第62話 風魔法乾燥




 朝食後、今日これからどうしようか考える。


 ここに来てから目標にしていた、スライムの捕獲、エルフとの接触、そしてエルダーエルフのリューズと言語学習をして互いの言葉を学び、リューズを人里に出す。


 全て達成した。


 代官マッシュとフリッツが来るのは明日だ。

 今後のことを打ち合わせるのも明日の方がいい。

 ハンスは飲み散らかすだろうが。


 あとはフライス村の生活状況について、もっと細かく確認した方がいいかな、くらいではある。


 これまでの様子と村人との会話の中で、日々の暮らしぶりについてはおおよその村人の生活パターンはわかった。


 彼らは男は畑と木の伐採、女は家事労働と畑での軽作業で殆ど自給自足に近い生活だ。

 貨幣収入は木を伐り薪にし、自分たちで使う分以外の薪を売って得るか、自分たちの畑で取れた自分たちで消費する分以外の余剰の農作物があれば売る、という程度。

 衣類や鍋釜などはそのわずかな貨幣収入から購入する。

 なので衣類や布類は貴重で、破れても繕って着続ける。

 家屋の修理など人手が欲しい作業は近隣で手伝い合う。

 食生活は貧しい。特に動物性たんぱく質と脂肪分は殆ど取れていない状況だ。

 主食はライムギなどの麦が殆ど。

 更にいえばフライス村には粉ひき水車がないので、麦をパンにして食べるには各家の手挽きの臼で粉にする必要があって手間がかかるので、穀物も粥にして食べている。


 税に関しては、王家には金銭、物納ともになし。ただし労役と言う形で王家所有の畑の作業を週に4日行う他、道路の普請など公共工事も行う形だ。

 その他、各人の土地を取得した際の代金を分割で払っている。税とは違うが、村人からすると税と一緒の感覚だろうか。

 その上で教会に対しては教会税を支払っている。


 こう見てくると、やはり村人の生活は楽ではないことがわかる。


 村人の体格を見ると、立派とは言えない。


 人間に必要な5大栄養素のうち、炭水化物ばかり突出して摂っている状況で、ビタミンとたんぱく質はそこそこ、脂質とミネラルは殆ど取れていない状況だからだ。

 体を作る物質は足りておらず、体を動かすエネルギーのみは摂れている状況なので、体格が良くなりようがない。


 この生活を向上させるために、一番初めに何に取り掛かるべきかというと、やはり農業生産力の向上と林業資源の活用、それと海産物の流通ルートの確保の3点になるだろう。 


 農業生産力の向上については言うまでもない。余剰が出ればそれだけ村人の金銭収入になる。それに栽培する種類を増やすことで、村人の足りていない栄養素を補える。


 林業資源の活用についても同様だ。現状伐採した薪を売却することで貨幣収入を賄っている訳で、資源となる木材に関しては豊富だ。だが従事できる村人が少ないことと、付加価値を付けた加工ができていない。

 フリッツが勿体ながっていた部分はそこだ。それで林業中心に従事できる者を今都市部で募集している訳だが、ここに村人を労働力として雇うことで村人の貨幣収入を増やすことができる。

 木材の加工品としては木工品などもあるが、木炭の生産を中心にしたいと個人的には思っている。多分、今後木炭需要は伸びると思うのだ。


 そして、海産物の流通に関しては、今のフライス村民にとって足りない栄養素はほとんど海産物で補えるものだ。何とかして流通させたい。

 ここフライス村から最も近い漁村は、ハールディーズ公爵領の漁村になる。

 10月に王都に戻る前に一度、ハールディーズ公爵かジュディ夫人に会って、その辺りのことをお願いしてみた方がいいだろうか。

 でも公爵領の領都ライバックまで行くと、もう王都アレイエムに戻る方が近いんだよなあ。

 公爵の別荘があるベルシュまでハールディーズ公爵夫妻が来る用事があれば、それに合わせてベルシュまで行ってもいいんだけど。


 一度ハールディーズ公爵に問い合わせてみるか。


 そんなことを広間のテーブルで考えていたら、ピアに、


 「殿下、お掃除をしたいのでどいていただけませんか」


  と言われてしまった。


 「ごめんごめんピア、手伝おうか」


 と言うと、ピアは


 「もうリューズさんやドノバン先生が手伝って下さってますので。殿下はハンスさんと久しぶりに剣の訓練でもして来られてはいかがですか」


 とすげなく言われてしまった。 くう、俺は期待されていないのか。 


 「殿~下、久しぶりに稽古しましょ~よ♥」


 はーとは付けんでいいんだけどな、ハンス。


 「はいはい、お願いします師範」


 「そうそう、やっぱり継続しないと身になりませんからねっ♥」


 だからはーとは付けんな。


 「殿下、私はフデを連れて、暗き暗き森とは反対方向の森の中をちょっと哨戒してまいります」


  ダイクはそう言ってフデを連れて代官屋敷を出て行く。


 「ダイクー、哨戒ついでに何かいたら報告しておくれー」


 ダイクにそう声をかけると、ダイクは俺に向かって振り返り、手を挙げて了解の合図をした。



 俺はハンスと二人で代官屋敷の前庭に出て、久々の剣の稽古。


 体が音を上げるかと思ったが、意外に動ける。

 暗き暗き森の中での作業の日々が意外に基礎体力の鍛錬になっていたようだ。


 いつも通りの素振りも刃筋はあまりぶれず、バックラーでのパリィも、ハンスがわざと刃筋をずらした打ち込みの時は確実に弾くことができた。


 「殿下の場合はやっぱり基礎体力が付いてきて、ご自分が思うように体が動くようになってきたのが効いてるのかもしれませんね」


 ハンスが真顔で言う。


 剣の訓練の時は真剣だ。さもないと不意に怪我をする。


 「殿下、初挑戦になりますが試しに『瞬足』やってみますか?」


 「うーん、どうなんだろう、やれるならやって見てもいいけれど、体が耐えられるかな?」


 「今の殿下なら大丈夫だと思いますよ。じゃあ的を準備しますから」


 そう言ってハンスは自分のバックラーを外し、木の枝に吊るして俺の胸くらいの高さに調整した。


 「じゃあ殿下、あの吊り下げたバックラーを、一足飛びで着地と同時に斬って見て下さい」


 「離れたりしなくていいの?」


 「ええ、まずは通常通りの動きでやってみてください」


 ハンスに言われた通り、その動作を何度か繰り返し、バックラーを木剣で斬る。

 実際に斬れるわけでは無いが、木剣がバックラーに当たるカァーンと言う音を何度か響かせる。


 「殿下、動作の要領は何となく掴めましたか?」


 「そうだね、何となくは」


 「でしたら、そうですね、今までの位置から5歩下がって下さい」


 言われた通り5歩下がる。


 この距離ではさっきの飛び込みだとバックラーまで届かない。


 「では、その位置から先程と同じように一足飛びでバックラーを斬りつけて下さい。必ずバックラーに届きます。位置は変わっていますが、先程と同じように飛び込んで斬ることをイメージして下さい」


 頭の中でさっきの動きをイメージする。多少距離は離れているが、ハンスが必ず届くと言っているのだから必ず届くはずだ。


 「では殿下、そのイメージに、ご自分で合わせたタイミングで飛び込んで見てください」


 目を閉じてイメージする。


 あ、動作を起こすのを忘れた。


 もう一度イメージする。


 それに合わせて飛び込む。


 カァーン!



 確かにバックラーは俺が振った剣に当たり弾かれた。



 「殿下、お見事です。『瞬足』出来ていましたよ」


 そうなのか、実感が無い。


 「ハンス、本当に出来ていたのかい?私を持ち上げようとしてるだけじゃない?」


 「いえ、確かに出来ていましたよ。そうでなければこの距離でバックラーに殿下の剣は届きませんから」


 「でも、一瞬のことだったから、何が起きたかわからないんだよ」


 「ああ、なるほど。 でしたら殿下、もう少し届く距離からの練習をしてみましょう」


 そう言ってハンスは揺れ動くバックラーを手で留め、制止させる。


 そして一足飛びで届く位置に俺を再度誘導する。


 「殿下、先程と一緒で、一足飛びで着地と同時にバックラーを斬ってください。ただし、今度は的のバックラーだけでなく、視界全体、視野の端まで意識して、しっかり見て斬ってください」


 ハンスにそう言われ、俺はまた何度か同じ動作を繰り返した。


 ハンスに言われた通り間接視野で、バックラーだけでなく周辺の景色全体を意識しながら行う。


 多分、サッカー選手の視野の使い方と一緒だ。


 「じゃあ殿下、先程と同じく5歩下がって、今度は先程までの視野の流れが速くなった状態をイメージして、その位置から一足飛びで斬ってみてください。殿下のタイミングでどうぞ」


 少し遠いが、周辺の景色は同じく感じ取れている。


 一足飛びで少し早く景色が流れることをイメージする。


 よし、やってみよう。


 バックラーを装着した左腕を胸の前に構え、右手の片手剣は表刃ロングエッジで切りつけられるように軽く振りかぶって構える。


 一度目を閉じ、視野の流れをイメージし。


 動く。


 瞬間的に今までにない速さで世界が後ろに流れた。


 瞬時に目の前に迫ったバックラーを、俺の体幹の動きに合わせて右腕が回り斬りつける。


 カァーン!



 今度はバックラーが俺の木剣に斬りつけられて弾かれて飛ぶ様子が見えた。



 「お見事です、殿下。今度は見えましたか」


 「うん、見えたよハンス師範。何か不思議な感覚だ。目の端で感じる景色は速く流れるのに、目の前の的と体の動きはゆっくり感じられるというか……」


 「それがまさしく『瞬足』中の感覚ですよ。殿下が最初に成功した時は、多分視野まで意識できていなかったので、ご自分がどう動かれたのか分からなかったんでしょうね。

 傍から見ている私からは、2回とも殿下が瞬時にバックラーまで移動して斬りつけたのがわかりましたから」


 「この感覚を忘れないように、もう一回やって見てもいいかな?」


 「そうですね、もう1回くらいはいいでしょう。『瞬足』は体力の消耗が激しいんで、あまり連続でやると倒れちまいますからね」


 もう一度、『瞬足』でないと届かない位置に立ち、的のバックラーと周囲の景色を意識する。


 また瞬間的に周囲の景色が後方に流れ、俺の木剣がバックラーを捉える。


 カァーン!



 うん、腹が減ってきた。

 やっぱり体力を使うな。


 でも感覚は掴めたぞ。


 「ハンス師範、今日はどうもありがとうございました」


 俺はハンスにしっかり礼をした。


 ハンスの教え方、上手いわ。

 多分感覚でみんな理解することなんだろうけど、それをああして工夫した方法と言葉で伝えるのは難しいと思う。

 ハンスに対する礼は俺の心からの礼だ。


 ハンスは照れてるのかなかなかこっちを向かない。


 「じゃあ殿下、一旦中に戻って、何かつまみましょう。昨日ドノバン先生とピアさんが貰って来たストロベリージャム、あれ付けてパン食べましょうや」


 ハンスはそう言いながらこちらに向き直り、的にしていた自分のバックラーを持ち、いい笑顔をした。


 いやしかし、ジャニーンは『瞬足』が3歳の頃から使えてたんなら、確かに騎士になりたいと思っても仕方ないな。更に言えばかくれんぼで『瞬足』を使うなんて、能力の無駄遣いって昔思ったけど、この感覚に慣れたら使いたくなる気持ちはわかる。


 ハンスとダイクは取っ組み合いで『瞬足』を使うなんて、能力と体力の無駄遣いもいいところではあるな。



 そんなことを考えながら代官屋敷の中に戻ると、ドノバン先生とピア、そしてリューズが掃除と洗濯を終えたのだろう、広間でパンとジャム、そしてペパーミント茶の用意をしている。


 「ちょうど良かった、殿下、ちょっと休憩にしましょう」


 ドノバン先生がそう声をかけてくれる。


 リューズは外に出ようとするのでトイレだろうか。


 『リューズ、トイレに行くなら水魔法洗浄マジックウオッシュを知っといた方がいいよ』


 一応俺なりに気を使って、日本語で伝えたのだが。


 リューズはつかつかと俺に歩み寄り、右手を大きく振りかぶったので、ブロックしようと左手をあげたら、そのまま近寄られ足を思い切り踏みつけられた。


 『痛てー!』


 『ジョアーン、本ッ当に君はデリカシーがないねぇ……乙女にそんなこと言うなんて……』


 『いや、ごめん、前世のウオッシュレットと一緒の効果を得る魔法を考案してたから教えようと思って……』


 『そんなこと、君に教えてもらわなくても私も昔からやってるの! 風魔法で乾燥させるのも! 同じ日本人だったんだから思いつくのは当然でしょ!』


 『いや、ごめん。今度から気をつけるよ、本当にごめん』


 『まったく! もう言わないでよそういうこと!』


 リューズは白い肌を真っ赤に染めて屋敷から出て行った。


 俺はリューズに踏まれた足の甲をさすりながら、納得した。

 いかんな、少しデリカシーを持った方が良いのかも知れん。

 でもこれからもついポロっと出てしまうかも知れん。

 リューズに話す時は本当に気をつけよう。


 しかし、リューズは水魔法洗浄マジックウオッシュで洗ったあと、風魔法で乾かすって言ってたな。

 確かに乾燥機能が付いたウオッシュレットもあったな、それから思いついたのかな。


 後でトイレに行くことがあったら試してみよう。


 上手く行ったらその魔法の使い方を風魔法乾燥ウインドドライと名付けよう。


 足は踏まれたが、また一つ便利な生活のヒントがいただけた。




 ありがとう、リューズ。
















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