村の防衛

第85話 ウルフライダー

※この話の展開のために第83話「脱穀など」のジョアンとダイクの会話部分で7月7日23時に加筆した箇所があります。それ以前に第83話を読んで下さっていた方、申し訳ありません。




 雪狼が曳く荷車は徐々にスピードを上げたが、大人が走る速度より少し速い程度までしか速度が上がらない。


 荷車は荷物を運ぶためのリヤカーみたいな単純な構造なので車体にブレーキなんか付いていない。だからフデもそうだが荷車を運んだことのある雪狼は、速度を上げ過ぎると自分の引いている荷車の慣性で止まれなくなることを知っている。だから雪狼単独なら瞬間的に速く走れても、荷車を引く時は速度をセーブするように覚えてしまうのだ。


 それでも代官屋敷までは5分程度で到着したと思う。


 ただ、体感ではもどかしさもありもっと長く感じた。


 エリックはずっとヨゼフを抱きしめていた。雪狼の引く荷車が林の陰に入り怪物から見えない位置になるまではずっとヨゼフが悲鳴を上げないように口を押さえていた。

 ヨゼフも聡い。兄のエリックに塞いでいた口を解放されても悲鳴は上げなかった。ただ、ずっと涙を流して目を閉じていた。

 クルトは、怪物の姿が見えなくなるまでずっと目を見開き怪物を見続けていたが、林に入り怪物が見えなくなってもずっと放心したように目は見開いたままだった。


 代官屋敷に荷車が到着すると、俺はすぐに荷車から飛び降りた。


 エリックは荷車からヨゼフと一緒に降りた。俺は放心したまま荷車から降りようとしないクルトの肩を荷車の外から飛び上がって掴んで揺さぶった。


 「おい、クルト! 降りるんだ! 代官屋敷に着いたぞ!」


 代官屋敷で洗濯の用意をしようとして前庭に出てきていたピアとマールさんを見つけたヨゼフが大声で泣きながらマールさんに飛びつく。


 「うわあああん、母ちゃん、かあちゃーん」


 ヨゼフの大きな泣き声を聞いたクルトがようやく気が付いた。


 「な、何なんだよ、何なんだよあれー! 何なんだよ!」


 そう怒鳴りながらも、じわっと涙が目から溢れてくる。


 多分、クルトは生きていて初めての圧倒的な力の差を目の当たりにして、その恐ろしさを感じないように心が麻痺していたのだ。魂消たまげる、まさにそんな状態だったのだろう。

 多少でも安全な場所に到着したことがわかり、今になって恐怖が這い上ってきているのだ。


 GYOAAAAAAAAAA! 


 風に乗って怪物の咆哮が休耕地から聞こえてきた。


 クルトとヨゼフはその咆哮が聞こえた瞬間ビクッと体を硬直させ、ヨゼフは更に火が付いたように泣き出した。


 「クルト、早く荷車から降りて代官屋敷の中に入るんだ。急げ」


 エリックは落ち着いている。流石11歳で兄弟最年長だ。荷車の荷台でへたり込んでいるクルトに両腕を伸ばしてクルトを引っ張り下ろす。

 落ち着いているように見えたエリックだが、左腕が震えて力が入らないようだ。やはりエリックも恐怖は感じていたのだろう。それでもその恐怖を押し殺して弟達のために動くエリック。やはりしっかりしている。


 「坊ちゃん、どうされたのです?」


 「ピア! ダイクとリューズは? どこ? 休耕地に怪物が出たんだ! ドノバン先生とハンスは私たちを逃してその場からゆっくり離れようとしているけど、まだ休耕地にいるんだよ! 助けに行かないと!」


 「ダイクさんとリューズは今日は森の中に哨戒に行っています。フデをやって呼んで来させます」


 「お願い! それでピアはマールさんとエリック達を代官屋敷に匿ってあげて! 多分代官屋敷がこの辺りだと一番しっかりした作りだから、多分一番安全だと思う!」


 「なら坊ちゃんも一緒にお隠れ下さい」


 「うん、私も隠れる。けど、村の人たちにも知らせないと。休耕地の近くで作業していた村人は怪物が出たのはわかってるから逃げ出してると思うけど、他の村人たちにも伝えておかないと、建物の外に居たら危ないよ。

 多分教会のルンベック牧師なら緊急時の避難の仕方を知ってる筈だから、教会まで知らせに行くよ」


 「坊ちゃん、ご自身の立場をお考え下さい! 教会へは私が参ります」


 「ピアは戻ってきたダイクとリューズにすぐ状況を伝えて休耕地へ応援に行かせて! それに他の村人もここに逃げてくるかも知れないから、その人たちの誘導もお願い! 怪物は空を飛ぶ、黒い蝙蝠みたいな羽を持った大きな奴って伝えて!

 私は雪狼に乗って教会に行くから。雪狼の足なら教会まですぐだから」


 「坊ちゃん、お待ちください!」


 ピアが制止しようとするが、俺は雪狼の荷車を外し、雪狼に飛び乗って腹帯についている鐙に足をかけた。


 「行け!」

 雪狼の背にうつ伏せになり体を密着させ、言葉で指示しながら首輪の上を叩くと雪狼は走り出した。


 首輪の取手を曲がりたい方向に引っ張ればその方向に曲がる。行け、止まれは言葉と首の後ろを叩く。

 ダイクに聞いていた雪狼の乗り方はそれだけだ。

 しかし、馬以上に上下に揺れる。雪狼の疾走は全身を伸長させて駆けるので振り落とされないように鐙に掛けた足で雪狼の胴体を挟まないといけないし、首輪の取手に掛けた手もしっかりと握らないといけない。

 教会への曲がり角で曲がるのに左の取手を引っ張って雪狼に指示するが、自分の体を雪狼に張付けながら左の取手だけを引っ張るのはなかなか力が要った。


 雪狼に引っ剥がされないようにひたすらしがみついているうちに物の数分で教会に到着した。


 雪狼の首を叩いて「止まれ!」と指示を出すとピタッと教会の石段前に雪狼は制止する。


 俺は教会の中に駆け込むと「ルンベック牧師!」と大声でルンベック牧師を呼んだ。

 ルンベック牧師はまだ畑には出ていなかったようで、厨房の方から顔をのぞかせた。


 「デンカーの坊ちゃんじゃないですか、どうしたんです? こんな早い時間に」


 「ルンベック牧師、西の端の休耕地に怪物が出ました! 多分あちら方面に農作業に出ている村人は逃げていると思いますが、他の畑に行っている村人にも知らせないとと思って! 教会なら鐘があるし、何か緊急の知らせみたいなこと、決めてあるんでしょう?」


 「怪物? どんな奴ですか」


 「形は鷲とか猛禽類っぽいです。蝙蝠のような羽を広げたら羽の全幅が10mくらいはありそうで、長いしっぽの先が尖っていてそれでジャイアントボアを刺すと体長4mくらいのジャイアントボアが、ふらふらして倒れました。そのジャイアントボアをさっきは貪り食っていましたが、食べ終わったらどう動くかわかりません」


 「それは……多分ワイバーンでしょう。蝙蝠の羽に毒のしっぽ、鷲のような2本脚の竜のごとき怪物。

 わかりました、鐘で村人に知らせます。ワイバーンは狂暴で肉食ですから。

 ジャン、マリア達を外から呼んできて厨房の中に隠れているんだ、いいね。厨房なら作りが一番しっかりしているからね。他の村人たちが来たら一緒に厨房に案内して隠れるんだよ」


 そう言うとルンベック牧師は「坊ちゃんもここにお隠れになっていただいた方がいいと思いますが。手代の皆様もその方が安心されるでしょう」と俺に聞く。


 「私は……ハンスとドノバン先生の様子を見に行ってみます。せっかく私を逃がしたのにって怒られるかも知れませんが、雪狼に乗っていきますし、雪狼も死にたくないと思いますので必死に避けてくれるんじゃないかと」


 「冒険は感心しませんな。坊ちゃんのための働きが無になったら手代方も嘆かれると思いますよ。

 私が彼等の懺悔を受ける羽目になったら畑が出来なくて私たちも飢えてしまうんで、坊ちゃんが死んだり怪我をしたりは絶対避けて下さいよ。

 雪狼に乗るなら、完全に体を雪狼の動きに委ねて一体となるよう心掛けて下さいな」


 ルンベック牧師はそう言うと教会の講堂から出て、そこに止まっている雪狼を撫で「乗ってる人を一番に守ってくれよ」と声を掛けた後、鐘楼まで走り鐘を突き出した。


 カンカンカンカンカン!

 カンカンカンカンカン!


 5連続で鐘を打つ、それをルンベック牧師はずっと繰り返す。

 よくわからないが村人に逃げろの合図を送っているのだ。


 俺も雪狼に乗って「行け!」と合図を送り教会を後にした。

 俺が行っても足手まといかも知れないが、少なくともハンスかドノバン先生か、どちらか一人は雪狼に乗って一緒に逃げられる筈だ。

 森に行っているダイク達が来てくれれば皆無事に逃げられるだろう。

 あの怪物が村を襲おうなんて思わない限りは。


 ジャイアントボア1頭を平らげて満足して去ってくれるといいんだが。


 俺は雪狼に乗りながらそんなことを考えた。


 はっきり言ってあれと戦闘になって勝てるビジョンが思いつかない。


 ジャイアントボアの全力疾走と同じくらいの速さで2本脚で地を掛け、空を飛ぶこともでき、自在に動くしっぽの先には毒。あの毒も巨体のジャイアントボアを一刺しでふらふらにさせるほど強力だ。ジャイアントボアの何分の一の体の大きさの人間が刺されたら……

 ルンベック牧師はワイバーンだろうと言っていたが、それほど近距離で見たわけではないので頭部の形や体表がどうなっているのかまではわからない。もしワイバーンだとしたら炎を吐く可能性だってあるし、体表が固い鱗で覆われていたら、俺達の剣で体を断つのも難しいんじゃないだろうか。


 前世のRPGゲームならワイバーンなんて竜の仲間としては雑魚扱いだった。

 真・女神〇生なら銃で神経弾を連発し、ヒロインの電撃魔法があれば6体出てくるイベント戦闘でもほぼノーダメで倒せる程度だった。


 なのに、なのに実際に出くわすと、こんなに恐ろしいものなのか!


 今、俺は冷静に物を考えているように思えるが、俺の思考のその下からは心臓の鼓動と同期して、黒い恐怖が波打っている。あの怪物を見た時から、動いているのを見てしまった時から!

 多分クルトもそうだったのだろう。

 これは本能的なものだ。生物として自分では到底敵わない、それを俺の体が認めてしまっている。


 残ったハンス、ドノバン先生も俺と同じ恐怖を感じているのだろうか。

 それに耐えて俺達を逃がすために残ってくれたのだろうか。


 絶対にあの2人を死なせたくない!

 俺の中の勇気をとにかく動員して耐えなければ。


 雪狼が道ではなく林の中を突っ切る。

 その方が休耕地までは早く着けるのを雪狼は知っている。


 ここを抜けると休耕地、という林の中に、雪狼10数頭と4つの人影が見えた。


 ダイク達が来てくれたのだ。


 良かった! 少なくとも全員生きて帰れそうだ。



 俺はその集団に近づくと「止まれ!」と雪狼に合図を送った。



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