第92話 エルダーエルフ達の土起こし




 ワイバーンの解体は順調に進んだ。


 2日間で翼、足、胴、首に解体し、表皮を剥がし、部位ごとに血抜きし切り分ける。

 ワイバーンの血は多量で、麦畑外の林の木に吊るされたワイバーンの肉から滴る血液は、肉を吊るされた何本もの木の根元に多くの血だまりを作る。その血だまりに、エルダーエルフが暗き暗き森の中から拾ってきた何匹ものスライムを泳がせている。スライムたちは排泄物と同様にワイバーンの血液を少しづつ消化し、粒状の糞に変えている。


 スライムたちは血液中にしばらく浸った後、血だまりから乾燥した地面に移動し、そこで糞をする。糞はある程度固くなった地面の上にする習性があるようだ。


 ドノバン先生とハンス、2日目からはダイクもワイバーンの解体、血抜きを手伝っていた。


 うん、俺にとっては非常に血生臭く、刺激が強すぎる光景だ。

 なので俺は表皮から鱗を剥がす作業と、表皮を肉から切り分ける作業を主に手伝った。

 ああ、俺はヘタレだ。悪いか。

 すまんが元日本人の俺にとっては動物の解体作業なんて前世でも全く経験したことが無いのだ。


 前世の山中の集落の大地主の家のお婆ちゃんを担当した時に、その家の息子さんが狩猟をやっていて、そのお宅の池に獲物のイノシシを浸けて血抜きしている光景をお宅訪問時に見かけたことはある。それくらいだ。普段は澄んでいる湧き水を溜めた池が血に染まっているのはなかなかスプラッターな光景で、その光景を見た後肉を食べられなくなった、なんて繊細さは無かったが、自分であれをやるとか言うのは想像したことすらない。


 なのにリューズは平気で肉の解体作業を行っている。


 エルダーエルフは皆一様に外見は若いので、ぱっと見の年齢はわかりづらいのだが、男のエルダーエルフと一緒に解体作業を何かおしゃべりしながら楽しそうに行っている。

 いやー、リューズ、凄いな。慣れなんだろうか。

 生まれてから何度となくやってると慣れるもんなのだろうか。前世の女子高生だった頃の記憶がこうした解体作業に慣れる前に嫌悪感を抱かせそうな気もするんだけど。

 まあ女性は逞しいってことなのかも知れない。土壇場での腹の据わりは男よりも女の方が据わりやすい気がする。

 この心の中の声がリューズにばれたらまた拳骨を食らいそうだ。


 「ジョアン、ちょっと来てみて」


 そんなことを考えていたら急にリューズに呼ばれたので俺はドキッとした。

 リューズの奴、まさか人の心まで読めるように進化してしまったのか?

 ワイバーンの尻尾の辺りの表皮をナイフを使って剥がす作業をしていた俺を、頭部の解体をしていたリューズが呼んだので、俺は内心の動揺を隠しリューズの傍まで行く。


 「スライムの溶かす力、凄いわね」


 ワイバーンの頭部を指さしリューズがそう言う。

 何だ、心を読まれた訳じゃないのか。

 俺はちょっとホッとしながらワイバーンの頭部を見る。


 俺がスライムを投げ込みリューズが射ってスライムを破裂させた口の中から喉にかけては殆ど溶けていて、表皮を残して辛うじて胴体と繋がっているような状態。


 ダイクが剣を突き刺した右耳周辺は溶けてなくなっており、ダイクが突き刺した剣も空中で周囲が溶けてしまったためどこかに落ちて紛失していた。頭部の骨は肉と違って溶け残って形を残してはいるものの、それでもかなりの大穴が空き、肉よりは溶けづらい程度で溶解はしている。


 スライムの中身自体はもう既にワイバーンを溶かして水に変わってしまっているので、解体作業を進めるのに危険はないようだ。


 「こんなに劇的な効果があるなんて知らなかったな」


 俺はぞっとしながらそう言った。


 ドノバン先生に聞いていた話。スライムの中身は昔排泄物の処理に使われていて、排泄物を溶かして水に変えていたというあの話。あれを聞いていた時はふーん、と思っていた。スライムをワイバーンの撃退に使おうと思いついたのも、少しくらいダメージを与えることが出来れば、くらいの思い付きだった。


 だけど、こうして生物を溶かした状態を目の当たりにすると、これが例えば戦争の時に人間に使われたら、と考えると心底恐ろしくなる。


 腕や足なら溶かしてしまうだろうし、頭に掛かろうものなら……


 金属は溶かさないとはいえ、大半の兵士は金属製の鎧などは装着していない。金属製の鎧を着ている騎士であっても、鎧兜の隙間からスライムの中身が鎧の中に入ってしまえば……


 非常に人道的にやってはいけないことのような気がする。


 昔の人々は排泄物の処理にだけ使ってくれていて本当に良かった。ネーレピア全体で新しいことを発見したり考案したりといったことがない、文化の停滞期でなかったら、誰かが戦争の武器としてスライムの中身を使おうと思いついていたかも知れない。


 「積極的にスライムの中身を戦いに使おうって思いつくのは流石人間だな。どんなことをしてでも目的を達成しようと生き汚いものだ」


 リューズと一緒にいる多分若い男のエルダーエルフが、どことなく見下すようにそう言った。


 「エルダーエルフはスライムの中身を敵に使ったりはしないんですか?」


 俺は少しムッとして返事を返した。


 スライムの中身の恐ろしさをヒシヒシと感じている時にそう言われて、実は内心の図星を突かれてカチンと来てしまった。


 「獲物の肉を溶かしてしまったら勿体ないだろう。それに例え人間が森に攻めて来たとしても、相手の命を何が何でも消し去りたい、なんて俺たちは思わないからな。追い払えればそれでいい」


 「ちょっと、キュークスは何をカッコつけてんのよ。もう何十年も生きてるみたいに。私と大して年も違わないくせに」


 リューズが若い男のエルダーエルフをそう言ってたしなめる。


 キュークスと呼ばれた若い男のエルダーエルフは、


 「リューズより10も上なんだから大した違いだろう。俺はおさにリューズの面倒を作業中しっかり見てくれって頼まれてるんだから、それなりの態度になるさ」と余裕で答える。


 「お父さんに私の面倒見るように頼まれてるなんて初耳だけど」


 「リューズはまだ色々と知らないことも多いからしっかり教えてやってくれ、って頼まれてる。おさもリューズを思ってのことだ」


 あのー、俺を置いてけぼりにして2人で話さないでくれませんか。


 まあとりあえず作業中はこのキュークスってエルダーエルフがリューズについて色々教えてるってことはわかった。


 うん、頑張って教え教わりしておくれ。


 「リューズ、とりあえず私はまた作業に戻るよ。今後は余程のことが無い限りスライムの中身を生き物相手には使わないように気をつけるよ」


 俺はそう言ってまた鱗を剥がす作業に戻った。


 キュークスに言われなくとも、スライムの中身を生物に使いたくはない。

 そんなことは俺だって、言われなくてもわかってるんだ。

 

 でも、頭部があんな状態になっても空を飛び続けたワイバーン。あんなものどうやって人間が止められるってんだ、とも思う。

 エルダーエルフなら雷雲を魔法で起こし、雷の一撃で倒せるんだろう。でも人間はどうしたらいいんだ。特にこんな村なんかに出た場合は。


 考えても結論は出ず、何だか凄く気分がクサクサした。




 ワイバーン解体作業は2日で終わった。


 表皮を剥がし、鱗をはぎ取り、肉を解体し、残った骨にこびりついた肉もスライムを放ち、一夜のうちにスライム達が食べて綺麗にした。


 エルダーエルフ達は解体したワイバーンの部位を集落まで背負って何往復もして運び、夜は何人かのエルダーエルフが畑のそばの林で野営して野生の肉食獣が狙ってこないように見張っていた。


 俺たちはワイバーンを討伐した証拠として10枚程の鱗と、片方の足の蹴爪をもらった。


 「鱗はこれから加工することで使い勝手の良い材料になりますが、証拠としてであれば加工する前の物の方がいいでしょう」とマリスさんは言った。 加工した骨や鱗、革はどはまた後で分けて貰えるそうだ。全てエルダーエルフに譲ると言ったのでそんなに気を使って貰わなくてもいいのだが、集落のエルダーエルフ全員で分けてもなお余るとのことだったので有難くいただくことにした。


 それら素材の加工は明日以降ドノバン先生がエルフの集落にしばらく滞在し、一緒に作業をさせてもらい加工方法を学ばせてもらうことになっている。



 「では、今日はお約束通り畑の土起こしをやってしまいますね」


 マリスさんは3日目の朝、そう言うと15人程のエルダーエルフ達を配置に付かせた。


 それぞれ一人一人が1本づつの木に触れる。そのエルダーエルフの中にはリューズもいて、その隣にはキュークスもいる。


 今日はニースさんの姿はなく、エルフの集落でお留守番、というか加工の下準備を数人の女性エルダーエルフと行っているらしい。


 「では皆、木が弱らない程度に力を使わせてもらえ」


 マリスさんがそう言うと、畑の土がボコン、ボコンと3m四方くらいの範囲で次々と持ち上がり始めた。


 エルダーエルフ一人が土魔法を使うと3m四方の土が50㎝程の深さで持ち上がる。

 15人のエルダーエルフが一斉にその作業を行い、次々と土が隆起してひっくり返っていく。その光景はまさに圧巻の一言に尽きた。


  大体1本の木に触れて魔法を使うエルダーエルフ達は、同じ木に触れて10回程度土魔法を使うと次の木に移っていく。やはり大木の方が使える力は多い様だ。


 木の力を使って土魔法を使用しているエルダーエルフ達は全く疲れた様子は見られない。


 リューズもキュークスも平気な顔で魔法を使い、次々に木を渡り歩いている。キュークスは常にリューズの傍らをキープしている。


 エルダーエルフ達はほとんど休まずに土を起こし続けているので100m×100mの畑一枚を起こし終わるのに30分もかからない。


 マリスさん達の集落は少人数ながら、畑以外にもミソ、ショウユを作ったり、キノコの栽培みたいなこともしたり、狩猟する時間をたっぷり取れたり出来ているのは、この魔法を農作業に使っているからなのだろう。


 人間が農作業をするにあたって一番重労働で手間のかかる畑起こしをこれだけの短時間でこれだけの広さを行えてしまうのだからそりゃあ効率がいい。


 エルダーエルフに今後も畑起こしを手伝って貰えたらどれだけ農作業が楽になるだろうか。

 機械化せずとも農業革命を起こせそうな勢いだ。


 マリスさん達に頼めば今後もフライス村の畑起こしを手伝ってくれそうな気もする。


 でも、それだとフライス村一村だけが楽をする、ただそれだけに終わりそうだ。


 いやまあフライス村の村人たちの暮らしは楽になるだろうが……結局それは木の力を使って魔法を使えるエルダーエルフが近くにいる村でしか行えないことなので、アレイエムの他の農村も同じ恩恵を受け、同じ発展が出来るという類の発展の仕方ではなくなる。


 曲がりなりにもこのアレイエム全体の為政者の息子としては、それではイカンと思う。


 フライス村の発展が他の貧しい農村の発展のモデルケースとなるような、そう言う形での発展を目指したい。


 まあ、そんな高尚な理想も、目の前で起こる常識外れの畑起こしのスピードを見ていると揺らぎそうになってしまうけれど。



 そんなことを考えていると、6面あった畑の荒起こしが全て済んでしまっていた。


 これは誰か他の村人が見ていたとしても、それを他の村人に話しても信じてもらえない程、あり得ない早さだ。


 暫く呆けているとようやく教会の12時の鐘が鳴った。ちなみに鐘の音は以前よりも低い位置で鳴らしているので以前ほど響かない。


 「荒起こしは終わりました。力を使わせてくれた木々に御礼をしますので、少々お待ちください。それが済んだら肥料を畑に撒いてきこみますので」


 マリスさんはそう言うと、他のエルダーエルフたちと一緒にエルフの里から持ってきた麻袋に入っていたスライムの糞を容器に入れて取り出し、林に撒き始めた。


 なるほど、スライムの糞は植物にとって十分以上の肥料になるとエルダーエルフは言っていた。ああやって力を使わせて貰った木の元気が戻るようにしているのか。


 エルダーエルフは正しく暗き暗き森の守護者だな。


 エルダーエルフ達は林にスライムの糞を撒き終わると、次は畑にスライムの糞を撒いて行く。

 この作業は俺達でもできるが、とりあえず肥料として貯めてあった堆肥も使ってしまわないと勿体ない。俺とハンスとドノバン先生とダイクは堆肥を畑に撒いて行く。とりあえず全て撒いてからきこみはエルダーエルフ達が魔法で行ってくれるようだ。


 堆肥撒きが終わると、マリスさんが俺を手招きしているので俺はマリスさんの元に行く。


 「肥料を一面に撒けたので、これで肥料と土を混ぜるきこみをして行きますが、畑近くの林の力は使ってしまったので、一部トレントを近くまで動かしてきてトレントの力を使います。

 トレントを動かすのはこの間話したように私たちのしているこの『生命の木』の繊維でできた腕飾りを使いますが、トレントを動かしてくる間、ジョアン殿下のご友人たちには少し畑を離れていて欲しいのです」


 トレントは人や動物が近くにいると動かないって言ってたもんな。


 「わかりました、皆に伝えてしばらく畑から離れて待ってますよ」


 俺はそう言ってマリスさんの元を離れようとした。


 「ちょっと待ってください、ジョアン殿下」


 マリスさんが俺を呼び止める。何だ?


 「ジョアン殿下、リューズから聞きましたがワイバーンを休耕地で引き留めている時に、ジョアン殿下はワイバーンがロープで繋がれた木に手を当てて祈っていたということですが、そうだったのですか?」


 あの時か。リューズはよく見ていたな俺のことなんか。リューズはワイバーンに怪我を負わされた雪狼たちの怪我を治すのに集中していたので俺の様子は知らないものだと思っていたが。


 「ええ、私はあの時本当に何もできなかったので、ただ木に祈ることくらいしか出来ませんでした」


 「ジョアン殿下、以前にも私はお伝えしましたが、貴方は何故だか私たちも含めて何となく考えていることが伝わって来る不思議な力をお持ちのようですね。貴方の持つ不思議な力はリューズと貴方が初めて出会った時に監視していた私たちにも、あの時はまだ殿下達が私たちの言葉を覚えていなかったにも関わらず伝わってきました。

 決して断定はできないことですが、貴方の気持ちを伝える力というのは植物や、もしかしたら他の言葉の通じない生き物に対しても通じているのではないか、と思ったのです」


 「まさか、そんなことはないでしょう」


 「ワイバーンを繋がれた木は先程畑起こしの時に見ましたが、木の太さ、根の張り具合から見てワイバーンの巨体の重量をよく支えたと言っていいかと思います。あの木がしっかりと耐えられたのも、ジョアン殿下が手を当てて祈り、その気持ちが木に伝わったからではないかと、そう思ったのです。

 ドノバン=アーレントさんのよく言う言葉……「検証」することは難しい力なんだと思いますけれど。

 でも、ジョアン殿下の気持ちが植物にも通じるのなら、もしかしたらジョアン殿下もトレントをなだめ、落ち着かせ、安心させることが出来れば動かせる可能性はあるんじゃないかと、ふと思いましてね。

 もし良ければ一緒にトレントを動かすことに挑戦してみませんか?」


 うえ? 思っても見なかったことを言われている。

 トリッシュから貰った謎の力が思った以上に使える可能性があるってことか?


 どうしよう、やってみてもいいが、まったく自分で制御するとか言う類の力じゃないからなあ。


 でも、実際にトレントを動かすことができるエルダーエルフ監修の元なら試してみてもいいか。


 「自分の意のままに出力調整できたり操ったりできる力ではないんですが、マリスさんから見てアドバイスを頂ける機会なんてそうはないでしょうし、挑戦してみたいと思います」


 この機会を逃すのは勿体ないだろう。


 俺はハンス達に畑からしばらく離れて待っててくれと伝えた後、マリスさんの後について行った。




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