第65話 調整の日々




 その日の夕方、ダイクだけが代官屋敷に戻ってきた。


 リューズは今晩はエルダーエルフの集落に泊まるそうだ。


 ダイクは言語学習の時に俺たちと一種にエルフの言葉を覚えてはいなかったが、その後少しだけエルフの言葉を覚えて、片言ならエルフ語を喋れるようになっている。


 「殿下が気に入ったようなので渡してくれ、とニースさんに言われ預かってきました」


 と手のひら大の小袋を渡されたので中を見ると、ペパーミント茶が入っていた。

 これはこのまま持って匂い袋にしてもいい香りだ。

 まだ前に貰ったペパーミント茶も残っているが、今日はせっかくだから貰ったもので茶を淹れてもらおう。


 ダイクが戻ってきたところで、ダリウス=ハールディーズに別荘に招待されている件を俺が手紙を出した最初の要件から相談した。


 「~という訳で、ジュディ夫人に何とか海産物のことをお願いしてみようと思うんだけど、10日後に来られるってことなので、そこに合わせてベルシュのハールディーズ公爵家別荘に行こうと思うんだ。ハンスかダイクのどちらかに一緒に来て欲しいんだけど、どっちが来てくれる?」


 「私はフライス村に残った方がいいでしょう」


 ダイクがそう言う。


 まあ、フデのこともあるから、当然そうなるか。


 「そうですね、やっぱり適材適所となると、私がお側について行く方がいいでしょう。ところで殿下、ダリウス様は殿下に10日後ではなく、もっと早く来て欲しいって言ってたんじゃないですか?」


 うーん、ばれとる。


 「いやもう返事は使者に渡してしまったから」


 「ダリウス様はもうベルシュにおられるんでしょ? 下手したらここまで来られるんじゃないですか?」


 ああ、もしかしたらその可能性はあるなあ。


 結構ダリウスはフットワークが軽いからな。


 10日後に合わせて行く、って伝えておけば大丈夫だと思っていたけど、来られてしまうとちょっと困るな。何せここでの俺はデンカー商会の息子ジョアン=デンカーなのだから、貴族を、それも公爵家嫡男をもてなす用意などできようがない。

 本来なら代官マッシュ=バーデン男爵に対しても、いつもの酒宴では失礼に当たる。

 初期にここフライス村では身分差なしで、ということにしてあるから村長夫妻を交えて宴会が出来ているのだ。


 「もしダリウスが来たら、その時はその時で仕方ないよ。普通に貴族に対するもてなしは出来ないんだから、日帰りでお帰りいただこう」


 「それで納得して下さるといいんですがねえ」


 ハンス、不安になるようなことを言うなよな。




 次の日、俺はハンスと一緒に教会へ行くことにした。


 ダイクはエルダーエルフの集落までリューズを迎えに行った。

 ドノバン先生とピアはいつも通り掃除と洗濯のため代官屋敷に残って貰った。


 教会へ行くのはルンベック牧師に頼み事をするためだ。

 正直に言うと、ピアが教会に行く時に寄付した銀貨30枚は非常に痛い。

 しかし返してくれとは口が裂けても言えない。


 それで、ルンベック牧師に移住者のための家屋建設の件で相談しようと考えたのだ。


 けっこうな額の寄付をしたので元を取ろう、という下種な考えもちょっぴりある。


 代官マッシュとフリッツの3人で相談した時の、自分たちで出来る部分は自分たちで作って、専門的な部分だけ大工ギルドにお願いするという変則的な依頼を大工ギルドに承諾してもらうためにルンベック牧師に口利きをしてもらおう、それくらいの労は取ってもらってもいいんじゃないかな、と思いついたのだ。


 それと、移住者の食事は当面こちら持ちになるが、食事を作れる人が移住者の中にいるかどうか不明なので、教会の厨房なりを借りて炊き出しのようなことはできないか、ということと、移住者の家屋が完成するまで代官屋敷と教会に分宿させたい、と言う相談もしたいと思ったのだ。


 教会に着くと、相変わらず小さな礼拝堂の中は誰もいない。


 俺とハンスは神像に祈りを捧げたあと、裏の畑にいるルンベック牧師に会いに行った。


 ルンベック牧師はいつも通り畑の草取りをしていた。

 この人は農作業が似合うなあ。


 「こんにちは、ルンベック牧師」


 俺は大声でルンベック牧師に声をかける。


 「おお、デンカーさんいらっしゃい」


 ルンベック牧師は俺に気づき立ち上がり、近くで作業をしていた俺と同じくらいの年の少女に


 「マリア、そろそろ10時になるから鐘突きを頼むよ。私はデンカーさんと話があるからね」


 と鐘突きを頼んだ。


 「はーい、ルンベック牧師」


 マリアと呼ばれたふわっとした金髪の幼女は元気に鐘撞堂かねつきどうまで走っていく。

 初めてここを訪れた時に見かけた子だ。利発そうだ。


 「デンカーさん、お話は中で伺いますよ」


  俺とハンスとルンベック牧師は礼拝堂の中に入った。


 「で、デンカーさん、今日はどうされました? 寄付ならいくらでも大歓迎なんですが」


 「いや、実は、お恥ずかしい話ですが、ルンベック牧師のお力添えを頂きたいと思いまして」


 ハンスがそう話し出す。


 その後を俺が引き継ぐ。


 「実はこの前お話したと思いますが、フライス村の豊富な木材資源を活用するために代官のバーデン男爵様は移住者を受け入れようと思っておられます」


 「ああ、この間代官殿が来られた時に話していた件ですな。移住者と元からの村民との間の軋轢がなるべく少なくなるように配慮して欲しい、といった話でしたが」


 「はい、それもお願いしたいことなのですが、それ以外にも幾つかありまして……

 実は代官殿が移住者が居住するための家屋を建設するのですが、あまり資金に余裕があるとは言えず……それで移住者に自分たちで作業できるところは作って貰い、大工ギルドの手でないと難しい部分だけを大工ギルドにお願いしようと思っているようなのです。それで大工ギルドに対しての口添えをルンベック牧師にお願いしたいと思いまして」


 「それならお安い御用ですよ。シュリルの大工ギルドならこの教会の修理も頼んだことがありますし、多少の知己もありますのでね。まあどちらかと言うとハールディーズ領ベルシュの大工に頼んだ方が何かと便利ではありますが、ここは王家領ですからねえ」


 「おお、ありがとうございます。それと、移住者の家屋が完成するまでバーデン男爵は当面代官屋敷を開放して雨露を凌いでもらおうと思っているようなのですが、それだけだと足りるかどうか……ですから足りない場合は教会の建物も貸していただけないかと……」


 「そっちは難しいですねえ。というのもシュリルから来る大工も泊まるところがないと、日帰りでは作業できませんからね。教会は大工の宿泊場所に開放した方がいいと思いますよ」


 ああ、確かにな。シュリルの大工だろうとベルシュの大工だろうと、毎日通ってもらう訳にはいかない。

 そうなるとルンベック牧師の言うようにした方がいいな。


 「わかりました。ルンベック牧師の仰る通りです。そのようにバーデン男爵にはお伝えしておきます。それと、移住者と大工の食事なのですが、材料は男爵様が用意するとして、調理する者が必要となります。そこに教会のお力を借りれないかと思うのですが」


 「ここは私以外は皆小さい子ばかりでね。さっき鐘を突きに行ったマリアが最年長で8歳なんですよ。

 マリアと、後もう一人8歳の男の子でジャンって子は調理の手伝いくらいはできますが、それだけの人数分を作ると言うのは難しいでしょう。

 村の女衆にいくらかの賃金を払って、炊き出しに来てもらう形はどうです?

 教会と代官屋敷と2か所に。そのための声かけならさせていただきます、とバーデン男爵に伝えていただけますか」


 「お知恵を出していただきありがとうございます、ルンベック牧師。バーデン男爵も喜ばれると思います。」


 「まあ、デンカーさんには結構な額の寄付をいただきましたからね。デンカーさん達の希望なら、まあできる範囲でなら協力は惜しみませんよ」


 「来た甲斐がありました。バーデン男爵に私たちも顔が立ちますよ」


 俺とハンスはルンベック牧師に礼を言った。


 この神父は口が悪いところはあっても、情に厚い。

 多分、滞在する大工たちの食費は肩代わりして出してくれる腹積もりなのだろう。

 寄付しておいてよかった、と思う。




 教会から代官屋敷に戻ると、代官屋敷の前に立派な馬車と、3頭の騎乗馬が止まっている。

 馬車の御者台には御者が座って主人の用が済むのを待っているようだ。 


 あー、どうしよ。


 中に入りたくないぞ。


 「殿下、躊躇してても始まりませんよ。もう覚悟を決めてお会いしましょう。ダリウス様も悪い人ではないですしね」


 ダリウスは悪い奴じゃない。それはよくわかっている。むしろ気が利いて優しい人だ。

 剣や武芸が絡まなければの話だが。


 ああ、仕方ないか。


 いやでも悪い予感がヒシヒシと来てるんだが。


 「只今戻りましたー」


 扉を開けて代官屋敷の中に入ると、広間のテーブルで3人が掛けてお茶を飲んでいる。

 その周りを取り巻くようにダイク、リューズ、ドノバン先生、ピアが立っている。

 ダイクとリューズはエルフの集落から戻ってきたばかりの様子だ。


 来客3人のうち2人は軽装だが騎士。


 もう一人の銀髪の少年がこちらを向いて立ち上がった。


 「何処に行ってたんだい、ジョアン。まったく母さんがベルシュに来るのに合わせてとか、遠慮ばっかりするのは相変わらずだね」


 魅力的な笑顔で話しかける少年、ダリウス=ハールディーズ。

 いや本当、これだけならいい人なんだけどなぁ。


 「えっと、ダリウス様、お会いできずご無沙汰しておりました。ご健勝で何よりです」


 「ジョアン、何を今更他人行儀になってるんだよ。ダリウス兄さん、と呼んでくれて良いんだよ」


 「いや、それはお互い立場ってものがありますし……」


 「ジョアンと私は同じ我が父ガリウス=ハールディーズを剣の師と仰ぐ、言わば兄弟子と弟弟子だろう? ならば私を兄さんと呼ぶのもおかしなことではないよ?」


 「いやそのりくつはおかしい」


 「まあ久しぶりだから、ジョアンはいつも通り照れているのかな? ハハハ仕方ないなあ。じゃあ行くよ」


 「えッ、どこに? 表? 裏?」


 「何言ってんのさ、うちの別荘までだよ。今日はわざわざ3時間掛かるところを2時間半で迎えに来てあげたんだから感謝してよね」


 「いや、私にも予定ってものが」


 「ハハハ、何言ってんのジョアン、聞いたよそこのお嬢さんが暗き暗き森出身のエルフなんだろう? もう目的は達成しているから、特に差し迫った予定はないって聞いてるよ?」


 「いや全然準備もしてないし」


 「嫌だなあ、ちゃんとピアさんがジョアンを待っている間に用意してくれたよ、ジョアンとハンスさんの分の荷物。もう馬車に積んであるから、あとはジョアンとハンスさんが乗れば出発できるよ」


 ピアを見ると、いつも通りの表情で、いつも通りの礼をこちらにする。


 ピアめ、俺を売ったな。


 「ダリウス様、心の準備が」


 「ハハハそれこそ何言ってんのジョアン。父上がいつも言ってたじゃないか、戦いはいつ何時起こるかわからないから、日々生活の中でも常に準備を怠るなってね。

 ジョアン、聞いた話によると、君はここに来てから剣の稽古をサボりがちだったんだって? 

 いけないなあ、そんなことでは。

 弟弟子の怠慢は兄弟子が正してあげないとねぇ」


 ダリウス=ハールディーズは母親譲りの端正な顔に満面の笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに歩み寄りつつそう言った。


 あ、やばいこれはやばい行ったら絶対にダメな奴。


 俺は助けを求め、ドノバン先生やリューズ、ダイク、ピアを見た。

 俺の表情は今にも泣き出しそうな、そんな表情を作れている筈。

 そして、何となく考えてることが伝わる力、俺の全力でお断りしたい気持ちを全方位に伝えてくれ!

 ハンスは駄目だ、もう抵抗する気はない。既に馬車に向かってる。


 ここに来て3か月、一緒に暮らした愛しい仲間たち。

 苦楽を共にしてきた、俺が仲間だと信じた皆は、イソイソとそれぞれの仕事を始めやがった。


 「洗濯の続きをしなければ」

 「ボクも手伝いますっ」

 「厨房の片付けでも……」

 「フデと見回りに……」


 「私はお風呂の掃除をしないといけないなぁ」俺も続けて言う。


 「ハハハ、ジョアン、お風呂は別荘にもあるから心配しなくていいよ? 骨折程度なら魔法で治してあげるからねぇ?」


 そう言ってダリウスは俺の肩に手を回し、俺を馬車に強引に連れ込んだハイエース


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