第88話 撃退
俺たちが駆け抜けている林。もうすぐ抜けるはずだ。
ルンベック牧師が鳴らし続ける5点打はまだ鳴り響いているが、音はかなり近くで聞こえる。
俺たちの向かう林の向こうから重量のある物体が地上に降り立ったドスン……という音が聞こえた。
ルンベック牧師はワイバーンが目の前に降り立っても気にせず5点打を続けているようだ。胆力が座っているにも程がある。
カンカンカンカンカン!
カンカンカンカンカン!
GYOAAAAAAAAAA!
ワイバーンの咆哮が鐘の音に重なり響く。
カンカンカンカンカン!
カンカンカンカンカン!
ルンベック牧師は確実に目の前にいるであろうワイバーンの咆哮に全く動揺せずに同じように5点打を続けている。
俺たちが林を抜けると、ワイバーンが尻尾を振るうのが目に入った。
振るわれたワイバーンの尻尾はルンベック牧師が鐘を叩いている鐘楼に叩きつけられた。
バキッ!
ガラーン! ガランガラン……
鐘楼の石で作られた4本の柱のうち1本はワイバーンの尻尾の一撃で折れ、鐘はその衝撃で飛ばされて教会前の広場の石畳に落ちて転がった。
鐘を叩いていたルンベック牧師の姿はない。
まさか尻尾の一撃を受けて林の中に飛ばされてしまったのか……
「このやろおおおおおおッ!」
雪狼から飛び降りたハンスがワイバーンの背中を剣で下から斬り上げると、ワイバーンの硬い鱗を何枚か切り飛ばした。
「下から斬り上げれば鱗を剥がせるぞ!」ハンスが叫ぶ。
ダイクとドノバン先生も雪狼から降り、ワイバーンを取り巻くように、そして教会から注意を逸らすように配置に着き斬りつけていく。
ダイク達を降ろした雪狼たちは邪魔にならないように林の中に身を潜める。
さっきの打ち合わせ通り、ここはハンス達に任せて俺たちは屋根に昇らないと。
「リューズ、先に屋根に昇って隠れてて! 私は必要な物持ってすぐ行く!」
教会前の石段の手前でバロンから降りたリューズに俺は叫んだ。
「早く来てよ、ジョアン!」
リューズはそう返事をすると、教会の
俺は雪狼に乗ったまま教会の裏手に回り、裏手の厨房の出入り口に向かおうとした。
その時、またGYOAAAAAAAAAA! とワイバーンの咆哮が轟く。
少し今までの咆哮とは違ったニュアンス。
思わず俺は振り向いてワイバーンを見た。
すると、ルンベック牧師が手に持った
そうか、ルンベック牧師だって瞬足使えても不思議はないな。教職者なんだし。
ざっくばらんな口調に違わず戦闘もできるなんて頼れる方だ。ワイバーンの咆哮を聞いても動じない胆力もある。こんな辺境の教会を一人で任されるだけの実力のある人ってことだな。
こんな危機的状況でも知人が無事で俺はホッとした。
むき出しになった肉の部分を
皆頼もしい。大丈夫だ。
俺は安心して教会の裏手に向かう。
教会の裏手に回り雪狼から一度降りる。
裏手の入り口から教会の厨房に入ると、孤児たちが数人中で身を寄せ合って固まっていた。6人いる。
年長らしい子2人以外は、みんな声を上げて泣きながら年長の子にしがみついている。
いつもとは違う忙しない鐘の音が響き続けたと思ったら、間近での怪物の咆哮。
例え姿を見ていなくとも、異常事態と何か恐ろしいものが間近に迫っていることはヒシヒシと感じているはずで、泣きわめくのは当然のことだ。
むしろ年長の女の子と男の子の2人が、泣かずに小さい子たちを抱きしめながらじっと耐えていることの方が驚嘆すべきことだ。しっかりしている。
「ごめん、表の怪物を倒すのに鍋とお玉を借りたいんだ! あと、物を包める布! 汚い奴でいい! 貸して!」
そう言って中に入り、大き目の両手鍋を探すが見つからない。
すると金髪の、以前ルンベック牧師にマリアと呼ばれていた幼女が、棚の下から両手鍋を出し、流しの上に掛けてあったお玉と一緒に俺に渡してくれた。
布はマリアと同い年くらいの男の子が出してきてくれる。多分この男の子がジャンだろう。
「ねえ、本当に大丈夫なの? 牧師様がここにいれば安全だって言ってたけど……」
マリアは不安そうにそう言う。自分とジャンが最年長だから、一生懸命泣くのを我慢しているのだろう。
「牧師様を信じて。大丈夫。今、牧師様も表で怪物と戦っているから。必ず追い払って下さるよ」
俺は一旦鍋とお玉を床に置き、マリアとジャンの肩に手を置いてそう言って勇気づけた。
「もうそんなに時間はかからない筈だよ。あと1時間は掛からない。だからそれまで小さい子たちを落ち着かせて励ましてあげててね。大丈夫、牧師様はお強いから」
俺がそう言うとマリアはコクコクと頷き、ジャンは涙を浮かべながら大きく頷いた。
厨房を後にした俺は教会の裏庭で切り札になるものを幾つか拾い集め布に包んで背負った。
そして右手に鍋、左手にお玉を持ち、切り札を包んだ布をしっかり前で縛り落ちないようにして、また雪狼の背に乗った。
まだ正直俺の身体能力ではリューズの様にヒョイヒョイと屋根の上に昇ることはできない。
俺はお玉を持った左手を雪狼の前に出し、屋根の上を指さして雪狼の耳元で言った。
「あの上まで私を連れて行ってくれ。頼む」
そして雪狼の首元を叩いて「行け!」と号令をかけた。
瞬足で身体能力を強化し雪狼にしがみつく。
雪狼は助走をつけて飛び、
瞬足を使わないと振り落とされるところだった。
教会の屋根の上の高さは大体6m。ワイバーンの体高と同じくらいか、やや高いくらいだ。
『ジョアン、どうするの?』
屋根の上で
別に誰に聞かれても構わないから日本語で話す必要はないんだが。
俺は雪狼から降りると、リューズに作戦を説明する。
『これで鍋を叩いて奴の注意をこちらに向ける。奴の毒霧は吐き出す前に兆候が見えたら俺が着火して無効化する』
『あ、久々に俺って言ってる』
『茶化すなよ、リューズ。結構真剣なんだよ。
それで、リューズにやってもらいたいことなんだけど、エルフの弓は百発百中なんだろ? まず奴の目を潰す。出来る?』
『やれるわ。この高さなら奴の頭に近いから目が常に狙える。さっきみたいに下からだと突き出した口が邪魔だったけど』
『それで、奴の注意がこっちに向いてる間にダイクかハンスかドノバン先生か、誰かが奴の頭部の天辺の鱗を削ってくれたら、鱗を削った部分に俺がこれを投げるから、これを矢で射抜いて欲しい』
俺は背負った布の中から、汚れて臭う切り札を取り出した。
教会に分けたのは排泄物処理に使っている、とピアに聞いていたから、教会裏庭の排泄物の廃棄場所から拾って来たのだ。けっこう増えていた。
『……なるほど、スライムの中身で奴の中身を溶かしちゃおうって訳ね。でもジョアン、そんな正確にスライムを奴の傷口に投げられるの?』
『俺の体って一応同種族の中では一番の能力らしいから。まだ成長し切ってないけど。それに瞬足の感覚を使えば多分狙ったところに正確に物を投げるのは行けると思う』
『けっこう大して根拠ないわね。まあ傷口外れたとしても、私が弓で射れば、鱗でも多少溶けるだろうから、なるべくダメージ大きそうなところで射るわよ』
『うん、頼むよ。俺が知ってる中で一番弓が上手いのはリューズだ。リューズじゃないとこんなの絶対無理だと思ったんだ。それにリューズがトリッシュから貰った力あるだろ? あれって絶対こういう時に上手く行く力だと思うんだ』
『ここ一番の決定力、かあ。まあそう信じるしかないね』
『よし、じゃあ私が鍋叩いて奴がこっち向いたら頼むよ』
俺はそう言うと、鍋をお玉で叩き出した。
コンコンコンコンコン!
コンコンコンコンコン!
5点打にしたのに意味はない。何となくだ。
リューズは弓に矢をつがえ、弦も引いていつでも矢を射れる準備をして集中している。
こんな場面でなければ「カッコイイー!」と茶化したくなるくらいに凛として美しい立ち姿だ。
だが、リューズに見惚れている訳にはいかない。何人もの命がかかっているのだ。
何度も鍋を叩いていると、ワイバーンが首を回し、こちらを睨みつけた。
その顔は俺達から10mも離れていない。本当に近く感じる。
ピシュ
リューズが矢を放ち、その矢は寸分たがわずワイバーンの無事だった右目を射抜いた。
GYOAAAAAAAAAA!
ワイバーンは咆哮し、のけ反る。
間近で咆哮され、俺の全身が空気の振動と恐怖で震える。
だが、やらないといけない。
ここでやらないと、他に奴を撃退する手段が思いつかない。
俺は勇気を振り絞り鍋を叩き続ける。
そして、瞬足をイメージする。体は動かさないが感覚は強化される。
ワイバーンの咆哮が終わり、息を吸い込む瞬間を俺の強化された視界が捉えた。
奴の口の中の毒霧に着火、を瞬時にイメージする。
ボッ!
と奴の口の中で小さな爆発が起こる。
ワイバーンの大きな口が更に大きく開くのが見えた。煙と共に奴の口の中の赤い、先端が2つに割れた舌の表面が黒く焦げ、熱を外に出そうとするかのように
事前に皆に伝えておいた作戦とは違うが、これはチャンスだ!
俺は20cm程の大きさのスライムを掴み、奴の大きく開けた口めがけて投げ込んだ。
強化された俺の体と感覚は、スライムを正確にワイバーンの口の中に投げ入れた。
「リューズ!」
予定と違うため、俺はリューズにそう叫んで合図した。
リューズは心得ていたのか、俺がワイバーンの口に投げ入れたスライムを口の中に入った瞬間に矢で射た。
矢で射られたスライムは破れ、ワイバーンの口の中に有機物を溶かす中身をまき散らし、矢でワイバーンの喉奥に縫い留められた。
GYOAAAAAAAAAA!
GYOAAAAAAAAAA!
ワイバーンは頭部を狂ったように振り回し、溶けかかった喉から咆哮を絞り出し続ける。
スライムの中身はまだ俺は見たことがないが、粘性は高いようでワイバーンが口から容易に吐き出せるものではないようだ。喉の中にへばりつき、周囲の肉を急速に溶かしている。
ワイバーンに手があったなら喉を押さえていただろう。手の代わりに翼を、頭を押さえるかのように広げたが当然届くはずもない。
ワイバーンは自らの口中が溶かされていく苦しみに立っていることが出来ず、地面に横倒しになり狂ったように頭を地面に擦りつけのたうち回る。
地面に擦りつけて自分の口に入った自分の体を蝕むものを取り去ろうとするかの如く。
そののたうち回った尻尾は鐘楼の残りの柱を壊し、鐘楼は完全に崩壊した。
教会の建物自体にワイバーンの体や尻尾が当たらない位置に倒れたのは幸いだった。自分に未知の危険をもたらした者がいる場所から本能的に離れようとしてくれたのかも知れない。
地上にいたダイク達は暴れのたうち回るワイバーンを上手く避けて林に避難していたようだが、ダイクは俺たちが何をしたか、何をしたかったのか理解したようだ。
「殿下ー、一匹こちらに!」
そう言って屋根の上の俺に向かって手を振り上げる。
俺はダイクになるべくそーっと30cmくらいの大きさのスライムを投げ下ろした。
俺が自分で投げるに当たって小さいスライムを選んだのは、片手で投げるため大きいスライムだと爪をたてて自分の頭上でスライムを破ってしまう恐れがあったからだ。
ダイクはスライムを慎重に両手でキャッチすると、姿が見えなくなった。
GYOAAAAAAAAAA!
GUAOOOOOOOOO!
また一段と大きくワイバーンから咆哮が上がる。
ダイクが再び姿を見せると、腰に差していた剣が無くなっていた。
俺はもう一度瞬足で感覚を強化しワイバーンを見ると、頭部の右耳があった場所にダイクの剣が刺さっている。
右耳があった場所、というのは右耳周辺の鱗に覆われていない皮膚は溶けていたからだ。
剣が刺さっているワイバーンの右耳だった場所からスライムの皮膜らしきものが見えた。
ダイクは瞬足でのたうち回るワイバーンに接近し、スライムをワイバーンの右耳に当てそのスライムごと剣で突き刺し、ワイバーンの脳まで溶かし止めを刺そうとしたのだ。
ワイバーンは地面をのたうち回っていたが、咆哮は上げなくなった。スライムの中身がワイバーンの喉の声帯に当たる音を出す部分を溶かしきってしまったのだろう。
やがてワイバーンは横倒しの姿勢のままのたうち回りながら宙に浮き始めた。
自分で地面をのたうち回っているうちに翼の骨が何か所か折れたのか、綺麗な曲線ではなくなっている。破れた皮膜とあいまって、ボロボロのこうもり傘が竜の胴体に付いているかのようだ。
ワイバーンは尚も空中でのたうち回りながら、自分が来た方向にゆっくり空中を移動し始めた。
あれじゃ止めを刺せないのか。
とんでもない生命力だな。
だが、とりあえず村があいつに襲われることはないだろう。
撃退はすることができたのだ。
「リューズ!」
俺はリューズに呼びかけ、右手を頭の上に掲げハイタッチを促す。
「ジョアン、やったね!」
リューズはそう言って自分も右手を上げると、俺の掌を叩き俺たちはハイタッチをした。
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