第91話 鐘を使えるようにしとこう




 代官屋敷に戻ると、避難してきた村人の殆どが帰宅せずに騒然としていた。

 村人が男女子供皆集まると、さすがの代官屋敷の広間もぎっしりと人で埋まっている。


 そんな中、危機は去ったと伝えに来たルンベック牧師に、入り口付近で何人も詰め寄って状況を確認しようとしている。


 村人全員がワイバーンが空を飛んでいる姿を目撃している訳ではないが、咆哮は遠い距離ながら何度も聞いている。今までフライス村に出たことのない怪物が出た訳だから状況を知りたいという村人の不安も無理はない。


 ただ、ルンベック牧師が何度怪物は去ったと言っても理由を知りたがるし、また戻って来ないとも限らないという疑心暗鬼に駆られ口調は荒く、ルンベック牧師を責めるかの如くとなっている。


 怪物が戻ってきたりする可能性があれば、農作業を安心して行えない。それは確かにそうなのだが。


 「牧師様、怪物が去ったって言うが、死んだ訳ではないだろう! また戻ってきたりしたらどうなっちまうんだ!」


 普段訥々とつとつと話すティモがルンベック牧師に早口でそう詰め寄っている。


 その口数の少なさが何となく威厳のようなものを生んでいるのだが、今はまったくそんなことを感じさせず、ただ狼狽うろたえているようにしか見えない。

 

 「ワイバーンは西の、来た方へ戻って行ったんだ、弱ってな。多分もう村を襲うような元気はない筈だ。今デンカー商会の人らが後を追っかけて様子を見に行ってるから、彼らが戻らないと詳しいことは何とも言えねえんだよ、ティモ。とりあえずお前んとこの畑に作業に戻っても問題ないだろうよ」


 ルンベック牧師は何度も説明したのにわからん奴だ、というようなうんざりした口調でそう吐き捨てた。


 俺達は丁度そんな場面のところに戻ってきた。


 ティモに食いつかれて辟易していたルンベック牧師は俺たちを見つけると、ホッとした表情をした。


 「デンカーさんの坊ちゃんと手代のハンスさんじゃないですか! ワイバーンはどうなりました? 村からは離れたんでしょう?」と俺達に尋ねる。


 俺が答えるよりもハンスが答えた方が信用されるだろう。


 「ハンス、お願い」


 俺がそう言うとハンスは頷き、村人たちに向かって大声で顛末を伝えた。


 「ワイバーンの奴はくたばりましたよ。

 村外れの王家の畑に落っこちたんですが、さっき暗き暗き森からエルフが出て来て止めを刺しました。リューズの遠い知り合いもいたんでね、俺達はエルフに襲われず無事でした。

 ただ、ワイバーンが火を吐くもんだからちょっと畑が燃えちまってね。住んでる森を燃やすところだったって随分エルフの皆様はお怒りなんですよ。

 だからリューズやうちのドノバン先生がエルフをなだめるために畑に残ってます。何かお互い言葉が上手く通じないもんだから、リューズに間に入って貰って何とか交渉してますが、何しろ自分たちの棲家を焼かれる寸前だったもんだから相手も怒り心頭でね、ちょっと交渉がまとまるまではあの辺りの畑には近寄らないで欲しいんですよ。人間が大勢で押しかけるとエルフの気持ちも穏やかでなくなっちまって、まとまるものもまとまらなくなりかねないんでね、お願いします。

 ヒヨコ岩の辺りから西の森の近くまでの王家領の畑は行かないようにしてください。あそこ耕すのは交渉がまとまったら私たちで責任を持ってやらせていただきますんで」


 「本当にあの怪物は死んだんだな! 作業をしていても襲われないんだな! もし襲われたらあんたらが責任取ってくれるんだろうな!」


 更に食って掛かって来るティモに、ハンスは丁寧に、でも少し意趣返しも含めて答えた。


 「まあまあ、落ち着いてティモさん。確かにワイバーンは死にましたよ。だからあいつに農作業中に襲われるなんてことはありませんよ。

 責任って話だと、私たちは部外者ですから。ただまあ村長やる人は大変だなあって思いますね、何でも責任責任て言われちゃあね。

 ティモさん、もしバーデン男爵様に村長やってくれって言われたら受けました?」


 「……」


 ティモは何か言いたそうにしたが言葉が出ず、ハンスを睨みつけた。


 「まあ、これを飲んで一息お入れ下さい」


 ピアが人をかき分けてお盆にカップを幾つか乗せて俺達に近づき、ティモにもカップを渡した。


 俺達もピアからカップを受け取る。

 カップの中身はメカブ茶だった。


 エキサイトするティモを落ち着かせるためにわざわざ持って来てくれたのかと思い辺りを見渡すと、他の奥方連中もピアとマールさんが用意するメカブ茶を自分の夫や子供に配るのを手伝っており、普段は顔を合わせることのない時間に顔を合わせているので話が弾むのか色々と話をしている。子供たちも同様だ。


 「ありがとう、ピア」


 俺が礼を言ってメカブ茶に口を付けると、ハンスも、ルンベック牧師も同じくメカブ茶に口を付けた。


 コクのある塩味が心を落ち着かせてくれる。


 ティモも俺達がメカブ茶を飲むのを見て、自分も一気に飲み干した。


 「ごちそうさん。まあ、見て来たっていうあんたらが安全だって言うなら信用してやろうじゃないか。

 おい、お前たち、畑は安全になったらしいぞ! 作業の続きに行くぞ」


 ティモはそう言うと代官屋敷を後にした。


 ルンベック牧師に詰め寄っていた他の村人もティモのグループだったらしくティモと一緒に出て行った。


 他のティモのグループの村人も後に続く。その奥方や子供たちも一緒に代官屋敷を後にした。


 奥方や子供たちは他の奥方や子供たちと珍しい時間に一緒になり、それぞれ色々話していたので少し名残り惜し気だった。


 「という訳で皆さん、あの怪物は暗き暗き森のエルフ達によって退治されたそうです。あの辺りの畑に近づかなければ、普通に他の畑作業だったら戻ってもらって大丈夫だそうですよ」


 メカブ茶を飲み終わったルンベック牧師が残った村人たちに呼びかけた。


 「牧師様が言うんだったら大丈夫か」

 「しかし魂消たなあ、あんな化け物が村に出るなんてなあ」

 「でもそいつをぶっ殺しちまった暗き暗き森のエルフもやっぱり化け物だよなあ」

 「1年前ヒヨコ岩で見かけた時に一目散に逃げて正解だったな、くわばらくわばら」

 「つってもよ、何とかかんとか話ができるってことなら、暗き暗き森のエルフの方がまだいいんじゃねえか? さっきの空飛ぶ化け物じゃ話なんて通じず問答無用でパックリ食われちまうだろうよ」

 「んだなあ。エルフ怒らせないようにしばらくあそこの王家領は近づかねえほうがいいな」


 ルンベック牧師の呼びかけを聞いて、村人たちはまだメカブ茶を飲みながら井戸端会議をしている。


 こうして村人の殆どが一堂に会すことが珍しく、この機会に色々と話したことのなかった者とも話ができているようだ。皆同じく怪物の恐怖を感じた者同士ということで一種の連帯感が生まれている。


 そんな中、元王家領の小作だった村人が俺達に話しかけた。


 「あんな恐ろしい怪物の様子を見に行ってくれてありがとう、ハンスさんと坊ちゃん。商人のあんた方にそんなことさせて申し訳なかったね。俺は村の代表でも何でもないけど、感謝の気持ちくらいは伝えないとさ、いい大人なのにって神に怒られそうな気がするからね。

 ところでエリックと弟達に聞いたんだけど、夕方坊ちゃん達とエリック達で勉強会やってるそうだね。それって俺んとこみたいな小作の子供でも参加できるかな?」


 「ええ! 参加は大歓迎ですよ! 別に子供でなくっても、大人だって学びたいという気持ちがあるなら誰でも!」


 「まあこの年だと俺も参加、ってのはちょっと気恥ずかしいな。でもうちの子供たちにはちょっと俺なんかと違って勉強させたいんだ。

 今だから言うけど、坊ちゃん達から物を買うのって、怖かったんだよ。なけなしの金をだまし取られるんじゃないかとか、色々考えちゃってね。

 まあ今では坊ちゃん達のことは信用してるからさ、今後はデンカー商会からはちゃんと買うけどね。

 それとは別に、子供たちが勉強して学が付いたら、商人から物を買うのもいちいち怖がらなくて良くなるじゃない? こっちの物を売る時も買い叩かれるんじゃないかって心配しなくて良くなるじゃない? 今までは俺達には過ぎた、自作にしかできないものだって思ってたけど、今回の色んな騒動で俺達も知っといた方がいいことって結構あるし、機会があるなら逃しちゃいけないと思ってね」


 「ええ、ええ、そう思って下さってありがとうございます! 私たちデンカー商会は誠実な商売をモットーとしていますが、それが皆さんに伝わるのは凄く嬉しいです! 私たちが誠実な商売をしているってことが皆様にもっとご理解いただけるように、皆様自身で確認していただけるように、勉強して知っていただけるなら、そのお手伝いをさせていただけるなら、こんなに嬉しいことはないです!」


 何だか、自分のやってきたことが少ない人数にでも認められたことが嬉しかった。


 「じゃあさ、よかったら早速今日の夕方からでも子供たち来させるから。

 あと、毛皮の処理の手伝いもあったらまた声かけて下さいよ」


 そういってその村人はまた井戸端会議に戻って行った。




 まだ午前中の10時過ぎくらいなので、畑の作業が続けられる時間だ。

 村人たちは井戸端会議に飽きたら、一人、また一人と畑作業に戻って行った。



 俺とハンスはルンベック牧師と一緒にもう一度教会に戻った。

 雪狼2頭も一緒に来る。


 やっぱり鐘の音がないと、懐中時計を持っているドノバン先生やハンスが居る俺達はともかく、畑に出ている村人たちにとって時間を知る手段がないので不便だ。


 だから鐘楼は立て直せないが、鐘だけは使える状態にしておいた方がいいと思い、手伝いをルンベック牧師に申し出たのだ。


 ルンベック牧師は代官屋敷から教会までの道中、雪狼の背をずっと撫でていた。


 「こいつらも、もうすぐ冬毛に生え変わる時期ですね」


 ルンベック牧師がそう言いながら雪狼を撫でている。撫でられている雪狼も穏やかにルンベック牧師の手の成すがままに任せている。


 「ルンベック牧師、前にも思いましたけど随分雪狼の扱いに慣れておられますね」


 ハンスが不思議そうに尋ねる。


 「昔テルプに居た時にちょっとね。何度か雪狼に触れる機会があったのですよ」


 思えばルンベック牧師のことはテルプの出身ということしか知らない。

 さっきのワイバーンとの闘いでも、かなり動けていたし動揺したりも無かった。

 もしかしたら貴族階級の出身なのだろうか?


 でも、あまり深く突っ込んで聞ける雰囲気ではない。


 ルンベック牧師が自ら話してくれる時を待つしかなさそうだ。



 教会に着くと、変わらず鐘楼は壊れ、鐘は広場の石畳に転がっている。


 小さな山の中の教会の鐘楼は塔のように高くはなく、日本の寺の鐘楼のように高台の四阿あずまやのような鐘楼だったが、直すとなるとそれなりの金額にはなりそうだ。


 「来週になれば移民の為の家屋建設でシュリルから大工が来ますんで、何とか教会のツケで鐘楼も直すように頼んで見ますよ。ツケが払える寄付があるといいんですけどね~」


 そう言ってルンベック牧師はニヤリとしながら俺達を見た。


 「はい、できるだけ善処したいと思います……」


 確約できないので濁した返答をするしかない。


 「じゃあとりあえず、この瓦礫のうち大きいもの2つの間に木を通して、そこに鐘を吊るしますかね。当面使えればいいのでその程度でいいでしょう」


 そう言ってルンベック牧師とハンスは大き目の瓦礫を鐘楼だった場所に立てる。高さは不揃いで1m弱。


 俺が土魔法で大きさを成型し、およその高さで揃え、上に木を乗せられるように窪みを作った。


 「デンカー坊ちゃん、魔法の扱いに長けてますね。下手な石工よりよっぽど石工の仕事をこなせますよ」


 ルンベック牧師が感心したようにそう言う。


 「石工たちも魔法で石を加工してるんですか?」


 「いや、石工は魔法は使えませんよ、平民ですからね。石の加工を魔法でやったりしたら、自分達の技術を蔑ろにしやがって、と怒り狂いますよ、飯の種を取るなってね」


 「ルンベック牧師、そう言われたご経験がお有りのような」


 「ええ、実際に言われたことはありますよ。昔むかし、城壁修理の時にね。彼らは長年親方について厳しい修行に耐えた結果身に付けた自分たちの技術に誇りを持っていますし、それを脅かされるのを嫌いますから」


 「ルンベック牧師、テルプのご出身ということですけど、以前は貴族だったのではないですか? 城壁修理のご経験があるって。それにさっきのワイバーンとの立ち回りも戦闘経験がおありのような落ち着いた立ち回りでしたが」


 「20年も前のことですから、もう忘れましたよ。今や私は貧乏教会を任された一介のしがない牧師ですよ。じゃあハンスさん、鐘を運びますか。結構重いんで、タイミングを合わせて瞬足で身体強化して運びましょう」


 ルンベック牧師はそう言って俺たちの問いをはぐらかし、鐘を運び出した。


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