第81話 護身の訓練
俺たちが代官屋敷に帰り着くと、エリックと弟達も既に代官屋敷に来ていた。
「エリック達、結構早かったね。自分の家の水汲みとかは終わったの?」
「当ったり前だろー! 俺たちやる気になったら凄いんだぞー」
クルトがそう言ってふんぞり返っている。
「えー、クルト兄ちゃん疲れたって言ってあんまりやらなかったじゃないか、殆ど僕とエリック兄ちゃんにやらせておいてずるいよ」
「いいの! 俺はいつになく草取り頑張ったんだからさー」
「おい、お前たち、そんなにはしゃぐなよ。クルトも珍しく草取り張り切ったのはいいけど、全然それが続かないんだからさ。最初の勢いだけはいいんだから」
エリックが弟達をそうたしなめる。
代官屋敷の前庭に並んだエリックと弟達を見ると、ハンスは自分の休憩も取らずに早速護身術を教えるつもりのようだ。
「まあ準備が出来てるなら、早速始めるかな。いいかお前たち、俺のことは普段はハンスお兄さんと呼んで貰うが、これから護身について教えている時は、ハンス師匠と呼ぶんだ。わかったか?
わかったら返事!」
「はい」「はいよー」「はーい」
エリック達3兄弟はそれぞれ返事をした。
「坊ちゃんも一緒にやりますか?」
ハンスにそう聞かれたので、ちょっぴり興味があった俺も参加しようと思った。
「うん、私も一緒にやってみたいな」
護身術って、ハンスはどんなことを教えるつもりなんだろう。まさかいきなり瞬足を教えたりするつもりだろうか? 最もあれも魔法の一種ならエリック達はできないと思うのだけれど。
「では、坊ちゃんも一緒に、そうですね1列に並んで、森の方に向かって並んでみましょうか」
ハンスに言われた通り一列に並ぶ。俺はヨゼフの隣に並んだ。
「よーし、では皆息を大きく吸い込んで」
すうぅぅぅぅ
「ゆっくり、大きく息を吐き出して」
はあぁぁぁぁぁ
それを何度も繰り返させる。
「では、大きく吸い込んだ息を吐くとき、今度は6回に分けて吐き切る。はじめ!」
すうぅぅぅぅ
はっ はっ はっ はっ はっ はっ
「吐き切った時にまだ息は残ってないか? 逆に6回で吐き切る前に息が途切れてないか?」
「クルト兄ちゃんは一回で全部吐いちゃってたよ」
「ヨゼフ、人のこと気にしてる余裕あるのかよー、お前も息残してんじゃないのかー」
「クルトはせっかちだな。何でも1回で済まそうとするんじゃないよ。とりあえず、これも繰り返し。ゆっくり胸一杯に吸った息を、しっかり6回に分けて吐き切る。はじめ!」
すうぅぅぅぅ
はっ はっ はっ はっ はっ はっ
すうぅぅぅぅ
はっ はっ はっ はっ はっ はっ
「よし、何とか出来るようになってきたな。じゃあ、次は息を吸って吐くときに、6回に分けて息を吐いていたが、息を吐くときに言葉を出せ。『た・す・け・て・く・れ』だ。やってみろ」
「ハンスのおっちゃん、話が違うじゃんかー、護身術教えてくれるんじゃないのかよー」
クルトが不満そうにそう文句を言う。
まあ、正直俺も何をやるのか興味があったが、要は危なくなったら大人に助けを求めろってことなのか。
「何だ、クルト。不満なのか?」
「当たり前じゃないかー、護身術って言うならもっと体を動かして敵をやっつける技とか教えてくれるもんだろー」
「クルト、ハンス師匠に対して失礼だろう! 師匠に教えて貰っている事もきちんとやれないうちにそんなに文句ばかり言って!」
「だってさー、声出すの何て普段からやってるじゃん! わざわさ勿体ぶって教えてもらうようなことじゃないじゃんかー!」
エリックが
「クルト、お前普段からギャーギャー喚いてばっかりでエリック達を困らせてるんじゃないか?
お前がバカにしてる声出しだが、お前はいつも
坊ちゃん、坊ちゃんの最大の大声で森に向かって『たすけてくれ』って叫んでみてください」
ハンスに言われた通りに俺は叫んでみた。
「た・す・け・て・く・れー」 なかなかいい大声で声量を落とせずに叫べた。
「クルト、不満だろうがお前もやってみろ」
ハンスが厳しくそう言う。
「ちぇー、俺の方が坊ちゃんジョアンよりいっつも大声出してるんだから、大きい声が出るに決まってんのによー」
そう言いながらクルトも森に向かって叫ぶ。
「た・す・け・てくれー」
最初のたす、辺りまでは大きな声が出たが、後は尻すぼみに声が小さくなった。最初のたす、で息を使い切ってしまったのだ。その後は根性で声を何とか出して言い切ったが、完全に肺の空気が空っぽになったクルトは、言い終わるとすぐに息を吸い込もうとしてゲホゲホとむせ込んで、その場にへたり込んだ。
「どうだ、坊ちゃんの方は大声で最後まで言い切れていたのに、お前は最初だけは威勢がいいけど尻すぼみに声が小さくなっただろう。
坊ちゃんは普段から俺が剣術を教えているが、しっかり基礎体力の訓練もやってるんだ。大きな声を続けて出すには、腹の筋肉を使って声を出さなきゃならない。クルト、お前は腹の筋肉を使って声を出せないからそうなるんだ。
これはな、腹から大声を出すための訓練だ。当然大声で声を出せればそれだけ大人に助けを求めているのが伝わりやすい。まだ体の小さいお前たちはまず大人に助けを求めるのが身を守る第一歩だ。
ただ、そのためだけにやるんじゃない。腹から大きな声を出せるってことは、それだけ腹の筋肉も使うから、体の中心の筋力の鍛錬になる。大きな声を続けて出すために息を吸って吐く、肺の動きも鍛えられる。
声出しがしっかりできるようになったら当然身を守る動きの訓練も行っていくが、その時に簡単に息切れしなくなる。それだけ多く訓練できる、それだけ上達できるって訳だ」
ハンスはそう説明すると、へたり込んでいたクルトに歩み寄り、膝をついてクルトの肩に手を置いた。
「それとな、騎士団に所属する兵士てのは、大きな声でしっかり情報を伝えられる者は重宝される。戦場は色んな大きな音がしてうるさいところだが、そんな周囲の喧騒をぶち破ってしっかり情報を最後まで伝えられる兵士はそれだけで有能だ。兵士だけでなく騎士だってそうだ。大きな声で兵に命令を伝えられないと部隊が機能的に動かない。味方を大声で鼓舞して励ませない騎士の部隊はいざという時に崩れる。指揮官に命を握られる兵士にとっても指揮官が大きな声を出せる人かどうかってのは重要なんだぞ。
お前たち農民の仕事でも、畑の端から反対の端まで大声で色々伝えられた方が仕事がやりやすくなる。何か畑の端で異変を察知したら、大声で味方に伝えられればそれだけ被害だって防ぎやすくなるんだ。
大声を出し続けるのは凄く大事な事なんだ。わかったか?」
ハンスはゆっくりクルトに語り掛けた。
「わかりました、ハンス師匠。ジョアンに負けないくらい声を出せるように頑張ります」
クルトはそう言って立ち上がり、また列に戻った。
クルトもとりあえず大きな声を出すことが大事というのは理解できたのだろう。
「よーし、じゃあまた続けてやるぞー、息を大きく吸って、『た・す・け・て・く・れ』だ。はい!」
「た・す・け・て・く・れー」「た・す・け・て・く・れー」「た・す・け・て・く・れー」「た・す・け・て・く・れー」
それを日が完全に落ちるまで何度も繰り返した。
ハンス、剣術稽古の時にも思ったが、教えるの上手いな。
体育教師に向いてるんじゃないか。
俺は改めてそう思った。
日が落ちて声出し訓練を終了し、代官屋敷の中に入ると、夕食の準備が出来上がっていた。
代官屋敷の入り口に置いてある水瓶から柄杓で水を汲み手を洗って中に入る。エリック達兄弟にも手洗いの仕方を教え、手洗いはしっかりしてもらう。
テーブルの上に並べられた料理はシイタケを使ったものが多い。というかシイタケを焼いて塩を振った物が数えきれないくらいある。
「このシイタケって、前に貰った原木から取れたやつ?」
俺がそう尋ねると、ピアがそうだと答えた。
「もう今月の初めから取れだしてましたが、ここのところけっこう多く収穫できているのです。昔のように直に焼いて焼きたてを食べても良かったのですが、外で何やら皆さま助けてくれーと叫んでおられたものですから、外で焼くのは諦めて、こうして厨房で焼いておきました」
「使い切れない分は干して干しシイタケにしているよ」
リューズが厨房から料理を運びながらそう教えてくれる。
「ああ、有難いなあ。流石リューズ」
「最もまた家に戻れば干しシイタケ貰って来れるけどね」
「リューズの家から貰ってばかりだと悪いからなあ。ピアも一緒に干しシイタケは作っているの?」
「ええ、リューズに教えて貰って作り方はもうマスターしました。どれだけシイタケが取れても安心です」
「そんなに取れそうなの?」
「ええ、けっこう1本の原木から沢山取れていますよ。原木も6本ありますからね。私たちだけでは食べ切れないくらいには取れてます」
「なら、干しシイタケにしても余るようならマールさんたちにお裾分けしてもいいね」
そんな会話をしているうちに夕食の準備が整った。
皆席についてドノバン先生が神への祈りを捧げるのを待っていると、ドノバン先生が何か気づく。
「おや、マールさんがまだ来られていませんね」
「まだ厨房におられるようですね。私が呼んできます」
ピアがそう言って厨房に行った。
厨房でピアとマールさんは何か話しているようで、少し時間がかかっていたが、ピアがマールさんを連れて広間に出て来たものの、マールさんは席に着こうとしない。
「マールさん、せっかくマールさんに作っていただいた料理が冷めてしまいますから、どうぞお座り下さい」
俺がそう声を掛けると、エリックが続いて「母ちゃん、ここではここのやり方に従おうよ。母ちゃんも席に着いてよ」とマールさんに言う。
「え、どういうこと?」と俺は不思議に思い尋ねた。
「家では母ちゃんは一緒にご飯食べないんだよ。僕らが食べ終わってから厨房で食べるんだ」
え? 何それ。もしかして農民のしきたり……?
貴族家では貴族も夫人も一緒に食事を取るが、農民はそうではないのか。もしかして女性は給仕が済んでからじゃないと食事できない、使用人と同じ扱いなのだろうか。
男尊女卑か? そうなのか?
「マールさん、マールさんの家でのやり方に私たちが口を出すつもりはありませんけれど、ここではマールさんも一緒に食べましょう。せっかく作った料理を冷たくなってから食べるなんてもったいないですし、食事をしながらその日にあったことなどを色々と話すのも互いの理解が深まっていいものですよ」
俺がマールさんにそう伝える。
「そうですよ、マールさん。夫と子供が食べ終わるまで女性は食事をしてはならないなんて決まりは神は決めておられませんよ。皆で食卓を囲んだ方が美味しく食べられると思います。神は美味しく食べられる食べ方を否定しませんから」
ドノバン先生もそう伝える。
ピアがゆっくりマールさんを席に導き椅子に座らせてあげると、マールさんは俯いて、
「すみません、皆さん。こんなに良くしていただいて……」
そう声を絞り出した。
「いいんですよ、マールさん、私たちはこれが普通なんです。ピアだってメイドですけど、ここにいる間は私を支えてくれる仲間で対等ですから一緒に食事しています。少なくとも食卓に着いている間は対等に楽しく食事を楽しみましょうよ。マールさんの作って下さった料理も温かいうちにマールさんが食べて味を確認しないと勿体ないですからね。じゃあドノバン先生、神への祈りをお願いします」
「我らを見守って下さる大いなる神よ。今日も私たちに生きる糧をお与え下さり感謝いたします。
神の恵みを」
「
マールさんは俺たちがフォークを使って食べだすのを確認し、最後に自分もおずおずとフォークを取って食べだした。
「マールさん、この煮物、マールさんが作った物でしょう? 早速いりこを使っていただいたみたいで、美味しく出来上がっていますよ。エリック、そう思わない?」
俺はエリックにそう話を振った。
「母ちゃんがいつも作ってくれる煮物も美味しいけど、この煮物は本当に美味しいよ。母ちゃんも食べてみてよ」
エリックにそう言われ、マールさんも煮物を食べ、味を見る。
暫くゆっくりとマールさんはその味を味わっていた。
ただ煮物を味わっているのではないだろう。
初めてこうして子供たちと、そして他の人たちと一緒に食卓を囲む、そのことについても何か自分なりに咀嚼しているように俺には感じられた。
「ええ、美味しいです。自分で作ったとは信じられません。きっと、このいりこを持って来られた坊ちゃんたちのお力とお気遣いのおかげなんだと思います」
マールさんはそう言って、俺たちに頭を下げた。
この機会を作った俺達への感謝の気持ちが大きいように思われたが、そこまで感謝されるのは俺にとってこそばゆい。多分ドノバン先生やピア達もそうだろう。
「いえいえ、マールさん、これからもいりこを使ってお料理してください。もうすぐ私の商会の者が沢山仕入れて来ますから、代官屋敷で料理する時だけでなく、家で料理する時にも是非お使いくださいね」
だから、俺はそんな商品の売り込みのような言葉を返した。
後でピアにマールさんをフォローしてもらおう。
「何だよー、やっぱり商人は自分とこの商品を売り込むのが上手いなー、抜け目ないなー」
クルトがそんなことを言う。まったくクルトは口が減らない奴だなあ。
「おい、クルト、じゃあお前はこの煮物いらないんだな? だったら僕がもらうぞ」
「いらないなんて言ってないよ兄ちゃん、俺の分取るのはずるいぞー」
「クルト兄ちゃんはジョアンのところで物を買うのは嫌なんでしょ、だったらエリック兄ちゃんにあげてもいいじゃん」
「ヨゼフ、だったらお前のよこせよー」
「やだよ、クルト兄ちゃん変なこと言わないで素直に自分の分食べればいいじゃないか」
エリック達兄弟が賑やかに言い合っているのを見て、マールさんは嬉しそうに微笑んだ。
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