第84話 怪物
こうした日々を送っている中で、代官マッシュが何度か来村した時に第5騎士団への西の森の調査要請について尋ねたが、要請は送ったもののまったく返答はない、とのことだった。
「あの日戻ってすぐに書状をシュリルの第5騎士団長オットー=バルナバス伯爵宛に出しましたが、いつも通りと言っては何ですがまったく音沙汰ありません。その後森では何か異変はありましたか」
「今のところ特段変わったことはないけど、ダイクによると今でも毎日ジャイアントボアは出てきてるみたいだよ。おかげで毎日雪狼の餌と毛皮には困ってないけれど。
それにしてももう3週間になるのに、第5騎士団は何も返答がないって……本当にどういうつもりなんだろう……」
「テルプに何か動きがあるのでしょうかね……」
「それならそれでそういった理由を返信してもらわないと、不信感だけが募ってしまうよ」
「ええ。これで戻ったらまた第5騎士団に書状を書いてみます。ところでデンカー坊ちゃんはいつ王都に発つおつもりですか?」
「10月の第3週にしようかと思っているんだ。リューズの両親に一度あいさつに行って、リューズも王都に同行してもらう許可をもらおうかと思って」
「リューズさんも王都へ連れて行かれるのですか。暗き暗き森のエルフの代表者というわけですな」
「そうだね、そこまで正式な立場じゃないと思うんだけど……?」
とつい何の気なしに返事をしてしまったが、代官のマッシュ達にはリューズは暗き暗き森のエルフということは話していなかったことに気づいた。
「マッシュ、リューズが暗き暗き森のエルフだって誰に聞いたの?」
とマッシュに聞き返すと、マッシュは薄くなった頭髪に手を当て、
「ジョアン=デンカー、流石に私たちだって察しますよ。リューズさんは頻繁に家に戻っていると聞きますが、クリン村方面では見かけませんし、ハールディーズ領出身だとしたらデンカー坊ちゃんがハールディーズ領に1か月行かれている間、同行されないっていうのもおかしな話ですからね。
まあそれとなく察しているのは私とハーマン達、それとルンベック牧師くらいですけどね。
坊ちゃん達が隠したいと思っているようですから広めたりはしませんよ」
「……全く、マッシュも流石に5ヶ村の代官を任されるだけのことはあるね。上手くカマかけられたよ。リューズの出身のことはしばらく伏せておいてね」
「デンカー坊ちゃんの父上、母上にもリューズさんの出身のことは伏せておくおつもりですか?」
「いや、父上、母上たちには正直に伝えた上で面識を持ってもらおうかと考えてるんだ。リューズは今後色々と勉強して知識を生かしたいという希望を持っているから、王都へ行って父上、母上達と面識を持ってもらえれば、王都の学者とも交流する機会を作っていただいたりなど便宜を図ってもらえると思うんでね。
ただ、それ以外にはなるべく伏せるようにしたいとは思ってる。リューズを人質に取って暗き暗き森のエルフを支配下に入れよう、なんて不埒なことを考える奴がいないとも限らないし。
ただまあ、そんなことにならないように、アレイエム王国として暗き暗き森のエルフとどう付き合っていくか考える機会にはしたいと思ってるよ。
でもこれからリューズのご両親の許可を取らないといけないんだよね。その方が色々と心配だよ。
それと、話は変わるけど、フライス村に水車を作りたいんだけど、マッシュの許可があれば建設可能になるのかな?」
「フライス村に? 粉ひきですか? 何でまた」
「粉ひきもするつもりはあるんだけど、どちらかというと農作業の脱穀用で使えないかと思ってね」
「何か思いつかれたのですかな? 是非とも教えていただきたいものですが」
「思いついたばかりだし、まだ完全なものじゃないから稼働して使えるようであればお教えしますよ、男爵。使える目途が立てば他の村でも作って貰えると農業がもう少し楽になると思うから」
「ではその時には是非お教えいただきたいものです。デンカー坊ちゃんの話だとクリン村の粉ひき水車とは用途が違うのですな? なら水車の設置についてはどうします? 木工ギルドに依頼するのは私の方でやった方が良いですか?」
「新規移住者の住宅の件でお金がないのに、マッシュにそこまでお願いしてもいいのかなあ?」
「毒食わば皿まで、と申しますか、どうせ王都に資金援助の願いに行くのですから、金額が増えたところで一緒です。新規移住者の住宅の建設資金と水車の設置費用、合わせて王宮にお願いしますから。木工ギルドにも大工が使う木材と合わせて水車の制作も依頼できますし」
「うん、お願い、と言いたいところだけど、ちょっと考えてる設備を入れて動かすためにはどの程度の広さが必要なのかわからないんだよ。動力伝達の仕組みの達人に相談してからでないとね」
「それは何時頃規模が決まりそうですか?」
「王都に一度戻った後だよ。王都で、王宮の蒸気機関の動力伝達部分の制作をしてくれたアーノルドっていう時計職人にやりたい作業とその装置のことを相談してからでないとわからないんだ」
「なるほど。そういうことであれば一度相談してみて決めましょう。では水車小屋建設を木工ギルドに発注するのは私の方から行うという事で進めましょう」
農作業の主に脱穀のために水車動力を使いたいので代官のマッシュの許可を取りたかったのだが、一応これで許可は取れた。
今のところ脱穀用のこき胴や、実の選別、籾殻飛ばしのために安定した風を送るプロペラはまだ俺の頭の中にしかないので、アーノルドに話して大きさや規模を決めて行かないといけないだろう。
しかし、代官と商人が2人っきりで打ち合わせをしていると、まるで悪代官と越後屋の気分だ。
山吹色のお菓子は無いが、旨い料理がワイロだな。
日々の農作業の方は、収穫も脱穀も終わりいよいよ秋撒き作物のための土起こしを始めた。
その日王家の畑に作業に行ったのは、俺とハンスとドノバン先生、それと荷物を運ぶために荷車を着けた雪狼。バロンの配下の1頭で、体長2.5mとフデ程ではないが小柄だ。ダイクが発注した鐙付の腹帯と首輪をつけている。腹帯に荷車を装着して今日は荷物運びをしてもらう。フデは洗濯のために代官屋敷に残っている。
朝はもう日が短くなってきており、6時半は薄暗いが、7時から畑で作業を始めたい。
雪狼の荷車にシャベルを6本程入れ、エリックの家にも寄ってエリック達の
「刈り入れも大変だと思ったけど、土起こしは本当に面倒だね」
俺がエリックにそう話しかけると、エリックも
「うん、本当に大変だよ。休耕地があるとはいえ、前の年の休耕地を耕さないといけないから結局は一緒だしね。休耕地は草だらけになってるから草の根ごと土を起こさないといけないし」
と答える。
「肥料とかはどうするの?」
「一度畑を荒起こししてから、溜めて置いた雑草が腐った物を撒いて
うへえ、本当に大変な作業だな。
「でも、ジョアン達が使ってるシャベル、あれがあれば大分便利だよ。
「うん、ハンスが頼み込んで作って貰ったみたいだからね。今度何本かうちの商会で仕入れて来ようか?」
「そうだね、木材を売って収入が入ったら買いたいな」
そんな話をしているうちに今日耕す予定の休耕地に到着する。
一面俺の背丈と同じくらいの雑草が生い茂っている。
まずはマチェットで草刈りをしていく。草刈りが終わったら地面を起こす。
クルトとヨゼフは
「たあぁ、悪い奴らめ! このクルトに適うとでも思っているのかぁ、掛かってこいー!」
麦刈りの時は大人しく作業をしていたクルトだが、草刈の時は大はしゃぎだ。自分が騎士にでもなったつもりなのだろうか、草を悪者に見立てて
「おい、クルト! あんまりふざけて作業してると自分だけじゃなく他人も危ないだろ! シックルがヨゼフに当たったりでもしたらどうするんだ!」
エリックがクルトを注意する。
「俺がそんなヘマするかよー」
「おい、クルト、そんなに元気があるんあったら俺と一緒に草を刈った部分の土起こしするぞ。お前が使いたがってたシャベル使っていいから」
ハンスがクルトを見かねて土起こしに誘う。
「師匠がそう言うんだったら仕方ないなー、師匠早く戦い方教えてよー」
「おまえもヨゼフも体がもうすこししっかりしてきたらな。まだ今はしっかりバランス良く体を作る段階だ」
今、農作業後の護身訓練は声出しの他に柔軟体操というか体のバランスを整える体操を行っている。ハンス自身が農作業を行う中で、農民は基本同じ動きしかしないので体の使い方も偏って来るということに気づいたようなのだ。それで左右の体のバランスを整える体操を今は行っている。そうしないと農民の特徴である円背になりやすいらしい。
「以前から農民たちを見て思っていたことなんですが、皆猫背がひどいでしょう? 屈んだりする作業も多いですし右腕ばかり使うので筋肉の付き方も偏って右肩が下がってます。あれは疲れが蓄積しやすいですし、年と共に作業が大変になると思います。戦闘なんてある程度年が行ったらまず無理ですよ」
俺はハンスからそう話を聞いていた。
確かに、体のバランスが悪いとその部分をカバーしようとして他の部分を傷めやすいし、円背は胸郭が縮こまるので肺活量も少なくなり疲れやすい。
以前マッシュから農村部の村人の平均寿命は40歳程度と聞いていた。冬の寒さの厳しさ、栄養状態の悪さ、衛生状態の悪さの他、こうした体のバランスの悪さによる怪我などもそうした寿命の短さの遠因になっているのだろう。
エリックの父親のディルクは40歳を超えていたが、落ちぶれたとはいえ元自作農でそれなりの物を食べることができていたり、小作を使っていた頃に過酷な農作業は小作にやらせていたので体のバランスの悪さもそれほどひどくなかったというのが平均寿命よりも長生きできていた理由だろう。
ハンスがクルトを引っ張って土起こしをする様子を見て、俺はそんなことを考えた。
農民が暮らしやすい村にする。そのために必要なことはまだまだ多い。
休耕地の草刈りをしていると、西の方面からドッドッドッと何か重量のある生物が駆けてくる音がした。
俺は背丈ほどの草むらの中なので様子がわからない。
「殿下、こちらへ早く!」
ハンスがかなり焦って俺の手を掴み雪狼が曳く荷車の所まで俺を連れて行く。
俺のことを坊ちゃんと呼ぶことも忘れ殿下呼びしている。まあデンカーと思われるだろうから些細なことだが。
荷車のところにはヨゼフを抱えたドノバン先生とエリック、クルトもいた。
雪狼も首を曲げて音のする方角を眺めているが、俺たちが近くに居るので唸り声を上げたりはせず大人しくしている。
「何が起こったの?」
「子連れのジャイアントボアが休耕地の端を駆け抜けて東へ移動してます。ここなら巻き込まれることはないでしょう」
そう言ってハンスは雪狼の見ている方向、刈り入れの終わった畑の方を指さした。
畑の中を体長4m程のジャイアントボアの親と、その後ろを5頭程体長1mのジャイアントボアの子が追っかけて東の森に向かって走っている。ジャイアントボアの親は時々速度を緩め、子たちがついて来れるようにしているようだ。
「あんなの初めて見たよ、一体何なの」
「私にもわかりませんが、子連れのジャイアントボアは子を守るために狂暴になります。こちらに向かって来なくて助かりました。ダイク達は何してんだ、まったく」
ハンスがそう言ってダイクに毒づく。確かに畑にまでジャイアントボアに侵入されるなんて、ダイクと雪狼が周辺を警戒するようになって初めてのことだ。
すると、また西の方角からドッドッドッと大地を揺らし駆ける音が、今度は複数近づいてきた。
「またジャイアントボアです! 何頭いるかわかりません! 殿下、荷車に乗ってお逃げ下さい!」
ハンスがそう言って俺を抱えて荷車に乗せた。
ドノバン先生もヨゼフを荷車に乗せ、クルトとエリックも荷車に押し上げた。
「行け、代官屋敷に戻れ!」ハンスは雪狼にそう命令し、その背中を叩くと俺たちを乗せた荷車を引いて雪狼は駆け出した。
子供4人と農機具を乗せているため、荷車はゆっくりと人が走る速度で動き出す。
西の方を見るとジャイアントボアが10頭以上西の森から出て来て農地を突っ切ろうとしている。ジャイアントボアの集団は東の森に向かおうとしているようだ。
ジャイアントボアが駆け出してきた西の森から、 GYOAAAAAAAAAA! と大きな咆哮が聞こえ、何か黒い大きな影がジャイアントボアを追って飛び立つのが見えた。
全体の形は鷲に似ているが、大きさが段違いだ。
多分その蝙蝠のような翼は広げれば端から端まで10m近くあるだろう。
大きな二本の脚。鋭い蹴爪が付いている。
そいつは一度飛び上がり、一頭のジャイアントボアに狙いを定めたのか、急降下しながらその長いしっぽを振ってその先端をジャイアントボアに突き立てた。
しっぽの先端を突き立てられたジャイアントボアは急に動きがおかしくなり、ふらふらとあらぬ方向に動きながらバタリと横倒しになった。
ジャイアントボアが倒れた場所はさっきまで俺たちが作業していた休耕地の草むらの中だ。
その怪物は倒れたジャイアントボアに二本の足で駆け寄ると、倒れたジャイアントボアの喉元に鋭いその牙で噛みつき、息の根を止めた。
そして、そのままジャイアントボアを貪り食い出した。
ハンスとドノバン先生はその怪物がジャイアントボアを貪り食っている場所から30m程離れた場所で、手に持った頼りない得物を構えながら立っている。じりじりと少しづつ、後ろに下がっているようだ。
今日は農作業の予定だったから、当然ハンスもドノバン先生も武器も防具も身に着けていない。
手にしている得物はドノバン先生がマチェットで、ハンスはシャベル。
ジャイアントボアを相手にするだけでも難しいのに、この怪物を相手取れるとは思えない。
荷車に乗せられたヨゼフはその怪物を見た途端に「ひっ」と一瞬悲鳴を上げたが、エリックが急いでヨゼフの口を押さえそれ以上の悲鳴を抑え込んだ。
クルトはいつもの騒がしい様子と違い、目を見開いてその怪物をただ見ている。
『クルト、絶対に悲鳴を上げるなよ、耐えるんだ』
俺は押し殺した声でクルトにそう伝えたが、そんな俺の声が聞こえたのか聞こえていないのか。ずっと瞬きすらせずに怪物から目を離そうとしない。
ドノバン先生、ハンス、無事に逃げてくれ!
雪狼に引かれて遠ざかる荷車の中で、俺は声を上げることもできず、祈ることしかできなかった。
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