第89話 確認
空に浮かび、身をくねらせて苦しみながら移動していくワイバーンは、教会から遠ざかっていく。
元々自身がやってきた方向、西に向かって行る。
帰巣本能でもあるのだろうか。
だったらジャイアントボアを大人しく貪った後にすぐに戻ってくれれば良かったのに。
ただ、西の森からのジャイアントボア等魔物の移動の原因がワイバーンだったとしたら、元居た場所にあいつが戻ってしまうと、この先も西の森からジャイアントボアたちが続々とフライス村を襲って来ることが続くことになる。
それはそれで困ってしまう。
一度俺たちは王都に戻らなければならない。その時にダイクを置いて帰る訳にはいかない。ダイクは俺の護衛騎士だから、フライス村を守るためでも残ったとしたら職務放棄になる。
教会の屋根の上から、遠ざかっていくワイバーンを見ながらそんなことを考えた。
実際、西の森の異変の原因は十中八九あのワイバーンだろうと思うが、それを調べられた訳では無い。第5騎士団に引き続き調査の依頼は続けて行かないといけないが、これでジャイアントボアの移動が落ち着くのであれば、ダイクと雪狼たちに西の森の探索をしておいてもらった方がいいかも知れないな。
とは言え、今は脅威が村を離れつつある、そのことを素直に喜ぼう。
「リューズ、ありがとう。私が知っている中で一番弓が上手いだけはあるね。リューズのおかげであいつを追い払えたよ」
改めてリューズにお礼を言った。
「まあボクにかかればね、当たり前のことだよ。お礼言われるほどのことじゃないって。
この距離なら普通に射っても矢を外しようがないけどね、念のため絶対当てるようにはしてたから」
おっとエルフの弓の秘密だろうか。
マリスさんは教えてくれなかったが。
「絶対当てるようにするって、どうやったの?」
さりげなく聞いてみる。
「……まあいいか、別にジョアンだったら。ダイクさんも感づいてるみたいだし。
矢の進行方向、目標までの間に真空を作るんだよ。真空のチューブを作って、そのチューブの中を矢が飛ぶイメージかな。風魔法で矢の進行方向の空気を押しのけて真空を作るって感じ。風の影響を受けないから狙いが逸れづらいし、射程も伸びるし威力も減退しないんだよ。
それに矢のダメージの他に真空を作るために高速で押しのけられ圧縮された空気も対象にダメージを与えてるんだ。
初めて会った時に雪狼の頭を矢で突き通す程射抜けたのもそのおかげ。矢だけなら刺さるくらいだったからね。まあ矢が貫通しても対象の重量と慣性を無効に出来る訳じゃないのを忘れてたから大怪我しちゃったけど」
「ああ、だから休耕地でワイバーンの翼を射る時にダイクが魔法は使わないで良いってリューズに言ったのか」
「そう。このところダイクさんと一緒に森の哨戒してジャイアントボアを狩ったりしてたから、その時に私の弓矢の射撃を見て気づいたんだろうね。
さっきワイバーンの翼を射るのに魔法使ってたら、もしかしたら雪狼たち全部は治療できなかったかも知れないから、ダイクさんの指示は正しかったと思うよ」
「ダイクは色々鋭いな。ダイクが指示してくれて助かったよ」
「あ、ジョアン、あいつ段々飛べなくなってるんじゃない?」
リューズが言うあいつ、ワイバーンの姿を見ると、確かに段々と高度が低くなっている。
「どこかに落っこちそうな感じだね」
空中に浮かんでいるワイバーンは、のたうち回る動きも徐々にしなくなっており、時折尻尾がビクンと思い出したように動く程度だ。
「もう、頭の重要なところは潰されて体の生命力だけで動いてるのかも知れないね。蛇なんかでも頭を切り落としても体はしばらく動き続けたりするからね」
リューズが言うように、巨体の生命力だけで動いているのかも知れない。体の動きを司る頭部は俺たちが潰したから体が動かなくなるのも時間の問題だろう。
「一応、死んだかどうか確認はした方がいいんじゃない?」
「そうだね。あいつがどうなるのか、確認しに行こうか。
あと、ゴメン、リューズ。下に降りたら手をまず洗おう。実はさ、教会のスライムはその……排泄物の処理をしていて、そこから持ってきたのを掴んで投げたから、私の手はちょっと汚れてたんだ……」
さっきワイバーンを撃退したことを喜んでついリューズとハイタッチしてしまったから、リューズの右手も……
「えッ!」
リューズはそう言うと、俺とハイタッチした自分の右手を見て、そっと臭いを嗅ぐように掌を鼻に近づけ、すぐに顔をしかめて逸らした。
そして俺を睨みつけると
「どこから持ってきたか、先に言っといてよ! もう! すぐ洗わないと臭いが染みついちゃう!」
そう言って屋根から
さて、俺も下に降りないと。
でも、この汚れた手で鍋とお玉を持つのは何となく
「おーーい、ダイク―、助けてー!」
下の教会前の広場でダイク達とルンベック牧師は話をしていたようだが、俺が呼ぶと、ダイクとハンスが瞬足を使って屋根の上まで登ってきてくれた。
「どうかしましたか、坊ちゃん!」
「何か異変でもありましたか!」
二人ともまだ臨戦態勢だ。
「いや、ワイバーンが弱って落下したみたいだけど、空中で暴れる様子もなかったから多分力尽きたんじゃないかと思うんだ。それで落下したワイバーンの様子を見に行きたいんだけど……
実はさっきワイバーンに投げたスライムは……教会の排泄物廃棄場所から拾ったものでね、その、手にちょっぴり……付いてしまっていて、教会から借りたお鍋とお玉をこの汚れた手で持つのはルンベック牧師や孤児たちに悪いかなあと思って……」
「何だ、そんなことですか。それなら私が鍋とお玉を持って返してきますよ。
ダイクもそういやさっきスライムを両手で受け取ってたな。お前もしっかり手を洗っとけよ。こっちになすりつけたりするんじゃねーぞ」
そう言ってハンスが鍋とお玉を持って先に屋根から降りた。
「坊ちゃん、じゃあ下に降りて手を洗って、奴が落ちた場所を確認しに行きましょうか。
雪狼に乗って下に降りるにも、首輪の取手をその手で握るのは抵抗あるでしょう?
失礼して、私が坊ちゃんを抱いて下りますよ。ああ、安心してください、スライムを受け止めた掌は坊ちゃんに触れないようにしますから」
ダイクはそう言うと、屋根に伏せて俺のことを待っていた雪狼に下に降りるよう指示した。
雪狼は「Waooooon!」と遠吠えすると、屋根から飛び降りていった。
そういえばダイクはワイバーンの尻尾にロープを掛けた直後に尻尾の一撃を食らっていたな。
「ダイク、ワイバーンに尻尾で飛ばされたみたいだけど、体に怪我とかない? 結構な威力だったみたいだけど」
「ご心配いただきありがとうございます、坊ちゃん。縄を奴にかけたところで瞬足が切れたので、もう一度縄を締めようとして瞬足に移ったところを叩かれましたから、ダメージは負っていません。尻尾の横の部分だったので毒も食らっていませんから大丈夫です」
「だったら良かった。無理してるんじゃないかと思ったよ。
ダイク、ありがとう。リューズに聞いたけど、色々と考えて指示してくれて。今回、村人に大きな被害が出なかったのはダイクのおかげだよ」
「そんなこたあないですよ。私は私の出来ることをやったまでです。坊ちゃんの機転が無かったらアイツを追っ払うことだって出来やしませんでしたから」
「ふふ。ダイク、本当はそういう、ハンスと喋る時みたいな喋り方が地なんだろう?」
俺がそう言うとダイクはしまった、というような表情をした。
「失礼しました、坊ちゃん。騎士として主人に礼を失してしまい、御叱りは如何様なものでも甘んじて受け入れます。ただ、私の任を解かれるのであれば、坊ちゃんを無事王都に送り届けてから、ということにしていただけませんか」
「何を言ってるんだい、ダイク。私のため、フライス村のため、自身の身を省みず献身してくれた騎士の任を解くなんて、それこそ愚か者がすることさ。
騎士、ダイク=ループスにジョアン=ニールセンが命じる!」
「ハッ!」
ダイクは俺の前に膝まづく。
「今後とも王家に忠勤を尽くすよう励め!
そして今回の一件の褒美として、今後王族貴族の前以外ではジョアン=ニールセンに対し友として語りかけることを許す。口調も咎めることはない。自身の話しやすい口調で話しかけるように」
「ハッ! 光栄であります。ただ、あまりにそれは恐れ多いことにございます」
「何言ってんのダイク、今更だよ。私はこの村でダイク、ハンス、ドノバン先生、ピア、リューズ、皆の力を借りないとまともに生活出来てないよ。だから、共に生きる仲間として皆とは接したい。ダイクが私に敬語を使ってくれるのは王宮に居る時なら当然なんだろうけど、この村で過ごす時くらいは素のダイクと接したいと思うんだよ。ダイクとハンスが喋ってるのを見て、常々ハンスが羨ましいって思ってたんだ。もっと私に対しても気楽に話してくれていいのになあってね」
「……殿下、獣人でそれほど学問にも長けていない私に対してそんな恐れ多い……」
「ダイクのお陰で村が魔物に襲われることなくこの半年やって来れた。あれだけあった毛皮を
さっき林の中を抜けてくる時にダイクが言ってた通りだと思うんだ。ダイクとハンスでなかったら私の護衛騎士は務まらないよ。だから今後も頼むよダイク。口調が砕けても私は咎めない。そう思ってくれればいいよ」
「……承りました、坊ちゃん。このダイク=ループス、この身を王家と坊ちゃんに捧げます」
「じゃあ下に降りてワイバーンを確認しに行こうか」
俺はそう言うと膝まづくダイクに手を差し伸べ、ダイクを立たせた。
「
俺がそう言うと、ダイクは複雑な笑みを浮かべた。
自分の手の汚れは気にならないが、同じ汚れで汚れている他人の手を握るのはお互い何か抵抗があるということを俺は学んだ。
ダイクは主人の俺の手をすぐに放す訳にもいかない。俺はダイクが立ったらすぐに手を放した。
手を洗い、再び雪狼に乗った俺たちはワイバーンが落下したと思しき場所に移動した。
移動する前にルンベック牧師と話をしたが、ずっと叩いていた5点打は、緊急事態のため皆代官屋敷に避難するように、と言う意味だということだった。
これでワイバーンの脅威は去ったのでルンベック牧師が後で代官屋敷まで行って村人たちに安全という事を伝えてくれるそうだ。
「しかし鐘楼……ああ、どれだけ金がかかるのやら……」
ルンベック牧師は壊された鐘楼を見て天を仰ぎ嘆いていた。
俺も王都に戻ったら、鐘楼のための寄付をパパ上たちにおねだりしよう。
鐘が無いと村人たちが時間がわからなくて困ってしまう。
村の新規移住者のための住居建設費用もねだらないといけないし、湯水のように親の金を使う放蕩息子になってしまった気分だ。
「自分から右手を上げてハイタッチ誘うなんて、ひどいなんてもんじゃないよ! ジョアン、絶対わかっててやったんだ」
リューズの怒りの声が雪狼に乗っている俺を現実に引き戻す。
「いや、ワイバーンを撃退した喜びをリューズと分かち合おう、それしかあの時は思ってなかったんだ。手のこと完全に忘れてたんだよ」
そう言ってもまったく信じてくれない。
リューズは雪狼に乗って移動する間もずっと俺を睨みつけていた。
機嫌直してくれるといいんだけどなあ。
こうなってしまったら俺が何か言ってもかえって火に油を注いでしまう。
沈黙が最もいい対処法だ。
ワイバーンは西の森の中に落ちたと思っていたが、俺が思ったよりも近くに、さっきの休耕地の手前、俺達が作業をしていた畑の隣の畑に落ちていた。
畑に落ちたワイバーンは、体はもう動いていない。
ただ、時々足の蹴爪や尻尾がピクリと動く程度だ。
巨体だけあって、体全体の生体活動はすぐに死滅してしまう訳ではないらしい。
俺たちはすぐにワイバーンには近づかず、遠巻きにして様子を観察していた。
「あれっ、お父さん達だ」
畑に最も近い林の中からリューズの父マリスさんと母のニースさん、それに初めて見るエルダーエルフの男女10人程がこちらに歩いてくる。
俺たちがエルフの集落に伝令に出した雪狼もエルダーエルフ達の後ろからくっついてくる。
マリスさんは手に長い3m程の全て金属でできたパイクに似た槍のようなものを持っている。あれを持って森の中を移動するのはなかなか大変だったのではないだろうか。
「お父さん、お母さん、ありがとう来てくれたんだ」
リューズが2人に駆け寄る。
マリスさんは金属製の槍を置きリューズを抱きしめた。
ニースさんはリューズの手首に雪狼の目印に結わえ付けたリューズのミサンガ? を結びなおしている。
「ワイバーンを退治できたようですね」
マリスさんはリューズを放すとそう俺達にエルフ語で声を掛けた。
ここにいる全員、エルフ語は理解できる。
「ジョアンがスライムを使って倒す方法を思いついたんだよ。ジョアンがスライムをワイバーンの口の中に投げ入れて、私がそれを矢で射抜いてね。
でもジョアンってばその後スライムの汚れを私の手に
リューズ、そうゆう悪意ある解釈は止めていただきたい。
それでさっき俺って言うのを久々に聞いたって言われたが、俺もリューズが私って言うのを久々に聞いた。エルフ語だとリューズの1人称は私なんだよな。
「うちの可愛い娘にそんなことを……と言いたいところですがワイバーン退治のためでしたら許しましょう。小さなことを気にして倒せる相手ではないですからね。
見たところほぼ息は絶えているようですね。あなた達だけでこれを?」
「ええ、でもリューズの弓の腕がなければ無理でした。リューズを私たちに預けて下さったことを感謝します」
「ワイバーンは暗き暗き森の南には、マル山脈から気流に乗って年に何度か飛来します。炎を吐かなければ特に退治する必要もないのですがね。しかしこの辺りに出現したのは初めてのことですよ。余程強い気流に乗ったのか……いずれにせよ今後は私たちもワイバーンがこの辺りにも出ると認識して警戒することにします。
ところでワイバーンの炎の被害は出ませんでしたか」
「草むらに火が燃え移りましたが、雪狼たちが毛に水を含ませて転げ回って消火してくれました」
「なら良かった。森に火が移って火の勢いが大きくなると消すのも一苦労ですからね」
「水魔法で火を消すのですか?」
「ワイバーンに対する時は木々の力も使って雷雨を起こすのですよ。それでこの槍をワイバーンに突き立てると天の裁きの雷がワイバーンに落ちる、という訳です。炎の被害も防げますし、火事の消火もできます」
なるほど。それは確かに方法を聞いても人間じゃ無理な倒し方だ。
木の力を使って上昇気流を発生させたり上空に微細な水や氷の粒子を出現させ上下の空気層の気温差を作ったり、複数のエルダーエルフが関わって行う大規模なものだ。自分の体力でしか魔法を使えない人間程度では到底不可能。
そして、それを教えてくれるってことは、マリスさん達が俺たちのことを少しは信用してくれてるってことだろう。
「では、ワイバーンに止めだけ刺させてもらいますよ。 お前たち頼む」
マリスさんが他のエルダーエルフに声をかけると、エルダーエルフ達はワイバーンに近づき、ワイバーンの尻尾の先を一人が抑えつけ、もう一人がワイバーンの尻尾の先の毒針から毒液を絞り出すと腰に差した剣を抜き毒液を塗りつけた。
そしてもう一人のエルダーエルフがワイバーンの胸部の中心の鱗を剣を使って剥がすと、毒液を塗りつけた剣を持ったエルダーエルフがむき出しになったワイバーンの胸に剣を突き刺した。
間欠的にピクリピクリと動いていたワイバーンの尻尾や蹴爪が胸を剣で刺されてから動かなくなった。
「ワイバーンの毒液はワイバーン自身にも効きます。ああやって毒液を塗った剣で心臓を刺すことでワイバーンの体に神経毒が回り息の根を止めるのです」
マリスさんはそう解説してくれた。
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