバーンの顎の下に、鱗とは逆方向から刺さっていた。


 「もう一体居たのか……」


 外の骨の量、ワイバーン1体でどれだけ食べるんだと驚愕していたが、ワイバーンが2体いたなら納得……いや、やはり多い。2体だとしてもどれだけ食べるんだ。


 「どうも、元々こいつは弱っていたみたいですね。私たちが巣穴の中に入ってもこいつの気配に気づかなかったのは、衰弱してもう殆ど瀕死の状態だったからでしょう。

 ワイバーンの毒液を塗った剣で刺しましたから、これで最後の抵抗、なんてことも無いでしょう」


 マリスさんがそう言って、ワイバーンに刺した剣を抜き鞘に納めた。

 鞘の中に毒液を仕込んでいるのだろう。


 「殿下、こいつは雌みたいですね。見て下さい。こいつはこれを守ってたみたいですよ」


 ハンスが手に持った松明を、ワイバーンが体を丸めて、自らの尻尾と翼で守るように隠していた物を照らし出した。


 それは20個以上のワイバーンの卵。


 1つ1つの直径は30cm程だ。


 これを産卵し、巣穴の中で守っていたのか。


 この卵がかえって、さらにワイバーンが20体増えていたら?


 ちょっと手の施しようがない脅威になっていただろう。

 エルダーエルフ達でも、少なくともマリスさんの集落の人数だけでは多分対処しきれない脅威になっていた筈だ。


 「殿下、どうします?」


 村の安全のことを考えたなら、ここで卵を割っておいた方がいい。


 或いはエルダーエルフ達は卵を食べたりするのだろうか?


 「あ、これ既に中身食べられてる奴も幾つかありますね」


 卵を調べていたハンスが、一つの卵を持ち上げて、下側になっていた部分を俺達に見せながら言う。

 ハンスが持ち上げた卵は下になっていた部分に直径5cm程の穴が開いており、中身は空っぽだ。


 「卵の殻は厚いですけど、かなり小型の、それこそ野ネズミみたいな奴がこっそり忍び込んで穴を開けて中身を食べちまってるみたいです。強大なワイバーンとはいえ、卵じゃあどうしようもないですね。

 案外、こいつらは巨体で小回りが利かない分、こういう小型のげっ歯類みたいな奴が天敵かも知れませんね」


 ハンスはそう言って持ち上げていた卵の殻を地面に落とした。


 地面に落ちた卵の殻は、地面に落ちたところにひびが入ったが、割れはしない。殻がけっこう厚いようだ。落ちた殻の厚さを見ると、1cm近い厚さがある。


 「ふーん、このワイバーン、殆ど飲まず食わずだったようですね。体全体がげっそりして、鱗の下の皮膚も乾燥しています。

 もしかしたら、産卵したワイバーンの雌は卵を守るために巣穴から動かず、つがいの雄が雌の食べる物を獲って巣穴まで運んで来るのかも知れないですね」


 ワイバーンの体を検分していたマリスさんがそう言う。


 言われてみればこの間のワイバーンに比べ、鱗の下の皮膚が緩んでいるのか、鱗と鱗の間隔が空いている。マリスさんが剣を鱗の隙間にすんなり刺すことが出来たのも、この間のワイバーンに比べて鱗と鱗の隙間の間隔が大きくなっていたからのようだ。


 「じゃあ餌を持って来るはずの雄を私たちが撃退してからこのワイバーンは何も食べてない、ってことでしょうか」


 「ええ、最低4日は何も食べていないのでしょう。でも雄のワイバーンの村までの移動経路や狩りの仕方を考えると、あの雄はこの雌のことを忘れて自分の食欲だけ満たしていた可能性もありそうですよ。ここでこの雌が産卵して餌を雄が運んでいたら、一部位でも獲物の骨とかありそうなものですが見当たりませんし。丁寧に肉だけ運んで来たのかも知れませんけど。

 ワイバーンは巨体ですから、体の維持に必要な食べ物を食べ続けていないとすぐに衰弱してしまうのかも知れませんね。

 自分たちの子供を残す雌を放っといて自分の食欲だけを満たす雄。そういう習性なのかも知れませんが、わが身に置き換えるとそら恐ろしくなりますよ」


 そう言ってマリスさんは自分の妻のニースさんを思い出しているのだろうか、少しブルっと身震いした。人型生物の男は常に伴侶を恐れるのかも知れない。


 俺たちが丸まったワイバーンの体が作った空間に入り、足元の卵を見ながらそう話していると、不意にマリスさんの後ろにあるワイバーンの頭部の、閉じていた目がゆっくり薄目を開けた。


 ハンス、マリスさん、リューズにキュークスはワイバーンが体を丸めて守る姿勢を取っている卵の様子を観察しているので、ワイバーンが薄目を開けたのに気づいたのは俺だけだった。


 ワイバーンの目は、やはり蛇のような目で、俺達と意思疎通できそうな気がしない。


 意思疎通出来そうな気がしないのだけれど、何故か俺はこのワイバーンが、俺達に慈悲を乞うている、そんな気がした。


 自分が産んだか弱い命にどうか慈悲を与えてくれ、と祈るような思いで俺達にすがっている、そんな気がした。


 俺の感傷だろうか。 


 あれだけの森の魔物を食らったワイバーン。多分西の森の異変の原因はこいつらで間違いない。


 元々この場所にひっそりと住んでいた山猫人間ワ―キャットの集落を、住民を食べ尽くして壊滅させた。建物は巣作りに使った。


 外の池の周辺にあった骨の数、少なくとも1000は下らないだろう。池の周辺を骨がびっしりと埋め、一部骨が山になる程に獲物を狩って食べ尽くした。


 放っておけばフライス村も村人たちが食害にあっただろう。フライス村も壊滅していたかも知れない。 


 だけど、成長すれば強力な個体になるこいつらワイバーンでも、卵のうちは無力で、俺達よりも小さなネズミたちの餌にされてしまうのだ。

 大きな体が仇になり、小さなネズミたちを追い払う効果的な攻撃がないためだ。


 一生懸命大きな体で卵を隠し、守ることくらいしかできないのだ。


 一度に産む卵の数が多いのも、卵からかえって幼体として誕生する個体が少ないためなのだろう。


 こいつらも自分の種族を残すために必死なのだ。


 「ああ、わかったよ」


 俺は俺の横に来ているワイバーンの尻尾に手を当てて思う。


 お前らも生きるのに必死だ。巨体を維持するのに多くの魔物やら動物やらを食べる必要があるんだろうな。


 食べられる立場の俺達にとってはたまったもんじゃない。

 出来たらお前ら何かに出会いたくない。


 でもこうして出会ってしまった。


 そして俺たちはお前らワイバーンのことを殆ど知らない。


 だから、お前たちワイバーンのことを俺たちがもっと知るために、お前たちワイバーンの生き残った卵は、保護するよ。


 全部の卵を保護してやるのは無理だ。どれだけネズミに食べられているのかもわからない。もう全部食べられてるのかも知れない。


 でも残った卵は保護する。孵化させる。

 それで結果、お前の子供たちを実験材料みたいにするかも知れない。


 それでもいいか?


 楽観的に考えれば俺達と共存できるかも知れない。

 悲観的に考えれば、俺達に被害を出す前にするかも知れない。


 お前の子供が生き残る可能性だけは残すよ。


 それでもいいだろうか?


 ワイバーンの薄く開けた目は、最後に俺にしっかり視点を合わせると、ゆっくりと閉じた。


 閉じた瞼の端から、うっすらと涙が流れた。


 俺の「何となく雰囲気で考えを伝える力」が、このワイバーンに俺の考えを伝えてくれただろうと思う。


 ワイバーンは俺の考えを了解した、そう思いたい。



 「ハンス、ネズミに食べられずに残ってる卵ってある?」


 「えーっと、そうですね、端の方のは軒並みやられてますね、っと……ああ、真ん中の5つは無事みたいですよ」


 「じゃあ、その5つは持ち帰ろう」


 俺がそう言うと、大きな声がそれを否定する。


 「お前は何を言ってるんだ? 元々この周辺に生息していない危険な生き物の卵なんて持ち帰ってどうするつもりだ!」


 キュークスがそう叫んだ。


 キュークスの危惧は、当然と言えば当然だ。

 元々ワイバーンは暗き暗き森に住んでいる魔物ではない。

 時々遥か南のマル山脈から飛来して、暗き暗き森に火災の危険をもたらす存在だ。

 エルダーエルフにとっては出現したらすぐに撃退するべき危険な存在、そういう認識の魔物なのだから、その反応は当然なのだ。


 「キュークス、君の危惧はわかるよ。暗き暗き森に火災をもたらしかねない、エルダーエルフでも撃退するのが大変な魔物だものね。私たち人だったら確かにひとたまりもない。

 でも、だからこそ、私たち人は、何も知らないこいつらワイバーンのことをもっと色々、弱点なんかを知りたい。そのために卵を持ち帰って調べたいと思ってるんだ」


 「そんな言葉は戯言だ! おまえはいたずらに俺達まで危険に巻き込もうとしている! こんなものはこうしてやる!」


 そう言うや否やキュークスは剣を抜き、ワイバーンの卵に斬りつけた。


 バリッ!


 まだ無事だったワイバーンの卵の一つがキュークスの剣で真っ二つになり、どろりと中身を溢れさせた。赤黒い中心の黄身にあたる部分も剣でぐちゃぐちゃにされて流れ出る。


 「あと4つ!」


 キュークスは次の卵に向かって剣を振り下ろす。


 キャイン…… 甲高い金属音。


 キュークスの剣はハンスの鉄製のバックラーで弾かれた。


 「お前、ちょっと落ち着けって」


 ハンスは右手に松明を持ち、キュークスの剣を弾いたバックラーを装着した左手で、剣を持つキュークスの右手を掴んだ。


 「放せ! 邪魔するならお前も斬るぞ!」


 「おいおい、エルダーエルフってのはもっと落ち着いた存在じゃねーのかあ? お前はどうも酒場でケンカに明け暮れるガキみてーなニオイがするんだよなあ」


 「何だと! 俺を侮辱する気か!」


 「止めて! キュークス!」


 リューズが強い口調でキュークスを止める。


 「止めるな、リューズ! こいつらはエルダーエルフをバカにしたんだぞ!」


 「主語を大きくしないで! 一人で騒いでるアンタをハンスさんが諫めただけじゃない! だいたいいつからアンタがうちの集落の代表になったっていうのよ! うちの代表はお父さんでしょ!」


 リューズにそう言われてキュークスは我に返ったのか、ハンスに掴まれていた右手から力を抜いた。


 ハンスもキュークスがこれ以上実力行使に出ようとする気がなくなったのを確認すると、キュークスの右手を放した。


 「キュークス、剣を収めなさい」


 マリスさんにそう言われ、キュークスは大人しく剣を鞘に納めた。


 それを見届けるとマリスさんは俺に向き直り、俺の目を真っ直ぐに見て問いかけた。


 「ジョアン殿下、ワイバーンの脅威は貴方もその身に染みて理解されている筈ですね」


 澄んだ、でも意思の籠った目で俺の目をしっかり見据えながらマリスさんは俺に問いかける。


 この目に対して、小手先の返答などはできない。してはならない。


 「あなたはワイバーンの弱点を知るために卵を持ち帰る、と言われましたが、その結果私たちエルダーエルフを危険に巻き込む可能性が当然あることを理解されていると思います。そうですね?」


 「はい」

 

 俺はマリスさんの目を真っ直ぐ見ながらそう答える。


 「ではジョアン殿下。私たちがワイバーンの卵は危険だから、ここで全て処分してしまうと断固として意思を貫き通すとしたら、貴方はどうされますか?」


 「……」


 「言い方を変えましょう。貴方は私たちエルダーエルフとワイバーン、どちらかを取らないといけない。その場合どちらを選びますか」


 「お父さん……」


 リューズが心配そうにマリスさんに何か言おうとするが、マリスさんは片手を上げてリューズがそれ以上何か言おうとするのを制した。


 そんなもの、普通に考えればエルダーエルフ一択だ。

 それ以外に選びようがない。

 リューズを通してようやく交流の一端が開かれ、少しづつ信頼関係を形成している最中だ。

 未知の生物の生態解明、ただそれだけのために投げ捨てられるほど安いものではない。


 マリスさんだってそれは判ってくれている筈だ。


 「マリスさんが言われる、どちらかを選ばなければならないというのであれば、当然エルダーエルフの皆さんを選びます。

 というよりも、マリスさんが私たち人族にとってご自分達とワイバーンを同じ天秤に乗せる、同等の価値を持つと言われる方が私にとっては違和感があります。

 マリスさんにとって、私たち人族とのこれまでの交流は、その程度としか思っていただけなかったんでしょうか」


 「……」


 「私たちとマリスさん達の関係は、今現在は私たちの方が一方的に恵みを受け取っています。マリスさん達にとっては私たちとの関係は、特に必要ない、それどころかお荷物になっているのかも知れません。

 私たち人族はエルダーエルフの皆さんに、何も返せていませんし渡せていません。それは確かです。そしてエルダーエルフの皆さんの生き方を少しづつ知るにつれ、私たち人族が皆さんに何か返せるものなんて無いんじゃないか、そう感じています」


 「……」


 「でも、一方的に恵んでもらっているから、私たちにとって利益があるからエルダーエルフの皆さんを選ぶ訳ではありません。私たちだってエルダーエルフの皆さんに喜んでいただけるものは必ずお返しすることができる、そう信じています。そして、それを知るためにはもっと皆さんのことを知る必要があります。だからこの関係を断ち切るなんてことはしたくありません。

 マリスさん達にも、私たちのそんな気持ちは理解して頂けていると思っています」


 「……それで?」


 「マリスさん達が何があろうとここでワイバーンの卵を潰すと言われるのなら、私は従うしかありません。

 ですが、私たち人族は、未知の物を観察し、検証し、理解し、そして利用します。私たち人族のためだけではなく、私たちと相互に意思疎通できる存在、全てのためにです。

 ですから、ワイバーンという常に成体で脅威として現れる魔物について、卵から観察し、検証し、理解し、利用したいのです。

 そのために卵を私たちが持ち帰ることをお許しください」


 「ジョアン殿下の言われる理屈は理解できました。貴方が私たちとの関係性をどう捉え、どうしていきたいのかも含めてね。

 それでジョアン殿下、それだけなのですか? あなたがワイバーンの卵を持ち帰りたいと思われた理由は」


 マリスさんは、お見通しなんだろう。


 さっきこのワイバーンに俺が心の中で語りかけたことを。

 思えば俺の力って、対象一人を選んでとか、そう言う性質かどうかもわからない。

 近くにいたマリスさんにも伝わっていたのかも知れない。


 「……私は、このワイバーンが哀れだと思いました」


 「お前、こんな恐ろしい存在を哀れだと! 何を考えてるんだ!」


 キュークスがまた叫ぶ。


 ああ、そうだよな。こんなに他の生き物を食らい、毒を使い、炎も使い、空を飛ぶ。

 普通に考えれば恐ろしいばかりの存在だ。そりゃそう思わない奴は単なる命知らずだろう。


 でもなあ、やっぱり。


 「私たちだって食べなければ生きていけない。そして私たちだって誰かに食べられるかも知れない。

 その点においてワイバーンだって同じで、卵のうちはネズミたちの餌になるんです。

 強力な種族は子供も少ない傾向です。しっかり親が守れますから。エルダーエルフなんてそうでしょう?

 私たち人だって一度に生まれるのは普通一人です。

 でもワイバーンは一度に20もの卵を産む。それだけ順調に育つことが滅多にないからでしょう。

 この雌のワイバーンは、雄が餌を持って来ず自分が飢えてもここで必死に卵を守ろうとしていました。多分、卵を少しの間放っておいて何か餌になるものを探しに行くことは十分出来たはずです。

 でもそうせずに、自分の身を省みずに卵を守り続けた。

 私はそこに、同じ生き物としての哀れさを感じました

 せめて、残った卵は保護してやりたいと思いました。成長後私たちの脅威になるのであれば、その時に排除すればいい。そのための方法も研究し備えればいい。

 でも、今、この時点で卵を割ってしまうのは、自らの死を覚悟して卵を守り続けた雌ワイバーンがあまりに哀れだと、そう思ったんです」


 「お前は甘っちょろすぎるんだ! 弱い存在は他の存在に食われる、それが道理だ! 人族はそんなに甘いのか? 村に出たワイバーンはあれだけ恐ろしい殺し方をしておいて、何故こいつ雌ワイバーンに対しては甘くなるんだ? お前はおかしい! 矛盾している!」


 「止めなさい、キュークス」


 マリスさんが捲し立てるキュークスを、静かな言葉で制した。


 「キュークス、お前が言う事は確かに道理だ。この世界の摂理は弱肉強食が支配している。だが、強い者は何をしても良いのかな? 私たちエルダーエルフは強弱の観点から言えば、強い。強い私たちは弱い他の存在に対して、何をしても良いのかな?」


 「おさ、強いものが弱いものを好きにする、それは仕方がないことでしょう。相手が弱いうちに排除するというのも道理ではないですか!」


 「……キュークス、お前もエルダーエルフとしては異色だな。リューズとは違った意味でだが。

 キュークス、お前は植物たちは弱いと思うか?」


 「ものも言えず動けず、私たちに好きに使われている植物は弱い存在でしょう。だから私たちが守ってやらないといけないのではないですか」


 「結果的にお前が弱い植物を守ってやっている、というのとジョアン殿下が弱い卵を守るというのと、どう違いがある?」


 「全く違うでしょう! 植物たちは守ってやる代わりに色々な恵みを返してくれます! ワイバーンの卵なんか守っても大きくなったら脅威にしかなりません、全然違います」


 「卵からかえったワイバーンから様々な恵みを得ることが出来たとしたら、それはお前の言っていることとどう違う?」


 「ワイバーンから恵みだなんて、そんなことはあり得ません!」


 「実際、この間のワイバーンは多くの恵みを私たちにもたらしてくれているぞ。鱗、革、骨、肉……

 それについてはどう思う?」


 「それは……」


 「キュークス、お前は結局、お前の言いたいことを言うためにこの世界を都合よく見ているだけだ。この世界の摂理は確かに弱肉強食だ。だが、それだけではない。単なる強弱だけでこの世界を図っては見誤ることがあるのだ。

 ジョアン殿下が言う、他の存在の哀れさ。それは自分とは異なった存在に心を寄せないと気づかないものなのだ。そうして他の存在に心を寄せることが、異なる存在同士を結び付ける重要な要素となるのだ。

 キュークス、お前は植物を弱い存在、守ってやる代わりに恵みを返す存在と言っていたが、お前のその考えは思いあがっている。私たちの方こそ植物に守られているのだ。

 お前がその考えを改めない限り、植物たちはお前に力を貸すことを拒否するだろう。お前が植物の力を借りて魔法を使うことが他のエルダーエルフに比べて劣っているのはそういうことだ」


 マリスさんに滔々とうとうと指摘され、キュークスは黙った。思い当たる節があったのだろう。


 「ジョアン殿下、ワイバーンの卵についてですが」


 「はい」


 「私たちとしては、将来脅威になるであろう存在をそのまま見過ごすことはできません」


 「……はい、ですが」


 その後言葉を繋げようとした俺をマリスさんは手を上げて制した。


 「ただ、ジョアン殿下のお気持ちはわかりました。ですから、私から最大限の譲歩をした提案をさせていただきます。

 今日はもう日暮れになりますから、ここで一晩明かさないといけません。

 ワイバーンの卵は一晩ここに、このまま置いておきましょう。

 周りの既にネズミに食べられてしまった卵の殻は片付けます。ワイバーンの死骸も片づけたいところですが、解体する人手も足りていないので、死骸はこのままにしておきます。

 そのうえで、明日まだ残っているワイバーンの卵があったなら、それは持ち帰っていただいて構いません。

 ですが、今晩のうちにネズミなどに食べられてしまったとしたら、それはこの卵の運命だったと思って諦めてください」


 それは……厳しい。


 一度餌があることを覚えたネズミたちは、今晩またここに現れるだろう。

 曲りなりに卵を守る存在の雌ワイバーンの庇護もなく、置かれているのは中身の入った卵だけでは格好の餌にしかならない。


 しかし、異を唱える訳にもいかない。


 マリスさんも集落の長として最大限の譲歩をしてくれているのはわかるからだ。


 「……わかりました。ありがとうございます、マリスさん」


 「では、卵の殻を持って、外に出ましょうか。ああ、私たちの仲間には誰一人明日の朝までここに近づかないように厳命しておきます。キュークス、わかったね」


 「はい、おさ


 キュークスは返事をすると、食べられた卵の殻を二つ持って巣から外に出て行った。


 「それとこの巣の入り口だけは、誰かが卵を割りに近づかないように雪狼に見張らせて構いませんが、巣の周囲をぐるっと雪狼に警戒させるのはおやめください。それをすると自然の摂理に任せるという意味が無くなってしまいますので」


 「わかりました」


 そんな会話をして俺達も卵の殻を抱えて巣の外に出た。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る