第69話 煮干し
貧しい漁村レルクの村長カイルと一緒に海辺の砂浜に俺たちは来た。
「村長、大き目の鍋と薪が欲しいけどありますか? あと今日取れた小魚で食べ切れない分も」
「ああ、鍋と薪は舟小屋にあるから取って来る。ちょっと待っててくれ」
村長カイルは舟小屋まで行き、たらい程の大きさの鍋と束になった薪を持ってきてくれた。
「村長、ちなみに鍋は何に使ってるんですか?」
「り、漁から戻ったら魚を煮てみんなで食べてるんだよ、そ、それに使ってるだけだ」
村長が少し動揺している。
多分塩の密造をしていると疑われることを恐れているのだろう。
「ダリ……、ダーリング兄さん、塩の密造、密売の取り締まりって公爵領は公爵家の方でやってるの?」
「基本は王家の塩専売局の職員で取り締まりに従事する者が行うことになっているが、公爵領の騎士団にも協力要請があるので、要請されればだな。まあ専売局の職員だけでは手が回らないので殆ど実際見回ったり取り締まったるするのは公爵の騎士や兵になるな」
とっさの偽名のダーリングに対応してくれたダリウスが俺にそう教えてくれる。
「だったら公爵領の民相手だから手心を加えたりとかしてるんじゃない?」
「ああ、公爵の兵や騎士は手心を加えてはくれる。だから漁から戻った後に魚を煮たりするのに海水を使ったりするのは許されてるんだ。ただ、専売局は一番厳しい組織でな。塩の消費量を村々で把握しているから、消費量が極端に増えたり減ったりするとすぐにわかって、多額の追徴税を掛けられるのさ。
うちの村も何年か前に追徴税を掛けられてな。ようやく労役なども含めて一昨年払い終わったんだ」
カイルはそう言った。なるほど、以前やられたから注意してるんだな。
恐ろしい。前世の税務署のようだ。
ポリスメンも言っていた。日本で最も職務に忠実で正確で、いつまでも追って来るのは税務署員だと……
払わないと追徴金がどんどん膨らんでいき……うむ、恐ろしい。
「だったら実際に製品を沢山作るにあたっては塩専売局との話もつけないといけないのか。それも考えないといけないなあ。
まあでもとりあえず、作って貰いたいものをやってみようかな。ハンス、鍋に海水を汲んできてもらっていい? あんまり砂やごみが入らないように。鍋の3分の2くらい」
「はいはーい、お任せください」
ハンスは楽し気に海辺まで走って行き鍋に海水を汲んで戻ってきた。
「えっとじゃあこれで火を付けてっと」
普段からそこで火を焚いているのであろう、
5歳の頃からずっとやっていることだから、一々考えなくとも勝手にイメージできる。慣れってすごい。
しっかり火が起きたら海水の入った鍋を
「じゃあそこの川の水で、小魚を洗ってごみをとっておこう」
俺、ハンス、フリッツ、ダリウス、村長カイルとダリウスの護衛騎士クリストフともう一人の従者でやったのですぐに終わる。
ダリウスはこんな作業はやったことがないので、目を輝かせながら洗っている。
「いやー、ジョアン、労働は尊いねぇ」
身分がバレたら何を呑気なことを、と庶民に思われそうだ。
7人でやれば、鍋一杯分の小魚を洗うのはすぐに終わった。
鍋の海水も沸いてきているので、早速洗った小魚を鍋に入れて煮る。
小魚はどれも小さく3cm~10cm程度だ。
「カイルさん、こんなに小さな魚たくさん取って、小魚居なくなったりしないんですか?」
「ここの入江は魚が卵産める岩礁もけっこうあるし、その川が流れ込んでるおかげか餌も豊富にあるようだから、いまのところ取っても魚が居なくなるなんてことはないな。でも多分入り江の中から外に魚が出ないから魚が大きくならないんじゃないかと思うんだが」
そんなものなのかな。俺も前世の大学時代4年間は海の近くで過ごしたとはいえ、あまり海の生物のことは詳しく知らない。もう少し海洋生物のことを知っておけば良かった。
「そういえば毒のある魚っていないんですか? 膨らむやつ」
フグ毒は致命的だ。神経毒で呼吸中枢を犯すんだよな確か。加熱しても毒性が変わらない厄介な致死毒。医者が幕末にタイムスリップする漫画で読んだ覚えがある。ふぐ調理師免許を持っていれば毒のある部位がわかるんだが、確か卵巣とか肝臓とかだった。でもうろ覚えで命を賭けたチャレンジはしたくない。ふぐ毒には治癒魔法も効く訳がない。
「ああ、フクラミウオか。網にかかるけど捨ててるよ。食べたら死ぬからな。魚肥で持ってってる農村で食べた奴がいて騒ぎになって向こうからクレームが来たから見つけて抜くようにしてるんだ。だからさっきの小魚の中にも入ってなかった筈だぞ」
「なら良かったです。まだ8歳で死にたくありませんから」
「なんだよデンカーさん、あんた8歳だったのかよ。えらくこまっしゃくれたガキだなって言われないか?」
「私に直接言われたことはないですが、多分陰では言われてるんじゃないですかね。自分でもこまっしゃくれてると思いますし。カイルさんが初めてですよ、私に直接そう言ったのは」
俺はそう言いながらアクを取る。いやー凄い量のアクだ。
「あ、そうだカイルさん、いつも食べてる海藻も取ってきてくれませんか。どんなものなのか見たいんです」
「おう、ちょっと待っててくれ」
そう言うとカイルは舟小屋に置いてあったザルを持って岩礁へ行った。
しばらくするとザル一杯に海藻を取ってくる。
何となく見たことがあるものばかりだ。主にワカメと、何か刺身のツマに乗ってるような奴。
「カイルさん達はこれをどうやって食べてるんですか」
「その鍋に魚と一緒に入れて煮て食べてるんだ」
なるほど、一応加熱は必要なんだな。
刺身のツマの奴はよくわからないが、ワカメは一度湯通しして過熱してから干して乾燥させればいい筈だ。刺身のツマの奴も乾燥させれば多分大丈夫だろう。
「ああ、そろそろ小魚はいい具合ですね。カイルさん、この小魚を並べて干して乾燥させたいので、何か布やすだれみたいなものはありませんか」
「使ってない網くらいしかないな。小魚を取る目の細かい奴だから落ちたりはしないと思うが」
「じゃあそれを持ってきていただけませんか」
カイルに網を取ってきてもらう間に、ハンスに頼んで鍋を
林から木の枝を拾ってきて、菜箸がわりにする。
ダリウスの従者2人、一人は護衛騎士のクリストフに網を広げて持って貰って、俺たちは小魚を菜箸でつまんで並べ始めた。
「ジョアン、……デンカー、これこのまま食べられるんじゃないかい?」
「ええ、食べられますよダーリング兄さん。良かったら食べてみてください」
ダリウスは菜箸代わりの枝でつまんでいた小魚をしばらく眺めていたが、パクっと一気に口に放り込んだ。
「はふ、はふいが、ふまいほ!」
あらあら、ハールディーズ公爵家嫡男ともあろうものがはしたない事ですわおほほ。 でもそんなあなたも魅力的ですわようふふ。
心の中で悪役令嬢のセリフを言ってみた。
熱いがうまい、とダリウスは言っていると見た。
「ダーリング兄さん、どうです、お味の方は」
「熱いが,旨いな。これは海水で煮ているわりにはしょっぱさをそれほど感じないよ」
「塩気は熱いとあまり気になりませんからね。冷めたらけっこうしょっぱいと思いますよ。私も食べたくなってきたなあ。これ半分くらい干したら、残りは皆さまで食べましょうか。ダリ……-ング兄さんの従者の方も一緒に。いいですか兄さん」
「ああ、クリストフ、クンツ、君たちも一緒に食べよう。昔昔、100年以上前の伝統的な食べ方、手掴みでねぇ」
俺たちは半分ほど小魚を網の上に干し、海藻類もまだ小魚の残っていた鍋に入れ湯通しした後、網の上に並べた。
「カイルさん、私たちはまた数日経って領主様に話が通りましたら来ますので、それまでこの干した小魚と海藻を更に天日干ししておいて貰いたいのですが、お願いしてもいいでしょうか。完成には多分数日かかると思いますので。漁の片手間にでもいいですから時々裏返したりして干しておいてもらいたいのですが」
「いいですよ、やっときましょう。それだけならそんなに手間もかからないみたいだし。デンカーさんみたいなこまっしゃくれたお子さんが言うことに従うのも普通なら嫌なんだが、何かあんたは私らの生活のことを本当に思ってくれてるって、そんな気がするからね」
「何となく雰囲気で考えを伝える力」の効能かな。カイルがそんなことを言ってくれた。
まあ実際、この寒村レルクの様子を聞いて、自分の領地じゃないけれど何とかしたいとは思ってたからな。フライス村のためだけじゃない、漁師ギルドにすら見放されたここレルクの為にも、煮干し作りを産業として定着させたいと思ったから。
「ありがとう、カイルさん。じゃあまた来た時にはその製品を使って何か作って、カイルさんに味わってもらいますよ。腕によりをかけて作りますから」
「はいはい、楽しみにしときますよ。なんとか領主が許可してくれればいいんだけどな」
「私も懸命にお願いするので、楽しみにお待ちください。じゃあジョアン、さっそく残りの魚を食べよう。冷めて来てるから手掴みでも何とか行けるぞ。
あ、そうだジョアン、この干した小魚は何て言う名前になるんだい?」
「煮干しですよ、ダーリング兄さん。煮て干すから煮干しです」
「なるほど、捻りがなくて覚えやすいね。じゃあジョアン、とりあえず煮干しの元をいただこう」
そういうとダリウスは手づかみでヒョイパクヒョイパクと煮た小魚を食べだした。
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