ハールディーズ領内の海産物
第66話 ダリウス=ハールディーズ公爵令息の笑顔で特訓
俺はダリウス=ハールディーズ公爵令息に拉致された。
しかも俺が仲間だと思っていた奴らは皆、俺を売ったのだ。
売却代金は、いい笑顔。
ダリウスのいい笑顔を、皆俺の身柄よりも優先しやがったのだ。ちきしょう。
奴隷に落ちた俺の、最強への戦いが、今、始まる……
「ジョアーン、大分鈍ってるねえ。やっぱり毎日の積み重ねが大事だよ~」
ダリウスの言葉で、俺は妄想から引き戻された。
今まさに俺はダリウスの横薙ぎをバックラーでパリィしきれずまともに胴に受けて、ハールディーズ家のバッカー湖畔にある別荘の修練場で仰向けに倒れている。
倒れた俺にダリウスが近づき、怪我の状態を確認する。
「うん、たいしたことないね。じゃあジョアンまた立って構えて」
くう、鬼か。
俺は立ち上がり、また構える。
「ジョアン、ジョアンのスタイルはバックラー装着してのバスタードソード持ちだから、常時バックラーを構えている必要はないってのはわかるよね?」
「はい、兄弟子!」
稽古中はダリウスのことを兄弟子と呼ばないと拗ねるので、兄弟子と呼んでいる。
「さっき私の逆手横薙ぎを防ぎきれなかったのは何でかわかるよね?」
「はい、兄弟子! 私がヘタレのタマナシ野郎だったからであります!」
「そうだね、ジョアン。両手剣で受ければ良かったのに、手を放してバックラーで無理にパリィに来たからだね。ではジョアン、何故君は両手剣を手放したのかね?」
「はい、兄弟子! 私がヘタレのタマナシ野郎だったからであります!」
「うん、良くわかってるねジョアン、そう、君は両手剣で受けると鍔迫り合いになる可能性があったからバックラーで受けようとしたんだね。なぜ鍔迫り合いを避けようと思ったのかね?」
「はい、兄弟子! 私がヘタレのタマナシ野郎だったからであります!」
「うん、良く分かってるねジョアン、そう、君は鍔迫り合いになったら体格差で私に競り負ける、そう思ったんだね。
……この戯けものが! 自分が苦手なことを避けていて訓練になるかあ! それでもニールセンの王族か! 祖先がその体たらくを見たら泣くわ!
その甘っちょろさを叩き直してくれるわ! 来い!」
何か気合い入れると父親譲りの口調になるんだよなあ、ダリウスは。
「はい、兄弟子、まいります!」
俺は再び構え、ダリウスに立ち向かった。
俺たちから離れたところではハンスがダリウスの護衛騎士クリストフ=アウラ―と手合わせしている。こちらもハンスが劣勢で、ただ決定的な一撃は躱し続けている。
俺とハンスは普段滞在しているフライス村では、剣の稽古は基礎練習にとどまっていて、実践的な応用をする機会がないだろう、というダリウスの有難い配慮で、ここに拉致されてから8日間ずっと実践的な立ち合い稽古をずっとやらされている。
俺はダリウスに直線的に上段から切り下す。
「そう、まずは自分から動く、いいぞ、ジョアン」
ダリウスは立ち合い稽古で様子見することを殊の外嫌う。
こちらから仕掛けないと見ると、一気に連打を叩き込んでくる。
一撃一撃が速いので、受けに回ると一回のミスで吹っ飛ばされる。
ダリウスが立ち合い稽古で様子見を嫌う理由は、死なない立ち合い稽古で積極的にならないでどうする? という実に当たり前の理由だそうだ。
ダリウスは11歳にしてもう父ガリウス=ハールディーズ公爵に連れられ、森林に潜む賊の討伐や魔物退治に従事している。
実戦の場では、こちらから一方的に仕掛けることができる状況は限られるため、立ち合い稽古など稽古では積極的に普段あまりできないことをやっておかないと、いざ必要な場面になった時に対応がとっさに出ないから、ということらしい。
俺は切り下ろしを途中で変化させ、そのまま突きに行く。
ダリウスは右によけ、上段から俺の肩口に斬りつけてくるので、俺はそれをバックラーで
俺は体勢を整えることを優先し、両手持ちに構え直し、ダリウスの剣を戻すのに合わせて
ダリウスは俺の横薙ぎをバックステップで躱し、右からの両手切り下ろし。それを
完全に入ったタイミングだったが、その前に俺はあり得ない左からの横薙ぎに吹っ飛ばされ、修練所の床に転がった。
結構強烈な斬撃で、左の肋骨が折れたかも知れない。体を起こそうとすると左わき腹から頭の天辺に向かって鋭い痛みが走る。
息をするだけで痛い。起き上がれないでいると、ダリウスが急いで駆け寄り俺の左脇腹に手を当てる。
俺の中の何かが左わき腹に集まり、痛みはなくなった。
そして空腹感が昂進する。ダリウスの使った治癒魔法のおかげで体を治すのに体内のエネルギーを使ったためだ。
空腹で立ちたくない。
「ジョアン、今の攻撃は考えてたね。最初の突きの後に次の自分の攻撃を想定できていれば私から1本取れていたかも知れない」
「はい、兄弟子! お褒め頂き光栄であります。質問してもよろしいでありますか?」
「何だい? ジョアン」
「はい、兄弟子、最後に私は何をされたのでありますかッ」
「ジョアンに私が右から斬りつければ、ジョアンは必ずパリィすると思ったのでね、パリィされることを折り込んで、パリィ後最速で
「なるほど、兄弟子勉強になりました!」
「鍔迫り合いに持ち込むと見せかけて相手の剣を巻き込んで払う技術の応用さ。
ジョアンはフライス村でだいぶバックラーの使い方は上達したみたいだけど、その分バックラーに頼った戦い方になっているからね、狙わせてもらったよ。
立ち合い稽古の場合だと、相手の2手先を読んで攻防を組み立てることも大事だから」
「はい、兄弟子、ありがとうございます!」
「お兄様ー!」
おお、幼女の声が聞こえる。
治癒魔法をかけ終わり、俺の前に片膝着いた姿勢になっていたダリウス目がけて、修練所の入り口から白い物体が飛び込んでくる。
ダリウスはその白い物体を立ち上がって受け止めた。
「ジャニーン、もう着いたのか」
「ええ、御者のエッポが頑張ってくれたのよ。私をお兄様に早く会わせてあげるんだって」
「そうかい、じゃあ私も後でエッポを褒めてあげないとね」
ダリウスに抱き着いたのはジャニーンだ。
白いひらひらのワンピースを着ていて、今の季節に合ったさわやかな印象を与えている。
ジャニーンに会うのも随分久しぶりだ。
「ジョアン、いつまでも横になっていないで、そろそろ立っていいよ」
「はい、兄弟子! 実はお恥ずかしいことに腹が減って動けんのです……」
さっきダリウスにかけて貰った治癒魔法のおかげで、怪我は治ったが空腹はもう限界だ。
今の俺なら井〇頭五郎以上に食う自信がある。
「ジョアン、久しぶりに会ったのに情けないわね。ちょっと待ってて、何か持って来るから」
ジャニーンはそう言って修練所入り口に向かって駆け出した。
相変わらず活発な娘だな。
「ジョアン、とりあえず頑張って立とうか。ジャニーンが来たってことはお母さまも着いたってことだから、今日の訓練は終わりにして、お風呂で汗を流しておこう」
「はい、兄弟子! 今日もありがとうございました!」
俺は何とか空腹を我慢しながら立ち上がってダリウスにしっかり礼をした。
まあ、何だかんだでダリウスとの剣の訓練は非常に身になるのだ。
ジャニーンが両腕で紙の包みを沢山抱えて戻ってきた。
走ってこなくてもいいんじゃないかと思うが。
何かジャニーンは母親のジュディ夫人の前以外では常に走ってるイメージだ。
「はい、お兄様に食べてもらおうと思って、クッキー焼いてきたの! お兄様、どうぞ」
「おいおいジャニーン、空腹のジョアン殿下を差し置いて私に先に渡すのは
「だってジョアン殿下ったら、久しぶりにお会いしたのに私のこと無視してるんですもの。ひどいと思いませんか」
おお、口を尖らせて頬っぺた膨らませておるぞ。こんなに判りやすく拗ねるとは。
「申し訳ありませんでした、ジャニーン=ハールディーズ公爵令嬢。 ジョアン=ニールセンです。久方ぶりにお会いできて大変嬉しく思います」
俺はジャニーンの手を取り、礼を取って挨拶した。
「ジョアン殿下、そんなに畏まらなくていいのに。別荘なんだから。 普通に声を掛けてくれれば良かったのよ」
俺の礼を受けてジャニーンが照れておる。
愛い愛い。
「じゃあ、ジャニーン、殿下にクッキーをお渡しして。ジョアン殿下はもう立ってるのもやっとってくらいお腹が空いているからね」
「ジョアン、これ食べて」
ジャニーンが紙袋に入ったクッキーを差し出す。
「ありがとう、ジャニーン」そう礼を言ってクッキーを受け取った。
「お兄様、私クリストフとジョアンの護衛騎士の方にもクッキー渡してくるわね」
ジャニーンはそう言ってハンス達の方に走っていく。
本当にジャニーンはいつも元気だ。
俺はジャニーンから貰った紙袋を開け、クッキーを摘まんで口に入れた。
うん、濃厚なバターの香り。
そして激しい稽古の後なので、口の中がパッサパサで味わうどころではない。
俺はもう一度座り込んで手を口に当て、残りの体力を振り絞って水魔法で水を出して飲んだ。
「ジャニーンも一つのことを気にすると他のことまで気が回らないからなあ。そういう気配りが出来るようになると良いんだけどね。すまないねジョアン、今水を持ってこさせるよ」
「あ、もう口の渇きは収まったんで、大丈夫ですよ。それにジャニーンはまだ7歳ですから、まだこれから少しづつ色々覚えていけばいいんですよ」
俺は口の渇きが落ち着いたので、ジャニーンに貰ったクッキーを味わって食べる。
これもジャニーンの手作りなのかな?
2年前よりも上達したのかも知れない。多分粉の
まあワイルドなクッキーも俺は好きだぜ。
「そう言ってもらえると兄として嬉しいよ。でも8歳のジョアンがそういうこと言っちゃうのがおかしいよね」
「すみません、ヒネた子供で」
「まあ、ジョアンもジョアンでけっこう足りてないところは多いけどね。特に対人の立ち回りは経験積まないと上達しないからなあ。でも基礎体力は大分ついたみたいだしね。ジョアンも成長途中さ」
「ありがとうございます、兄弟子」
「ああ、もう稽古は終わったから兄さんでいいよ、ジョアン。落ち着いたらお風呂で流しっこしよう」
「はい、兄さん」
いや何で兄さんなんだよもう。
でもこの別荘に着いてから兄さん呼びしないと拗ねるから面倒なんだよなぁ。
普段は兄さん、稽古中は兄弟子、ダリウスにとっていったいどんな拘りがあるのか。
何もないかも知れないが。
ジャニーンに貰ったクッキーを平らげたので、俺とダリウスは着替えて入浴するため浴室に向かった。
「お久しぶりです、ジュディ夫人。ジョアン=ニールセンです。この度は私の願いを聞いてこうしてお会いできる機会を頂けたことに感謝いたします」
今は夕食時。
ダイニングルームの華美なテーブルをジュディ夫人、ダリウス、ジャニーン、俺の4人が囲んでいる。
ダリウスも澄ました顔で俺のジュディ夫人への挨拶を聞いている。
さっきまで風呂場で流しっこや水の飛ばし合い、潜水対決などで大はしゃぎしていた様子からは打って変わって貴公子然とした態度を取っている。
まあ貴公子だけど。
ジャニーンもすまし顔だ。
ダリウスに対してのデレデレ顔が素なんだと思うが、母親のジュディ夫人の前では
「立派なあいさつをありがとうございます、ジョアン=ニールセン第一王子殿下。
堅苦しいのはここまでにして、あとは自由に会話いたしましょう」
「ありがとうございます、ジュディ夫人」
俺は着座した。
食事が運ばれてきて会食が始まった。
皆粛々とナイフとフォークを動かす。
会食が終わり、食後のお茶が運ばれてきたので、俺はジュディ夫人に用件を切り出す。
「ジュディ夫人、手紙でお伝えしていた通り、私が今滞在しているフライス村は山奥で、海産物がまったく口にできません。海産物には豊富な栄養があるので、庶民の口に入る様に流通させたいのです」
「ジョアン殿下、私が把握している限り、ハールディーズ領内の漁村で塩漬けの魚などは作られているようですが、どのような物を殿下は欲しておられるのですか?」
「そうですね、塩漬けの魚、あとは干した魚、干した貝類、乾燥させた海藻などです」
「干した魚や干した貝類は漁村でも作っているところはあるでしょうが、乾燥させた海藻はどうでしょうね。そもそも海藻は食べられる物なのですか?」
「あまりアレイエムでは一般的ではありませんが、海藻は食べられる物がけっこうあります。洗って茹でてサラダに混ぜて食べるのはトリエルやサピアの沿岸では一般的です。また、海藻を乾燥させると海藻の中の成分が凝縮され、水で戻して煮込んだ時に他の材料の味を引き立てる美味しさの素が沢山出るようになります。また、意外に動物や大豆に含まれる体を作る成分も豊富です。フライス村はこれまで魔物被害が多かったので畜産を行っていないのです。ですから乾燥させた海藻は是非とも流通させたいのです」
「乾燥させた海藻の効能、それは試してみたいものですね。ジョアン殿下のお時間をいただけるようなら一度漁村に家の者と一緒に出向いていただいて教えていただきたいのですが、そういったお時間はありますでしょうか?」
おっと、意外な申し出だ。
だけど、実際に自分の目で確かめられるのなら、どんなものが漁村にあるのか見てみたい。
「私たちは10月に王都に一度帰還する予定にしておりますので、それまでならば時間は作ることができます。もし宜しければ、フライス村には戻らずに一度漁村の様子を見させていただけると有難いのですが」
「それは願ってもないことですわ。 どうしましょう、ダリウスはこの後はどのような予定になっていましたか?」
「母上、私は3日後に領都ライバックへ戻り、父上と共にテルプ国境のタイレル川沿いの地域を南下しながら哨戒する予定になっております。
もし父上にお許しいただけるのであれば、ジョアン殿下と同行して漁村を視察した後、父上の一軍に合流するように予定を変更することは十分にできます」
「それでしたらダリウスに同行させましょう。夫には私からそのように書状をしたためておきます。
それと殿下、フライス村までの輸送についてはどのようにお考えですか?」
「そうですね、輸送経路に関してはベルシュからフライス村含むノースフォレスト5ヶ村の間の往復はライネル商会にお願いしようかと思っておりましたが」
「私どもの公爵領内も、各都市、各村間の移動経路の整備を進めております。ライバックからベルシュの間も当然整備予定だったのですが、王家直轄領ノースフォレスト地区との取引が一定量以上見込めるようであれば、馬車鉄道の建設予定を前倒しにしても良いかと思います。
殿下、どうでしょうか」
「ジュディ夫人、それは心強いお話です。ノースフォレスト地区への海産物の普及に関しては、代官のバーデン男爵も協力してくださると思いますから、安定した需要は作れるかと思います。
他領のことなのであまり私が口を出すのも憚られますが、ベルシュ周辺でも海産物需要は伸びる筈です。ライネル商会が新しい料理などを広めてくれると思うので」
「そうですか。でしたらこうしましょう。殿下がダリウスと共に漁村に視察に行かれたら、そこで殿下のお目に適った産物を持ち帰ってきていただき、私たちに披露していただくということで。
それが素晴らしい物であればベルシュまでの馬車鉄道の整備を優先させていただきます。
私とジャニーンは9月の終わりまで、この別荘に滞在する予定にしておりますので大丈夫でしょう」
「ありがとうございます、ジュディ夫人。私のような若輩の言に耳を傾けて頂けて、これ以上の喜びはありません」
さてさて、漁村に実際に様子を見に行けるというのも望外のことなのに、更に輸送の点も解決する方法まで提示していただいた。
やべーよジュディ夫人、なんて切れる人なんだ。
ていうかいいのかな、王家の王子とはいえ他家の者にそんなに融通しちゃって。
でも確かに流通を支える交通の整備は大事なことだ。
ベルシュは周辺に点在する村々を支える重要な拠点だから整備は当然だ。
ただ限られた予算を使って整備する訳だから優先順位は付けないといけない。
それを変えてもらうんだからな、下手なプレゼンテーションは出来ないぞ。
俺は責任感で身震いした。
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