第68話 漁村レルク
ライバックに着いて早々の昨夕、散々ガリウス=ハールディーズ公爵にボコられた俺は、今朝大したダメージも受けずに起きることが出来た。
それもこれもダリウスが治癒魔法を掛けてくれたからなのだが、叩きのめされ→治癒魔法の地獄コンボはもう勘弁してほしい。半年前の3か月でもう嫌、嫌、嫌なのよ。
朝食後、俺とダリウス、ハンスにフリッツは、哨戒に出発するガリウス=ハールディーズ公爵の率いる一団をライバック城の練兵所で見送った。
タイレル川周辺地域の哨戒任務にいくハールディーズ家の兵の一団は1000人規模。
ハールディーズ家がライバックで抱えている兵の4分の1だ。
ダリウスの説明によると、結構な規模の哨戒部隊だが、哨戒だけでなく示威行動も兼ねているのでそこそこの規模にしているそうだ。
ハールディーズ公爵領に隣接する隣国テルプはテルプ騒乱で独立して12年が経つが、元アレイエム王国侯爵ツェルナー家が王を名乗り独立、オーエ教本道派を味方につけ本道派寄りの貴族家が連合した国家となっている。
テルプの王家であるツェルナー家はテルプ国内で最大の領土を持つとはいえ、テルプ国内でも抜きんでた存在ではなく、国内貴族の統制ができているとは言い難い。立ち位置的にはアレイエム王国におけるニールセン王家と同じだが、ニールセン王家に比べて更に立場が弱い。また国内経済的にもまだまだ貨幣経済が浸透していないため、物資の流通も滞りがちらしい。
元々は現在国境になっている、暗き暗き森を源流とするタイレル川の水運で内陸の都市や村に物資が運ばれていたが、現在は完全に水運が止まっている。
そのためテルプ内陸部の貴族家は貧窮しているようで、統制の利かない流民がハールディーズ領に流入したり、流民に扮した工作員も流れ込むことがある。
普段からタイレル川沿いの街や村に駐屯しているハールディーズ家の部隊の他に、わざわざライバックから部隊を出すのはそうした一団を発見、捕縛、殲滅するためもあるが、大規模な軍勢を見せることで、こちらアレイエム領に侵入するのは難しいと思わせる示威行為でもあるのだ。
余談だが、アレイエム王家の第5騎士団が駐屯している都市シュリルもタイレル川沿いの都市で、以前はタイレル川の水運で運ばれてきた物資の集積地として重要だったが、現在は水運が止まっているため単なる騎士団の駐屯都市となっている。
もし水運が止まっていなかったとしたらフライス村への海産物の運搬もタイレル川の水運を使ってシュリルに運べたので、大量に運ぶことが可能だったのだ。
ちなみに何故水運が止まっているのかと言うと、騒乱中も騒乱後もタイレル川の水利権をアレイエムとテルプ双方が主張しており、相手方の水運船は拿捕し、物資を接収する状況がずっと続いていたからだ。
水利権は現在は棚上げのような形になっているが、そんな事情で騒乱後はアレイエム側の水運業者は皆ハールディーズ公爵領と王家直轄領の境となっているレイズ川に流れてしまった。そのため現在のレイズ川とその周辺の運河はアレイエムで最も水運業者が多く、物流の大動脈となっている。
余談が長くなったが、ガリウス=ハールディーズ公爵が率いる本隊が整然とライバック城を出発するのを見送った後、ダリウスと俺達は港湾都市ライバックにある漁師ギルドを見に行くことにした。その後ライバックの街の市場を見に行く。
漁師ギルドに限らずギルドは同職の組合組織だ。だからその職で扱う商品や製品はその職のギルドで扱っている。ギルドは製品などの販売に独占的な権利を有していたため、構成員の利益を守るために販売価格はどこも大きく変わらない。その点で購入希望者は安心できるが、逆に言えば安く仕入れたりすることはできない。また、構成員が住んでいる地域で限定的に消費するために作られているような珍しい品も流通させていないため、一般的にどんなものが流通しているのかを確認するという意味以上にはならない。
市場というのは城塞都市ライバックの市街の中心広場を開放して行われている露天市のことだ。
まだ前世日本のような流通体制が整っていないので、海産物や農産物が集まる中央市場みたいなものはない。近隣の漁師や小作人が余剰の収穫物や加工物を売ったり、ライバック市内の市民が余剰で持っている物を売ったりするバザーのようなものが市場だ。最も冷凍技術がないので生魚などは絶対に市場には出ない。何かギルドでは扱っていない水産加工物を近隣の漁師が出していないかを見るのが目的だ。
他に水産物を扱っているのは商会があるが、商会は各地のギルドを通じて様々な物を買い付け、必要とする買主に売るため、ギルドで販売しているものはギルドの販売価格に利益を上乗せした価格になるため割高になる。もっとも販売品の輸送などをしてくれるので、ギルドまで足を運べない者にとっては商会はなくてはならない存在だ。ちなみに商会も生魚は扱っていないはずだ。何度も言うようだが冷凍技術がまったくないのだから。
というわけでダリウスと俺達一行は港湾都市ライバックの漁師ギルドにやってきた。
前世の商店やスーパーの様に商品を店頭に陳列などしていない。普通の石造りの建物の入り口に魚の絵が描いてある漁師ギルドのマークが入った看板が出ており、そこが漁師ギルドだ。
俺達は馬車を漁師ギルド前に着けてもらった。
馬車はハールディーズの紋章の着いていない物を用意してもらったので、そこまで衆目を引くことはない。
ダリウスは一応町人風の服を今日は着ているが、やっぱりそこはかとなく高貴オーラが出ている気がする。
ちなみに俺はどう見えるのかハンスに聞いたところ、金髪が目立つが高貴さなぞは隠せている、ということだ。
いいんだ。別に。
漁師ギルドの建物の、木の分厚い扉を開けて中に入ると、明り取りの窓があるとはいえ奥行きがあって中は薄暗い。
奥まったところにカウンタ-があり、受付らしき人が数人立っている。
「こんにちは、漁師ギルドにどういったご用件で?」
俺たちがカウンターまで行くと受付のギルド員の男性が尋ねる。
カウンターで用件を言うと、物品の購入ならカウンター裏の倉庫から物品を出してきてくれるようになっている。
前世のファンタジー作品の冒険者ギルドのように巨乳の女性が受付、なんてことはない。
この世界の女性は基本家庭での家事労働に従事しているためだ。
「今日は漁師ギルドでどんなものを扱っているのか見せてもらいたくて来たんです。私たちはベルシュの奥の村々に物を売る商いをしているデンカー商会の者です。
こちらのデンカー商会の坊ちゃん、ジョアン=デンカー坊ちゃんが海の食べ物を何とかベルシュの奥でも販売したいって言われましてね」
フリッツが理由を上手く述べる。
ギルドの受付の男性は「漁師ギルドでは国内の漁村で作られている加工品を主に扱っていますよ。アジ、イワシなどの干物が主ですね。他に珍しいものだと干しアミとかですかね」
「アジやイワシの干物はどれくらい日持ちしますか」
俺はそこが気になって聞いた。
「だいたい4日間くらいで消費してしまいますね。ここで扱っている干物類は4日を過ぎて売れ残ったら町の食堂に安く販売していますし。でも暗くて冷えたところに保存して1週間くらいじゃないでしょうか」
「なるほど。干しアミの方はどうです?」
これはフリッツが尋ねる。
「干しアミは結構持ちますよ。魚の干物に比べると大分ちがいます。扱いに気を付ければ3か月くらいは持つんじゃないでしょうか」
他にどんなものを扱っているのか聞くと、やはり沿岸で取れるアジやイワシ類の燻製が多く、塩漬けは塩の販売価格が王家によって統制されているので大量の塩を使う塩漬けは割高になるとのことだった。
俺は気になっていることを尋ねた。「海藻の乾物は扱っていないのですか?」
「海藻は基本的に食べませんからね。漁村の一部だと茹でたりして食べているかも知れませんが、一般的ではないので扱っておりません」
「そうですか。海藻を食べている漁村に心当たりはありませんか?」
「確かライバックから馬で30分程離れたレルクでは食べていると聞いたことがあります。レルクの漁師は小魚を取って魚肥として売って生計を立てているので、海藻を食べないとやっていけないという話だったと思います」
「あと、漁師ギルドでは、北方3国産のタラの干物とかは扱っていないのですか?」
前世でもタラの干物は長期保存が効き、数少ない赤道を越えることができる蛋白源だったと、NHKの番組で見た覚えがある。タラの干物ならフライス村周辺まで運んでも十分消費できるだけ持つはずだ。
「北方3国産のタラの干物は漁師ギルドには入って来ないですね。大体商会が買い付けていますので、この辺りだとバルザー商会が最大手ですね。レイズ川対岸の王家領だとヤンセン商会になりますが」
そうか、貿易品の海産物は商会が扱っているのか。
俺は目でフリッツに合図を送る。
「いや、勉強になりました。また仕入れる際には是非勉強をお願いしますよ。では今日の所はこれで失礼します」
そう言って俺たちは漁師ギルドを出た。
「なるほど、食卓に上がる魚のことなど気にしたことはなかったけれど、こうやって話を聞くと面白いものだねぇ」
ダリウスはそう感想を言う。
「多分ハールディーズ家とか、貴族の家の食卓に上がる魚って、領内の漁村からの物納の一部として入って来るものだと思うよ。詳しくはジュディさんに聞かないとわからないけどね」
俺はそう答える。
「それじゃあジョアン、次は城塞都市に戻って市場へ行ってみようか」
「いや、ちょっと行先を変えてほしいんだよ。さっきギルドで聞いたレルクって漁村に行きたいんだ」
「何か気になるのかい?」
「ええ、ちょっと。本当はフリッツには別行動してもらって、北方3国産のタラの干物を扱っているバルザー商会へ行って価格とか確認して欲しかったんだけど、ちょっとレルクでフリッツに考えて貰いたいことが出来たから、このままみんなでレルクに行こう。ダリウス兄さん、急だけどいい?」
「可愛い弟のジョアンの言うことだからなあ。断れないね」
こうして俺たちはレルクに向かうことにした。
しかし、ナチュラルにダリウス兄さんとか呼んでしまった。
恥ずかち~ぃ。
馬車で30分程移動するとレルクに着くはずだったが、道がひどく、俺を筆頭に皆具合が悪くなったので、休憩を挟みながら移動したため、1時間以上かかってレルクに着いた。もう昼近い。
馬車から降りて馬車酔いした体を落ちつかせるため、深呼吸をした。
うーん、磯の香りがする。
前世の大学時代は海から歩いて5分の所に住んでいたので、この磯臭さはかなり俺にとっては懐かしい。
この磯の香りがするってことは、期待した海藻が確実にあるはずだ。ただ、昆布ではないかも知れない。
しばらく砂浜に直に寝転んで馬車酔いから体の回復を待つ。
10分ほどして落ち着いた。
「ジョアン、大丈夫かい?」
「うん、やっと落ち着いたよ。さて、どうしよう誰か漁村の人と話したいんだけどな」
「私がちょっと行って聞いてきましょう」
ハンスがそう言って、今まさに海から上がってきたばかりの舟に乗っていた漁師に聞きに行く。
ここの漁村の漁船は1,2人乗りの小舟ばかりだ。
大した漁獲量もないんじゃないだろうか。
砂浜には小舟を入れる小屋が10と幾つかあり、網を干しているのも見えるが、民家らしきものは見えない。皆どこに住んでいるのだろうか。
「デンカー坊ちゃん、そこの林の奥に村があるそうですよ。海岸沿いは船を入れておく舟小屋しかないそうです」
「ありがとう、ハンス。じゃあ行ってみようか」
俺たちは防風林であろう檜の林に入った。
ほんの数分で集落らしきところに着く。
またハンスが先に走って行き、粗末な家の近くに居て何か作業をしていた人に何か尋ねている。
ハンスが手招きするのでそこまで行く。
「この方がここの村長のようですよ。我ながら運が良かった」
「初めまして。私たちはベルシュ近くで商会を営んでいるデンカー商会の者です。私はフリッツ=ライネル。こちらがデンカー商会ご子息のジョアン=デンカーです」
「ジョアン=デンカーと申します。村長、お名前を教えていただけませんか」
「村長のカイルだ。あんたらよくわからんところからこんな辺鄙な村に何をしに来たんだ?」
村長カイルは日焼けして真っ黒なため年齢が良く分からないが、40歳くらいだろうか。身長はダリウスと同じくらいで、でも腕の筋肉は太い。
「えっと、ライバックの漁師ギルドでここレルクの村では海藻を食べると聞いたもので伺ったんですが」
「漁師ギルドか。守銭奴ばっかりでウチみたいな寒村には何にもしちゃくれねえ。おおかた海藻食ってる貧乏人てな意味で言ったんだろうよ」
村長カイルが忌々し気に言う。
「いや、私たちの住んでいる所はライバックから3日以上かかる山奥でして、海の物がまったく手に入らないんです。何とか私たちの村人の為に海の物を持ち帰りたいと思いましてやってきたんです」
ハンスがそう説明する。
「海藻なんてよっぽど食うものが無い奴しか食わねえよ。まあうちの村がそれを食うって言われてるってことは、要するにそういうこと。バカにされてるんだ、他の所の奴らには」
「そんなに貧しいんですか、ここの村人は」
「ああ。この辺りは農産物は大麦とネギくらいしか育たないんだよ。細々自分たちで食う分の作物を作ってる。うちは漁村だから漁で食ってると思うだろ? この辺りの海は小魚しか取れないんだ。偶に20㎝超えのイワシやアジが取れるくらいでな。
漁師ギルドの連中はある程度大きなイワシやアジでないと干物にせよ燻製にせよ引き取ってくれないんだ、まったく。
他のいい漁場がある村は、取った魚を売って、それで小麦なんかを買って食べることができるけど、うちの村は目の大きい網で漁をしても、とても魚を売って生活出来る程にはならないのさ」
「ならどうやって生計を立ててるんですか」
「目が細かい網をつかって、買い取ってもらえない小さい魚も取って自分たちで食べてるんだよ。食べ切れない分は腐っちまうけど、近くの農村に肥料として売ってるのさ」
なるほど、魚を食べてたんぱく質が取れてるから腕が太いんだな。
「ちなみに肥料として売ると幾らぐらいになるんですか?」
「大体そこにある荷車一杯に積んであるだけで銀貨2枚くらいだよ。もっとも売れた分は税で殆ど持ってかれてる状況だな」
荷車は100kg程積めそうだ。確かに安い。銀貨1枚大体20000円くらいだから100kg40000円。1kg銅貨2枚400円だ。破格の安さだ。まあ全て食べられるわけではなく腐っているものも含めてだが。
「その小魚って魚肥として売る以外に売れないんですか」
「売れないね。全く売れないね。魚肥として引き取ってる村で、まだ食べられる奴は食べてるのかも知れないが、食べるからって値段高く買ってくれるなんてことはないね。昔から、俺の親父が村長の頃から大体そんな感じだったから変わらないよ」
「なるほど。カイルさん、でしたら漁師ギルドを通さずに私たちと直接取引しませんか? フリッツ、今は小魚1㎏銅貨2枚だ。これで干物を作って売る、その材料として買うとしたらいくら出せばいいと思う?」
「作る製品次第だからはっきりとは言えないが、少なくとも1㎏あたり銅貨5枚は出せるんじゃないか」
「作る製品は、小魚を海水で煮て何日も天日で乾かして水分をかなり飛ばしたものさ。そうすればかなり長期間持つようになるから、フライス村までだって余裕で運べるものになるよ。
それと海藻を一度やっぱり海水で煮て、それを乾かしたもの。これも保存がかなり効くよ。これも作る様にして欲しいんだ」
「海藻もどんなものになるか見てみないとはっきりいくらとは言えないぞ」
フリッツはそう言う。
「俺達は漁師ギルドには何にもしてもらっちゃいないから、あんた方と直接取引するのは願ってもない話だ。ただ、漁師ギルドはその土地の領主から販売権限の許可を貰ってる。勝手に直接取引したら領主のハールディーズ家に逆らうことになっちまう。それとギルドからの嫌がらせなんかもあるかも知れねえ。まあ嫌がらせは置いとくとしても、領主に逆らうのは流石にできねえ話だ」
「ハールディーズ家には伝手があるから、何とか許可を取り付けてみるよ」
俺はそう言ってダリウスを見た。
ダリウスはその場で名乗るようなアホなことは流石にしなかった。
「私の知っている人がハールディーズ家の人なんだよ。だから私がお願いしてみるから、ジョアンの話を村長も検討してもらえないかい?」
ダリウスがそう言って村長を後押ししてくれる。
「……うーん、そうだな、あんたらが領主の許可を取ってくれるなら、考えてもいい。領主の知り合いってあんちゃんは確かにどことなく煌びやかに見えるから、本当に伝手がありそうだしな。
とにかくこの村はどんづまりなんだ。本音を言えば生活が楽になるなら何でもしたいところなんだ」
「じゃあ、領主様の許可を貰えたら正式にまたその話の交渉に来るよ。その前に作る製品を試しに作って見ようと思うんだ。だから村長も一緒に海まで来て見てもらえませんか」
「わかった。どんな物を作るために買ってくれるのか、見せて貰おうか」
レルク村村長のカイルと一緒に俺たちは海岸に向かった。
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