第94話 西の森の確認1 痕跡の追跡
昨日の夕方の勉強会の時に、エリックには王家領の畑は畑起こしが済んだのでいつ種蒔きしてもいい状態になった、と伝えた。多分今日エリック達は麦の種蒔きをするだろう。休耕地をどこにしていいかがわからなかったので全て畑起こししていると伝えたら、エリックは「そんなに頑張らなくてよかったのに……」と驚いていた。
エルダーエルフ達が半日で全てやってくれた、とは言えず、てへっと言っておいた。誤魔化されてくれ。
教会のルンベック牧師と、前日に村の王家領の畑の収穫の確認とワイバーン被害の確認のために何人かのマッシュの手兵と共に来村したハーマンには、エルダーエルフとの話し合いは何とか丸く収まったと伝えておいた。森に炎が延焼するとエルダーエルフの怒りを買いかねないので、今後も火の始末は細心の注意を払って欲しいということも付け加えた。
この2人に伝えておけば、大半の村人には伝わるだろう。
そしてハーマンには、ワイバーンの鱗何枚かと蹴爪を渡し、フライス村にワイバーンが出た証拠として第5騎士団に代官マッシュの書状と一緒に送って欲しいと伝えた。
「村内の被害が教会の鐘楼だけで済んだのは奇跡ですね……伝聞ですが、テルプに数年前ワイバーンが出て、幾つかの村が壊滅したと噂で聞きました。
雪狼が何頭か犠牲になったとはいえ村人の被害も全く出なかったのは、非公式で殿下と殿下の護衛騎士がフライス村にたまたま在村してくださったおかげです。
第5騎士団にはこちらの証拠とともに、バーデン男爵から最上級の要請をしていただくようにいたします」
村の被害状況を確認したハーマンは、そう請け負ってくれた。
次の日の朝8時前、西の森の中の尖った大岩。
俺、ダイク、ハンス、リューズの他、雪狼15頭が集まりエルダーエルフ達を待っていた。
当然俺たちは雪狼に乗っている。
ドノバン先生は俺達よりも早く、まだ辺りが薄暗いうちからエルフの集落に雪狼に乗って出発していた。
ドノバン先生は知的好奇心が抑えられない様子で、「ワイバーン素材の加工も楽しみですが、スライムの皮膜の加工も教えて貰いたいものですね」とワクワクしながら代官屋敷を発っていった。
今日、俺が西の森の探索に加わるのはハンスとダイクには反対されていた。
ワイバーンが異変の原因だった可能性が高く、それほど大きな危険もないと思われるが、やはり万が一のことがあっては、と心配されたためだ。
「坊ちゃん、ワイバーンみたいな怪物がそうそう出てくるなんてこたあ滅多にないと思いますが、それでも様子が判らない森の中を探索するのは危険です。できたらエリック達と一緒に麦の種蒔きをやって貰った方がいいと思うんですよ」
とダイクは言い、ハンスも
「坊ちゃんが種撒きするんだったら、私も一緒に手伝うんですけどね~、そしたらエリック達も喜ぶんじゃないですかね~」
と村に残ることを勧めて来た。
ピアも「殿下、お話したいことがあるのですが……」と何か相談がある様子だったので、残った方がいいかな、と少し迷ったが、俺なりに西の森を見ておきたい理由がある。
それは王家直轄領の中でも飛び地になっているフライス村を含むノースフォレスト地区と、他の王家直轄領を繋ぐ流通経路の観点からだ。
現状フライス村含むノースフォレスト地区に通じる道はハールディーズ公爵領を通ってベルシュから通じる道か、やはりハールディーズ公爵領を通って第5騎士団の駐屯都市シュリルに出てクリン村に通じる道の2本しかなく、いずれもハールディーズ公爵領を通らなければならない。
タイレル川の水運が通じていればタイレル川からシュリル経由で支流のエイゼル川を通りバッカー湖までの水運が使えるのだが、現状タイレル川の水運が機能していないため、エイゼル川も物流運河としては機能していない。
今後村を発展させることを考えると、西の森を通って他の王家直轄領まで通じる道を切り開く必要が将来出てくると思うので、できればこの機会に確認しておきたいと思ったのだ。
王家直轄領として移動経路が繋がれば、腕木通信施設を建てることで王宮との連絡を早く取れるようになる。
ハールディーズ公爵家と王家の関係は悪くはない。だが、腕木通信のような軍事施設を他貴族領に建てるわけにはいかない。例え関係が良好とはいえ、腕木通信施設の決まった交信信号合図を他貴族家に教える訳にはいかないのだ。国内の他貴族家は、同盟関係にあっても潜在的に敵に回る可能性が常にある。
「将来、西の森を開いて道を通すかも知れないんだ。だからこの機会に見ておきたいんだよ」
と俺は主張を曲げなかったので、ダイクとハンスも折れたのだ。ピアにも西の森から戻ってから話をゆっくり聞くよ、と言って納得してもらった。ピアの相談もそこまで急を要するものではないらしく、承諾してもらえた。
西の森の中の尖った大岩でしばらく待っていると、林の中を通ってエルダーエルフが5人現れた。
マリスさんがリーダーで、キュークスも当然来ている。
キュークスはリューズを見つけると、すぐにリューズの傍に行った。
キュークスはリューズに何か言われ、慌てた様子で一度離れ、また戻ってきていた。あいつ偉そうな態度だったけどリューズには弱いんだな。
「お待たせしました。探索はどのようにしますか?」
マリスさんが尋ねる。
「ダイク、お願い。探索方針を皆に伝えて」
フライス村に来てから、俺たちの中で最も森の中を動き回って活動していたのはダイクだ。
ダイクの方針に任せるのが最善だろう。
「森の守護者のエルダーエルフに指図するのもこそばゆいものがありますが、とりあえずはあのワイバーンの痕跡が残ってるので、それを辿っていこうかと思っています。ワイバーンはずっと飛翔して村まで来たのではなく、森の中を走って移動し、時々飛翔するという移動スタイルだったようです。
尖り岩の向こう、下草や灌木が倒されてます。あれはワイバーンか或いはワイバーンから逃げたジャイアントボアが通った跡だと思いますので、あれを辿って行きたいと思います」
ダイクの説明が終わると同時に8時を知らせる教会の鐘の音が鳴った。
「では、ダイクさんの方針通り行きましょう。途中ワイバーンが飛翔したところは地上の痕跡が消えると思うので、痕跡が消えたらその地点から円を組んで広げて探索して次の痕跡を探す、というふうにやっていきましょうか」
マリスさんはそう言うと、早速灌木の倒れたところを辿り始めた。
リューズ達他のエルダーエルフも他の下草の倒れを辿る。
俺とダイク、ハンスも何筋かある灌木の倒れた個所を辿る。
ジャイアントボアが通ったであろうところは、下草や灌木が倒れた跡が、獣道のようになった箇所で終わるのでわかる。獣道から逃げ出したということはワイバーンではない。
俺たちの辿っている灌木の倒れも獣道で終わった。
そのまま、灌木の倒れを辿っている他のエルダーエルフ達と平行に進む。時々獣道を俺達に気づいたアルミラージが逃げ出していく。多くはこの周辺から逃げ去っているとはいえ、危機が去ったと本能で感知しているのか、草食性の魔物も戻ってきているようだ。
マリスさん達の足音が止まり、「来てください」と声がかかったので様子を見に行こうとすると、マリスさん達がいる方向からホーンラッドやキラービーなどの群れが逃げ出してきており、俺達と鉢合わせるとと更にパッと逃げ散った。
マリスさん達が辿っていた灌木の倒れがワイバーンの通った本筋だったようで、マリスさん達の前には、肉を食い荒らされて殆ど骨だけになったジャイアントボアの死骸が横たわって腐敗している。さっきのホーンラッドたちはこのワイバーンのおこぼれに預かりにきていたようだ。
もう数日経っているので食べ残した肉も溶け出しており腐敗臭が凄い。
「えらく贅沢な食べ方をしていたみたいですね、
とハンスが言う。
「一応共存共栄なんでしょうね、小型の肉食獣や肉食虫の魔物にもおこぼれを残しておくというのは。この辺りにはスライムはいないみたいですね、いたらもう少し綺麗にしてくれているでしょう」
そう話している間も、キラービーよりも小さい虫たち、主に蠅がジャイアントボアの死骸にたかっている。時々俺達にもたかりに来るので、あまり使いたくはないが風魔法を使って蠅どもを追い散らかす。
そうしていると、何だか両腕の服の袖から出た腕の辺りが痛痒い。
見ると赤い斑点のようになっている。
「うわー、何だこれ」
と思わず声を出してしまった。
痛痒いので掻きたくはないが、一度気になると強烈に意識してしまう。
そんな俺を見てリューズが、「それ、蚊に刺されてるよ。虫刺され対策してこなかったの?」 と言って、何やら草を探して両手で一杯に抱えて俺とハンスに持ってきた。
そしてその草を手でクチャクチャっと揉みこむとその草の汁を俺の服から出ている腕、足、顔と塗りたくる。草の汁を塗られたところはうっすらと緑色になり、何となくスーッとする。
「これが虫よけ効果のあるピリム草。茎の根元が赤くて葉っぱが三角形だから判りやすいよ。ダイクさんも教えてあげなよ、私がやってるのいつも見てたんだから。自分は体毛で防げるからって伝えるの忘れてたでしょ? ハンスさんも自分でやってね。塗っておくと蚊とかキラービーとか虫が避けるから」
「何だ、人族は虫除けも知らんのか? 森に対して無知だな」とキュークスが偉そうに言うと、リューズが「キュークスだって朝来た時に塗るの忘れてたじゃない。私が教えなかったらキュークスだって今頃蚊に刺されてカイカイだったんじゃないの」と
「まあ私たちの集落付近はスライムが居て色々と処理してくれるおかげで害虫が少ないからね。スライム生息域で普段働いてるキュークスが忘れるのも仕方ないよ。それにしてもリューズ、しっかりした子になったね」
とマリスさんが取りなした。そして
「ワイバーンは空中からこのジャイアントボアを襲ったようですね。周囲は私たちが辿ってきた灌木の倒れしか見当たりません。この地点から次の痕跡を探しましょう」
と次の行動を提案してくれたので、俺とハンスがピリム草の汁を塗り終わったところで、ワイバーンの痕跡探しにまた取り掛かった。
灌木の倒れを見つけて辿り、を繰り返していくとそこから何か所か、ワイバーンが食べたジャイアントボアの骨だけになった死骸を見つけた。数キロメートル圏内の探索で、西に進むにつれ次々に見つかった。
やがて渓谷が近いのか水音が聞こえる地点で数体のジャイアントボアと、何十体ものアルミラージの骨だけになった死骸が散乱しているところを見つけた。ここはワイバーンがしばらく腰を落ち着けていた拠点のようだった。
「ここにワイバーンはマル山脈から飛来してきたんですかね?」と俺はマリスさんに聞く。
「うーん、何とも言えませんが……ジョアン殿下達が居た村をジャイアントボアが襲っていた期間、ずっとここにワイバーンがいたとしたら食べた獲物の量が少ない気もします。もしかしたらしっかりした巣が他にあって、ここはその巣への中継地点だった可能性もありますね」とマリスさんは言った。
「おっと、もう昼になりますよ」
懐中時計を見たハンスがそう言った。もうこの場所にはフライス村で鳴らす鐘の音は届かない。結構村からは離れている。
「お父さん、ちょっと休憩してお腹に物を入れようよ。
エへへ、実はね、ピアさんと一緒にお昼に食べる物作って来たんだよ」
リューズがマリスさんにそう伝えると、マリスさんは「リューズが料理をしたのかい? それはニースが聞いたら喜ぶな。昨日一緒に集落に戻るのを断ったのもこのためなのかい? いやあ娘の手作り料理が食べられるなんて私は果報者だ」と大げさに喜んだ。
「では少し休憩しましょうか」
俺たちはそう言って雪狼から降りて腰を下ろした。
ここにある魔物の死骸は既に骨だけになっていて虫もいないので、そのままここで昼を食べることにする。
実は今日の朝、ピアとリューズが何を作っていたのか、俺は見ているから知っている。
酵母を使ったパンにソーセージや揚げたタラの干物を挟んだホットドッグだ。野外の行動食としては十分。流石にピクニックする訳ではないのでオードブル的な物までは用意していない。
リューズは自分の背負ってきた背嚢から藁に包んだホットドッグを取り出すと、皆に配った。
マリスさんと、何故かキュークスも感激しながら食べていた。
ていうかキュークスの奴はリューズに気があるな。
俺もリューズに渡された、揚げたタラの干物を挟んだホットドッグを頬張った。
単純な料理だけれど、揚げ物は油の少ないフライス村では贅沢だ。ジャイアントボアのラードがけっこうあったので揚げることができたのだ。
ソースも小麦粉をライネル商会から手に入れたバターで時間を掛けてじっくり炒めたホワイトソースだ。ピアとリューズが手間暇を掛けて作ってくれた物だから、あっさり食べてしまうのは罰が当たる。しっかり味わって食べた。間に挟まれたピクルスがいい味のアクセントになっている。
「リューズ、この味付けはどうやったんだい?」
マリスさんがそう聞く。
「小麦の粉を牛の乳で作ったバターで時間を掛けて炒めたんだよ。私たちの集落だと牛を飼っていないから、お父さんたちは初めて食べるでしょ?」
「ああ、これは美味しいね。人族の集落に行かないと味わえないものだ。リューズも色々と新しいことを身に付けているんだね」
とマリスさんは嬉しそうに言った。
食事休憩を取った後、再びワイバーンの痕跡を探す。
俺とハンスとダイクはジャイアントボアの死骸のあった地点から更に西へと森を進んだ。
俺を乗せている雪狼は、自分の進みやすいように下草や灌木をかき分けて進む。うつ伏せになって雪狼の背に乗っている俺は雪狼に身を委ねることで、支障なく森を進むことが出来る。
10分程度西に進んでいくと、先頭を行くダイクを乗せた雪狼の足が止まった。
「渓谷になっていますね。さっきから聞こえている水音はここからでしょう」
ダイクの横に行き、渓谷を見下ろす。
俺たちの立っているところから下は谷になっていて、10m程下を川が流れている。
俺達から見て左側、南の方角に5m程の落差の滝があり、その上を回れば渓谷の反対側に渡れそうだ。
「こちら側にはもうワイバーンの痕跡は残っていませんね。渓谷を渡って反対側に行ってみますか」
ダイクが言う言葉に俺は頷いた。
滝の上流に迂回する途中で出会ったリューズとキュークスにも渓谷の反対側を探索することを伝えると、他のエルダーエルフ達に知らせるためなのかキュークスが首から下げていた小さな角笛のようなものを吹いた。
角笛は俺の耳には聞こえるか聞こえないかくらいのかなりの高音で、正直近くで吹かれると非常に神経に障る音だ。
「うわ、これは近くで吹かれるとちょっとなあ」
と俺が言うと、
「お前には聞こえるのか? 大した耳の良さだな」とキュークスが少し驚いたように言う。
「これは人族には基本聞こえないと聞いている。数kmなら届くから俺達が森の中でお互いの合図に使っているんだがな。音が不快でも、近くに居たのが運の尽きと思って諦めろ」
キュークスはそう言って音の長さを色々と変えてモールス信号のように角笛を吹いた。
「リューズ、こいつ何でこんなに偉そうなの? 何か私とリューズの仲を勘違いして嫉妬してんの?」
俺はそっとリューズに耳打ちすると、
「いや、流石にそんなことは無いと思うよ。何か色々任されるようになって気負ってるんだと思うよ」
とリューズは答えた。
前世からリューズはあまり色恋とか関心なさそうだからな、キュークスがリューズに好意を寄せていても気づかない鈍感キャラなのかも知れん。
まあ、それならそれでいいか。
あまりキュークスが俺とリューズの関係を勘違いして突っかかって来さえしなければいいんだよ。
まったく、こんな幼い男児が色恋なんてするものかよ。
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